ヒミツガールズ・トップ・シークレット(3)
そう。話の流れから推測すれば、昨日俺が目の当たりにしたあの男の超人的な速さや力も、おそらくはそのオーバードライバー、によるものだろう。
それなら、あいつは何故、蕾香さんと戦っていたのか。
オーバードライバーは正協の人間が使う為の物らしいから、その理屈が合わなくなってくる。
「そうだね。その理由を今から説明させてもらうんだが……ここからが、本題と思ってもらいたい」
藤波さんの、声のトーンが変わった。
「……今から、二年程前。正協を運営するシステムが完成して、いよいよ本格的な組織としての実働試験が始まろうとしていた矢先に、ある事件が起きたんだ」
何か良からぬ方向に話が動いていくのが、その表情からも読み取れた。
「完成していたオーバードライバーの丁度半分の数と、その開発者が突然、行方不明になった。そして、国民のF抗体の保有データのみがデータベースから抹消され、正協の管理していたものも全て消失してしまったんだ。外部からのテロ行為かという疑いもあったが、違った。調査してみると、どうやらその開発者自身が、自らオーバードライバーを持ち去り、データベースにも干渉したということが分かったんだよ」
……持ち去った?半分?どういうことだ?
いや、でもそれって、かなりの大事だよな。
「当然、大問題さ。明るみになれば、国家の信用に関わる致命的な不祥事だからね。僕たちは極秘の調査を命じられ、任務に当たっていたんだが……」
藤波さんは俺の目を見据えて言う。
「それからしばらくして、現場の状況からオーバードライバーを使用した人間が起こした、と思われる事件が度々発生するようになった。これが、どういうことか分かるかい?」
……どうやら、話はますます悪い方に流れていっているらしい。
「犯罪者に、売られたってことですか?」
「売られたかどうかは分からないがね。ただ、本来持つべきではない人間の手にオーバードライバーが渡ってしまった、と言う事実は確かだろう。そして、その誰かを特定するのが困難なケースも出てきたんだ。国民全員が漏れなくデータベースに登録していたという訳ではなかったし、データの復元も未だに大半が終わってはいないからね」
……つまり、日本のどこかに素性の知れない人間離れした犯罪者の人が居る、と。
何とも、危なっかしい話だな。
「その事態を受けて、正協は本来の計画を凍結し、オーバードライバーを犯罪に利用する人物、『アンダーヒーロー』と呼ばれる者たちを検挙し、同時にオーバードライバーを回収すると言う任務を最優先に活動していく事になった。昨日君が遭遇したのは、佐山秀吉。アンダーヒーローの中では一、二を争う実力と実績を持つ、『出前迅速・正確無比・明朗会計』がモットーの、裏稼業に身を置く人物だよ」
どうやら、俺が最初に会ったのはいきなり大当たりのやつだったらしい。クジ運は今までそんなに良くはない方だったんだが。
「……大変ですね」
そりゃそうだろう、と言われそうだが、そんな分かりきった言葉しか出て来なかった。
「ああ、全くだね。しかし、そんな中で『不幸中の幸い』と言えるのかは分からないが……、このオーバードライバーは国内のみでの運用を目的としていた為、海外では起動することができないように、複数の管理者によって厳重なプロテクトが掛けられているんだ。もしも、日本から国外に持ち出して無理に起動したり解析しようとすれば、機密保持のためにプログラムと本体が自壊する仕掛けになっているから、今のところ世界中にその範囲が広がる危険性は少ない、と考えられる」
確かに。こんな話が世界規模に繰り広げられたとしたら、もうお手上げじゃないかと思ってしまう。
「もう一つ幸いなことは、アンダーヒーローには変わったルールがあるということだ」
「ルール……ですか?」
「この正協という組織は発足してまだ日が浅く、発展途上の段階なんだ。現時点で正協の本部というのは、オーバードライバーの研究所がある、ここ稲荷野市に置かれている。あとは支部が数件、といったところかな。そして何故か、彼らアンダーヒーローたちも、この稲荷野市を中心にするように集まって来ていて、稲荷野市及びその周辺地域において行動している、ということが確認されているんだよ」
