第六話 大決闘
「……そんなに獣を狙うような眼で私を見ないでよ」
レイスにはアリスは今の状況を理解していないかのように映った。
アリスの周りの草木だけ燦然と輝いているかのように見え、さながらピクニックに来ただけだと言っているように思えた。
「お前は何者なんだ? なぜ俺の名前を知っている? なぜ地底界を滅ぼすなどと口にする?」
アリスに脳内を掻き乱されたレイスはありのままの疑問点を彼女にぶつけた。
今は戦争中で、「あなたの世界、滅ぼしてもいいですか?」などと冗談でも口にするものではない。
その一言自体、レイスはアリスから何も殺気を感じ取れなくて、まるで簡単に許可を得ようとする三歳児のおねだりの様にも聞こえた。
「うーん……そっかぁ……名前はあなたが教えてくれたから? 後の質問は、『天空界の魔道士だから』じゃ足りない?」
レイスが思い当たる節は『記憶のないレイスの幼少期』だけだった。
この女、アリスは、昔、レイスに会っている。
レイスはアリスをどこで関わったのか、辿ることのできない記憶を必死にほじくり返す。
そんなレイスの疑惑は、アリスの次の言葉で確信へと変わる――
「ロベリアちゃんに聞いたら分かるんじゃない? 五年も会ってないんでしょ? もうわたし達に殺されたと思ってるんじゃないかな」
「ああ! お前を殺し! 俺はすぐに帰って、お前がどこの誰なのか、あいつらとゆっくり調べてやるよ!」
レイスの頭上に浮かぶ、不敵な笑み。
恐れ知らずの薄気味悪い笑みが、そのままレイスへと憑依する。
「……起きろ。 黒血大魔・ハイド!」
素性が割れてしまった以上、レイスはここに長居するだけ不毛と踏んだ。
内部から天空界を滅ぼすことを試みていたレイスは赫く黒い血の瘴気を纏う。
「かっこいい悪魔ね……でも別に今、戦うつもりはなかったんだけれど――」
風でアリスの髪と、髪飾りが優雅に揺れる。
やはり今の状況をまるで理解していないかのように、日の下でにこやかに微笑む。
「遅ぇよ! "血殺刀"」
手掌から、赤い蒸気から黒鉄を生成し、刃文が美しく光る刀剣を、凄まじい速度でアリスへと真っ直ぐ伸ばす。
アリスの喉元へと向かう血殺刀を、彼女自身それをぼんやりと眺めていた。
「わぁ……魔法音痴だったレイスくんが、すごい能力を使うのね」
アリスは手を丸めて唇に手を当て、クスッと笑ってみせた。
華奢な女が、息切れ一つせず躱したのかと、レイスには大変癪に障る出来事だった。
「これはアキレア地底界と天空界との決闘だ。 お前が地底界を滅ぼすつもりでいるのなら、俺がそれを食い止める。 戦え女!」
レイスはアリスの頭上を舞い、赤い蒸気を纏った。
バチバチと轟音を伴い、鮮血が右往左往する。
「"赤雷"!」
ズドンとアリスの足元にそれは落ち、地面を抉り、クレーターを作り上げるが、そこにアリスの姿はない。
「私の中にも、いるんだ」
背後からの声がかかり、レイスは対応するためにすぐに振り向いた。
アリスは白い肌に包まれた人差し指がスッと、レイスの右の魔眼を指す。
――いる? 反発する悪魔のことだろうか。
しかしこの戦争中、どこの誰が、どんな悪魔を宿していようがなんら不思議なことではなかった。
「……覗いてみて。 そのハイドくんの眼で」
レイスは本当にアリスが薄気味悪かった。
透視魔法、能力でもあるのだろうか。
出会ってから一刻もしない間、レイスの思考や魔法は全てアリスに見切られてしまっている。
「言われなくても、そうしてやるよ!」
レイスは憤慨し、右眼を大きく見開いた。
――紅朱右透眼。
相手の抱える悲しみ、憎悪を測るいわば、実力計測器。
憎悪に呼応して反発する悪魔を宿していれば、当然にして悪魔の姿がその眼に映る。
青い光が散乱され、赤い月が成されるように、レイスの眼もまた赤く光る。
その視線がアリスの胸あたりを射抜き、レイスは宿る悪魔を視る――
「あ………………」
レイスは脳天から張る糸が突如切れたかの様に、膝からガクッと崩れ落ちた。
視界を遮断しようと必死にハイドの眼を押さえ込む。
一秒にも満たない、そんなコンマ何秒が、数時間にも感じた。
レイスはガクガクと震えた。
もしかしたら、催眠魔法にもかけられて幻影でも見せられているのではないかとさえ思った。
しかしハイドの『紅朱右透眼』の力は本物で。
アリスの中に映る憎悪又は悲哀もまた本物で。
とても形容することが不可能な程の憎悪がレイスの眼に映る。
――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死んでしまえ死んでしまえ死んでしまえ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死ね――
アリスの中ではドス黒い、異次元と言うべき、それはもう真っ黒な姿の分からない悪魔を宿していた。
