第二話 地底界の団欒
「……きてレイス」
どこからか聞こえる声をレイスは払い除けるかのように布団に潜り込んだ。
「早く起きなさいってば。 バカレイス」
バッと一気に布団を捲り上げ、寒さゆえ丸まったレイスの身体を強引に揺らした。
「わぁっ!」
ガバッと跳ね起きたレイスの額に、ロベリアの額がゴツンと鈍い音を立てて、ぶつかった。
「……っ」
ロベリアは頭を抱えてうずくまった。
レイスはようやく、目の前に立つ、長い黒髪をなびかせた紅色の瞳を輝かせたロベリアを認識し、申し訳なさそうに恐る恐る謝った。
「あ……ごめんね……おはようロベリア」
ロベリアはキッとレイスをにらめつけたが、それ以上に同じ衝撃でぶつかった筈のレイスが痛がる素振りを見せなくて疑問だった。
「早く行くわよ。 また遅刻したいの?」
ロベリアが起こしていなかったら、危なかった。
集合時間五分前に到着し、レイスはホッと胸を撫で下ろした。
「おはよ、二人とも、遅刻ギリギリね」
かけ足で城の広場に転がり込む二人にひらひらと手を振り、エメラルドを思わせる澄んだ瞳を輝かせるリサ。
「ごめんね、レイスを抱えて途中まで飛んできたのよ。レイスの飛行魔法の修行も兼ねて」
レイスは申し訳なさそうにして、しょんぼり肩を落とした。
「レイス、そろそろ五属性基本魔法と飛行魔法は覚えないとね。 優秀なロベリアが一緒なんだから」
「リサ、あまり言わないであげて頂戴。 レイスはこれからなのよ」
ロベリアはリサとレイスの間に入って、レイスを擁護した。
レイス達の住むここは戦争孤児たちの集う、孤児院であり、魔道士養成施設でもある『ルナ・ラペスシャトー』
各々がかつて家族を亡くして悲痛を訴え、ここに集った。
孤児院と呼ぶには、かけ離れたこの膨大な面積を誇る城で、実に数百人の子どもたちを、たった一人の魔女『ルナ』が面倒を見ていた。
大地戦争。
大魔女『レイナ』が三百年前、平和を願い、世界に蓋をしてしまった一大事件、世界大分裂騒動。
ここ、常夜のアキレア地底界に住む者の大半は、青空、太陽を知らない。
無論レイスやロベリア、リサ、その他の孤児たちも本で見たっきり、実物を知らない。
「レイス、青い空見たい?」
ロベリアが不意にレイスに問いかけた。
「青い空、か。 僕も見てみたいなぁ。 本でしか見てないもんね」
ぎゅっと真っ黒な空を掴んだ。
真っ暗な上空は輪郭が曖昧で、上ばかり凝視していると自分の立ち位置すらおぼつかなくなり、吸い込まれてしまいそうになる。
「レイスはさ、まだ家族のこと思い出せない?」
レイスは、家族との記憶がない。
『魔女・ルナ』の話で、不慮の事故で、レイス以外亡くなったとは聞いているが、記憶がない以上、悲しみようがない。
「何も思い出せないや。 思い出せない方が良いのかな?」
レイスは黒髪をくしゃくしゃとかき上げるが、過去について言葉一つも出てこなくて憤った。
「そう………………よかった」
ロベリアはどこか安心したそうな、強張った表情筋が緩み、柔らかい表情に戻っていた。
真っ黒な上空を見上げていると、
「全く、大層なことをしでかした魔女ね」
と、背後から声がかかり、踵を返すとクスッと微笑む女性が立っていた。
「ルナさん!」
金髪を豪奢に巻き、漆黒のドレスをまとい、健康的で柔らかい肌質と大きな胸が特徴のルナが立っていた。
「レイス、十二歳の誕生日おめでとう。 今日の訓練終わったら夜はお祝いね」
ルナはレイスの頭を撫でて、そっとレイスの額にキスをした。
レイスは身体全体から熱が出たのかと錯覚して、ぼーっと突っ立った。
ルナは以前、魔法でレイスの声質と背丈からDNA情報を読み取り、生まれた日と実年齢を特定した。
以来、ルナはずっとレイスの誕生日を覚えている。
「レイスの奴、照れてる。 いいなー、俺、ルナさんの胸に飛び込みたい」
どこからかそんな言葉が出てきて、男児たちの視線がルナの胸に集中した。
ルナはハッと気づき、腕で自分の胸を隠した。
「こら。 大人をからかわないの!」