確かに、それは変わってるな。それぞれが散り散りになって、どこかもっと遠くにでも行ってしまえば悪事も働きやすいだろう、と言うのは俺にも分かる。
というか、正協の本部ってそんなに近くにあるのか。
そんな場所はあっただろうかと少し頭の中に地図を広げてみたが、堂々と看板は出していないだろうと思い、考えるのをやめた。
「それは……どうしてなんですか?何か、理由とか」
とりあえず、前者についての疑問を聞いてみた。
「まだはっきりとした理由は分からない。ただ、彼らにはそういう規則のようなものが幾つかあるらしい、というのは過去に検挙したアンダーヒーローから聴取した情報として把握している。つまり、そうだね。今までの話をまとめて簡単に言ってみれば……」
藤波さんは一呼吸置いて、
「君の住んでいるこの街は、今日もどこかで正義のヒーローと悪の超人が人知れず戦っているという、何とも困った場所になってしまった、というわけだ」
そう話を締め括ると、オーバードライバーの入ったケースをポケットに戻した。
正直、まだ現実味は湧いてこない。
でも、これが全くの嘘ではないことも分かっている。のだけど。
「あのさ……、朱川さん」
俺は蕾香さんに声を掛けた。
「うん?」
「朱川さんは何で、正協……に入ったの?」
そう。これだけは聞いておこうと思った。
普通、こんな話を聞かされたら、自分から足を踏み入れようとは考えないんじゃないだろうか。
「うーん……そうだよね。当然、危なそうって気もしたけど、でも……」
「……うん」
「正義の味方って言葉、そんなに悪くないなって思って。だって、やっぱりさ……カッコいいでしょ?」
「…………そっか」
ちょっと照れたような笑顔とその言葉に、何となく納得してしまった。
いつも、蕾香さんはこんな風によく笑う。
そしてそれは、俺が彼女のことを好きになった理由の一つでもある。
そんな顔をして言われたら、そう返すしか選択肢が無くなってしまった。
「……さて、真壁周平くん」
藤波さんが、改めて俺の名前を呼んだ。
「君にはこれから、二つの選択肢を選んでもらいたい」
さっきまでとは違う、淡々とした業務的な口調で言われて、少し戸惑ってしまった。
「今まで君の他にも、こういう『出会ってしまった』ケースは何件かあってね。そういう人には、こんな風に事態の説明をしてから、これからどうするかを決めてもらっているんだ」
「……はあ」
どうする、か。
と言われても、その見当は付かなかった。
「一つ目は、今ここで聞いたことを誰にも話さない、記録にも残さないと誓約し、また明日から普段の生活に戻るというものだ。守秘義務、というものだね」
……なるほど。まあ確かに、そんな約束でもしておかないと、こんな出来事はあっと言う間も無く世間に知れ渡ってしまうだろう。もとより、誰かにあれやこれやと話して回ろうなんて気は最初から無いが。
「もしも、その誓約を破った場合、その時点で君はこのアンダーヒーローの件について、国家に『守られる権利』というものを放棄したと見なされる。君だけじゃなく、君のご家族もね。つまり、今後どこかでそのような輩に襲われたりしたとしても、僕たちは一切それには関与しない、と言う事さ」
と思ったら、何か、さらりとすごいことを言われた。
「誓約違反をした場合は他にもペナルティがあるんだが……主にそれが、対象者が背負うリスクということになるのかな。君はもう知っているだろう?得体の知れない不特定多数の悪のスーパーマンが、この国の極めて近い場所に実在してしまっているという事実を。……まあ、そういうことだよ」
藤波さんは笑顔だった。
業務的な作り笑いとは思えない自然な優しい表情が、なおさらその言葉の威圧感を鋭く感じさせた。
でも、俺も特に異論は無い。黙っておけばいい話だろうし、書類が必要なんだっていうなら、ハンコの二、三個くらい押したりもするさ。
「ああ、それと……」
ん?まだあるのか。
「その場合、僕たち正協の人間との接触も、極力避けてもらうことになる。蕾香くんと君はクラスメートだが……これも規則でね。申し訳ないが」
え。
えええええええ。
いや、ちょっと待ってくれ。話が違う!!