「泣かないで、レイスくん。 なにか見えたの?」
レイスはアリスに気づき、ハッと目を開き、我に返った。
頬から涙が伝い、地面にポタポタと落ちるがそれを手で拭う。
アリスはにこっと笑いながらレイスと対峙するが、レイスにはどうしてあんな化け物を宿して、そんな柔らかい表情が出来るのか、全くもって理解の外だった。
「……お前は、誰よりも、この世界を憎んでいる」
レイスはアリスが宿す反発する悪魔は桁違いなものだと確信した。
これが呼応して憎悪の力を発揮するものだとしたら。
こんなものがアキレア地底界に向けられたとしたら。
地底界は滅びかねない。
あるいは地底界の上位七名の魔道士、七星魔剣なら、この怪物に太刀打ち出来るだろうか。
数々の思考がレイスの頭を過ったが、それでも――
「アリス、だったか? お前は今ここで倒す。 お前は七星魔剣の一角だな?」
アリスはゆっくりと口を開いた。
「うん。 正解! じゃあ席次は……何番目でしょうか?」
レイスにとってそれは答えかねる問いであったが、そんな呑気な質問に答える余裕は持ち合わせていなかった。
「アリス、お前の悪魔を出せ」
レイスの震えは収まり、改めてアリスと相対した。
「……能力は別に見せても良いけど、死んじゃだめだよ?」
ぼうっと青白い光がアリスから立ち込める。
それは次第に強さを増し、凝視するのが困難な程に強く、光る。
「彼を殺さないように、ね……?」
我が子を起こすように優しく己の悪魔に呼びかけたのだろうか。
加減されるのかと苛立つ間もなく、四方八方の空間にヒビが入り楕円形状に裂けた。
それは息を整え、静まるレイスの心音とは逆に、ドドドドドドという音が次第に大きくなっていった。
裂け目の中の異空間から現れたものは、それはもう比較にならない程圧倒的で。
レイスの赤雷が発する轟音と地鳴りとは全く比較にならない程圧倒的な轟音と地鳴りで。
「ねぇレイスくん。 "数"って知ってる? 歴史上最も強く、最も多く優ってきた"概念"。 わたしは今、この世で最も強い」
レイスが目にした光景は、もう比較にならない程に圧倒的な数で。
空と陸には、それらを全て覆い尽くす程の鎧の兵が
雄叫びを上げ、レイスに向かってきた。
「際限なく召喚される無敵の軍隊。 それが、私の能力」
丘は既に戦場と化し、アリスの言葉はレイスに既に届いておらず、レイスは応戦に入っていた。
レイスは単騎では優位に立っていても、膨大な兵の数に少しずつ圧される。
「ぐっ……"羅血鉄鎖"!」
両手掌から出た漆黒の鎖がうなり、兵をまとめて串刺しにする。
「あちこち壊してんじゃねぇよ……ここは俺たちが手にする大地だ」
レイスは自身にそう言い聞かせる。
ここは地底界が勝利して得る大地だと。
レイスは不可避に近い、濃密な斬撃或いは銃撃を受け、アリスに問いかける。
「お前は……なぜ……いったいどれ程の……恨みを抱えて今日まで生きて……きた……」
数多の兵からの遊撃を受けて、既に呼吸は荒く、満身創痍の少年から出た、必死の言葉だった。
手足は血で赤く染まり、足元がおぼつかない。
「ううん、なんにも恨んでない。 魔力も尽きてきたでしょ? もう痛くしないから、大人しくしててよ」
アリスは相変わらずにこりと優しく微笑む。
ギリっと歯を食いしばり、レイスはなけなしの魔力を込み上げた。
「ふざけやがって……最後だ。 "豪血・赤雷"!」
息も切れ、今にも倒れそうなレイスが必死に魔力を練り上げ、放つ最後の魔法だった。
周辺一帯を埋め尽くすような無数の赤い稲妻が駆け巡り、そのうちの一つがアリスに向けられた。
アリスは自身に向けられたにも関わらず、微笑んだまま、ただレイスの立つ方向を向いていた。
「くそっ……」
気が遠くなり、瞼が重くなるレイスは、空を見て、誓った。
地底界は絶対負けない。
レイスが倒せなかったとしても誰かが、アリスを殺す。
こんな悍ましい力を持ったアリスを、世界は許さない。
これだけの規模の能力を使って、一切悪魔の形相が顔に発現しないなど、有り得ない。
あんな悍ましい悪魔が憑いてる、可憐で、華奢な彼女を見たら、もう――
「待ってろ。 お前は……必ず……俺が救ってみせ……る……から」
レイスは憐憫を込めた赤い血の糸をアリスの右手に巻き、前のめりにドサッと倒れた。
地を駆ける赤い稲妻はかき消え、力尽き、ピクリとも動かないレイスを目の前に、アリスはそっと耳元で囁いた。
「ありがとう」
アリスの手から伸びた刀剣がレイスの胸を突き抜いた。
レイスから浴びた返り血がツーっと頬を伝う。
アリスから溢れたものが優しくそれを洗い流す。
「私はね、あなたをずっと待ってた……レイスくん」
第一話「夜明け前の大決闘」の回収話です。
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