「プロローグ1:女騎士さんは苦悩している」
~~~メディ~~~
診察室で、メディは医師と対面している。
医師は五十がらみの男性だ。
激務のせいだろう、げっそりと痩せた体をリクライニングチェアの背もたれに預け、どろんと濁った目でメディのカルテを読み上げていく。
「えー……メディベリーナ・リーリング・ジェリーさん。歳は二十歳と。国籍は? その感じだと、日本人ではないよね?」
医師の指摘通り、メディは日本人ではない。
ポニーテールに結われた髪は黄金色に、瞳はキラキラとエメラルドのように輝いている。
肢体も実に豊満だ。
詰襟の白ブラウスの胸元を、ロケットのような形の乳房が突き上げている。
ブラウンの乗馬ズボンの腰元はきゅっと引き締まり、パンと張った臀部から下肢へと見事な脚線美を描いている。
「くっ……? どこを見て言っているっ……?」
己の肉体に注がれる視線を感じ、メディは柳眉を逆立てた。
片手で胸を隠し(きれてはいないが)、もう片手を腰に伸ばしたところでハッとした。
「しまった。わたしとしたことが、帯剣していないのを忘れるとは……っ。自分が無力な女であることを忘れるとは……っ」
「ええと……」
「そうか、そこまで理解した上でのその不遜な態度なのだな? きっとあれだろう、これから診察と称してあれやこれやの不埒な振る舞いをするつもりだろうっ。麻酔を注射して、無防備になったところを診察台に拘束して、ブラウスのボタンをメスでひとつひとつ外していき、ついにはその下の乙女の秘密へ至ろうと……くううぅっ? こ、この卑劣漢めっ」
メディは涙目になり、両腕で自分自身を抱き絞めた。
圧迫された胸がぐにゃりと歪み、彼女の思惑とは裏腹の扇情的な光景になった。
「あのだね……」
医師はゴホンと咳ばらいした。
「わたしは単に、国籍を聞いているだけなんだが? さっきから君はいったい何を誤解しているのかね?」
「え? あれっ?」
「たしかに君は美人で、グラマラスかもしれんがね。わたしはそういったことには慣れてるんだよ。何せ精神科は特殊だからね。中には露骨にアピールしてくるのもいるんだ。見せたり触れさせようとしたりね。そのたびいちいち反応していたら、クビがいくつあって足りんよ」
「あれれっ?」
「あれれじゃないよ。何かね? 君はわたしをバカにしているのかね? ここへもからかいに来ただけなのかね? だったらお帰りはあちらだ。早々に退出してもらおうか」
「す……すまない! 悪かった!」
誤解を悟ったメディは平謝りに謝った。
「ええと……国籍の話だったな? そうだ、その通りだ。わたしは日本人ではない。エルズミア王国の出身だ。誇り高きリーリング家の末の娘だ」
慌てて自らの身の上を語るが……。
「なるほどやっぱり、日本人ではないわけだね。にしてもエルズミアねえ……。ずいぶんと遠いところから……うん?」
医師はしかし、はてと首を傾げた。
「そんな王国あったかね……? たしかに島としてはあったはずだがね……。遥か北の雪深い……あれはカナダだったかな……?」
「エルズミアはこことは異なる世界にある。島ではなく王国として存在する。わかりやすく言うならば、わたしは医師殿にとって異世界人ということになる」
「んー……ちっともわかりやすくはないね。ちなみに今日は精神疾患の疑いで来たんだっけね? まあそういう意味でなら色々と納得だがね」
「そこなのだ。医師殿」
メディは両膝に手を突くと、かしこまった調子で医師に訊ねた。
「わたしはどうも、心を病んでいるようなのだ。食欲が無く、無理に食べようとすると吐き気がする。眠れずに、無理して眠ろうとすると悪夢を見てうなされて起きる。何をしていても心が晴れることがなく、胃や頭がキリキリ痛む。はっきり言って鬱だと思うのだ。なので今日はこうして、恥ずかしながら伺ったという次第だ」
胸に手を当てると、はあと大きなため息をついた。
「おそらくこちらの水に慣れないのが原因だと思うのだ。何せ向こうとは全然違うから。言葉はなんとか慣れたが、知識や常識的な部分で色々と問題があってな。ご近所付き合いも上手く出来ないし……。せめてタカミチがずっと一緒にいてくれればいいのだが、ブラックなんとかというところに勤めているので、なかなか家に戻って来れないのだ」
「なるほど……」
医師はカルテに「適応障害の疑いあり」と書き込んだ。
「ちなみにタカミチさんというのは旦那さんで?」
「だっ……!?」
医師の投げた直球に、メディは言葉を詰まらせた。
「違う! た、たしかにそういう約束では来たのだが! まだ婚約者の段階であって! まだそういう事態には至っていない!」
