20:登校日
部活をやってると学校に行くのがそんなに苦じゃないけど……亜矢は朝からぶーたれていた。朝起きるのが辛いとか、学校暑いとか、文句タラタラだ。とはいえ、一週間ぶりの友達と会うのは新鮮らしくて、お喋りには余念が無い。
集会の後の短いホームルームが終わると、皆一様に帰っていく。今日は部活もない。亜矢は早々に本宮と一緒に帰っていった。あたしは――このあとの待ち合わせまでもう少し、学校で時間をつぶすつもりだった。
あの日の夜、あたしは初めて倉橋くんにメールをした。
返事が遅れたことを謝って、もう気にしていないからという文章をメールすると、倉橋くんからはすぐに返事が来て、お礼と、それから出来れば会って謝りたいんだけど……という礼儀正しい申し出がくっついてきた。今度の登校日にでもという申し出を了解して、今日の約束になっている。
――気が、重くないとは言わない。でもきっと、倉橋くんの方が重いはず。だから今日は、ちゃんと話をしようと思ってる。
はぁ、と何度めかの溜息がこぼれる。憂鬱な気分は仕方ないにしても、彼の前でこんな顔は出来ない。学校を出る頃にはしゃっきりしないと。
「なーに、これから告白でもしに行くの?」
いきなり近くでそんな声がして、あたしはびくりと飛び上がった。
「思いつめた顔しちゃって〜」
若原が、いつものカルい感じで言うのへ、あたしは「ち、がうよ!」と反論したものの、情けない声になった。
「そんなワケないでしょ、バカ。バカ原」
「うわあ、低次元なけなし方」
若原は大笑いしながらそう言うと、ぽんっとあたしの頭に手をのせた。軽く数回叩きながら「よしよし」と笑う。
「――希」
「お、お迎えだわ」
女の子の声に若原はちょっと肩を竦めると、「んじゃな!」と右手を上げて女の子――内沢さんへと歩み寄る。二人の話し声と一緒に足音が廊下の向こうへ消えていったと思うと突然扉ががらりと開いて、あたしは無意識にそっちを見た。
内沢さんはきゅっと唇を引き結んだままつかつかとあたしの傍に早足で近づいてくると、あたしの真正面でぴたりと止まる。
「希が優しくするのは、あんたにだけじゃないのよ」
低く押さえられた声音と、あたしを見下ろす目に怒りが見える。あたしは何度か瞬きを繰り返した。きっと阿呆みたいにぽかんとしているんだろうと思う。言われたことを咀嚼するより前に、内沢さんはなお続ける。
「誰にでも優しいの。希はそういう人なんだから、図に乗らないでよね!」
捨て台詞のようにそう言うと、内沢さんはくるりと身を翻して教室を出て行き、二度と振り返らなかった。
待合せは、裏通りの小さな紅茶専門店だった。倉橋くんがメールで教えてくれた道順は正確で、あたしは時間の二十分も前に着いてしまったけれど……明るい店内で紅茶を楽しむのも悪くない、と待つことにした。
アイスのロイヤルミルクティを注文して何気なくケータイを取り出してテーブルの上に置く。ちゃらりとストラップが微かな音を立て、あたしは白いパールを見つめた。
……内沢さんはたぶん、若原が好きなんだろう。ま、付き合ってるんじゃないかって噂もあったし、火のないところに煙は立たないだろうから――別にそれはそれでいいけど、あたしに妙に敵対心を持ってるような……気がする。
なんでだろう。あたしも若原も、恋愛感情なんてないのに。むしろ若原が毎回違う子を連れ歩いてることの方気にした方がいいんじゃないかなあ。
でも、内沢さんの気持ちはわからなくはない。自分の好きな相手が他の子に優しくするところなんてあんまり見たいものじゃないし、むしろ相手から近づかないでくれるならその方がよっぽどいい。若原がもうちょっとしっかりしてればいいんだろうけど……アレじゃあ難しいだろうなあ。
キツい言葉を投げかけられたにもかかわらず、あたしは妙に内沢さんに同情してしまっていた。もちろんそんなこと顔や言葉に出したりしたらきっと内沢さんは嫌がるんだろうから、なるべく接しないようにしようとは思うけれど。
