竜騎兵―ドラグナー―
鋼鐵の脚が大地を砕き、鋼の爪が命を潰す。銀腕が空を薙ぎ、砲口が爆炎を奏でた。
矮小なる者の叫び声が木霊する。哀の咆哮が大地を舐め獲った。
それこそは鋼。鋼より生まれし機械竜。機竜は鋼で、彼は歯車だった。
機竜には多くの同胞がいた。細い奴、太い奴、飛べる奴、潜れる奴、多くの同胞と轡を並べて戦場を駆けた。機竜にとってそれは当たり前のことで、とってそれはあってしかるべきものだった。
「そういうのが、嬉しいって言うんだぜ?」
共に戦場を駆けた鋼たる竜騎兵がそういっていたのを思い出す。
同胞とは違う肉の身体を持ち、小さき者共と同じ姿でありながら共に在った者。それは熱した鉄のように熱く繋がり、途切れることのないもの。
小さき者、矮小なる者の言葉を借りるなら、それが絆なのだろう。
戦は歓びだった。同胞と共に駆ける戦場が、竜騎兵と共に在る日々が、自己にとっての幸い。
装甲に衝撃。損傷無し。筒を構える矮小なる者を潰す。影に隠れる者を潰す、燃やす、潰す、燃やす、潰す、燃やす潰す燃やす潰す燃やす。
寒い。炉心は何物よりも燃え盛っているのに、オイルが沸騰しているのに、装甲を炎が焼くのに、背中が、肩が、寒い。
機竜が叫ぶ。歓喜を哀に染め、戦場にすらなり得ない虚しさを焼く。
「お、前、寒くねぇの? え、機械だから寒くない? ……なんで笑いそうなのかって? い、いや、だってさぁ……おまえの鼻頭の氷柱が鼻水垂らしてるみてだから……わー!? ごめんごめん!!」
「あじぃ……近づくな! お前むっちゃくちゃ熱い!! あん? 冷却してるから熱くない? そりゃお前だけだろうなぁ!! 俺はこの暑さで頭いかれちまいそうだよ――え、冷気を出せば冷却できる? ほんとかお前が神様――ってさむぅ!? 馬鹿止めろお前の熱量換算すんな寒すぎるわ!!」
矮小なる者が矮小なる者を使役する。
同胞の形をしたそれは、あまりにも醜い。弱い。四肢に絡み付くそれらを引き剥がし、雷で残らず焼き、閃光をもって消滅せしめる。
炎の中で吼えた。慟哭する声に応える者はない。並ぶ同胞は居らず、共に駆ける竜騎兵もいない。
聴覚が駆動音を捉えた。六つ目の視覚素子が地下施設から湧き出るソレを確認する。
地下施設より這い出たソレは同胞。自己と同じモノ。彼はそれを唯一の同胞とし、全てを消し去る為に接触を試みる。
貴様は何者か。製造番号と所属を述べよ。ソレからの返答は拳だった。
飛行用の翼を退化させ、腕部外装とすることで拳の威力を増強する。大振りの腕を首を反らして回避し、その軌道に視覚素子が疼き、記録領域がスパークするのを感じる。
何者か、何者か。てんで慣れていないことが分かる素人同然の技。このような同胞は居ない。だが、何故自己はアレを知っている。
一瞬の隙、顔面を拳が捕らえた。絹を裂くような悲鳴があがり、装甲に損傷。その一撃が彼の記録からソレが何者かを導き出した。
炉心が爆ぜ、稲妻が空を焼く。
何事か。矮小なる者は同胞を虐殺するだけでなく、自らの同胞すらも人で亡くすか。怒りの叫びが空を揺らし、ソレは耳を抑えて言った。
お前、五月蝿い。
いっそ気楽に。手を振り首を回し、人間臭い仕草でソレは言う。
なぁお前よ、止まるつもりはねぇか?