それは困る。
とても、困る。
言えないけど、困る。
「言葉を一切交わしてはいけない、というほど厳しいものではないが……彼女たちとの会話は挨拶程度に止めておいてほしい、というところかな。それが一つ目の選択肢だね。そして」
「もう一つは、何なんですか」
気が焦って思わず食い気味に聞いてしまった。
いや、だったら次は、という心境にもなるさ。
深く考えなくても分かる。これから先、蕾香さんによそよそしい態度を取って、よそよそしい態度を取られて生活しろと言われて、素直にはいそうですかとは、俺は言えない。
藤波さんは少し意外そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、
「……二つ目は、それとは真逆の話でね。つまり君が、正協の協力者になる、というものさ」
……協力者?それはつまり、俺も一緒に敵と戦え、ということだろうか。
「生協のメンバーをサポートし、アンダーヒーローの検挙、オーバードライバーの回収という任務を共に遂行する。要は、そのお手伝いをしてもらうということだよ。勿論、守秘義務を含む誓約は守ってもらった上でね」
お手伝い、か。ふと、野球部やサッカー部のマネージャーを思い浮かべたが、多分違うのでその考えはすぐに振り払った。蜂蜜に漬けたレモンを作って、洗いたてのタオルを渡す、ということでもないだろう。
「と言っても、当然危険な場所や場面に遭遇する場合もある。……昨日のようにね。それ相応の覚悟は、必要な仕事だ」
そして、藤波さんは最初に話した時のような、穏やかな表情に戻ったかと思うと、
「まあ、僕は普段の生活に戻る方をお勧めするよ。大丈夫さ、君が誓約を破ったりしない限り、僕たち正協は一般市民を守る義務があるからね」
明るい口調で言った。それが当然だ、というような口ぶりで。
「うん。あたしも、それでいいと思うよ。無理に危ない橋を渡らなくたっていいと思うし。……真壁くんとは、あまり話せなくなっちゃうけど、ね」
蕾香さんも同じ意見のようだ。そう言ってくれるのはある意味嬉しいような、同時に寂しいような……。
いや、
でも。
「手伝います」
俺がそう言うとは思わなかったらしく、蕾香さんも、藤波さんも、聞き間違えたかのような顔でこっちを見た。
三杯目のお茶を煎れようとしていた石沢もその手を止めて、じーっと、俺の顔を見ていた。
「俺にも、手伝わせて下さい」
もう一度はっきりと言うと、藤波さんはゆっくりと口を開いた。
「……良ければ、動機というのを、聞かせてもらえるかな?」
え、動機?ああ、理由か……。
しまった、そこまでは気が回らなかった。
慌てて頭の中の真っ白い空間に言葉を探そうとするが、なかなか都合良くは出て来ない。
とは言え、このまま時間を掛けて黙っていても、何も考えていないというのがバレてしまう。変な汗も出てきた。
ええと、何かないか、何か……。
「あ……」
何だ。何があるんだ。
「…………憧れてたんです。昔から、正義の味方とか、ヒーローっていうものに。いつか、自分もそんな風になりたいって、そう思ってました。だから、その……やらせてほしいんです」
長年の夢だったことを真剣に胸を張って語る、というような顔をしていた。と思う。
……ああ、やらかした。やらかしてしまった。
しかしまさか、『実はそこに居る好きな女の子と話せなくなったりするのが嫌なんです』と、馬鹿正直に言うわけにもいかない。
仮にそう言ったとして、もしこの流れで玉砕でもしてしまった時は、それは失恋の場面としては、あまりにやるせないし不本意すぎやしないか。
