TS令嬢は堕天する
「……あぐぅ!?」
下腹部を抉るような鈍い痛みで意識が覚醒する。
瞼を開けると薄暗く狭い空間にいた。見覚えのない場所。
「ゲヒャゲヒャ!」
獣のような鳴き声がする洞穴の中。複数の小柄なナニカが集まり蠢いていた。少女が着ていたはずの衣服は至るところが裂け、役割を果たしていない。柔肌には複数の歯形と切り傷があり、汚れた身体は見るに堪えない有様になっている。
怖い。
どうしてこんな場所にいるのか。何をされているのか。何も…わからない。
継続的に与えられる串刺しにされるような痛みから逃れようとするが、纏わりつき覆いかぶさるナニカを振り払えない。
目を凝らすと、私以外の場所にもいくつかの集まりがあるようだ。
「ゲヒャァ!!」
「あぅ」
引き抜かれ、再び貫かれる。終わりの見えない苦痛。意識を手放したい。手放せるはずがない。一時でも意識を失っていたことが奇跡に思える。痛い……私……私は……? 愕然とした。私は、誰だ? 足元から崩れていく感覚。明滅する思考。
「ぁ……ぁぁあああああっ!? っぐぅ」
ナニカは耳障りな叫び声を抑える為に、少女の顔を地面に叩きつけた。伏せられた額からは血が染み出している。
「セレーーネーーッ!!」
どこか遠くで誰かを呼ぶ声がする。
「――ッセレーネ!」
先ほどよりも近くに聞こえた。
「ギゲギギャァ!?」
唐突に身体に掛かる重みが軽くなった。僅かに顔を上げると、視界が真っ赤に染まった。肉片が飛び散り生暖かい液体で全身が濡れる中、私は目を奪われた。
淀みなく滑るような剣閃は、月の雫を散りばめたような残光を纏い、無数の軌跡を描いていた。
魂を揺さぶられる。私は……これを、知っている?
月の煌めきが心地良く、慰めてくれているような感覚に囚われる。
見開いた目から涙が零れ落ちた。
剣が鞘に収められるのを名残惜しく見つめてしまう。
少年が私に近寄って来た。
「セレーネ」
セレーネ? 私のことなの?
反応ができず、少年を見つめていると抱きしめられた。
「どうして、こんなことに……っ」
助けられたことを理解した私は、ようやく意識を手放すことができた。
意識を失った少女を抱きしめた少年は独り言ちる。
「生意気な君を少し痛い目にあわせるだけのつもりだったんだけど。まあ、生きているし大丈夫かな? 僕の婚約者さん」
遥か大昔。神や天使が人の身近にいた時代。
理を外れ大陸を蝕む魔なる生き物、魔物は人々の命を脅かす外敵であった。
太陽神アポロンと月の女神アルテミスは人々を導き、魔物から身を守る術を与えた。人は自ら戦うことを知り、魔物を打倒するようになる。
優れた力を持つ者が現れるようになり、彼らのことは英雄と呼ばれた。英雄を中心として国が大きくなり、自立した生活が送れるようになった。
そんな中、アルテミスと人の王は恋に落ちる。アルテミスは身籠もり、子をヘリオスと名付けた。女神の力を持つ王子は国を豊かにし、神と人の架け橋となった。
地上の楽園を築いたかに思われたが、突如、崩れ去る。
魔王サタンと名乗る魔を統べる者が何処からか現れたからだ。神や天使すら殺し、瞬く間に人を追い込んだ。
嘆き悲しんだアルテミスは愛する人々を守るため、その身を一本の剣に替え、王子に託す。
聖剣アルテミス
聖剣アルテミスを手にしたヘリオスは魔王を撃退するも、討滅することは叶わなかった。
「ふぅ」
私は歴史書を捲る手を止めた。
『君には女神様の血が色濃く受け継がれているんだ』
そんなことを言っていたのは、私を助けてくれた少年だった。
彼はこの国の王子、ヘリオス様。私は王家に連なるエクフイユ公爵家の令嬢で彼の婚約者らしい。月の女神アルテミスと交わったのが、この国の王様だった。ヘリオス王子の名前が女神の息子と同じなのは、王家で生まれた嫡男はヘリオスと名付けるのが習わしになっているからだそうだ。
伝え聞くところによると、私は母親と馬車で王都に向かう途中で野盗に襲われた。どうしてゴブリンの巣穴で発見されたのかは分からない。野盗がゴブリンに襲撃され手放したのではないかという話しだった。母親を含め他の女性もいたが、母親は亡くなっていた。
ゴブリンに汚されたこの身では、貴族としてはもう生きられない。父親から、そう宣告された。ヘリオス王子はそれでも婚約者として迎え入れたいと言ってくれているが、本当に私で良いのだろうか。
机の横に立てかけた一本の剣を見つめる。
ゴブリンの巣穴から生還した私は、しばらく寝込んでいた。目を覚ました私は錯乱した。怖かったのだ。記憶もなく、失ったことすら分からない不確かな足元が。自分の身も守れず、されるがまま扱われたことが。見舞いに来てくれたヘリオス王子のことも目に入らなかった。身体が震え、嗚咽をあげた。
