「その吐息には〇が溢れている」
50~70代ぐらいの人がめちゃめちゃ強い印象あります。
一升からスタートとかね、ホントに……。
~~~ノッコ~~~
六畳間ふたつを連結させた居住スペースには、今日運び込まれたばかりの家具がきちんと設置されている。
衣服や雑貨などの荷物もほとんどが開梱され、所定の位置に置かれている。
いかにもタカミチらしい段取りの良さで、部屋の中央にはすでに布団が二組並べられていた。
そのうちの一つにメディを寝かせると、ノッコはやれやれと肩を回した。
「まったく、呑み過ぎだでば……」
男どもに注がれるままに呑んだメディの酒量は、実に一升(1,8リットル)。
十分という所要時間を考えると、驚異的を超えてもはや恐ろしいほどの量だ。
「あの短時間であんだけ呑めば、そりゃグロッキーにもなるわい」
「が……だから……」
「ああ?」
額に手を当てたメディが、ボソボソと何事かをつぶやいている。
「なんだ? メディさん」
座り込んでメディの口元に耳を寄せると……。
「こういうのは、最初が肝心だから……」
「最初?」
「タカミチの嫁になる者として、粗相があってはならないから……」
「……ふうーん」
体育座りに座り直すと、ノッコは訊ねた。
「そんなに好きなのげ? タカ兄ぃのこと」
「……たぶん」
「なんだぁ、たぶんて。あんた、そんないい加減な気持ちでタカ兄ぃについて来たのげ?」
煮え切らない態度に、ノッコは眉を吊り上げた。
「違う、そうではない。そもそもそういう言葉で規定していいのかどうかがわからないのだ。わたしは今までタカミチ以外の男にこのような想いを抱いたことが無いし、そういったことを勉強したこともなかったから……」
「……勉強するようなもんでもねえべよ」
「だが、パティは本を読んで学んでいるようだった。様々な男女の様々な恋愛の形を楽しそうに語って聞かせてくれたが、わたしには理解できるだけの頭がなかった」
「頭がどうちゃらってことでもねえけどな……んでなんだ、パティってのはあんたの友達け?」
「かつての主君だ。パトリシア・エルズミア・フォーリア姫。エルズミアの太陽と呼ばれた女性だ」
「ひ……姫っ?」
聞き返したが、メディはそれには答えなかった。
誤魔化したのではなく、ただ単にメインの問題を重要視したのだろうが。
「好きも恋愛も、わたしにはわからない。わかるのはただ、病気のような現象があるということだけだ。強く温かい気持ちが胸にあって、タカミチのことを思うと誇らしいような、くすぐったいような気持ちに変わるのだ。それが全身に広がって、たまらなくなって……そのまま続けると死んでしまいそうになるのだ」
「……」
それが好きという感情だろうと思ったが、話の続きが聞きたかったので指摘はしなかった。
天井を仰ぎ見るメディの横顔を、黙って見つめた。
「八男一女の、騎士の家系の末に生まれた。男所帯でな、武勇を重んじる家柄のせいもあって、人を威圧するような接し方しか知らなかった。民衆や女子供には恐れられ怖がられたが、それをおかしいとは思わなかった。自分が貴種だからだと、内心誇りにすら思っていた」
ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、メディは続ける。
「変われたのは、負けたからだ。正々堂々たる決闘でわたしはタカミチに負けた。矜持ごと粉々に打ち砕かれ、思想の根底を覆された」
「騎士とか何とかってのはわかんねえけど……決闘ってのはなんだ? あのタカ兄ぃがそんたらことを?」
図体はデカいけど運動はからっきしで、ケンカすらしたこともないタカミチにそんなことが出来るとは思えないのだが……。
「ふふ、想像できまい? ああ見えてあの男は、やる時はやる男なのだ」
メディはくすくすと笑う。
「決闘もそうだがな、見ものだったのはわたしがノーランド家のドラ息子と結婚させられそうになった時だ。あの男の怒り様と来たら、まさしく怒髪天をつかんばかりでな。それでいて持ち前の冷静さは失っていなくてな。あらゆるツテを頼って、根回しをした上で、態勢十分になってから王の間に乗り込んだのだ。並み居る神官や大臣どもを巧みな弁舌で黙らせ、あるいは味方につけ、とどめとばかりに王命を引き出した。あの時のドラ息子の顔といったらなかったよ。ああ……あれは本当に愉快な日だった」
王命がどうとかはよくわからないが、つまりはタカミチは、略奪愛のようなものをしたらしい。
「ふぅん……あのタカ兄ぃがねえ……」
「『頑張らなくていい、もっとゆっくりメディのペースで。なんなら立ち止まったっていいんだ』。タカミチはいつもそう言ってくれるが、わたしは我慢できないのだ。タカミチに迷惑をかけたくない、支えられるのではなく横に並び立ちたい。だからもっと頑張らねばと、そう思ってしまうのだ」
