「女騎士さんからの指示待ちです」
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~~~タカミチ~~~
「やあ、お疲れさまですな」
母屋の食堂でコップ酒を引っかけている僕のところへ、功一さんがやって来た。
時刻は22時を回っていた。
さすがにグレーのスリーピースではなく備えつけのストライプの浴衣を着ていて、そうしているといかにも年齢相応の老人のように見える。
「お疲れさまです。茶子さんのご様子は?」
僕の質問に、功一さんはゆるゆると首を横に振った。
「曰く言いがたいものがありますな。反省は素直にしていて、珍しく『ごめんね』なんて謝罪の言葉が聞けました。その上でやけに機嫌が良くて、今も呑気に口笛なんか吹いている。けれど肝心要の、何があったかの質問には答えようとしない。どれだけ強く言っても、そこだけは頑として譲らない」
「そうですか。うちもまあ似たようなものですね。そわそわと落ち着きがなくて……しかもそれは、ショックからきているものではないような感じを受けました。何か違う、別の重大事に気をとられているような……。そして同じく、昼間の件に関しては完全黙秘です」
僕と功一さんは、どちらからともなくため息をついた。
あの後──つまりは茶子さんによるメディの連れ回しが発覚し、ふたりのスマホの電源が入っていないのを確認してから(茶子さんはわざとで、メディはうっかりからだったが)──僕と功一さんは方々に頭を下げて回った。
お隣さんに頼んで車を借りたり、バンの行方を探して聞き込みしたり。
結果的にはジャス〇の駐車場でバンを見つけ、ふたりを連れ戻すことに成功したのだけれど……。
「ストックホルム症候群……とでも言いましょうかね。今日一日でずいぶん仲が良くなったように感じましたよ」
ストックホルム症候群というのは、誘拐事件や監禁事件などの被害者が犯人との間に心理的なつながりを築く、ある種の精神障害のことだ。
「わかります。何かがふたりの中で芽生えているような感じですよね」
いいか悪いかは別として、ふたりは急速に仲良くなりつつある。
「いずれにしろ、こちらは問題にする気はありませんので。残りの期間もどうか気楽にお過ごしください」
「それはありがたい」
功一さんは礼を述べると、はあと大きくため息をついた。
「いやはや疲れましたね。老体には堪えます」
肩をこきこき鳴らしながら厨房に入ると、コップを片手に戻って来た。
「……いいんですか? すぐに戻らないで」
功一さんはゆるゆると首を横に振った。
「いいも何も、行って来いと言われたんですよ。あなたの様子を見てね、どうだったか詳細に教えろと」
「……僕の様子? 茶子さんが? それってどういう……」
「どうしてかはわかりませんよ。だが……実に楽しそうだったな。ニコニコしてね、頬を緩めて、あれは何ごとかを企んでいる時の顔ですよ」
「……そういうの、よくあるんですか?」
「昔はね、頻繁にありました。根がいたずらっ子なんですな。それが面倒くさくもあり……だけど同時に……」
僕の注いだ日本酒をコップ半分ほど一気に呷ると、功一さんははあと大きなため息をついた。
「一番いいところでもあったりしてね」
「ありゃまあ……ずいぶんとベタぼれのご様子で」
素面だったら絶対訊かないようなことだけど、酔いの勢いに任せて訊いてみた。
「当たり前でしょう。だってあなた、二回り半ですよ? 二回り半。芯から好きでなくて、どうして結婚なんか出来ますかね」
二回り半、というのは年齢差のことだろう。
功一さんが70前後で、茶子さんが30後半。
ふたりは親子ほどに歳が離れているのだ。
「いやあ騒がれましたよ。私の親族もね、恥だからやめろと何度も忠告してきた。手紙に電話、家まで直接押しかけて来たりもしました。だが私は突っぱねましたね。何が恥なものかと、好きなものを好きだといって何が悪いとね」
「悪くなんかないですよ。ウチもまあ……似たようなところはありますし」
メディをこちらへ連れて来るにあたって、最大の障害になったのは向こうの両親と親族だ。
エルズミア王国譜代の騎士の一族、リーリング家。
頑強な繋がりや妨害を跳ね除けるには、相応の苦労があった。
「君、わかってくれるかね」
ガシリと、外見に似合わぬ力強さで肩を掴まれた。
意外に絡み上戸なのだろうか。
「え、ええまあ……」
「よし、飲もう」
コップの残り半分を息に飲み干した功一さんは、テーブルの上にズダンと置いてお代わりを要求してきた。
