「女騎士さんは模索している」
毎度お読みいただきありがとうございます。
今回はおくすりとかその辺の内容ですが、「商品名」では無く「主たる成分名」での表記なのは、諸々考慮した上です。
~~~茶子~~~
「ふうーん、さすがは郊外型の大型店舗ね。本気でなんでも揃ってるわ。やるわねジャス〇」
悪態ばかりつきながらも、なんだかんだで茶子はジャス〇を満喫していた。
それにはやはり、メディの存在が大きい。
見た目が綺麗で受け答えが変わっている、親子ぐらいに歳の離れたこの娘を、茶子はすっかり気に入っていた。
この娘がいるならば楽しかろうし、今日のところは宿に戻ってやってもいいか、なんてことすら考えていた。
そんな折……。
「茶子殿、茶子殿……」
メディが弱り切った声を出した。
「なによ変な声出して。て、変な声出してるのは最初からずっとか。あんたホント面白いわよね。んーで、なによ今度は? ……ははあ、お腹でも空いたんでしょ。いいわよ? 買うものは買ったし、そろそろお茶にしましょうか。入り口のとこにあったカフェに入るから、適当に何かお腹に入れたらいいわ。重いものをドスンと入れるなら、三階のレストラン階でもいいけど」
「その……そうではなく……」
「あ、もしかしてお金無いの? まあ持ってそうには見えないもんね。大丈夫よ、おごってあげるから。一日つき合わせた迷惑料ってことで」
「正直もう……限界で……」
弱々しくつぶやくと、メディはフロアの真ん中でへなへなと座り込んでしまった。
「はああ? あんたちょっとどうしたのよっ」
「うきゅううううー……」
「はあ? ちょっと、ちょっとぉーっ!?」
脂汗をだらだら流して呻くメディに、さすがの茶子も慌てた。
「ちょっと待ってなさい! 今すぐ人を呼んで来るから……ああもうっ、なんなのよ! 急にどうしちゃったのよっ!」
「あんたね……こういうとこ苦手なら先に言いなさいよ、もう」
救護室のベッドを借りた茶子は、メディを横たえ休ませることにした。
「いやその……言おうとはしたのだが、言う暇がなくて……」
メディは額に手を当て、いかにもグロッキーといった様子。
「まあ……あたしが聞こうとしなかったのも悪かったんだけどさ……」
丸椅子に腰かけた茶子は、小さく息を吐いた。
そう言われてみれば自分のことしか考えてなかったなと、珍しく反省した。
「ホントごめんね? ……でも、ちょっとこれは尋常じゃないわね。なんなの、病気?」
「それがその……」
乗馬ズボンのポケットからメディが取り出したのは、ファスナー付きのビニール袋に入れられた白い錠剤だ。
「……っ!?」
それを目にした瞬間──茶子の背筋にぞっと寒気が走った。
「これは……ちくしょうっ、アルプラゾラムかよっ」
額に拳を当てて呻いた。
「そうなのだ。これが一番即効性があるから……。それで茶子殿、出来れば水をいただきたいのだが……」
「わかった……ってあんた、何粒飲む気よ?」
メディは無造作にひとつかみを取り出しているところだった。
その数はおそらく、10を下らない。
「あんた説明書き読んでないの? 一回の投与につき3錠、それを一日3回。きちんと守んなさい」
語調を強めて言うと、メディは困ったような顔をした。
「で、でも今はホントにキツくて……。なるべく量を多くしないと……」
「だからって限界があるでしょうがっ。もう……ちょっと待ってなさいよっ? 勝手に飲むんじゃないわよっ?」
茶子は急いで薬局でぬるま湯を貰ってくると、メディの体を起こして支えてやった。
メディがきちんと飲み下すまで見守ってから、ゆっくりと横たえさせた。
「本当にかたじけない」
薬を飲んだことで多少なりとも気持ちが落ち着いたのか、メディの呼吸が緩やかになった。
