表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エブリデイ・コンバット  作者: 風増
2/6

ハード・デイズ・ナイト(2)

「…………それでは」


 そして、数秒間か、数十秒間か。

 蕾香さんの堂々とした自己紹介を聞いて、棒立ちになっていた俺を我に返したのは、佐山の声だった。


 奴は身を低く屈めて顔を伏せ、丁度クラウチングスタートのような態勢になったかと思うと、そう言い終えるかどうかというところで、そのまま蕾香さんの居る方向、つまりこの位置からだと斜め上の空中に、まるでロケット花火が打ち上がるようなスピードと勢いで…………『飛んで』行った。


 既に現実離れしたところを見せられていたせいか、そのこと自体に対する驚きは少なかったが、次に俺が思ったのは、そんなのがそんな速さで飛んで行ったらどうなる。

 危ないな。うん。


 いや、だから、



 蕾香さんが、危ない!!!!



 ということだった。


 視線を二人の方に向けると、佐山はさっき俺に近付いた時と同じように一瞬で彼女との距離を詰め、居合い斬り、というのか、力を溜めるような構えで傘に手を掛けている。

 だから、何をどうしてあんな動きが出来るんだよ、あいつは。


「朱川さん!!」


 思わず、俺は叫んでしまった。


 当然というか、断っておくが、俺は実際に彼女のことを名前で呼んだことはない。クラスの他の男子たちと同様に、彼女のことはそう呼んでいる。

 大体そんなフレンドリーに話し掛けられていれば少しくらいは……。


 いや、それは今はいいとして、とにかく、このままでは蕾香さんが斬られてしまう。いや、斬られてたまるか。


 どうなる。どうする。どうしたらいい?


 奴の腕が揺れて、動く、と思った時には、その刃は既に振るわれていたようで、俺は思わず目を閉じてしまった。


 直後、何かが切断された重く、鈍い音がして、それが聞こえたと思ったら何故か息が出来なくなって、感情が容量を超えてしまったのか、思考回路が止まった。



 そんな、


 まさか。


 嘘だろ?


 なあ。


 なあ?



 何が起こったのか、見たいとは思わなかったが、目を開けるしかなかった。


 そして、虚脱感とすぐさま叩きつけられた光景を前に、一気に胸を締め付けられ、俺は…………。


 …………しかし、場面は想像してしまった血みどろなものとは、違う展開を見せた。


 佐山が刀で斬り捨てたのは、蕾香さんが立っていた後ろにある、遊具に幾つか取り付けられた屋根の一つだった。

 彼女の姿は、その場所からは既に消えていた。


 なら、どこだ。


 答えはすぐに分かった。


 影がちらついて動いた、その上だ。


 奴の頭上数メートル、蕾香さんは空中にその体を翻し、ゆっくりと体勢を立て直していた。


 スローモーションに見えたのは俺の気のせいだろうが、月の光を浴びながら、赤いマフラーをふわりとなびかせて弧を描く彼女の姿は、まるで水槽の中の熱帯魚が鮮やかな尾ひれを漂わせるようで、今はそれどころじゃないが、とても綺麗に見えた。


「バーニング…………ブリザード…………」


 そう言いながら、蕾香さんは頂点から狙いを定め、今度は彼女の方が力を溜めているような構えを見せる。

 そして、



「イ、ナ、ズ、マ!!!!キーーーッック!!!!」



 力強く叫んでそのまま自由落下、あるいはそれ以上とも言えるようなスピードで、佐山に向かって足元から飛び込んでいった。


 格闘ゲームなら、その爪先辺りに派手なエフェクトが掛けられそうな力強い蹴りは、どうやら火と雪と雷を混ぜた三色パンみたいな名前が付けられているようだったが、まず俺が一番に思ったのは、最後が何故日本語なのかはひとまず置いておいて、


 技の名前先に言っちゃったらダメだ!!


 ということだった。


 そういう発想になってしまうということは、俺はテレビに出て来るヒーローには不適格なのかもしれないが、それについて深く考える暇も無く、蕾香さんの反対側からは刀を構え直していた佐山が、遊具を足場にして、再び迎撃するかのように突っ込んでいった。


