ハード・デイズ・ナイト(1)
簡単に言うと、
朱川蕾香さんは、俺が好きになった、
『正義のお姉さん』兼、クラスメートだ。
いきなりお前は何を言っているんだ、とお思いだろうか。
しかし、今、俺の目の前で彼女自身がそう宣言したのだから、それはそういうことらしい。
朱川蕾香さんは現在、艶のある長い黒髪と、今朝教室で見たのと同じように、制服とスタンダードなスニーカー、そして、特撮変身ヒーローの元祖みたいな人が付けていた、赤い、いや、黒いマフラーみたいなやつをなびかせ、これまた特撮戦隊ヒーローの真ん中の人みたいに堂々としたポーズで、夜もとうに更けた公園の、作りの新しい遊具の上に立っている。
そして、朱川蕾香さんのバックには、丸く明るい月の光が丁度、舞台照明のようなポジションで彼女を照らしていた。
何回もフルネームを出さなくても分かったよ、とお思いだろうか。悪い。
何分今の状況が掴めていないのと、随分今の状況が信じられていないので、つまりは身の回りがなんともバタバタしていて、頭が上手く回らなくてそんな言い回しになってしまっている。
何せ、ついさっき、俺は命を狙われて『死』を覚悟させられたばかりなのだ。
少し話を整理しよう。
この児童公園には今、俺と蕾香さんが居る。
周りを木々に囲まれた、日中なら人も多いが、夜にもなれば打って変わって、ひっそりと静かになるような場所だ。
それだけなら俺にとっては正直理想的な場面なのかもしれないが、ここにはもう一人別の人間が、居た。
細身の中年の男で、服装の感じから推察すればおそらくは会社員か、スーツを着て働く職業の何か。
小ざっぱりとした髪型で小綺麗な眼鏡を掛けた、性格も生真面目そうで、あまり目立つようなタイプには見えない。第一印象はそんなところだ。
そして、俺はこいつに殺されそうになった。
男は手に傘のようなもの、を持っていた。
いや、誰だって傘だと思うだろう。俺も当然普通の傘だと思ったが、違った。
両手に分けて携えている柄の方の先には、持ち主と同じく細身の、世間一般に『刀』と呼んで差し支えないものが、鋭く無機質な光を放っていた。
高校生活最初の試験期間が終わり、ここしばらくの呪縛から解放されて友人の家で遊んでいたらつい長居してしまい、宵闇の中を自転車漕いで帰る途中、人気の無い場所で見知らぬ人間に出くわして、目が合ったと思ったらゆっくりとした手つきでそんな物を出されて、ゆらり、とこちらの方に向かって来られたら、どうだろう。
それはちょっと、いや、かなりハイレベルで怖い状況ではないだろうか。思い返したらまた身震いした。
更に付け加えさせてもらうと、男の身体能力のそれは、明らかに常人を超えたものだった。
これはまずい、実にまずい、と動物的な直感に従って退散しようとした俺が即座に自転車を停止させ、180度切り返して再び漕ぎ出そうとした時には、どういう訳か男は既に俺の真正面に立っていて、その刃を振りかざしているところだったのだ。
これが週刊少年誌のバトル漫画なら、俺は残像をその場に残して男の背後に回り込んだりもするんだろうが、実際は間抜けな声で「何で!?」と言おうとしたその「ん」ぐらいのところで、男の腕は一閃し、愛車である年代物の実用自転車の前部は、深夜に観た何かの通販番組でスッパリと切られたトマトみたいに、あっさりと両断された。
千歩譲って刀だというのは分かるとして、それが斬鉄剣の類だとは聞いていない。台所にあったらさぞ難儀するだろう。
無音。
当然そんな筈は無いだろうが、自転車の金属が断ち切られた音も聞く余裕が無かった。
男とまた目が合い、何か言葉を掛けられたのが聞こえて、そこで耳が正常に働いているのに気付いたくらいだった。
「いやいや、突然失礼しました……。何と言いますか、間が悪いですねえ、お互いに」
少し困ったような顔で穏やかに、男は言った。
もっとも、それでこの場の空気が和んだりすることはなかったが。逆に、その平然とした口調が不気味さと恐怖感を増大させた。
