20、民は笑うか?
私は、信長さんの蔵から、中華鍋のようなものと、洋風の皿を選んだ。フライパンが欲しいところだけど、ないものは仕方ない。
台所の責任者らしき女性が、蔵の外にいた。中に立ち入ることはできないのか。私が選んだ中華鍋を持ってくれた。洋風の皿は、怖くて持てないらしい。割ってしまうと手討ちにされるのかな。
そういえば、牛乳とかバターってこの時代にあるのかな? 確か、戦国時代って酪農は廃れていたはず。牛乳やバターがないと、私が作れるものは限られてしまう。
「牛乳はあるかしら?」
「はい、牛舎でしぼってくればご用意できます」
えっ? 牛を飼ってるの?
「バターはないわよね?」
「ばたー?」
「何でもないよ。じゃあ、牛乳を用意してください」
「すぐに向かわせます」
「遠いの?」
「いえ、ふもとの野原にあります」
そう言うと、中華鍋を持って、彼女は急ぎ足で離れていった。信長さんがいると、みんなピリピリしている。
「奈津、ばたーというのは南蛮の菓子の材料だな。宣教師が手土産に持ってきたことがあったぞ」
「ええ、お菓子の材料になります。貴族の時代にはこの国にもあったはずですが、武家の時代になると消えたようです」
「ふむ、菓子を食す習慣が消えたのか。我がその習慣を復興させてやろう」
「それは素敵な考えです。お菓子があると楽しいですから」
私がそう言うと、信長さんは遠い目をしているようだった。何かに思いを馳せているのかな。
「奈津、菓子があれば、民は笑うか?」
突然、難しい話をふられて、私は少し困惑した。でも、そういえば、私は死を考えるようになってからは、お菓子なんか食べなかったな。そもそも食欲なんてなかった。
「心に余裕がないと、お菓子は食べられません」
「そうか。では、菓子を食すことができるようになれば、民は変わるな」
食べ物に苦労する必要がなければ、確かに、百姓一揆は減ると思うけど。
「えっと……。甘い物は、確かにストレスをやわらげるような気がしますけど」
「すとれすとは何だ?」
「あ、えっと、疲れや緊張の蓄積かな」
「ふむ。そうか、あいわかった。やはり、奈津は道三の弟子か、いや、道三の師の子孫か」
「いえ、私は……」
「ふっ、記憶がしばらく戻らぬことは珍しいことではない。そのうち、思い出す」
「信長様も優しいところがあるんですね」
「は? 我を口説いているのか?」
ちょっと待って。どうしてそっちに話が進むの?
「私は同性愛者ではありません!」
そう反論すると、彼女はニッと笑った。
「奈津も、相当キツイ女だな。台所へ戻るぞ」
奈津も、ということは、信長さんは自分に似ていると思ったのかな。いやいや、私は魔王じゃないよ。
あれ? そういえば、モモンガが現れたということは、今は個人イベント発生中? お爺さんの説明がないけど……。
「説明は不要じゃろ。ミニイベント発生中じゃ」
何のイベント? こないだは薬草集めだったよね?
「菓子作りイベントじゃ」
あっ、これでイベント3回目!? イベント3回でクリアできなかったら失敗に……。
「全体イベント3回じゃ。ほれ、信長が変な顔をしておるぞ」
うん? 私が立ち止まっていたからか、信長さんがこちらを見てる。早くしろと言いたいのかな。短気な人ね。
「奈津、何をしている。皿が重いのか?」
「いえ、大丈夫です」
だけど、彼女はツカツカと私の方に戻ってきて、皿の入った木箱をひょいと取り上げた。
「奈津が足を怪我しているのを忘れていた。早くしろ」
そう言うと、彼女はスタスタと台所へ向かって歩いていった。やはり優しいところがあるよね。いや、違うかも。
信長さんが皿を運ぶのを見て、慌てて駆け寄ってきた人も断っている。高価な皿だから、触れさせたくないのかな。
台所には、秀吉さんが居た。寝たばかりなのに、信長さんの襲来で起きてきたのかな。
「信長様、今日は何事ですか」
「サル、おまえはいらん。好きに昼寝をしていればよい」
「またまた、何を拗ねていらっしゃるのかな」
「は? 我は奈津の菓子作りを見るのだ」
「お奈津ちゃん、菓子なんか作れるの?」
秀吉さんは驚いた顔をしてこちらを向いた。男女逆転の世界だから、女性はあまり料理をしないのかもしれない。
「秀吉さん、簡単なことしかできないけど……みんなが疲れているから、甘い物があればいいかと思って」
「お奈津ちゃんは、優しいねー」
「サル、何もできんおまえは邪魔だ。昼寝していろ」
「はいはい」
秀吉さんは、首をすくめ、笑いながら台所から出ていった。乱暴な言い方だけど、秀吉さんを追い払うのは、信長さんの優しさなのかな。
この時代に生きるのも、悪くない気がしてきた。




