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30:すれ違う、偶然

 あたしは妙に、おどおどとしてしまっていた。通学路はまだ良かったけれど校門をくぐるあたりから心臓がばくばくいい始めて、昇降口に入ると緊張は最高潮だった。本宮の姿がどこかにないかどうか――そればかり気にして挙動不審だったと思う。

「おはよー結ちゃん! ……なに、どうかしたの?」

 教室の前で後ろから亜矢に声をかけられて振り向くと、亜矢が不思議そうに瞬きを数回繰り返した。

「う、ううん、別に。――おはよ亜矢」

「おはよー。昨日はどうしちゃったの?」

 席につきながら屈託のない笑顔で訊ねる亜矢に、あたしは目を泳がせながら「うん、ちょっと」と語尾を濁す。そんなわかりやすい反応にも亜矢は気にすることなく「ふうん」とスルーしてくれた。

 亜矢のこういうところは本当、ありがたい。

「あのねえ昨日ねえ、希くんも三限終わったら帰っちゃったの」

「あ……そーなんだ」

「ふふーん、でもねえ、昨日の五限自習だったの。ラッキー」

「数学?」

「そ! 得しちゃった」

 他愛もない会話をしながらあたしは、目の端で本宮を探していた。その視界の隅に若原が見えたとき――あたしは慌てて目を逸らす。

「希くーん、おはよー」

「はよーっす」

 あたしの視線を知ってか知らずか、亜矢がすぐに気づいて声をかけ、若原は返事をしながらあたしたちに近づいてくる。

「お、はよ」

「おっはよー、おサボリちゃん」

 ぎこちないあたしの挨拶に、若原はニヤリと笑ってそんなことを言う。亜矢が「おサボリちゃーん」と若原の言葉尻を捕まえて嬉しそうに繰り返した。

「希くんはおサボリ魔王だね」

「フフン、王子と呼んでくれたまえ」

「えー王子ー? 似合わなーい」

 亜矢と若原がいつもどおりの軽口を言い合っているその雰囲気に癒され、あたしも少し心の警戒を解いた。二人のやりとりにくすりと笑みを浮かべたそのとき、後ろの扉から本宮が入ってくる。

「あ、亮くーん。おはよ」

 いち早く亜矢が声をかけると、反射的に本宮は笑顔を浮かべて「おはよう」と言う。けれどすぐそばにあたしと若原がいるのに気づくと明らかに顔を強張らせた。

「はよー」

「……ああ」

 若原の挨拶には顔を背けて曖昧にそう頷いただけだった。あたしに関しては既にこっちから声をかけられるような雰囲気じゃない。

 ちょっと妙な空気が漂ったその場から、若原が「さあて寝るかー」とふざけ半分の台詞付きで離れていってちょっとほっとする。本宮は近づいて来もせずそのまま自席についたままだった。

 大きな瞳で本宮と若原と、そしてあたしを順番に見ていた亜矢は、あたしの耳元に身体を乗り出してくるとこそこそっと囁く。

「どうかしたの? 亮くんと喧嘩でもした?」

「うん、まあ……そんなもんかな」

 苦笑気味に頷くと、亜矢はちょっと眉を寄せて「そっかあ」と肩を落とした。

 結局、本宮は一日あたしたち――若原も含めたあたしたちを避けるようにしていた。若原は気にしていないようにいつもどおり振舞っていたし、元々本宮と若原が二人一緒にいることってそんなに多くないから不自然ではなかったんだろうけど、あたしたちにとってはあからさまにおかしな態度だった。

 亜矢は、「喧嘩した」という簡単な説明で納得しているらしく、ホームルームの前に自分の席に戻りながらちょこっと舌を出して「ま、仲良くネ!」とだけ言ってそれきり触れてこない。

 お昼休みの終わり際、屋上へ向かう階段へ消えた若原の後姿を見つけて、あたしは小走りにそれを追いかける。階段を見上げると、ちょうど若原が屋上の扉を細く開けようとしているところだった。