 影が一直線に交差して、あっという間に衝突する、両者。


 瞬間、何かが何かにぶつかって、何かが壊れるような鋭い音。


 そして、その音に伴う衝撃を周りに散らしながら、空中で弾けるように、二人は離れた。


 おそらく、そこまでが数秒間の出来事だっただろうか。


「……いよっ、と、……っと」


 長い滞空時間を取りながら、くるりと後方に一回転して、蕾香さんは軽やかに着地した。


 当然だが、俺にはとにかく彼女の方が気になっていた。

 見れば、凛とした顔のまま、未だ臨戦態勢なのか、構えは解いていない。ケガは……していないようだ。とりあえず、安心した。


 それなら、もう一人の方は。


「……おやおや、これは……。やはり、少し相手が悪かったでしょうか」


 蕾香さんの反対側、10数メートル程向こうで、佐山もまた、何でもないような顔をして立っていた。

 ただ、違っているのは、奴の手に在る刀身は付け根から半分辺りのところで、叩き折られたような状態になっている。荒く断ち切れた折れ口が、衝撃の強さを物語っているようだった。


「そのセリフ、本当だったらいいんだけどね。これくらいで終わりなら、苦労しないんだからさ?」


 蕾香さんは、まだまだ余力十分、といった感じだ。


「いえいえ……これはとても困った状況ですよ。何か良い解決策はないかと、今考えているところでして……。ここでこうしてあなたと長々と戦っていては、じきに他の方々もやって来てしまいますから」


 困った、と言いながら全く動じていないように聞こえるのは、おそらく気のせいではないだろう。

 こいつにとって、この事態は特に大した問題でもない。

 しかし、それよりも気になったのはその後の言葉だった。


『他の方々』って、誰のことなんだ。


 果たして、心強い味方なのか。それとも、より厄介な新しい敵なのか。


「うん、ならいっそのこと、大人しく捕まっちゃったら?」


 蕾香さんが佐山と同じく、軽い口調でそう提案すると、


「そうですねえ……。それもまた一興、と言いたいところですが、まだ少し、仕事も残っておりますので」


 佐山は何かを確認するように頷く。……ということは、この状況はまだ続くことになるのか。

 いや、また今みたいな展開になるのは勘弁してほしいんだが。次に二人がぶつかり合った場合、同じように蕾香さんが無事であるとは限らない。


「確かに、今ここで早々にあなたと決着を付け、ここから立ち去る、というのは結構な難問です。難問ですが…………」


 そして、さっきの衝突で出来たシャツの皺を整えながら姿勢を正し、蕾香さんの顔を見据えると、



「ここから立ち去るだけ、ならば出来そうですかね?」



 そう言い終わる前に、佐山は手に持っていた傘の、今度は『傘』の方を広げて、『俺』に向かって投げ付けてきた。


「なっ!?」


 再びこちらに狙いを付けてくる、ということを考えに入れていなかった。


 唸りを上げて、高速で回転しながらこっちに迫って来るそれは、まるで独楽、いや、まるで重量感のある電動ノコギリのようで、とりあえず、当たればただでは済まないどころか、下手をすれば短い生涯にピリオドを打たれそうな、そんな無慈悲な勢いを伴っていた。


 とにかく、避けないと。


 どっちに?どっちでもいい。


 というか、これは…………、


 間に合わない。体を動かしても、この速さからは、まず逃げ切れない。

 数学の問題にはいつも手こずる頭のくせに、こんな時だけはその計算の答えを、速やかに弾き出した。

 これは、今度こそ、まずい。


 死?


 死ぬのか?俺は?


 どすっ、と視界が大きく揺れる衝撃を体に受けて、俺は、ああ、終わった。と思った。


 …………しかし、あれ、何だ、致命傷を追った時というのは思った程痛いものでもないんだな。限界を超えた痛みは脳がシャットダウンしてしまうとは聞いたことがあるけども。意外にふにふにと柔らかい感じで…………。



 ふにふに?



 人生が終わったと思ったのは、俺の思い過ごしだった。さっきから一人で間違ってばかりだが。


「大丈夫?」


 その声で、今の状況が理解出来た。俺の体は、蕾香さんの腕の中にあった。

 言い換えれば、蕾香さんは俺を抱き抱えた状態で、俺の顔を覗き込んでいた。


 距離が……距離が、とても、近い。


 思わぬ展開に、助けてくれたということに気付くのが少し遅れてしまったが、いや、しかし、これは……この状態は……、


 これは、世間で言うところの、『お姫様抱っこ』、と呼ばれるやつではないだろうか?

 いや、されてるのは俺なんだから、この場合は『王子様抱っこ』、になるのか?


 いや、そういうことじゃないんだ。そういうことじゃないんだ!!