風がびゅうっと吹いた。
これは自然現象ではなく、魔法だとすぐに分かった。
矮小な竜巻の子が手掌の上で踊っていて、肉眼で留めることのできない速度で渦巻いていた。
「流石、ロベリアね。 私が教えることなんてもうないんじゃないかしら?」
ルナは感心して、皆にロベリアの魔法を観察するよう促した。
ロベリアは首を横に振って、
「いいえ、ルナ様。 お褒めの言葉を預かる程でもないわ。 レイス、鼻血が出るほどおっぱいが気になるなら、私のに飛び込んでくればいいじゃない」
ポタポタと鮮血が垂れ落ちるのを確認して、ようやくレイスは鼻血が出ているのだと把握した。
レイスは自分の鼻を拭うと、横にいた淡藤色の髪をした少女『ヘレン』がフフンっと鼻で笑った。
「あら、そんなにぺったんこに飛び込んだら、激突の衝撃で余計に鼻血が出ちゃ――」
ヘレンが言い切る前に、ロベリアが突風でヘレンを城外へと吹き飛ばした。
「――さて、今は戦争中。遊びはここまでよ。
今日は魔法の相性について勉強しましょう」
ルナはパンパンと手を鳴らし、集中するように促した。
城外に吹き飛ばされた筈のヘレンがもうロベリアの背後に立っていた。
「あら、この貧乳にお返ししようかと思ってたのに残念ですわね」
ロベリアはヘレンを睨みつけ、
「次は当てるわ。 その煩わしい乳房はステータスかなにか?」
ルナとリサ、他の孤児たちに再度制止を促されてようやく二人は大人しくなった。
「いい? 天空界の敵はいつもどこからともなく現れて、私達はいつも迎撃になるの。 でも天空界の明るさから、地底界の暗さに適応するために、暗順応の補助として、ある程度決まった魔法を好んで使うの。 それがこれ――」
ぽうっとルナの掌に優しい灯火が浮かんだ。
それを持ち上げ、等身大の火球を見せたり、今にも消滅してしまいそうな線香花火の先端くらい小さな炎を見せた。
無数の蝋燭で灯されている城だから、影になっていた部分が照らされたり、また影ってを繰り返す。
――火属性魔法。 アキレア天空界の十八番であり使用頻度の最も高い魔法。
「"アクルーバス"」
ロベリアの指先が空をなぞり、透き通った小さな水龍を出現させた。
「……つまり、水属性魔法の極めが最も重要ってことですね。 ルナ様」
指を弾くと同時に水龍がバシャッと散っていった。
「"アクルーバス"!」
レイスが彼女の真似をしようと、指先に魔力を込め、空をなぞった。
水発生したが、出現したのは龍のような大層なものではなく、うねうねと哀れにもがくミミズのような生命体だった。
ハハハと孤児たちの笑いが込み上げられた。
「レイス、相変わらずダメだなー。 魔力の練り上げがなってない。 それじゃ線香花火も消せないよ」
誰かがダメ出しするとまた訓練の間が再度笑いに包まれた。
瞬間、ロベリアが魔力を放出し、威嚇すると途端に当たりが鎮まり返った。
「気にすることないわ、レイス。 あとでコツ教えてあげるから」
ロベリアが落ち込むレイスの頭を撫でて、励ました。
「ロベリアの言う通りよ。 得手不得手があるし、彼女みたいに詠唱破棄や上位魔法を出来るようになれとは言わないわ。 でもね、知っておいてもらいたいことがあるの」
沈黙が空間を支配して、ルナは人差し指を立て、内緒話をするかのように顔の前に突き立てた。
「実は、あなた達にはまだ目覚めていないけれど、この五大属性魔法や陰陽魔法を遥かに凌ぐ強大な力があなた達には秘められているの」
このいきなり告げられた事実に、全員が目を見開き、固唾を飲んだ。
「あなた達はいつか目覚める、この力を使い熟し、この大地戦争に打ち勝たなくてはならない」
「かつて大地戦争の引き金ともなった、その力の名は――」
刹那、爆音と共に爆風がこの『ルナ・ラぺスシャトー』を焼き尽くした。
『天井』まで届くかのように感じる火柱が、ピリピリと大気を焼く。
飛行魔法で優雅に飛翔し、両掌から大玉の火球を複数弾放つ集団。
天界の魔道士兵。
ルナの言葉を最後まで聞けずに、城は襲撃を受けた。