第1話 ナルコレプシーと私
「はぁ~」
また、やってしまった。
仕事のミスなんていつものこと。
ある意味慣れっこだった。
周りから白い目で見られようと、陰口を叩かれようと、もう気にならなくなっていた。
いつもポジティブでいよう。
せめて、自分だけでも自分のことは信じてあげよう。
そう、常に言い聞かせてきた。
(私がもし普通だったなら、あんた達なんかに絶対に負けてない)
しかし、今回ばっかりは自信を失うには充分だった。
茜色に染まる空を眺めながら真奈美は大きくため息をつく。
まだ、飲みきっていない缶コーヒーはとっくにその温かみを失っていた。
枯葉で覆われた公園のベンチ。
一人静かに腰掛ける彼女。
もう、何時間こうしているんだろう?
子供達の声も段々と少なくなってきたとはいえ、上下グレーのスーツに身を包んだ女性が一人ポツンといるというのは酷く浮いていた。
時折強く吹く風が、頭や肩にのった枯葉を吹き飛ばす。
長い黒髪は大きく乱れ、見るも無惨だ。
「また⋯⋯クビかな。まぁ、もう、どうでもいいか」
そう微かに呟くと、スーッと静かに眠りについた。
⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯。あっ!すいません。私、また⋯⋯あれ?」
再び目を覚ますと、彼女の眼前には広大な草原が広がっていた。
涼しげな風が頬をかすめ、微かにキンモクセイの香りが混じっている。
300メートルほど先には、大きな森の入り口も見えた。
周りをキョロキョロ見渡すが、町どころか家一軒見当たらない。
お尻に違和感を感じ立ち上がると、ベンチだった物は切り株に変わっていた。
「えっ?なに?ってか、ここ何処?」
慌てて飛び退く真奈美の脳裏に1つの言葉が浮かんだ。
(拉致?)
いや⋯⋯違う。こんな間抜けな拉致のされ方があってたまるか。いや、されてたまるか。
切り株に座らされたまま放置って⋯⋯。
脳内で、この置かれた現実を必死に否定する。
彼女は思う。
生まれてこの方24年。
こんな間抜けな拉致、聞いたことがない。
拉致って放置って⋯⋯こんな事、とてもじゃないが恥ずかしくて飲み会の場でも話せたもんじゃない。
しかし、ほかに説明がつかない。
そもそもここはどこなのか?
彼女は、ナビアプリを使おうとポケットからスマートフォンを取り出す。が、電波が入らない。
GPSも使えなかった。
あわててカバンの中からポケットWiFiを取り出すが無駄だった。
その他にあるのは、書類とメイク道具のみ。
他に使えそうなものはない。
「はぁ。マジか」
拉致されて身柄を丁寧(?)に捨てられた。
なら、すぐに場所を探知できる様になんてしておくわけがない。
半ば諦めると彼女は、とりあえず座り直し一つ一つ記憶を辿っていった。
「えっと、出勤はしたよね。そんで、朝一から寝落ちしてデータやらかして⋯⋯それから、たしか上司と一緒にお客さんとこ謝罪に行って、その客先でお詫び中にまた寝ちゃって
⋯⋯その場で帰らされたんだっけ。⋯⋯それから、その帰りの道中にある公園の自販機であったかいコーヒー買って、ベンチで座って⋯⋯⋯⋯え~っと、あっ!はは⋯⋯また、寝落ちたんだ」
がっくりと項垂れる彼女。
自分が心底情けなく感じていた。
真奈美は、ナルコレプシーという病気を持っていた。
ナルコレプシーとは、過眠症の一種で所構わず、どんな状況であろうと突然強烈な睡魔に襲われ、あれよあれよと寝落ちてしまう。
他にもいろいろ症状はあるが、それは後日談にするとして原因も不明で治療法もない。
とにかくなかなかに厄介な病気だ。
今回の仕事上のミスも、原因はこの病気の症状によるものだった。
思い出すのは仕事上の嫌な事ばかり。
とにかく、ベンチで寝落ちてから先の記憶が無い事だけはわかった彼女は、すっくと立つ。
「まぁ、どうでもいっか。とりあえず、ここは離れた方がいいよね。私を拉致った奴が戻ってくるかも知れないし」
ズーンと落ち込むが、何かスイッチが入ったかのように突然開き直る。
この切り替えの良さは彼女の大きな長所だ。
とは言え、決して天性のものではない。
ーーー
真奈美は、自身の病気のせいで会社では村八分にされていた。
決して仕事が出来ないわけではない。
どちらかと言えば、プログラマーの中では優秀なほうだ。
だが、とにかく仕事中や会議中に寝てしまう為評判が悪い。
顔立ちやスタイルは悪くないので、最初の頃は男性社員が心配がてら近づいてきた。
しかし、それが女子社員から大きな反感を買っていたのだ。
症状が悪化し、大きなミスが連発し始めた頃、巻き込まれたくないのだろう、一人また一人と男性社員も彼女から離れていった。
ーーー
彼女の背を押すように、一際冷たい風が草原を走り抜ける。
「いや、それ以前に⋯⋯」
周りを改めて見回す。
電波も届かないような草原に一人ポツンと放置されているような状態では、色々と危険過ぎる。
水も食料もない。
野生動物だって出るかも知れない。
両手の中にある缶を見つめる。
「貴重な水分になるかもしれない」
そう察した真奈美は、コーヒーを一口だけ大事に飲むと森へと向かった。
生い茂る草。
所々ぬかるんだ土。
足元が9.0cmあるヒールのパンプスでは足元がおぼつかない。
幾度となくバランスを崩すも黙々と進む。
いっそパンプスを捨ててしまおうかとも何度も思った。
しかし、ブラックサテン地のしっとりとした雰囲気に大胆なレッドヒールのこのパンプス。
一目惚れして買った時の記憶がよぎり、どうしても捨てられない。
そんな葛藤の中、これまでの事が走馬灯の様に頭の中を過ぎる。
ーーー
真奈美はいつも一人だった。
会社で居場所がない彼女は休憩時間が嫌いだった。
昼食はトイレに篭って食べた。
小休憩は、自販機を転々とした。
出勤の前は毎日頭痛に悩まされる。
会社に行っても必要とされていない疎外感を感じていた。
仕事で見返すんだと踏ん張るも病気にはやはり勝てなかった。
病気の事をカミングアウトしても誰も信じてはくれない。
むしろ、陰口を叩かれたり小馬鹿にされた。
今では、業務連絡以外誰とも話すことは無い。
周りには暗い人間だと思われている事だろう。
そうさせたとのは自分達だと気づく事もなく。
病みそうになる毎日を、ただ必死に耐える日々。
一人の時間の時ぐらいは、無理矢理にでも明るくしていないと暗闇に飲み込まれてしまいそうな気がしていた。
そんなことを繰り返しているうちに、自然とプライベートのオン・オフの極端な切り替えができるようになっていった。
ーーー