「……いつからよ?」
ともすれば高ぶりそうになる感情を押し殺すようにしながら、茶子は訊いた。
「飲み始めたのはここひと月ぐらいで……」
「分量はいつもあんな適当なの?」
「最初は違ったのだが、徐々に徐々に増えてきて……そうなると以前の量に戻すのが不安になってしまって……自然と……。その……すまない」
「いいわよ。別に謝らせたくて言ってるわけじゃないから。んで、他には何か使ってんの?」
「状況によって、クロナゼパムを使う時もある。あっちのほうが緩やかだけど長持ちするから……」
「どっちも抗不安薬か。抗うつ系のも使ってんの?」
「イミプラミンを……」
「ふん、まあ定石通りね。んで、離脱症状は?」
「それはまだ……」
メディの答えを聞くと、茶子はふうと大きく息を吐いた。
「安心したわ……って、ひと月ぐらいなら当たり前か。けどあんた、その調子じゃそう先のことでもないわよ?」
「医師殿にも念を押されていたが……そうか、わたしはそんなにも危ない状態にあったのか」
「普通に考えりゃわかるでしょうが」
「す、すまない……」
「だからいちいち謝んなって言ってるでしょうがっ、イラつくわねっ」
ガシガシと頭をかきながら声を荒げると、メディがビクリと身を震わせた。
目の端に涙の粒が浮かんだかと思うと、それは瞬く間に決壊した。
バイト先で毎日厳しく叱責されていたことを思い出してしまった結果なのだが、そんなことは茶子にはわからない。
だから、ただただ慌てた。
「ってあああっ……ごめん。ごめんねっ?」
メディの頭を抱きしめ、優しく囁いた。
「悪かったわ。もう大声上げたりしないから泣き止んで?」
「大丈……夫だっ、ただちょっ……びっくりした……だけでっ」
と言って、すぐに止められるものでもないのだろう。
メディはひっくひっくとしゃくり上げるようにしている。
「ああもう、しょうがないわねえ……」
メディを泣き止まそうと、茶子は歌を口ずさみ始めた。
──羊の群れが休んでる
──可愛い坊やもおねんねよ
──アバ ハイジ ブンバイジ ブンブン
──アバ ハイジ ブンバイジ ブンブン
──小鳥の群れが休んでる
──可愛い坊やもおねんねよ
──アバ ハイジ ブンバイジ ブンブン
──アバ ハイジ ブンバイジ ブンブン
空からゆったり降り落ちてくる鳥の羽のような優しい歌声が、メディの表情に落ち着きを与えていく。
「茶子殿……今のはいったいなんの魔法なのだ……?」
泣き止んだメディが、目を丸くして驚いている。
「魔法なんかじゃないわ。外国の子守歌よ。カビの生えた古い歌。でも、不思議と落ち着くでしょ?」
メディはコクコクと頷いた。
「しかし上手いものだな……」
いかにも感心といった様子で言われ、茶子はむずがゆい気持ちになった。
「そりゃあ一応ね、シンガーだもの。元がつくけど」
先ほどの子守歌も、ジャズバーやライブハウスでお客の子供が泣き出した時用のものだ。
自慢じゃないが、あれを歌って泣き止まない子供はいなかった。
「シンガー……歌手のことだな? なるほどなるほど……」
ひとしきり頷いた後で、メディははてと不思議そうに首をかしげた。
「そうなのか。わたしはてっきり、医師か看護師なのかと。薬にお詳しいようだから……」
たしかに、見ただけで薬の名称を当てたり、服用量や効能までわかる者などそうはいるまい。
「……経験者だからね」
「茶子殿がっ?」
するとメディは、素直に驚きの声を上げた。
「そんなデリケートな女には見えないって?」
「いやいやいや……そんなことは……。ただその、茶子殿はなんというか、強そうなので……」
「けっきょく同じことでしょうが」
茶子はため息をついた。