そんなとき、ヘリオス王子が「君に必要なものだよ」と鞘に収められた一本の剣を私に手渡した。深紅の鞘には金の装飾が施されていた。その剣を見ていると不思議と落ち着いた。紅剣ミカエル。ヘリオス王子がそう呼んだ。
紅剣ミカエルは、英雄の一人である剣姫の愛剣。これを持つ者が剣姫の称号と力を得るとされている。女神の血と共鳴し、更なる力を引き出すことができるそうだ。
この剣があれば、私は私でいられる。そんな気がした。
小さな女の子に手を引かれ、歩いている。
彼女の顔は白く霞がかかって良く見えない。
彼女は私を何処に連れて行こうとしているのか。
この先に誰かが待っているような、そんな期待に胸を膨らませた。
目が覚めると、私は涙を流していた。
どんな夢を見たのかは覚えていない。
でも、幸せな夢だった気がする。
屋敷の私室。辺りはまだ暗い。良い夢が見れそうで、またこのまま眠りにつこうとした。不意に、違和感を覚える。
咄嗟に飛び起きた。紅剣ミカエルを手繰り寄せ、剣を抜き放った。
視線の先には、暗い深紅の瞳をした妙齢の女が佇んでいた。
「ごめんなさい。でも、この世界は致命的に間違っている」
黒いドレスを身に纏い、滴り落ちそうな色気を漂わせた女の身体が掻き消えた。気がつくと歪な漆黒の剣が胸を貫いていた。
「魔剣ルシファー。愛する者を奪われ、堕ちた天使の成れの果て」
激しい痛みと暗くドロドロしたものが流れ込んでくる。
「わたしは魔王サタン。彼の意志を継ぐ者」
頭が締めつけられるように痛む。
亀裂が入り、砕け散る音が脳裏で弾けた。
アルテミス……いや、ディアナは私の妻だった。
彼女は、兄神アポロンと下界の管理で揉めていた。
神としての立ち位置を守る妻と、人との関りを深めようとしたアポロン。どちらが正しいのかは私には分からない。
どこで拗れたのか、娘のアラディアをアポロンが下界に連れ去り、妻が追いかけ下界に降りていた。私も慌てて後を追った。
アポロンは娘を使い妻を脅し、人の子を産ませていた。
私は熾天使としての役目を放棄し、堕天した。
王を殺し、人々を薙ぎ払った。私を止めたのは、身体を剣に作り替えられた妻とそれを握るヘリオス。
聖剣アルテミスに貫かれた私を連れ、逃げたのは娘と妹のミカエルだった。堕天した私を熾天使として裁きに来たはずが、どうして私と娘を助けてくれたのか。
身体の崩壊を止めることができず、使える部分と魂の半分で魔剣ルシファーを作り、娘に託した。
「――アラディア、私は……」
「お父さんっ!」
私より大きな娘を支えきれず倒れ込む。
胸に刺さっていた剣は消えていた。
未だ握りしめていた紅剣ミカエルを見つめ、問いかける。
「ミカエルはどうしてこうなった?」
「ミカエル様は、改めてヘリオスとの対話を試みてくださったのですが……」
ヘリオスか。聖剣を握るアイツは間違いなくアポロンだった。
天界に戻らず、ヘリオスとして王族に産ませ続けている。
そんなに下界にいるのが楽しいか?
「ミカエルの魂を解放してやりたいが、もう少し付き合ってもらいたいな」
私はヘリオスとの婚約を受け入れ、結婚することを伝えた。
傷モノではあるがミカエルのおかげで剣姫になれた。民からの評判も悪くない。
結婚式は国を挙げ盛大に行われる。大聖堂で誓いの言葉を交わしたあとは、パレードを行いながら王城に戻り、バルコニーから民に対して決意表明をする流れになる。ヘリオスは正装と儀礼剣の代わりに聖剣を腰に差してくるはず。あとは機会を見て動くしかない。
ステンドグラスから陽光が差し込み、鮮やかなグラデーションは神秘的な雰囲気を醸し出している。大聖堂に響き渡る鐘の音は、二人の門出を祝福しているかのようだ。
さらさらとした金髪を靡かせた眉目秀麗な王子は、セレーネに微笑みかける。
「セレーネ、綺麗だよ」
「ありがとう」
セレーネは顔を赤らめ俯いた。
ああ……腸が煮えくり返りそうだ。
式は滞りなく進み、大主教より誓いの言葉が紡がれる。
「ヘリオス、あなたはセレーネを妻とし、太陽神アポロン様の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?」
「はい。誓います」
「セレーネ、あなたはヘリオスを夫とし、太陽神アポロン様の導きによって夫婦になろうとしています。汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることを誓いますか?」
「はい。誓います」
大主教から指輪を受け取る。
触れ合う指先。互いの指に、指輪をはめた。
ヘリオスが微笑みを浮かべる。
セレーネも微笑みを返した。
誓いの接吻。二人の唇が交わり――
ヘリオスの唇を噛み切った。
私を突き飛ばし、口元を抑え睨むヘリオス。
