「プロローグ2:元勇者は苦慮している」
異世界転移から帰還する際に大変なのは、何よりも身分の回復なんですよ。
タカミチの場合はスーパー実業家のキョウカ姉さんがいてくれたということであっさり処理してますが、ガチでやったらえらいことになります(/ω\)
~~~タカミチ~~~
僕がエルズミアに召喚されたのは、今から五年前のことだ。
魔王への対抗策としての勇者召喚であり、当然ながら戦いの矢面に立つことを求められた。
どんくさくて非力な僕だけど、どうやら魔法の才能には恵まれていたらしい。
現地の魔法使いさんたちの指導の下で才能を開花させた僕は、やがて地形を変えるほどの魔法を使いこなし、独力で戦局を変えることすら出来るようになった。
四年に及ぶ戦いの末に魔王を討伐した僕は、日本へ帰してもらうのに加えてひとつだけ褒美をもらえることとなった。
そこで選んだのがメディだ。
他の貴族との政略結婚の道具にされようとしていたところを、王命でかっさらった形だ。
不安がなかったと言えば嘘になる。
一騎当千の騎士とはいえ、メディはまだ年若い女の子だ。
僕以外の知り合いなどいるはずもない異邦の地で、はたしてやっていけるのか。
だけど僕は彼女を深く愛していたし、彼女もまた僕と共に生きることを望んでくれた。
白い飾り花の降り注ぐ盛大な見送りの中、僕らは固く誓い合った。
共に支え合い、これから先の人生のあらゆる困難に打ち勝とうと。
なのに──メディは鬱になってしまった。
水の違い。
空気の違い。
文化観の差異。
早くこちらの生活になじもうと思って入ったバイト先での人間関係の劣悪さやホームシックなどの理由が様々に折り重なって、彼女の心はポッキリと折れてしまったのだ。
バイトは辞め、以来ずっと引きこもり状態。
にも関わらず、ひとりで病院へ行ったのだ。
つまりはそれだけ状況が悪いということなのだろう。
せめてもの救いは、最悪の状態になる前に僕が決断出来たこと。
都会から田舎へ。
少しでも彼女が生きやすい場所へ舵を切れたこと。
ブラックとはいえ、手になじんだ仕事を辞めるのは勇気がいったけど……。
しかたがない、彼女の心の健康には変えられない。
「……なあ、やっぱり考え直さないか? タカミチ」
その夜。
荷造り作業を終えてからやってきた近所のファミレスで、メディは思いきったように切り出してきた。
「仕事を辞めて田舎に帰るのはいい。たしかに都会よりも断然住みやすい、良い所なのだろうとは思う。だがその……経済的に厳しいのではないか? こちらの世界の金銭感覚はわからないが、突然職を辞して『すろうらいふ』が通じるほど甘くないものだということぐらいはわかるぞ?」
胸に手を当て、心苦しそうに続ける。
「知っているぞ? ブラックきぎょー勤めが拘束時間の割には儲からないものだということを。貧乏暇無しを地で行くようなものだということを。蓄えだってそれほど無いのではないか? 転職したといったって、すぐに給料が振り込まれるわけではないのだろう?」
「う……っ?」
情けない話だけど、僕の懐は豊かではない。
こっちに戻ってからの一年間の労働で蓄えたお金にこれから払い込まれる予定の退職金。
元々こっちにいた頃の財産(キョウカ姉さんが管理してくれていた)を合わせたって、大人二人が一年暮らせるかどうかといったところだろう。
「さらに言うなら──」
地方独特のローカルルールの壁にぶち当たってけっきょく出戻りだとか。
意外とかかる生活費用に耐えられなくてけっきょく出戻りだとか。
転職先がやっぱりブラックでけっきょく出戻りだとか。
メディはいつも遅くまでやっているネットサーフィンで得たのだろう数々の失敗談を列挙していく。
そしてそれは、おおむね正しい。
スローライフというふわふわ穏やかな語感の裏側には、けっこう生々しい実情と悲劇が隠れてる。