「まあいいわ。そういう風に見られるのは慣れてるし。鈍感で人の気持ちがわからない、傲慢で鼻持ちならない、自分勝手でつき合いきれない。ないないづくしのチャコ。それが世間的なあたしの評価だから。でもね、だからって心が鋼で出来てるわけじゃないのよ。傷つくことだってあるんだから」
大学を中退して入ったジャズの世界。
シンガーとして生きていくためには相応の苦労があった。
人間関係、同業者や店とのもめ事、実力不足にスランプ……。
「ある時ひどい鬱にかかってね、薬頼りの生活をしてたの。でもほら、人間の体ってのは抵抗力が出来るもんでしょ? 最初は効いてた薬も、だんだん効かなくなっていく。自然と服用する量も増えていく。でも病状は一向によくならない。思い余って、アルコールと併用したりしてね……」
薬とアルコールの併用によってもたらされるのは、薬効の増加だけではない。
酩酊も副作用も、当然増加される。
「薬が切れた瞬間は地獄よ。ガツーンと不安が襲ってきて、高い山の上にいるみたいに寒くなって、冷や汗と震えが止まらなくなって、それがどこまでも終わらなくて、しまいには幻覚が見えたりしてね……」
「……っ」
他人事ではない茶子の話に、メディはごくりと唾を呑み込んでいる。
「ホント、あの時はめちゃくちゃだったわ。よく生きてるなって、正直思う。あんたもね、あの時のあたしみたいになりたくなかったら、用法容量はきちんと守んなさいよね」
「その時は……どうやって切り抜けたのだ?」
話を締めくくろうとしたところへ、メディが質問を投げかけてきた。
「『今考えてもめちゃくちゃで、よく生きてるなと思えるような状況』から、茶子殿はどうやって立ち直ったのだ?」
「あー……」
痛いところを突かれた茶子は、一瞬言葉を失った。
どうやってはぐらかそうかと考えて……やっぱりやめた。
自分を見つめてくるメディの瞳に、すがるような色があったからだ。
かつての自分を見るような気がして、だから茶子はまっすぐに答えることにした。
「……あいつに助けられたのよ」
苦虫を嚙み潰したような表情ではあったけれど。
「あいつというのはその……旦那さんで?」
「そうよ。あいつ、あたしのファンでね。忙しい仕事の合間を縫って、毎度毎度歌を聞きに来てくれてたの。あたしが鬱になってからも、ずっと。薬物依存してるのを知ってて、離脱症状を呈してる姿も何度も見てて、それでも見離さなかった。あげく、まさかのプロポーズよ」
茶子は自嘲するように笑った。
「バカなんじゃないかって思ったわ。今のあたしがホントにちゃんと見えてるのかって」
「……でも、プロポーズを受けたのだな?」
確かめるように、メディが訊いてくる。
「まあね。何しろ相手は大企業のお偉いさんでしょ? そうすりゃ少なくとも目先の生活は楽になるだろうし。年齢差を考えれば、将来的にもいいことづくめだし。生命保険とか、遺産とかね。損得づくよ。わかるでしょ? あたしって、嫌な女なの」
「損得……?」
「ホント、バカよね。ちょっとずつ薬の量を減らして、少しずつ弱いものに変えていって、完全に抜けるまでに二年かかった。それに全部つき合ってくれたのよ? あたしが暴れて殴りつけても文句ひとつ言わずに耐えて、耐えて……。普通に仕事だってしてたのに……」
大手キー局の、当時はプロデューサーだった。
泊りが多い激務で、休日は月に数えるほど。
帰れば帰ったで、茶子の世話が待っている。
「……ホント、どうしてあんなことが出来たんだろう」
ぼそりつぶやく茶子に、
「それはたぶん……愛なのだと思う」
メディは恐る恐るといったように口にした。
「……何よその、思うって」
自身無さげなのをツッコむと、ううむと渋面を作った。
「いやその……その辺はわたしも模索中なので……」
そうしてメディが語り出したのは、驚くべき彼女の出自だった。