ソレの言葉を否定する。
――自己は止まらぬ。同胞を虐殺し、自己の竜騎兵を死罪とした者を赦さぬ。赦すものか。自己の存在意義は戦。戦をもってして終末を。停戦などさせぬ。休戦などさせぬ。竜騎兵よ、共に在れ。自己と汝は共に在るものだ。
ソレの口から不自然な呼吸音。その音程が彼がよく、笑う前にする動作だということを知っている。しかし表情は変わらない。鋼の竜に表情など不要。彼の笑顔を観測できない、炉心が疼く。
熱烈なプロポーズはありがたいんだが、そうか、駄目か……じゃあ、俺が止めないとな。
腕を引き絞り構える。ソレと彼が被る。視覚素子の異常ではない。鋼となり、竜となって尚彼は彼のままであった。
他の同胞とは違う、竜と人の合の姿は喜ばしいほどに彼であった。
――止めるとは何か。自己は竜騎兵と戦闘することを望まない。
彼は彼であった。なら、彼の隣に在り、彼の背に在ることこそが自己の存在意義。彼との戦闘を機竜は望まない。
……そっか、お前変わったなぁ。
――終戦後から自己は変化していない。竜騎兵の語る、美しい自己のままである。
そういうところだよ。まったく、人間らしくなりやがって。
笑い、彼が走る。炎を散らし、鋼が迫る。
逃さない。腕が伸びきった瞬間を捕らえる。彼との戦闘を望まない。故に拘束する。
初めて攻撃以外の行動をとった機竜の身体が飛翔した。彼の肩から放射されたエネルギー弾により弾かれたのだ。
俺は竜騎兵。竜と共に在り、人を護る者だ。わりぃけど、お前にこれ以上人を殺させるわけにはいかねぇな。
唯一残っていた研究棟が機竜の身体に押しつぶされる。瓦礫を振り払い立ち上がった機竜と彼が向かい合い、タービンが唸りを上げる。
衝撃と共に豪快な破砕音が空気を引き裂き、鋼の肢体が駆動する。骨格が軋み、ピストンが激しく火花を散らす。巨体同士のぶつかり合いはしかし、永い時を共に在った機竜に分があった。
両腕をがっちりと咥えこんだ両者だが、単純な出力勝負では機竜の方が強い。放熱板が蒸気を噴き出し彼の身体を押し始める。真正面からのぶつかり合いでの勝者は機竜。彼はコンクリートを削りながら機竜へ抵抗を続けつつ急ぎ引きはがすために背面の翼を展開しようとした。
しかし、そこに機竜の身体から伸びたコードが彼の翼に絡みつく。先手を打って副腕と作業用副手を展開した機竜が彼の行動を制限した。
機竜にとって彼は共に在る者。その思考回路は予測可能で、そして機械の身体では機竜に一日の長がある。
それは身体の使い方一つとっても同じ。人として生活してきた彼が、真っ向勝負で敵うはずもないのだ。
だが、彼は翼に力を込め、本来打撃時に発揮されるエネルギーをジェット噴射のように放出したのだ。作業用の副手が引き剥がされ、その力で跳躍した彼の両足が胸部装甲を蹴り飛ばす。
人としての戦い、そして人としての技。大地に尾をめり込ませ、機竜は踏み止まる。硬直を狙い接近する彼に、機竜の息吹が襲い掛かる。
降り注ぐ熱線に吹き飛ばされる彼。炎を潰し、地面を削り立ち上がる彼と機竜が再びぶつかり合う。
機竜は歓喜した。喜びが循環し、鋼の身体が熱を持つ。装甲が凹み、引き裂かれ、火花が散る。愛を込めた咆哮が炎を揺らし、共に立つ戦場に叫ぶ。
終わらないでほしい、だが、終わらせなければならない。この戦場は幸いなれど、自己の使命は人類の撃滅これ一つ。守護せし竜騎兵である彼は殺さなければならない。
機竜は装甲を棄て全てを曝す。内蔵された全ての炉心を暴走させ撃ち放つ最大最強の光波熱線。彼だから曝す己の全て。
放たれる光。世界を塗り潰す破壊の色が世界を染め上げ、しかしその中を重低音が駆動する。