待ち合わせの時刻十分前に、倉橋くんが来た。すぐにあたしを見つけてちょっと驚いた表情をしたけれど、すぐに笑顔で正面に座る。
「早かったね」
「あ……うん、ホームルーム短かったから」
倉橋くんはダージリンをポットサービスで頼むと、あたしのロイヤルミルクティのグラスをちらりと見た。
「ここ、結構美味しいんだ。コーヒーは俺、ちょっと苦手で」
「そうなんだ」
恥ずかしげに言う倉橋くんに相槌を打つと、彼はちょっと居住まいを正した。
どうしたの、と訊ねる前に倉橋くんが「あの……っ」というのと、店員さんの「お待たせしましたー」が同時だった。倉橋くんはバツが悪そうにカップとポットがテーブルに置かれるのを無言で待つと、もう一度切りだした。
「あの、さ。この間は本当にごめん。俺、つい……」
そこで一度言葉を切ると、倉橋くんは迷うように視線を揺らす。ええと、と言おうか言うまいか迷っているのを、彼は「うん!」と自分に言い聞かせるように頷くと、背筋を伸ばしてあたしをまっすぐ見た。
「俺、紺野さんが好きだ。だけどあの時のやり方は良くないと思う。ホントにごめん」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。あたしは言われたことを一瞬理解しきれなくて、何度も瞬きを繰り返していたけど……倉橋くんがそのまま動かないので、ちょっと恥ずかしくて「あ、あの」と恐る恐る言いだした。
「ねえちょっと、頭上げてよ」
そう言っても、倉橋くんは動かない。あたしは焦って彼の腕を揺らす。
「ねえってば! ……あげてくれないと許さない」
最後の手段とばかりにそう言うと、倉橋くんは顔をあげてくれる。あたしを目が合うと、「ごめん」と言ってもう一度、すまなさそうに眼を伏せた。
……そんな真面目なところを見せられたらもう、許さないわけにいかないじゃない。というよりももう、許してる。
「いいよ、もう。気にしてないから」
ふっと笑ってそう言うと、倉橋くんの視線が合う。
「本当に?」
「本当に。……あたしこそ逃げたり避けたりしてごめんなさい」
倉橋くんと同じようにぺこりと頭を下げると、やっと倉橋くんが笑った。それにつられるようにあたしも笑う。そしてすぐにあることに気づいて笑みを消した。
「どうかした?」
「倉橋くん、あたし……」
あたしの表情が変わったことに敏感に気がついた倉橋くんが訊ねるのへ返事をしようとすると、そこで彼は首を振った。
「いいよ、言わなくて。返事はわかってるから」
そしてやっと、紅茶のポットに手を伸ばす。金色の液体が香りを放ちながらカップへと注がれる。
「出来ればそれも、気にしないでほしいんだ。これからも遊びたいしね――皆で」
どことなく、すっきりしたような表情で倉橋くんはそう言うと、カップに口をつけた。どうしよう、と迷うところではあったけど――本人がいいって言ってるからいいかな、とあたしは何とも単純に考えて、「うん」と頷く。
これで良かったんだと思えたのは、そのあと倉橋くんが心底ほっとした表情で「良かった」と笑ったからだ。あたしはそこで亜矢から言付かってきたものを思い出して「あ、そうだ」と鞄から小さな紙袋を取り出した。
「これね、亜矢と本宮から。皆で色違いなんだって」
紙袋を倉橋くんに渡してから、あたしは自分のケータイを取り出して、掲げてみせる。倉橋くんが紙袋から緑のパールの付いたストラップを取り出すと、満面に笑みを広げた。
「へえ! いいね〜、俺って緑のイメージなのかな」
「あーうん、似合うね〜。ちなみに若原は黄色なんだって。似合うよね〜」
倉橋くんはすぐに自分のケータイを取り出してストラップをつけ始める。
「若原の黄色はらしいよね。――紺野さんの白も、そんな感じだよ」
あたしと同じようにケータイを掲げて揺らしながら、あたしたちは顔を見合せて、笑った。