「元勇者、覚醒す」
~~~タカミチ~~~
「なあ……タカ兄ぃ、いったいどこさ行くんだ?」
消防団や青年団らが集まっている表ではなく裏庭に出た僕に、ノッコが声をかけてきた。
「みんな表さいるで? あのコさ探すにしてもヒグマだばあまりにも危ねえがら、県警の熊撃ち部隊の到着さ待つってよ」
正論だ。
普通に考えればそれしかない。
正論なんだけど……。
「ダメだ」
僕は首を横に振った。
母屋の消灯時間が22時。
夜のうちに行動を開始するとも思えないから、動き始めたのは明け方少ししてといったところだろう。
現在は13時。ざっと7、8時間が経過している計算になる。
11歳の子供がひとりで山歩きというだけでも危険なのに、有毒ガスを噴出する洞窟や3頭のヒグマの存在を考えるならば、もう一刻の猶予も無い。
「それじゃ間に合わない」
庭の一部、五メートル四方がコンクリートで固められている。
古井戸を埋め立てたもので、普段は洗濯物を干すために使ったりしている場所だが、こういう時には都合がいい。
「……よし、固き地面の下に流るる水。絶好の立地だ」
小さくうなずくと、僕は事務所から持ってきた作業用のツールバッグを傍らに置いた。
取り出したのは七本のチューブペイントだ。
窓ガラスなどに塗ると乾燥してゴムのようになるもので、本来ならばイベント時などのデコレーション用のものだが……。
黒、白、赤、黄 青、紫、緑のチューブペイントで描くのはセブンポインテッドスター、つまりは七芒星だ。
黒は死、白は生、赤は火、黄は雷、青は水、紫は氷、緑は土と、それぞれの象徴を現す色で三角形を七つ描くと、真ん中に大きな七角形が出来た。
さらに三角形のそれぞれに、エルズミア古語で『力ある言葉』を書き込んでいく。
「タカ兄ぃさん、それって……?」
「魔法だ」
「え? 魔法って……エルズミアの? だってこっちじゃ使えないんでしょ?」
「メディが訊いたんだ。ラフィーニャの口からね。『向こうへ戻ろうにも、貴様らには戻る方法があるまい』って。それってつまり、ラフィーニャにはあるってことだろ? だからさっき、部屋を調べたんだ。あいつにとっては故郷と自分をつなぐ命綱だからね。荷物の山の中じゃなく、文机の引き出しに入れてあったよ。魔族に伝わる最も古き祭祀書」
人の皮を血で染めて作られたという禍々しい装丁の古書を取り出すと、僕は付箋をしておいたページを開いた。
「こいつは数々の召喚や転移の儀式の末に蓄積された情報の宝庫だ。異界で魔法を使う方法もきっちり記されていたよ。もちろんそれには条件があるんだけど……」
「……条件って?」
「供物を捧げる必要があるんだ」
僕の言葉と同時に、メディは聖剣グランザッパーを鞘から引き抜いた。
刃厚二十センチはあろうかという重厚な大剣を軽々と振り回し、七芒星の中央に突き立てた。
「もちろん、どんなものでもというわけにはいかない」
「メディさんの剣を捧げるってこと!?」
状況を理解したキッコが、悲鳴じみた声を上げた。
「強い魔力か神聖なる力を帯びた呪物遺物を供物に捧げることで力を得ることが出来るんだ。マナっていうんだけどね、こちらの世界にはほとんど存在しない、魔力の源なんだ」
「でも……でもそんなことしたら無くなっちゃうんじゃないの!? いいの!? メディさんの大事なものなんでしょ!?」
グランザッパーは、エルズミア王家に伝わる聖剣だ。
王族を守護する騎士に受け継がれてきたものであり、姫からの餞別とはいえ、本来ならここにあることすらおかしいレベルのものだ。
「……得られる魔力の強さは、捧げる供物のそれに比例するのだ。キッコ殿」
メディが厳かにつぶやいた。
「タカミチは正しい。万全を期すならば、これが最善の方法だ」
「でもメディさん……!」
声を震わせるキッコ。
「しょせんは剣一本だ。人の命には代えられぬ」
それっきり、メディは固く口を閉ざした。
七芒星の脇に正座し、僕の作業の終了をじっと待っている。
「他に……他に方法はないの!?」
「──わかってくれ、キッコ」
僕は語気を強くして、キッコの言葉を遮った。
