16:いいひと
善は急げとばかりに亜矢が張り切って、次の土曜日の朝十時に遊園地前の時計塔で待ち合わせになった。亜矢が終始はしゃいでいてくれたおかげで、あたしはちょっと気が楽だった。
そして若原の友人だという彼――倉橋くんは人懐っこい、人に気を遣わせないタイプだったのが幸いで、あたしは一時期ぎくしゃくした若原とのやりとりを気にせずに以前のように会話に入っていくことが出来た。
「ねえ、倉橋くんて下の名前、なんていうの?」
初対面でも臆することなく亜矢が話し掛け、倉橋くんはちょっと恥ずかしそうに亜矢に答える。
「和馬です。倉橋和馬。みんな苗字で呼ぶけどね」
「じゃああたし、和馬くんて呼ぶことにするー」
屈託なく亜矢が笑顔で言うと、若原が倉橋くんの首に腕をかけて締める真似をする。
「倉橋ー、亜矢ちゃんに惚れると後が怖いぜ〜?」
「ん、俺も命は惜しい」
軽く肩を竦めてそう言って笑った倉橋くんに、本宮が焦ったように言う。
「希、余計なこと言うなって」
「コワーい、亮輔、睨まないでー」
「俺、さっきもう睨まれたし」
「そ、そんなことないって!」
本宮は何度か会ったことがあるらしくて、男子三人はすっかり昔からの友達みたいに騒いでいた。
倉橋くんは本宮よりちょっと背が高くてすらりとしている。若原と同じバスケ部出身で、今は梨木西高校でバスケをやってるそうだ。……若原が部活って、あんまりイメージないけど。
そう言うと、倉橋くんはおかしそうに笑った。
「中学のときは若原、結構真面目だったんだ。俺、朝練もよく相手してもらったしさ」
「へぇ〜、意外! 若原って女の子だけじゃなくてバスケも好きだったんだー」
「ちょっと何、その間違った印象!」
前を歩いてた若原がくるりと振り返ってあたしを見た。
「いや、女の子も好きだったよ、あの頃から」
「倉橋、よけーなこと言うな、よけーなことを!」
若原の抗議に、倉橋くんはくすくす笑いながら「ごめんごめん」と言うと、前に向き直った若原に聞こえないようにあたしの耳元で「ホントのことだけどね」と付け加える。
遊園地は久しぶりで、あたしはすっかりリフレッシュした気分だった。勿論、時々亜矢と本宮のカップルにドキッとさせられることはあるけれど…それはもう仕方がないことだとわかっていたし、今更だもの、特に辛くなったということもない。
それよりどちらかといえば、若原といつもどおり話せたことの方が今のあたしにとってはありがたかった。倉橋くんが溶け込めるように気を遣ってるんだと思うけど……それでも、前と同じように軽いやり取りが出来るようになったのはありがたかった。
夕方、そろそろどこかに食事に行こうかという話になったときにひょいと若原があたしの隣に来てニッコリ笑った。あたしも笑顔を返すと、若原はひょいと耳元に顔を寄せて囁いた。
「どう? まだあんまそんな気になんない?」
亜矢たちは何を食べようかと言い合っていて、三人とも聞こえていないようだった。
あたしはじろりと若原を睨んで、「別に」と素っ気無く返す。若原はもっと声を低くして、続けて言った。
「亮輔のこと、諦めらんない?」
「な……!」
あたしがカッとして若原を振り仰ぐと、ヤツはニッと笑って
「かーわいいね、ゆーこちゃーん」
「若原っ、あんたねぇ……!」
大声で怒鳴りつけたいのをぐっと我慢して押し殺した声で言いながら叩こうとするあたしの手をさっと避けて、若原はちょっとだけ笑みを引っ込めた。真面目な顔。
「倉橋、いいヤツだからさ」
ちらり、視線を倉橋くんへ。亜矢と本宮と、三人であれこれと言い合っている楽しそうな横顔の倉橋くんは、若原に念を押されなくてもわかる。すごく、いい人だ。
「ん……」
ちょっと穏やかな気分になって小さく頷くと、若原は「でもさー」といつもの声音に戻して、続けた。
「オレのほうがいいヤツだけどねー」
「……自分で言う? ふつー」
あたしは呆れ顔で若原にそう返すと「で、何食べるってー?」と亜矢たちの話の輪に入った。
「オレ、無視かよっ」
置いてけぼりにされた若原がくさってそう言うと、がっくりうな垂れる。それを見てあたしたちは顔を見合わせ、声をそろえて笑った。