31:あたしのために怒ってくれる人
黙ったままの本宮の隣で、伊東さんがキッと眉を吊り上げる。
「わたしが誘ったんです。いけませんか」
「亮くんに聞いてるの」
伊東さんの毅然とした態度もそうだけど、亜矢の切り返しも見事だった。あたしはそこでやっと頭の回転が現実に追いついて、ゆっくりと本宮を見る。
あたしの視線を感じてか、本宮が僅かに顔を上げ、あたしを見た。一瞬。
本宮が先にぎゅっと目を瞑り、顔を逸らした。あたしはやけに冷静にその仕草を見ていて、本宮を責めるわけでもなく目を伏せる。
「亮くん、結ちゃんにどう説明するの?」
その、視線だけのやりとり一部始終を見ていた亜矢が、再度本宮に向かって言った。本宮は顔を逸らしたまま僅かに首を振ると、何も言わずあたしたちの横を早足で歩き過ぎた。
伊東さんが、その後を追う。
「亮くん!」
亜矢の声が本宮と伊東さんの背中に飛んだけれど、二人は振り返らなかった。あたしも、振り返れなかった。すぐ脇を、本宮がすいと通り過ぎたのに、何も言えなかった。
本宮を縛るつもりはない。友達付き合いは必要だしそこまで縛るつもりはなかった。けれど、状況が状況だ。距離を置かせてくれって言ったのは本宮であたしも了承はしたけれど、こんなときに、よりによって、伊東さんが相手だなんて。
あたしはのろのろと視線を上げ、どきりとした。亜矢が――
「……亜矢」
「あんなのって……ないよ。あんなの、酷い」
大きな瞳から、ぽろぽろと涙を溢れさせている亜矢に歩み寄り、あたしはポケットからハンカチを取り出す。亜矢は無意識なのだろう、差し出されたそれを受けとると目尻に当てて涙を吸い取らせる。
「亜矢」
「酷くない? あんなのって、酷いよ……」
「うん」
亜矢の肩をぽんぽんと叩いて、あたしは、じわりと浮かびかけていた涙が緩やかに落ち着いていくのを自覚する。本当は、泣きたかったけれど……亜矢の涙を見たら、そんなこと出来なくなってしまった。
俯いてしまった亜矢の背中を押して、ゆっくり歩きながらあたしは小さく「ありがとう」と言った。
その夜、初めて亜矢がうちに泊まっていくことになった。
ぽろぽろ泣きやむまで結構な時間がかかったのだけど、泣き止んだ亜矢が唐突に「お腹空いた」と呟いて、あたしは苦笑しつつちょっと考えて「うち来る?」と聞いてみた。
亜矢が予想外に素直に頷いたのと、無事家のOKが取れたのとで、あたしの部屋に急遽、布団が一組運び込まれた。亜矢は、お風呂上りにバジャマ代わりにと貸したあたしが中学の頃のジャージを着て「それでもおっきーい!」と悦に入っていた。
「ねえ結ちゃん、今日のこと、なんだけど」
枕を抱いて、ちょこんと布団の上に座り込んだ亜矢が言う。あたしは「うん」と返事をして横向きに寝転がった。
「ホントは結ちゃんのほうがもっともっと、怒りたかったよね。ごめんねあたし――すっごく頭にきちゃって」
言いながら、ちょっとむくれた顔をする。思い出したんだろう、枕をぎゅっと抱きしめてた亜矢は、枕の上に顎を乗せてあたしを見た。
視線が合って、あたしは小さく首を振る。亜矢がちょっとだけ、口角を上げて笑った。
「大丈夫」
「うん」
あたしがしっかりと言葉で返事を返すと、亜矢はニッコリと笑って頷いた。そして枕を放り投げると、悪戯っぽく笑ってあたしのベッドへ擦り寄ってきて、今度はベッドの上に顎を乗せる。
「でもなーあ」
「なによ」
亜矢の意図がわからなくてあたしが聞き返すと、ちらっとあたしを横目で見た。
「あたし、結ちゃんと希くんの方がピッタリくるんだけどなあ」
「若原?」
思いがけない言葉に、あたしは眉を寄せる。その次の瞬間、若原に言われたことを思い出して――ちょっと、頬が熱くなる自覚があった。だから、わざと寝返りを打つようにうつぶせに身体を捻って上体を起こした。
亜矢はその体勢のままであたしを見上げる。……まるで、子犬みたいに。
「うん。っていうか、希くんはぜーったい、結ちゃんだと思ったんだけどなあ」
「どっから見るとそーなるのよ、あたしより内沢さんのほうがいつも一緒じゃない」
思わず具体的な名前を出して言い返すと、亜矢は笑みを引っ込めてじろりと睨む。そしてはぁっとわざとらしく溜息をついた。
「結ちゃんてかなりニブいよね。どっからどう見てもじゃなーい」
んもう、ともうひとつ溜息をつくと、亜矢はあーあ、と呟いてから手を伸ばし、さっき放り投げた枕を再度抱きしめる。
「でも正直、今日の亮くんにはあたし、幻滅」
枕に顔を突っ伏してぶんぶんと振りながらそう言うと、亜矢は顔を上げて天井を見上げる。
「悪く言いたくないけど、あの態度はないよね」
言いながら、亜矢は再度怒りにほっぺたを膨らましていた。思い出し怒り……とでも言うのかな。
あたしはどちらかというと醒めたように感じていて、亜矢ほど怒りの感情を露に出せない――本宮が辛かったの、わかってるからかな。それでもあれはないと思うけど。
「結ちゃん、大丈夫?」
ぼんやり考えていたら亜矢が心配そうにあたしを覗き込んでいた。慌てて笑顔を作って頷く。
「うん、まあ、なんとかね」
「亮くんから謝ってくるまで口利いちゃダメだよ!」
「はいはい」
笑って流すと亜矢が「結ちゃん!」とムキになって食いついてくるのをかわしながら、あたしは本宮のことを考えていた。もしかしたら、このまま――って可能性もなくはないだろう。元々、距離を置きたいって言われてたし、それならそれで仕方ない。こうやって、待っている間が一番苦痛だ。
亜矢が投げた枕がぼんっと顔に当たって、あたしはそこで思考を中断し、「やったな!」と自分の枕を亜矢に投げつける。
「ちょっとぉ、テニス部ずるい!」
「関係ないでしょ!」
亜矢が枕を避けながら防戦する。笑いあいながら、あたしは久しぶりに笑った気がする、と考えていた。