「まだ……まだね。なるほど、デリケートな質問だったのかね」
「そうだ、その……遠慮してくれ」
ぶつぶつと、メディは恨めし気につぶやく。
「そういう事態になるのはもうちょっとこちらの世界に慣れてからでないと……」
「あー、度々失礼。さっきから気になるんだがね。『そういう約束で来た』とか『こっちの世界に慣れてから』とかいうのは『シチュエーションプレイ』のようなものなのかね? 互いにそういう『お約束』の上で楽しむ『大人の遊び』のような?」
「しちゅえーしょんぷれい? おやくそく? おとなのあそび?」
メディは首を傾げた。
「よくわからんが、わたしはありのままを語っているぞ?」
「なるほど……」
医師はカルテに「妄想性障害の疑いあり」と書き込んだ。
「だいたいわかった。そういうことなら一度、タカミチさんも交えて三人で話したほうが良さそうだね。あなたの場合は原因もハッキリしてるようだし、ここで変に薬を処方するより、しっかりと根治治療を目指したほうが良さそうだ」
「三人で話し合いだと……? ううむ……」
メディはとたんに弱った。
「タカミチにはなるべく迷惑をかけたくないのだが……」
今日だって、精神科へ来るのは秘密なのだ。
「そういえば、ブラック企業にお勤めなんだったかね? お忙しくて時間がとれない?」
「そう、それだ。ブラックきぎょーだ。あの大戦の英雄タカミチをもってしても容易には倒せぬ難敵と日々戦い続けているのだぞ? 大変なのだ」
「大戦の英雄ねえ……」
メディはふふんと得意げな顔になった。
「まあ知るまいな。何を隠そう、タカミチはこちらの世界からエルズミアへと召喚された勇者なのだ。古代語魔法が得意でな。その一撃は山をも消し飛ばすほどなのだ。魔王城最奥に奇襲をかけ、一騎打ちにて魔王を倒した手並みは今思い返しても……」
乱戦の中で目にしたタカミチの偉業を、ニッコニコで物語る。
「……というわけでタカミチは国王から無事に帰還が認められ、さらに褒美を与えられることとなった。なんでも好きなものをという国王のお言葉に、玉座の間はざわついてな。いったい何を求めるのかみなが興味津々と見守る中、タカミチは堂々とこう言い放ったのだ。『リーリング家のメディベリーナを頂きたく思います』と」
どうだとばかりにメディが見やると、医師は重いため息とともにペンをとった。
「うん、これはかなりの重症だね」
カルテの最後に「被愛型妄想障害、要経過観察」の一文をつけ加えた。
「ううむ……困った」
メディは唸った。
おくすりは処方してくれたものの、医師は最後までタカミチとの話し合いを望んでいた。
そうしなければ治るものも治らないと念押した上で。
「日が変わった頃に帰って来て、夜が明けぬうちに家を出るタカミチの貴重な休日を潰してまで病院に連れて行くなどということが許されるのか……? たかだかわたしの鬱ごときで……?」
モヤモヤしながらアパートの部屋の前までたどり着くと、すでに鍵は開いていた。
「……え?」
怪しみながら開けてみると、沓脱ぎには二十九センチもあるタカミチの革靴がきっちり揃えて置かれていた。
「お帰り、メディ」
温和な羊を思わせる三十半ばの青年が、長身を折り曲げるようにして居間から顔を覗かせた。
「タカミチ、帰っていたのか。今日は、会社は?」
メディはおくすりの袋を後ろ手に隠すと、何気ない調子で訊ねた。
タカミチはいつものスーツ姿ではなく、上下ジャージのラフな部屋着になっている。
頭にタオルを巻いて、何か作業をしていたようだが……。
「辞めてきた」
「え」
メディは思わずおくすりの袋を取り落とした。
「な、なぜそんなことを……?」
「アパートも引き払うつもりだ。ほら、今は荷造り中」
たしかに廊下には見慣れない段ボールが積み上げられているが……。
「まままままさか……?」
タカミチまでもが自分のようにおかしくなってしまったのだろうか。
メディは真っ青になった。
「タカミチ、悪いことは言わない。明日一緒に病院に……」
「そうじゃないよ、メディ。僕は何もおかしくなったわけじゃない。基本に帰ろうと思ったんだ。君の負担を軽くするためにもさ。僕と君の出会った場所に……ってわけにはいかないけど、せめて雰囲気だけでも似た場所でしきり直そうって。なあ、メディ」
タカミチは言った。
見る者の心を落ち着かせるいつも通りの優しい笑顔で、こちらに手を差し伸べながら。
「こんなごみごみした都会は離れて、僕の田舎で一緒にスローライフをおくろうじゃないか」