「いや……いいんですか? 戻らないで。僕の様子を聞いて来いって言われたんでしょう?」
「戻るさ。だけど、いつまでにとは言われてない」
酒で顔を赤くしながら、功一さんはニヤリと笑った。
「ああ……なるほど」
お代わりをなみなみと注ぐと、功一さんは勢いに乗ってまくし立ててきた。
茶子さんとの出会い。
いかに魅了されたか、いかにして近づいたか。
過労死寸前の生活の中からどうやって時間を捻出したか。
誰を味方につけて、どう振る舞ったか。
男子学生同士がそうするみたいに打ち解けた口調で、熱をこめて語ってきた。
「苦労したんだよ。苦労して一緒になって、こうして過ごして来て。だけどそれにも、限界ってもんがあるんだよ」
「限界?」
「言っておくが、愛情じゃないよ? そんなものに限界なんてありはしない。わかるかね。私はもう70なんだよ。ひと昔前なら棺桶に片足突っ込んでる年齢だ。このご時世だって、上手くいってもせいぜい80半ばというところだろう」
寿命のことだと気づくのに、しばらくかかった。
だって功一さんは、まだまだ健康そうに見えたから。
だけど、言われてみればたしかにそうだ。
70というのは嫌でもそういうことを意識する年齢だ。
「最近じゃ具合の悪くないところのほうが少ないときてる。だからこそ、ひとりで残すあれのことが気にかかった」
功一さんと茶子さんの間には、ついに子供が産まれなかった。
頼りになる身寄りもなく、どちらかが死ねばどちらかはひとりになってしまう。
若い時分ならなんだそんなことかで済む話だし、実際そう思って生きてきたのだが、老いを意識してから変わったそうだ。
「あれはああ見えて細やかで、気にする性質でね。自分では気づいていないが、都会での生活では摩耗していくばかりなんだ。だからここへやって来た。私がいなくなってからの長い長い人生を過ごす場を探そうと思ってね」
「……っ」
わかる。
理解出来る。
もし僕が功一さんと同じ立場だとしたら、きっと同じ結論を下していたことだろう。
僕がいなくなってもメディがきちんと生きていけるように、慎重に場を選定してあげようと。
だって──そうでなければ、死んでも死にきれない。
「でもそれは……」
「わかってるさ。そんなことは」
功一さんは嘆息した。
「この結論には、本人の意思が介在していない。でも……ねえ君、それでもだよ」
功一さんは真面目な顔で、こう告げた。
「私はこれが、正しいと思ったんだ」
とうとう僕の手から酒瓶をひったくると、コップに注いで一気に呷った。
細い喉仏が、ぐびぐび鳴った。
「……」
その結論が正しいのかどうかなんて、僕にはわからない。
だけど功一さんは正しいと信じてる。
茶子さんの反対を喰らい、こんな騒ぎを起こしてもなお。
「そういえば」
思い出したように、功一さんが訊いてきた。
「君こそここでこうしていていいのかね? 奥さんの……いや、厳密にはまだ奥さんではないのだったか? ともかくメディさんの傍にいてあげないと」
「ああ、それについてはですね……」
僕は頭をかいた。
「今のとこ、指示待ちなんです。メディの。彼女がOKを出したら部屋に来るようにって。色々と準備があるからって。なんだかわからないですけど……」
「……ほう?」
功一さんは眉をひそめた。
「メディさんはそれ以上の説明は?」
「いえ、してないですけど……」
功一さんはううむと唸ると、顔をしかめた。
「何かうちのが余計なことをしてなければいいのだが……」
などと、こちらが不安になるようなことを口にした。
「余計なこと……余計なこと……んー……」
メディからスマホによる呼び出しを受けた僕は、功一さんと別れて離れへと向かった。
「ちょっと思いつかないなあ……」
事務所を通り過ぎ──階段を上がって二階に着いて──部屋の襖を開けた瞬間、思考が停止した。
功一さんのことも茶子さんのことも、頭からぶっ飛んだ。
小さな電球が一個だけつけられた薄暗い部屋の中、ふたつ並べて敷かれた布団の脇にメディが座っている。
膝を折り背筋を伸ばし、拳を握って正座している。
それだけなら驚くには値しない。
僕らは婚約者だから、いつも布団を並べて寝ている。
メディの姿勢の美しさは、今さら言うまでもないだろう。
だけどこれは──
この格好は──
「……っ」
ゴクリと唾を飲み込んだ。
緊張で、手のひらに汗をかいていた。
薄暗がりの中でもよくわかる。
メディが身に着けているのは、見たことのないベビードールだ。