「僕らはラフィーニャを助けたいんだ」
「……っ」
キッコは唇を震わせた。
しばしの逡巡の後、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「……」
チリリと胸が痛んだ。
キッコを怯えさせたこと。
悲しい気持ちにさせたこと。
メディに聖剣を捧げさせたこと。
姫との大事な繋がりを失わせたこと。
そして──
祭祀書の下にはあの手紙があった。
僕がニーナに宛てた手紙。
ラフィーニャが偶然手に入れる可能性は無きに等しい。
ということは、たぶんニーナがラフィーニャなのだ。
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
あれだけ僕に絡んでくるのも。
そもそもの問題として、数ある逃亡先の中から日本を選んだことも。
「……正直、変な話だろ?」
ノッコとキッコに向かって、僕は話しかけた。
「この僕が勇者だとか、笑っちゃうよな? 運動音痴で弱虫で、人より背が高い以外にまるで取り柄の無い僕が魔王を倒した。国を救った。そんなの信じられるわけがない。酔っ払いの戯れ言より性質が悪い。だから正直、黙っていようと思ったこともあったんだ。ウソつきホラふき、そんな風に思われるのは嫌だから」
『……』
ノッコとキッコが、まっすぐに僕を見てくる。
「──でも、やめた。これからの長い人生、おまえたちに隠し事をしながら生きるなんてまっぴらごめんだ」
すううーっと、大きく息を吸い込んだ。
腹の底にいっぱいに溜め込むと、そこにボワッと熱い熱の塊が生じた。
「だから見ててくれ。これからするのは証明だ。僕の力、向こうでやってきたこと……」
熱の塊はゆっくりと体内を移動し、やがて両手の指先に集中した。
「今の僕を構築するもの、そのすべてを──」
少しずつ息を吐き出しながら──
まずは左手を、黒(死)の三角に触れさせた。
次に右手を、白(生)の三角に触れさせた。
「『死の王ヨーグモス、天帝アーロン……』」
『力ある言葉』と同時に、黒の三角と白の三角がぼんやりと光を放つ。
「『火竜ディーブラ、青の巨人リブロント、雷神ケルンダイト、紫の姫パーリア……』」
言葉を続けると、光はそれぞれ左右の三角に伝播していく。
「『緑人ヴォルジュ』」
最後の三角である緑に到達すると、今度は七つ全部が同時に光を放った。
「『天地を統べる七つ柱の神よ、電光の勇者タカミチが願い奉る』」
遥かエルズミアの神に呼びかけた。
「『破魔護国の聖剣グランザッパーを此処に献じ奉る。願わくば我に力を与えたまえ。異邦の地にありてもなお猛き、奔流の如きその力を──』
呪文の終了と同時に、グランザッパーに変化が起こり始めた。
聖銀製の刃が、ローデン材の鍔が束が、七芒星の発する光の中でゆっくりと崩壊していく。
細かな塵状になり、そのまま大気中に溶けていく。
「……!」
完全に溶けきった──瞬間、目の前で光が弾けた。
ドクンと心臓が鳴り、血が燃えるように熱くなった。
恐ろしいほどの力を乗せて、全身を駆け巡った。
熱と力の正体はマナだ。
自然の共通法則の埒外にある力が、僕に万能感と高揚感を与えてくれる。
「タカ兄ぃさん……!?」
「タカ兄ぃ……!?」
キッコとノッコが口々に驚きの声を上げた。
その理由は明白だ。
僕の髪の毛が、残らず逆立っている。
全身を隈無く包み込みこんだマナの光が、太陽のようにまばゆい輝きを放っているのだ。
「タカ兄ぃさんがスーパー○イヤ人みたいになってる……!?」
「え、なにそれ? スーパー? お店?」
ノッコってスーパー○イヤ人知らないんだ。
などという衝撃はともかく。
「……ひさしぶりだな、その姿を見るのは」
懐かしげに目を細めたメディに、僕はニヤリと笑いかけた。
「待たせたねメディ。さあ行こう。行って、互いの責務を果たすんだ」
するとメディは、満足げにうなずいた。
「望むところだ。わたしは騎士として、タカミチは勇者として、互いに恥ずかしくない働きをしよう」
鬱の名残りはもはや無い。
自信と覇気に満ち満ちた、あの頃のメディがそこにいた。