17:純情なわけじゃないけど
すぐに、夏休みになった。とはいえあたしは、週の半分は部活で学校に行っている。
たぶん本宮もそうだと思うけど、テニスコートと弓道場じゃほとんど見かけることはない。亜矢と若原はバイトかデートだと思う。亜矢からは時々写メつきのメールが来る。今日は本宮とちょっと遠出して日帰り旅行だそうだ。
あの日若原に本宮のことを聞かれて、一瞬詰まったけれど……でも、あたしは亜矢と本宮が付き合い始めた頃からちゃんとわかってるつもり、だ。亜矢から本宮を奪おうなんて思ったこと無いし、それにずっと本宮を見てればわかる。どんなに亜矢のことが好きで、亜矢のことを大事にしているかなんて。
それにあたしにとって亜矢は、大事な友達だから。
あの遊園地の日にアドレスを交換した倉橋くんからすぐメールが来て、その後はほぼ毎日メールのやりとりをしてる。先週は初めて電話をくれて、今日はこのあたりで一番大きなショッピング・モールで待合せ、ゆっくりめのランチをしてから映画を観て来たところだった。
若原が言うように確かにいい人だし、もしかしたらあたしの気持ちはゆっくり動いていくかもしれない、と思えてきてる。別に無理矢理じゃなくて、あくまでも自然に。
「ここの五階にさ、穴場のベンチがあるんだ。夕日が綺麗に見えるよ」
映画のあとでお喋りをしながらウィンドウショッピングをしていて、ちょっと疲れたかなっていういいタイミングで倉橋くんがエスカレータを指す。
「ホントは外の方がいい場所あるんだけど、この時期は暑いからね」
苦笑する倉橋くんに、「確かに、暑そうだね」とあたしも笑顔で返す。
五階フロアの中央部分、少しへこんだ場所に確かにベンチがあった。店内とはついたてで区切られているけれどちゃんと空調が効いていて涼しいし、夏休みの時期で人出は多いけれど、穴場というだけあってここは空いていた。
目の前の大きな窓からは沈みかけた夕日が見えている。
「いいねここ、確かに穴場っぽい」
「でしょ? ちょっと休憩休憩」
倉橋くんがさも疲れたというようにどさりとベンチに腰掛ける。……でもたぶん、あたしが疲れたんじゃないかって気を遣ってくれてるんだろうな。倉橋くんはそんなところがちょっと透けて見える、本当にいい人だ。
あたしはくすくす笑いながらその隣に腰掛け、オレンジ色の空を眺めて目を細めた。
亜矢たちは海へ行くんだって言ってたっけ。ビーチの日没はもっと綺麗だろうな。そういえば海に日が沈んでいくところなんて、もう何年も見ていない。
「あ、髪に羽根、ついてる」
ふと、そう言われてあたしは一瞬聞き取れず「え」と隣を見上げる。ぼんやりとしてたのは――亜矢たちのことをついつい考えてたから。
一瞬置いて、倉橋くんの声がもう一度頭の中に響いた。彼の視線があたしの右耳あたりに固定され、そう言いながら彼は長身をかがめるようにしてひょいとあたしを覗き込む。
その意外な近さに思わずどきりとして――声が掠れた。
「え、あ……」
そういえばさっき幾つかの帽子を試着したのを思い出して、あたしは慌てて自分で取ろうと手を動かすも
「待って、目閉じて」
と言われて反射的に「ハイ」と返事をすると目を閉じた。
右頬にさらりと空気が動くのを感じる。髪が指で梳かれて落ちて、頬に触れた。
「はい、取れました」
その声に目を開けると、倉橋くんがニッコリと笑っていた。
「あ……りがとう」
あたしも笑顔で返すと、倉橋くんの笑顔がちょっとぎこちなく一瞬止まって、そしてふとまた、その上半身をかがめる。
え、と思った瞬間に倉橋くんの右手がそっとあたしの左頬に触れた。
手が、熱い。そう感じた次の瞬間、近づいた倉橋くんの動きにやっとぴんと来た。あたしが反射的に身体を硬くすると、頬に触れていた手にぐっと力がこもり、距離が縮まる。
「……やっ……!」
咄嗟に顔を背けて倉橋くんの胸を押し返した。唇が、微かに触れたような気がする。
あたしは顔を背けたまま立ち上がる。倉橋くんがはっとして、焦った声であたしの名前を呼んだけれど、振り返らなかった。
あたしはここのところ誰かから逃げ帰ってばかりだ、と階段を駆け下りながら思った。若原からも、亜矢からも、倉橋くんからも。
涙で視界がぼやけてくることよりも、泣き顔を見られたくなくてあたしは俯いたまま人の多いショッピングモールを駆け抜けた。