大声を上げて助けを呼ぶ、というのがこういう場合の模範的回答なのかもしれないが、目の前で起きた光景を前にして、そんな考えも頭から飛んでしまった。
海の中で鮫じゃなく、ジェイソンだかフレディだかに遭遇した場合、こんな感覚を覚えるんだろうか。
何だったら、エイリアンでもプレデターでも液体金属の方のターミネーターでもいい。
「いえ、実はですね、私、これから取引先に向かおうかというところなんですが……」
男は何やら事情を説明しだした。
別に、この場から速やかに帰らせてもらえるなら、理由なんかどうだっていいんだが。
「仕事の前には極力人目を避けるように、というのが我々のルールなんですが、私、ついうっかりしてしまいまして、いやはや、面目ありません。……と、いうわけでですね、君」
何だ、金を出せとか、そういう要求だろうか。多分、今財布には二千円も無いと思うが。
「重ね重ね失礼ですが、ここは一つ、斬られては頂けないでしょうか?綺麗、さっぱりと。人助けだと思って」
ああ、そうですか。そういうことでしたら。
ああ、もし出来たらあまり痛くないように……。
違う、違う。どうあってもオーケー出来るか、そんなもん。
頭の中を、頭の悪い考えが結構なスピードで駆け巡っていく。
もしかすると、俺、死ぬのかな。
扉も窓も何も無い部屋に閉じ込められたような、そんな時だった。
「はい、そこまで!」
不意にどこからか、声がした。
凛としてよく通る、そして何故か、聞いたことのある声。確か、今日も。
「それ以上の狼藉は、このあたしが見過ごさないんだからね!」
さて、その声のする方向に目を向け、月の光に映し出されたその顔が、
もしも同じクラスの女の子で、
尚且つあわよくばお近づきになりたくもあり、
いつかは自分が思っていることを伝える時が来るんだろうか……などと考えている相手と同じだった場合、
はたしてどうするのが正解だろうか?
……まあ、普通は固まるよな。だろ?
少なくとも俺はそうだった。既に別件で体はガチガチに固まっていたところだったが。
腕組みをして、遊具の上から俺と男を見下ろしている少女。
それが誰あろう、蕾香さんだった。
「んー、コホン……一目合ったその日から、あ……ん?あれ……?君……」
蕾香さんが、俺の方を見て何かに気付いたようだった。というか、今何を言おうとしたんだろうか。
「……真壁くん。だよね?」
どうやら、俺のことが認識出来たらしい。
曲がりなりにもクラスメートだから、とも思ったが、名前を覚えてくれていたことに少しほっとした。
今まであまり喋ったことも無かったからな……。
ああ、俺の名前だが、真壁周平と言う。一応覚えておいてくれ。
「やっぱり、そうだ。……んー、もしかして、そっちの人とは……お知り合い?親戚さんとか?」
そう言われて一瞬何の話かと思ったが、いや、断じて違う。例え知っていたとしても、こんなジャンルの人間と好き好んで関わり合いたくはない。
あらぬ誤解はさっさと解かねばと、気が付けばカラカラになっていた口を開いた時、
「ああ、いえいえ。全くの初対面ですよ。さっき偶然、鉢合わせしてしまいまして」
男が割って入ってきて、俺の代わりに状況を簡潔に説明した。
そして、
「ええ。ところで、失礼ですが……私、あなたのお顔は何度か拝見したことがありましてね……。確か、朱川……蕾香さん。で、よろしかったでしょうか?」
そう続けた。赤の他人だということが伝わったのは手間が省けたが、さらっと何を言っているんだ。
何でこいつが、蕾香さんの顔も名前も知っている。
「うん、合ってるよ。ふーん、そっか。まあ、こっちもそちらさんのことはよーく知ってるし……お互い様だね。」
しかし、当の蕾香さんは特に驚いた様子も無く、一息入れると、
「出前迅速人斬り稼業、ランク『特級』、佐山秀吉!!」
と、男に向かってビシッと、指を差した。
出前、迅速、人斬り……人斬り!?