唯一塗り潰されぬ者。濁流の中を突き進む拳。右腕を引き絞り、左半身を融解させながら彼が走る。
熱線を止めない。止められない。視覚素子から光が溢れ、想うが故に機竜は叫ぶ。
二匹が重なり、光が世界を包み込んだ。
ただの蛇足。
「こちらアンサー1」
『アンサー1、こちらCP。回収班をそちらに回す。五分後、ポイントGに後退せよ』
「CP、こちらアンサー1、了解」
黒い樽のような防護鎧を纏った兵士たちが荒れ地を行く。
ここは十年以上前に機竜の暴走によって壊滅したとある研究所。兵士たちの任務は、この地域の汚染状態の確認と、研究所探索だった。
「たいちょー、ここら辺には何もないみたいっすよー」
「アンサー3、チョロチョロ動くな」
アンサー3と呼ばれた若者に注意を促し、アンサー1は敷地の中心に向かって歩き始めた。
周囲の汚染度を示す防護鎧の汚染度計の数値が徐々に上がり始め、コンクリートの破片だらけだった土地が少しずつ太陽の光を反射する結晶の野原へと変化していく。
「綺麗ですねぇ、これ」
「綺麗だな。生物が一匹も生きていけないくらい」
汚染地域では生物は生きていけない。美しいが、恐ろしいその光景にアンサー3は身を震わせた。
「なあアンサー3、お前は竜騎兵を知っているか?」
「ドラグナーって、御伽噺っすよね? 竜と共に戦う騎士。ガキの頃ママンに話してもらってましたよ」
御伽噺、そうか、そんなに時間が経ったのか。隊長と呼ばれた男は時間の流れを思い目を細めた。
「その竜騎兵は、十年前にはありふれた職業だったんだ。俺も元は竜騎兵でな……」
「え、マジですか!? じゃあ、あの人のことは知ってますか? 最強の竜騎兵!! 俺憧れてんですよ!!」
最強の竜騎兵。丁度その話をしようとしていたんだ。隊長は結晶に足をとられるなよとアンサー3に注意しつつ前に進んでいく。
「なんで竜騎兵が廃れたか、知ってるか?」
「え、そりゃ戦争が終わったからっすよね?」
自己進化する究極の人造兵器、機竜。伝説に謡われる竜を模したその兵器は核心的且つ一騎当千の力を秘めた存在だった。そして、それを運用できる訓練を受けた者、それが竜騎兵。
故に機竜が減れば竜騎兵は減る。当時の報道はそう報じていたが、それは違う。
「ある、竜騎兵が居た。自己進化するとある機竜と共に在ったその竜騎兵には、稀有な才能があった。機竜の自己進化を促す、という才能がな」
「……それ、いいことじゃないんすか?」
アンサー3の言葉も尤もで、しかし、考えてみろと隊長は首を振った。
「自己進化を促すということは、自我を目覚めさせるということだ。本来命令を遂行する為の機構である機竜に個性を、魂を与えてしまうんだよ、あいつは」
進化とは本来長い年月、世代交代を経て行われるもの。しかし、機竜は元々進化するように出来ている。
機竜を無差別に進化させる彼の才能によって急速な進化を遂げた機竜たちは常勝。破竹の勢いの進軍だった。だからこそ、軍は、国は恐れたのだ。
「小型機竜ですら部隊一つ。大型になれば師団と戦える。そんなものたちがもし、終戦後に行動を起こしたら? もし、戦争中に反逆したら?」
「……は?」
「彼は、機竜と心を交わしていた。恐らく、今後彼以上に機竜に愛される者は現れないだろうと言われるほどに……」
「それっていいことじゃないっすか。どこが悪いことなんすか」
「もし、彼が反逆したらどうなる? もしも、機竜が行動を起こせばどうなる?」
自我に目覚めるということは、個人の感情を得るということ。
感情を持ち、もし人類に牙を剥けばどうなるのか。だから国は彼を投獄した。