 ここは素直に喜んでいいのか、それとも情けなさに身悶えればいいのか、こういう時どんな顔をすればいいのか分からない俺は、おそらくどうとも言えない表情になって、上手く言葉が出て来ないまま、蕾香さんの顔を見上げていた。


「ちょっと今のは危なかったね。ケガ、してない?」


 ただ、間近で見る彼女の顔と彼女の匂いに、もう少しこの状況が続かないかな、と思ってしまったのは、否定しようの無い事実だったが。




「でも、こんな偶然もあるんだね。たぶんさ、結構な確率じゃない?」


 さっきまでの激闘の現場から離れた、自販機が隣にあるベンチで、俺と蕾香さんはジュースの缶を片手に話をしていた。


 飲み慣れていた炭酸の味が格別に美味く思えたのは、死の淵から舞い戻って来れたことと、隣に恋愛対象の女の子がいるエトセトラという、相乗効果によるものだろうか。


 やはり、佐山は蕾香さんの注意を俺に逸らしている間に、姿を消してしまったらしい。

 何だかそれが彼女の足を引っ張ってしまった気がして、そのことについて俺が謝ると、


「真壁くんが謝ることじゃないよ。でも、無事で良かったね。だって……」


 蕾香さんはどこか安心したような顔をしていた。そして正直、そんな風に言われた俺はもしかしてのもしかして万馬券が来るのか、と勝手に予想して少し舞い上がってしまった。

 有り体に言うなら、この女の子は実は俺に気があるのではないだろうかという、そんなようなことだ。


「クラスメートがケガとかしちゃってたら、寝覚めも悪いもんね」


 だが、続けざまにそう言われて、俺の春は夏を飛び越えてあっという間に秋を迎えた。

 ……まあ、考えてみれば今まで特に接点も無かった訳で。それは、そうだ。焦るな、俺。


「でも、こんな時間に何してたの?学校、午前中で終わってたのに」


「ああ…、ちょっと、(みな)()の家に行ってて」


 と、同じクラスの友人の名前を出して、ついさっきまでは普段通りの日常の途中だったんだな、と思い返した。


 命を狙われた上に目の前でハイパーバトルな展開なんてそうそう出くわさないし、勿論今まで出くわしたこともない。俺の人生経験の中では、間違いなく金メダル級の事件だろう。


 話の出だしはそれなりだったが、二言、三言交わすうちに、だんだん二人きりという状況に緊張してきたのか、また言葉が出て来なくなってきた。

 何となく、このまま会話が終わってしまいそうな気配を感じて、俺は、これだけは知りたかったことを口にした。


「朱川さんは……、何、してたの?」


 我ながら間抜けな質問だ。もうちょっとましな聞き方はなかったもんだろうか。


「あたし?……えーと……」


 蕾香さんは言葉を選んでいるようだったが、少し考えた後、


「うん……あのさ、明日、放課後に旧棟の、第二資料室に来てくれる?そこで、詳しく話せると思うから」


「え?あ、う、うん」


 俺が答えると、蕾香さんはおもむろにベンチから立ち上がった。何だか知らないが、これはつまり、明日の放課後に約束が出来たということで、喜んでもいいところなんだろうか。


「それじゃ、また明日、だね。……あと、さっきここであったことは内緒だよ。いいかな?」


 腰の辺りに両手を添えながら、まだ座っている俺の顔を真っ直ぐ見てきたので、少し慌てた。再び、距離が、近い。


「あ、うん……分かった。あの……さ、朱川さん」


「うん?」


「……お疲れさま」


 だから、言われなくても我ながら間抜けなセリフだと思っている。言ったそばから頭をグシャグシャやってうずくまりたくなった。


 すると、蕾香さんはたまらず噴き出したように笑い出すと、


「ありがと。真壁くんも、お疲れさま!……それじゃ、もう行くね。あ、今度は寄り道しちゃダメだよ!」


 そう俺に忠告して、蕾香さんは背を向けたかと思うと、時代劇の忍者が闇に消えるみたいに、颯爽と走り去って行って、その姿はすぐに見えなくなった。


 この場に残った彼女の匂いが夜風で薄れてくると、これは時差のある白昼夢みたいなものじゃないかと少し思ったが、さっきよりは遠くにある、佐山が斬り捨てたあの遊具の屋根のシルエットを眺めながら、やっぱりこれが現実なんだなと実感する。

 そう言えば、どうするんだろうな、あれ。


 そして、蕾香さんと二人で話したことも、それもまた、現実だ。

 何にせよ、今日の出来事は忘れることは無さそうだな、と思った。


「あ」


 忘れていた。


「自転車……」


 まだ遠い家路を歩いて帰ることを考えたら、途端にどっと疲れがやって来た。やれやれ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