ちょっと待て、何だそのろくでもない物騒過ぎる肩書きは。どこの国の職業だ。本社は何処だ。時給は幾らだ。
「おやおや、これはこれは……、あまりいい呼ばれ方ではありませんね。どうにも物騒でいけない」
いや、あんたは間違い無く物騒だろう。
そう思ったが、 声には出せなかった。
「いやあ、それにしても、あなたのような方にまでお会いしてしまうとは、これは少々、面倒なことになってしまいましたね。さて、どうしましょうか……?」
すると、名無しの辻斬り男、改め佐山と呼ばれた男は、少し考えるように俯いて、どこに焦点を合わせるわけでもなく地面に視線を落としながら、
「……まあ、全て内々に処理してしまえばいいですかね。ええ」
口元に笑みを浮かべて、やはり穏やかに言った。しかし今度は、底が見えない、暗く黒い何かを含めて。
そもそも処理って、何をだ。
いや、だいたい何を指しているかは分かる。分かるが、分かりたくない。
「ああ。それでは、君とはまた後ほどにでも」
刀身をゆっくりと鞘、というか傘に納めてから、佐山は俺に向かって深々と一礼した。
それと同時に、さっきから受け続けていた重苦しい圧力が何となく解かれたような感じがした。
今は放って置いても問題無い、とでも判断されたんだろうか。
しかし、それが意味するところは、今はその視線の先に居る新たな標的、つまり蕾香さんにこいつは狙いを定めた、ということになる。
ふざけるな。冗談じゃない。
おまけに何か、その重圧が俺に向けられていたものよりも、更に膨れ上がっているように思えた。
ギアを切り換えた、とでも言えばいいのか。
とにかく、とにかくだ。
ここでこのまま、黙って見ている訳にはいかないだろう。
飛び掛かるべきか、足を抑えつければいいのか。
正直、ついさっきのことを考えると俺が何をどう仕掛けてもこいつには成功する絵が見えてこないし、恐怖心だって消えちゃいないが……、
何もしない。という選択肢は、それ以上に無い。
ええい、ままよ!と覚悟を決め、俺はいざ体当たりを仕掛けようと足を踏み出した。しかし、
「で、準備はいいの?」
俺が感じたこの佐山の変化を、蕾香さんも同じく感じ取っていると思うのだが、一向に臆するそぶりも無く、彼女は平然としていた。
それどころか、空手の構えなのか中国拳法の構えなのか、とりあえず何らかのファイティングポーズを取りながらやる気十分、という感じだった。
いや、準備って。何で迎え撃つ方向なんですか。
「どうも、お気遣いなく。いつでもどうぞ」
表面上は穏やかな笑顔を崩してはいないが、既に殺気に充ち満ちていた佐山は、そう返した。もはや俺のことは全く気にも留めていないらしい。
「よーし。じゃあ、始めよっか!……あ、でもその前に。」
すると、蕾香さんは張り詰めていた空気を一時停止するように、構えていた腕を戻し、
そして……、
「えー、コホン………
一目合ったその日から、悪の華咲くこともある!!
この世の不埒な悪行三昧、天に代わって仕置する!!
それではお相手仕りましょう、
いつ何時でも正義のお姉さん、朱川蕾香!!
よろしく、どうぞっ!!!!」
その台詞のあちらこちらにキレのある動きを交え、蕾香さんは最後にまたビシッと、いや、今度はもっとこう、ジャジャーン!!!!みたいな擬音が付きそうな勢いで人差し指を真上に掲げ、ポーズを決めた。
…………ああ、そうか。
さっきはそれを言おうとしていたのか。
…………ああ、そうか。
蕾香さんは、正義のお姉さん、なのか。
ただ俺は、変わらずその場で、呆然としていた。
事の顛末はそういうことだ。少しは分かって頂けただろうか?