「罪状は戦時中の虐殺行為。そして、機竜の不正利用だった。無論、判決は死罪。けどなぁ、それがそもそも間違いだったんだよ」
計器が致死量を遥かに越える汚染を伝え、アンサー3が悲鳴を上げる中、平然と結晶を踏みつけ隊長は思い出す。
あれは彼の死罪が決定したその日のことだ。彼と接触した機竜は全て秘密裏に処理されていたのだが、そんな中でたった一匹だけ、彼の相棒である、世界で初めて自我に目覚めた機竜が戦争を始めた。
脱走し、傷を癒した機竜が各地の軍事基地を襲撃し、その尽くを塵へと還したのだ。自己進化し、こちらの戦力を遥かに上回る力を有していた機竜を相手に軍は苦戦。あわや国が滅びるか、そう思われたとき、彼が現れた。
「『どうせ死ぬんだ。有意義に使わねえとな』あいつはそう言って機竜になった。当時研究されていた、感情を持つ機竜、それに自分の身体を丸ごと移植したんだ」
あいつを一人にさせるわけにはいかないから。彼はそう笑って機竜になった。身体を剥かれ、神経と脳だけになって。人間から竜へと至った。
彼は正しく竜騎兵だった。竜に騎乗し、竜と共に戦場を駆ける兵。
彼らのことを思い出しながら隊長が歩いていると、目の前に巨大な結晶の壁が現れる。
「――大瀑布」
「そう。汚染の中心地だ。登るぞ」
防護鎧の噴射機構を起動し緩やかに壁を上っていく二人。地面から湧き出るような結晶の壁を越えたそこが、彼らの目的地だ。
壁を乗り越えたとき、隊長はため息を吐いた。
「アンサー3、アンサー3? ……おい!」
「――は、はいっ!?」
「なんだ、見惚れていたのか」
からかうような声に、しかし素直に、はい、と答えるアンサー3。妙に素直な態度に隊長が驚いていると、アンサー3は声を震わせて言った。
「こんなの、無理ですよ、無理です俺」
二人の前に広がっていたのは花畑だった。
美しく咲き誇る花々。生物の生きていけない汚染地域では本来あり得ない百花繚乱。
その花に囲まれて、それは立っていた。
それは大樹のように身体に蔦を張り巡らせ、花を咲かせていた。
一つは両手を拡げまるで全てを受け入れるように、もう一つは半身を融かしながらもその右腕は胸を穿ち、そして二つは額を合わせ、まるで寄り添うように立っていた。
「竜騎兵という職はなくなったがな、俺たちは今も機竜と共に生きている」
自己進化機能を封印された機竜に以前のような力はない。だが、と隊長は考える。
この、人を護りながらも竜と共に在り続けた竜騎兵を見ればわかる。
自分達は竜騎兵なのだと。竜騎兵は竜と共に在る者のこと、ならば竜騎兵という名前が無くなった今も、そしてこれからも竜騎兵は竜騎兵でなければならないのだと。
「……隊長、ここってこれからどうなるんでしょうね?」
部下の言葉にそうだなぁ、と隊長は声を漏らした。
「これだけの汚染状況だと向こう百年はこのままだろうな」
「……俺、この場所を守りたいっす」
アンサー3は拳を握りしめ、じっと寄り添う竜を見上げて言った。
「俺たちはこれを忘れちゃいけない。語り継ぐだけじゃダメだ。俺たちは、この二人を、護らなきゃいけない」
「そうだなぁ……そうかもなぁ……」
隊長は呟き、二人の空気を引き裂くようにベルが鳴る。
それは帰還時間を示すベルだ。今すぐ戻らなければ面倒なことになる。
帰るぞ、そう言って振り返ることなく飛び降りた隊長に続き、一瞬寄り添う竜を振り返ったアンサー3は、それから振り返ることなく汚染地域を後にした。
生物の居なくなった花畑を、一つ風が吹き抜けた。
風は花弁を舞い上げ、寄り添う二匹の竜がまるで微笑むように身体を揺らすのだ。