油断したヘリオスに密着できる瞬間を待っていた。
唇を噛み切りながら、聖剣アルテミスを引き抜いた。
「何のつもりだい? セレーネ」
「あなたは信用できないわ」
「ゴブリンの巣穴に放り込んだことを言っているのかい?」
ヘリオスの顔が嗜虐的に歪み、嗤う。
知っているさ。今世の記憶も取り戻したから。私はコイツのことを胡散臭い奴だと思っていた。だから義務的に接していた。そんな私が気に入らなかったのだろうな。
馬車を襲ったのは野盗に扮した正騎士だ。動きでわかる。正騎士は縄で縛った私と母親をゴブリンの巣穴の前に放置した。胸糞が悪くなる。
「それもありますわね」
私は少し顔を伏せたあと、場違いな笑い声をあげる。
もう堪え切れない。
「フハハハハハッ!! 待ちわびたぞアポロン!!」
背中から漆黒に染まる六対十二翼を広げ、聖剣アルテミスを掲げる。
瞬間、ステンドグラスを突き破り、紅剣ミカエルを携えたアラディアが飛び込んできた。
「アラディア、皆殺しだ。アポロンは私が殺る」
主要な国の重鎮は此処にいるからな。了承したアラディアが血風を撒き散らかす。
魔王の登場に恐慌する者共を無視し、ヘリオスの皮を被ったアポロンを睨む。
アポロンの手には、どこから取り出したのか黄金の弓があった。
「天使風情が調子に乗るなよ」
速射される神速の矢を聖剣アルテミスで斬り払う。
「聖剣が使えないとでも思ったのか?」
ディアナと交わった前世のルシフェルと、ディアナの子孫である今世のセレーネ。結びつきの強さで王族程度に負けるはずがない。
距離を詰め、一気に勝負を仕掛ける。叩きつけた聖剣をアポロンが弓で受け止めた。
私は胸から歪な漆黒の剣を生やし、アポロンに突き刺した。
「あー……この身体はもうだめか」
アポロンは落ち着いた様子で胸に突き刺さる剣を見やる。
生身の肉体を失っても天界に戻れば、アポロンとして降臨することはできる。
させる訳がない。
「逃げられるとでも?」
私は指輪を見やった。アポロンの顔が引きつり、余裕の表情が崩れる。
交換する指輪は私が用意した。魂を身体に縛り付けておく術式が組み込まれたものをな。
本来なら、それでも神格が違いすぎてアポロンには届かないが、今は同格のディアナの力を手にしている。
慌てて指輪を外そうとするが、もう遅い。
「滅びろ」
アポロンの首を斬り飛ばし、同時に神格ごと消滅させた。
淡い光を帯びた聖剣アルテミスから月の雫がはらはらと落ちる。
泣いているのか? こんな奴でも兄だからなのか。
周囲を見渡す。アラディアの方も終わったようだ。
アラディアから紅剣ミカエルを受け取る。
「遅くなって悪かったな。感謝している」
紅剣ミカエルから魂を解放する。紅く燃え盛る炎に包まれて消えていった。
無事に天界に戻れるように祈る。
改めて、聖剣アルテミスを見つめた。
月の女神アルテミス。アポロンと人に都合の良い役割を押し付けられ、こんな姿にされてしまった。
ディアナ、私は今でも愛している。アラディアも君の帰りを待ちわびているんだ。
アポロンだけで世界の管理ができるなら、ディアナだけでも大丈夫だろう?
これ以上、人は殺さない。だからお願いだ、私の側に帰って来てくれ。
聖剣アルテミスを握りしめる。月の光が粒子となって舞い上がり消えた。
私は神と堕天使の力を使えるが、人の身だ。天界には未だ戻れない。アラディアを天界に帰し、私は魔王サタンになった。人を虐殺した贖罪という訳ではないが、魔物を抑え魔を統べる王として君臨している。まだ数千年ぐらい生きられそうなこの身が口惜しいな。
「ルシフェル!」
こうして彼女が来てくれるのを待つことしかできないのだから。
セレーネ/ルシフェル:魔王として数千年ほど君臨することになる。愛妻家。少女の身体により、父親としての威厳を失ったことを気にしている。ゴブリンは赦さない。ディアナが管理者でなければ、世界を滅ぼしていた。魔王としての役目を終え天界に戻ると神々から手荒い歓迎を受けたが、ディアナの手助けをすることを条件に見逃してもらった。
アルテミス/ディアナ:アポロンと人に嵌められて聖剣になっていた。女神として復帰後は、夫に会いに下界に訪れることもある。恨みはあるが、全ての人を嫌っている訳ではない。
魔王サタン/アラディア:魔王を辞めてからは、天界と下界を頻繁に行き来するようになる。
ミカエル:大天使ミカエル。ルシフェルの妹。魂を解放され、熾天使として復帰した。ツンデレ。
ヘリオス/アポロン:ディアナの兄。他者は道具程度にしか思っていない。ヘリオスとして産ませた時点で、国王(前ヘリオス)は抜け殻となる。生きてはいるが寝たきりの状態になり、公に姿を現さなくなる。セレーネを優れた母体として期待していたが、態度が気に入らなかった。