それに、そもそもどちらかと言えば、ヒーローが活躍するような話よりは、あまり事件が起こったりせずにほのぼのと日々が過ぎて行くような物語に浸っている方が、俺は好きなのだ。
一瞬頭に浮かんだ言葉に、藁をも掴む気持ちと言うやつで乗ってはみたが、見事にそのまま沈没した気がする。
「ふむ……そうか」
藤波さんは深く頷くと、
「では、真壁周平くん。君には正協の準メンバーとして、所属してもらうということでいいかな?手続きに必要な書類等はこちらで用意して後日お渡しするよ」
切羽詰まった上で出てきた台詞に納得されてしまったのか、それ以上動機について深く聞かれることもなく、どうやら俺は正協の協力者になる、という方向で決まったようだ。
「協力、感謝するよ。改めて、これからよろしく」
藤波さんが手を差し出してきたので、俺もそれに倣い、握手した。
「あ、よろしく、お願いします……」
しかし……一つ目の選択肢の条件を回避する、という理由を最優先にしてこういう結果になった訳だが、本当に俺にそんな仕事が出来るんだろうか。
この先のことを想像してみたら、急に不安になってきた。
「ふうん……何か真壁くんって、結構熱い人だったんだね?ちょっと意外だったよ」
蕾香さんにそう言われて、『そうだね、俺も自分で言ってて意外どころじゃ無かったよ』と口に出してしまいそうになったが、
「ああ、うん……好きだったんだ、そういうの」
なるべく平静を装いながら、そう返しておいた。
何せ、一番本当の理由を言えない相手だからな。今は。
「……お仲間」
今度は石沢が手を差し出してきた。
同じように倣って、相変わらずポーカーフェイスのその手を握ると、藤波さんとは違う柔らかい感覚があって、ああ、女の子なんだな、と思ってしまった。
「……オーケー」
握手を解くと、石沢は親指を立てた手を俺の前に突き出した。
何がオーケーなのかはよく分からないが、何にせよ、これからはよく顔を合わせることにもなるだろう。またコブラツイストは、掛けられないといいんだが。
「おっとそうだ、もう一つ説明しておくよ」
帰り支度をしていた藤波さんが思い出したように俺の方を見て、
「君の通っているこの学校、稲荷野市立狐塚高校というのも、僕たち正協の支部として登録されていてね。組織に所属する高校生のメンバーの拠点として機能しているんだ」
また新しい事実を俺に話してきた。それまでの話と比べると大して驚きもしなかったが、そもそも普通の高校でもなかったのか、この学校は。
「当然、そのことを表に出して活動する訳にはいかないからね。部活動の一つ、という扱いでこの場所は存在している。君にもこの部に所属してもらった方が何かと都合がいいんだが……問題はないかい?」
「部活、ですか?ええ、まあ……」
クラブにも入ることになるのか、いろいろ大変だな、という考えと同時に、だからこの資料室にはこんなに自由に物が置かれているのか、とも思った。
国家機関公認の部、ということなら、多少の融通も利いたりするんだろう。
「……あの、朱川さん。ちなみにどんな部なの?」
「うん、ちょっと待ってね。……えっと」
すると、蕾香さんは壁際の棚から一枚の紙を取り出して、俺の前に置いた。
見ると、どうやらそれは入部届だった。
そして、
「人呼んで……国家正義保安協会、
狐塚高校戦闘請負人。
然して世を偲ぶ仮の姿……、
『狐塚コンコン倶楽部』にようこそ、真壁くん!」
今日一番の、笑顔でそう言った。
………狐塚、コンコン、倶楽部………。
今日一番で、衝撃を受けた言葉だったかもしれない。