「はん、その結果がこれではしょうがねえべ」
「うう……っ?」
痛い所を突かれたメディは呻いた。
「もういいから、黙っとけ。すぐ水さ持って来てやるから。それ飲んだら寝てろ。明日は仕事だで。昼んなったらお客も来るしな」
「ああ……すまない。……そうだ、ノッコ殿」
部屋を後にしようとしたノッコの背中に、メディが声をかけてきた。
「ここがタカミチの住んでた部屋……ということでいいのだろうか?」
なんだそんなことかと、ノッコは肩を竦めた。
「ああ、そうだ。タカ兄ぃが小さい頃から、大学進学のために東京さ出て行くまで住んでた部屋だ。もっとも、当時の名残りはかなり薄くなってるけどな。天井とか柱とか、そういった土台の部分にしかねえけども」
「そうか……」
メディは安心したように息を吐いた。
「良かった。少しでも残っているのなら」
「……ああ?」
「タカミチには迷惑をかけたから。いきなりエルズミアへ呼び出して、戦わせて。四年間も帰さなくて……。もし何も残っていなかったらどうしようと思ったのだ。だけどそうか……残っているのなら良かった」
メディは「ふふ」とおかしそうに笑った。
「人についてもな。ケンゴとリョウタといったか? 幼馴染たちと話してる時のタカミチは楽しそうだったな。ああいう表情、向こうでは見たことなかった」
「……わけわかんね」
幸せそうにひとりごちるメディを置いて、ノッコは廊下へと出た。
階下に降りると、事務所に明かりがついていた。
覗いてみると、キッコが椅子に座っている。
水差しとコップを載せたお盆をデスクの上に置いているところを見ると、メディの酔い覚ましにと持って来たのだろうが……。
「あ、終わった? 直接対決」
「……なんだ、対決て」
ノッコはぶすっとむくれた。
苛立ちとともに、どっかと椅子に腰かけた。
「だって、言ってたでしょ。タカ兄ぃさんが変な女連れて来たら追い出してやるって。それで、自分がその後釜に座るんだって」
「……後半は言ってねえべ」
「ああ、そうだっけ?」
わざとらしく、キッコは笑って見せた。
「でもその調子だと……もう諦めたみたいね?」
「別に……そういうわけではねえけども……」
ノッコはごにょごにょとつぶやいた。
「でも……なんかよ……悪ぃと思うべさ。外国から来て、鬱にまでなって。唯一頼れる相手であるタカ兄ぃが寝取られたらよ……」
「あら、大胆」
「た……例えだべ! ただの例え! 仮に! もしも! そういうことになったとしたらの話だべっ!」
ノッコは全身を朱に染めた。
「ホント、ノッコは可愛いねえ-」
「うるせ! 撫でるんでねえ!」
ノッコの悪態を、キッコは「あっはっは」と笑っていなした。
「んーで、どうすんの? ライバルに塩を送ってあげるの?」
後ろへ顎を引くと、探るような目でノッコの目を覗き込んできた。
「そ……そこまではわかんねけども……。でもまあ当面は……協力はする。鬱が治って……治るものなのかどうかはわかんねけども……。治ったらそれこそ気がねがなくなるし……」
「ホント、ノッコは可愛いねえー」
「それやめろ!」
ふたりぎゃあぎゃあとやり合っているところに、タカミチがやって来た。
髪を乱れさせ、服を乱れさせ、荒い息を吐きながら事務所に姿を現した。
ふたりが今まで一度も見たことがないような取り乱し方だ。
「はあ……はあっ……、メ……メディはどこ……?」
「う、上だけども……タカ兄ぃ、よく抜けて来れたな? 池田の親父は?」
「……ふん」
らしくもなく鼻で笑うと、タカミチはびっとサムズアップした。
「三升(5,4リットル)で片付けた」
「さっ……?」
酒飲みの多い県民の中でも、池田は相当上位の部類だ。
それをまさか、真っ向からの勝負で倒してのけるとは……。
というかそもそも、一個人が呑む量として三升は多すぎる。
「あ、あれ……? タカ兄ぃさんってそんなに強かったっけ?」
「強くないよ。強くないけどでも……強くなるしかないだろう」
デスクの上にあった盆を手にとると、タカミチは不器用なウインクをした。
「ありがとな。ノッコ、キッコ」
じゃっかん怪しい足取りながらも、二階へと昇っていった。
「……ノッコ」
ぼーっとした表情で、キッコがノッコの袖を引いてくる。
「あれはダメだ、勝てないよ」
「やがましね! 別に勝とうなんて思ってねえし!」
ノッコは涙目になった。
「思ってはいねえけど! なんとなく! 無性に腹んべ悪くなってきた!」
キッコの肩をバシンと叩くように掴むと、睨みつけるように覗き込んだ。
「つーわけで、朝までつき合ってもらうかんな?」
「ええー……っと? わたし、締切り間近の原稿があるんだけど……」
「つき合ってもらうかんな?」
ノッコは凄みのある笑顔を浮かべながら、デスクの引き出しに隠しておいた秘蔵の甕酒を取り出した。