表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/40

18:不機嫌の理由

 駆け出してすぐ、ケータイがうるさく鳴り始めたのが追われているように感じられて怖くて、あたしはそのまま電源を切った。誰からかはわかってる。

 まっすぐ家に帰る気にもなれなくて、あたしはしばらく繁華街をぶらぶらと歩いていた。小一時間もするとだいぶ頭も冷えてきて、少しずつ冷静に考える。

 ……逃げてこなくても良かった、かな。でもあのとき、咄嗟に本宮の顔が頭に浮かんでた。嫌だ、と思った。

 はぁ、と溜息をもうひとつ。あたしやっぱり、まだ本宮が好きなんだなあ。倉橋くんは悪い人じゃないしもしかしたらこれから好きになれるのかもしれないけど……でもちょっと今は、まだ、難しい。

 なんだか、うまくいかないなあ。

 本宮のことはそりゃ好きだけど、本宮は亜矢が好きなわけだから……諦めるって言い方はまたちょっと違うけど、あたしはその気持ちに蓋をしてきた。見ないようにしてれば、いつか本宮と友達になれて、そして他に誰か好きになれる人が出来るかも知れない。そんな日をのんびり待つつもりだったのに。こうやって時々かき回しちゃったりすると、なかなか忘れることなんて出来ない。

 歩き回るのに疲れたあたしは適当にファストフード店に入る。アイスコーヒーを一気に半分飲み干すと、安堵の溜息をついた。

 かばんからケータイを取り出すと、恐る恐る電源を入れる。暗い液晶がゆっくりと光を取り戻し、そして通信中の青いランプがぴかぴか光って、消えた。

 来ていたメールは三通。 最初のメールはあのあとすぐだった。倉橋くんから謝罪と今どこにいるの?の伺い。二通目はそれから四十分後、もう一度謝罪のメールと、夜に電話する、の文字。

 あたしは返信ボタンを押さずに最後のメールを開いた。綺麗な夕日が映っていた。海に沈んでいくオレンジ色の夕日。

『すっごくすっごく綺麗でしょ! 今日は楽しかったぁ〜、今度みんなでも来たいな☆

  お土産買ったから、楽しみにしててね! 追伸・結ちゃんのデート報告も待ってるよ♪』

 亜矢からだった。楽しそうな文面に嫉妬がひとつも無いといえば嘘だけれど、でも、本宮が亜矢といて幸せなのはわかってるから、それでいい。

 あたしはちょっと笑みを浮かべて楽しげなメールに返信を簡単に打ってケータイを閉じた。その閉じた瞬間、手の中でブルルと震える。着信のランプが光る。

 恐る恐るケータイを開くと予想外に若原の名前が見え、あたしはほっとして通話ボタンを押した。

「もしもし」

『ゆーこちゃん? 今どこ?』

「は? どこって……どうしたの?」

『いーから。今どこにいんの?』

 若原の声が低い。なんだかぶっきらぼうな感じがして、あたしはちょっと黙ったあとで思い切って聞いてみた。

「なんか……怒ってるの?」

『いーまーどーこ。返事ないから怒ってる』

 若原はあからさまに不快そうな声でそう言って、もう一度場所を訊ねた。よくわからないまま、あたしは反射的に店名と場所を答える。

『んー……二十分で着くから、待ってろ』

「え? あー、うん……」

『じゃな』

 ツーツーと無機質な音のするケータイをしばらくぽかんと見ていたあたしは、頭の中を整理し始める。

 ……若原、どうしたんだろう。あんな不機嫌なのって『シャンテ』のとき以来。あのときのこと、やっぱりまだ怒ってたりするのかなあ。でもこの間はふつーだったのに?

 若原ってなんか、よくわかんない。いつものおちゃらけてる若原がホントなのか、『シャンテ』の不機嫌そうな若原がホントなのか――

 新しいアイスコーヒーを買ってカウンター席に戻ると、後ろからきた人が無言であたしの隣に腰掛けた。

 一瞬、空いてるのになんで?と思ったあたしが訝しげな視線を送ったその横顔は、頬杖をついてあからさまに不機嫌だった。

「若原? どしたの?」

「……べつに」

「なんか飲む?」

「いらない」

 あたしは瞬きを繰り返しながら隣に座ると、アイスコーヒーのストローをくるくると回す。なんかよくわからないけど、不機嫌は不機嫌らしい。

 カウンターのテーブルに置いておいたケータイが、ブルルとまた鳴った。着信の赤ランプ。閉じても見えるサブディスプレイには――倉橋くんの名前。

 どうしよう、と一瞬迷ったあたしの目の前で若原はケータイを掴み、突然電源ボタンを長押しする。電源が落ちて、ぷつっと液晶が消えた。

「……あのさ」

 前髪をかきあげながら、若原が初めてあたしをちらと見た。眉のあたりが不機嫌そうに曲がっている。

「な、に?」

 静になったケータイをあたしにぐいと返しながら目を逸らし、若原は盛んに髪をかきあげる。あ、もしかして、苛ついてるときの癖なのかな。

 茶色に染められた髪はくしゃくしゃになって、それでもまだわしわしと乱されている。

「どうしたの? 女の子と喧嘩でもした?」

 こんなにあからさまに不機嫌な若原は初めてで――『シャンテ』のときは一見いつもどおりだったけど目が合わなかったり笑ってなかったりだったから、あたしはおずおずとそう訊ねた。

「女の子とじゃねーよ」

「女の子とじゃない……? 誰と?」

 テーブルについた腕に顎を乗せた体勢で、正面を向いたまま若原がそう答えた。それきり黙ってしまった若原の横顔を、じっと見つめる。

 あたし、こんな風にちゃんと若原を見たこと無かったけど…まつげ、長いんだなあ。カッコいいよね、って亜矢がよく言ってたけど、カッコいいというよりきれいな顔立ちなのかも。

「……倉橋」

 若原からぽつりとその名前がこぼれて、あたしは一瞬身を硬くした。ドキンと、心臓が跳ねる。もしかしてさっきのことを聞いたのかも――いや、たぶん確実に聞いたんだろう。

 あたしは自分で自分を抱きしめるようにしたまま、細い声で答えた。

「え……なんで」

 なんで、とは言ったものの語尾は下がっていて、本当にその理由が聞きたいわけじゃなかった。

 ふうん、とでも相槌を打てば良かったとすぐに後悔する。けれど、若原からは次の言葉が返ってこない。ちらっと見ても、同じ体勢のままきゅっと唇を引き結んでじっとしているだけだった。

 あたしがどう対応することも出来ずにただじっと若原を見ている視線に気づいたのか、若原はつとあたしを見た。

「ゆーこちゃんさ……」

「え?」

 真顔で名前を呼ばれて、ちょっとドキリとしてあたしはふいと目を逸らす。しばらくあたしをじーっと見ていた若原は、ふうっと溜息をついた。

「オレ、腹減った」

「はぁ?」

「なんか食った? 食ってねーよな、なんか食いに行こーぜ」

 その言い方はいつもどおりの若原で、表情も、ちょっと渋い顔はしてるけどいつものだ。あたしはその声音にちょっとほっとして、僅かに笑って答える。

「いいけど……」

「んじゃ決まり! ホラ」

 席を立った若原があたしの腕をぐいと引いて立たせると、店の外へと引っ張った。

「オレ、プリン食いたい」

「プリンて! ごはんじゃないの?」

「プリンはオレの主食だもーん」

 そうやって笑う笑顔は、いつもと同じだった。あたしはそんな若原に、それ以上何かを聞けるはずも無かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