精神のベクトルが完全にマイナスへと振れているメディにとって、それらが無視できないものなのだということも大いにわかる。
「も……もちろんわたしだって頑張るつもりではいるのだぞ? タカミチだけに任せず、今度こそきちんと働くつもりだ。ただこの性格だからな……。けっきょくみなとは打ち解けられずに村の有力者の一夜妻にさせられたり……普通の仕事では稼げず、夜の仕事をするハメになったり……」
「待て待ておかしい」
唐突に始まった自虐を、僕は慌てて止めた。
「いったいどんな超展開があったの。間を色々すっ飛ばしすぎでしょ」
「で……でも、こちらの世界ではわたしのような『くっころ女騎士』はそういう目に遭うのがお決まりで……っ」
「ええと……どういうこと?」
頭痛をこらえながら訊ねると、メディはとあるネット掲示板の名を挙げた。
そこでメディ(HN『誇り高き女騎士』さん)は悪質なユーザーに絡まれ、自分のような見た目自分のような性格の、いわゆる『くっころ女騎士』が辿る末路のまとめ動画を送り付けられたらしい。
オークなどの醜悪なモンスターや変態貴族の慰み者にされ、心身共に堕ちていく同胞たちの悲劇をいくつも目にしたメディは、自分もまたそういう宿命を背負った人間だと思い込んでしまったのだ。
例えばエルズミアでダークエルフが虐げられていたように、こちらでは自分が虐げられる側なのだと。
ちょっとでも気を抜けば『くっころ』な目に遭わされると……。
「あああー……だからかあー、最近変にびくびくしてたのはあー……」
素直すぎるメディの精神構造に、僕は頭を抱えた。
「最初からおかしいと思っていたのだ。道行く人が振り返ってまでこちらを見てくるし……。中には無遠慮にわたしの体を……その……弄るような目をしてくるのもいるし……」
それは単純にメディがエロ可愛いからなのだけれども、そう説明しても納得してはくれないだろう。
彼女のような美人が男の注目を浴びるのは避けられないことなのだから、違う点から安心感を与えるべきだ。
「大丈夫だよ。メディ」
僕は正面からメディの目を覗き込んだ。
「……タカミチ?」
「僕が傍にいるからさ。今まで一緒にいられなかった分を埋めて余りあるくらい、ずっと傍にいるから」
「ずっと一緒に……?」
ぴくんっ、とメディの肩が震えた。
メディの被害妄想をいきなりすべて吹き飛ばすことは出来ないかもしれない。
抱えた不安を完全に晴らすことは出来ないかもしれない。
でも少しでも和らげ、軽くすることは出来るはずだ。
安定した生活と希望の言葉の繰り返しは、かつて彼女の中にあった強さを取り戻すことに繋がるはずだ。
「そうだよ。ずっと一緒にいられるんだ。キョウカ姉さんの話だと、次の職場は家から歩いて行ける距離にあるんだそうだよ。つまり君が困った時にはいつでもフォローしてあげられるってことだ。僕が君を守ってあげられるってことなんだよ」
「タカミチがわたしを……守ってくれる……?」
ぴくんぴくんっ、とメディの肩が震えた。
「そうさ。忘れたのかい? 君はエルズミア最強の騎士かもしれないけど、僕だってエルズミア最強の勇者なんだぜ?」
もっとも、もう魔法は使えないのだけど。
「そうか……うん……うん……」
メディは僕の言葉を噛みしめるように、何度も何度もうなずいた。
「……そうだな」
うなずくのをやめると、目じりに浮いた涙を拭って僕を見た。
わずかに頬を染めて、照れるようにして。
「タカミチがいてくれるのなら安心だ」
ほっと肩から、力を抜いた。
「メディ……じゃあ?」
「うん、行こう。タカミチの田舎に。そして一緒に……」
「スローライフだ」
「すろうらいふだ」
ふたり、声を揃えて拳をぶつけ合った。
かつて魔王城に乗り込んだ時のように。
あの時とはまた違う敵に挑むために。
直後にウエイトレスが注文をとりに来て微妙な空気になったりはしたけど……ともかくそれが、僕らの生活が正式に再スタートを切った瞬間だった。