「若原」

 低い声で呼ぶと、若原は手を止めてあたしを振り返った。表情は逆光に消されて見えない。

 あたしが眩しさに目を細めると、光の扉が閉まって、若原の顔が見える――いつもどおり、ちょっと笑みを浮かべた口角。

「どういう、つもり?」

 あたしは他にも色々言いたかったいろんなことを綺麗さっぱりすっとばして、いきなりそう訊ねた。自分でも不躾だと感じたのといくら仲が良くても礼儀は必要だと思って言い直そうとする前に、若原が答えを滑り込ませる。

「そういうつもり」

「そういうって……」

 半ば呆れてあたしはがっくりと肩を落とした。あたしの様子をにこにこしながら眺め下ろしてた若原は、扉を開く手に力を込める。また、光で表情がかき消えた。

「ゆーこちゃんが好きだよ」

 若原の、いつものふざけ半分の口調。あたしは光を見つめながら自分の心臓がどきんと跳ねるのを感じた。だから……じゃないけど、何も返せず、光は若原の姿ごと消える。

 ガタンと閉じられた扉を、あたしはぼんやりと見つめていた。


 職員会議で部活がなかったのもあって、あたしは亜矢と街中をぶらぶらとしていた。若原はいつもの如く女の子――今日は、内沢さんじゃない子が迎えにきてさっさと帰ったし、本宮は……いつのまにか教室からいなくなっていた。

 お喋りに興じていると束の間でもいろんなことが忘れられる。亜矢はあたしを気遣ってくれているのかいつもどおりなのか、くるくると表情が変わってそれにつれて話もころころと変わっていく。

 強張ってしまっていた心が少しずつほぐれてきて――ほぐれてきたことで、自分が随分と強張ってたことに気づく。亜矢には感謝だな、とあたしは心の中でお礼を言った。帰りにちゃんと言おう、と。

「結ちゃん、あたし裏通りのクレープ屋さん見に行きたいなー」

「……見るだけ?」

「たぶん?」

「嘘つき亜矢」

「ひっどおーいー!」

 ぷくっと頬を膨らましたのをからかうと、亜矢はふんっと顔を逸らした。綺麗な髪がさらりと揺れるのをくいっと引っ張って「ほら、行こ」と言うと、亜矢はほっぺたを膨らましたままでついてくる。

 ……もう、こういうところは本当に可愛い。あたしなんて逆立ちしても絶対敵わない。あたしが理想とする女の子像そのままの亜矢が羨ましくて、あたしはこっそり小さく溜息をついた。

「あ」

 裏通りに続く小道の途中で、亜矢が立ち止まる。振り返ると、亜矢の視線はあたしを通り越していた。無意識に、その視線を辿って――その先に、本宮の姿を見つけた。

 本宮はちょうど喫茶店から出てくるところで、笑っていた。正確に言うと、出口の扉を開けて支えたまま、そのあとから出てきた女の子に向かって笑っていた。あたしが好きだったその本宮の笑顔は、ここ最近ほとんど目にしていなかった。

 本宮と伊東さんはあたしたちに気づかずこちらに向かって並んで歩いてくる。本宮を見上げる伊東さんの赤く染まった頬と、車道側を歩く本宮のその笑顔は、どこから見てもカップルのものだった。

 あたしは動けなかった。その場を逃げ出すことも、声をかけることも出来なかった。二人があたしたちに気づいたとき、本宮の顔からさっと笑顔が消えるのだけを、見ていた。

「亮くん!」

 その場の氷付けの空気は、亜矢の怒声で溶かされていく。本宮はあたしたちから目をそらせ、伊東さんは笑顔の代わりに何かを守るような――毅然とした表情に変わった。亜矢はつかつかと本宮に歩み寄ると、正面で止まって目を逸らしている本宮を睨み上げる。

「これ、どういうことなの?」

 怒気を抑えてるのがわかる亜矢の質問に、本宮は答えない。あたしは亜矢の小さな後姿を見つめているだけで、何も出来なかった。


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