兄とベッド
「兄さん重い…」
民宿のとある一室。シャンデリアや質の良い臙脂色の絨毯が敷かれた豪華な部屋にある大きなダブルベッドに若い男女が重なりあっていた。といっても事には走っておらず、男の方が女を抱きしめたまま押し潰している形に近かった。男というには青年に近く、女というには少女と呼んだ方が相応しい。未熟な少女はーー小柄ながらも身体だけは成熟しているーー男の抱擁を苦しそうにもがいていた。一方男の方はほうと熱く息を吐き、苦しそうにする少女を愛おしく更に押すように抱きしめたのだ。
「ああ、ああシェリー。なんて可愛いらしいんだ君は」
「兄さん息が荒いよ離してよ」
「そんな冷たい態度さえも俺の心は熱くなる。俺はシェリーの為ならどんな薄汚い豚にだってなれるんだ」
「いや、ならなくていいよ」
温度差がある2人の若い少女と青年は見た目は似ないものの有名な旅人兄妹だった。兄ヴァイスと妹シェリーと聞けば皆ああとすぐに分かる程この兄妹は知られていた。
その2人の見目の麗しさで騒がれたりすること、妹と話すと幸福が訪れること、兄の剣の腕前が凄く敵うものはいないこと、兄の学力は博士も驚くほど優れていること、兄の絵画の才能は素晴らしいと沢山の画家が絶賛すること、兄のリーダー性が素晴らしいこと、そして兄のーー妹への執着が凄まじい事だった。
妹シェリーは悩んでいた。自身には何の取り柄もないことを。一方兄の方は自身ができないことをカリスマ的にこなしてみせ、どんどんと周りの信頼と富を勝ち取っていく。お陰で何不自由なく旅ができているが、シェリーは自分がお荷物であると感じていた。兄と離れて暮らせばいいのだが、如何せん兄が離してくれない。むしろ磁石の様に離れないのだ。
昔はそこまで酷くなかった。しかし、シェリーが大人に近づくにつれヴァイスの目は鋭くなり周りの男と喋ることすら許してくれなくなったのだ。どんな理由でそうなったのかはシェリー本人も分からず、ただ兄の言うことを聞くしかないのだ。人目を気にせず密着するのはやめて欲しいが。
「あ、そうだ兄さん」
「なんだい?」
「今日アルに会ったんだけどね」
その瞬間、ピシリとヴァイスが固まった。シェリーはそんな兄の様子に気づかず、今日の出来事を普段の無表情より少し口角と声色をあげてーー分かる人にしか分からない変化だがーー話す。どこか嬉しそうに話すシェリーにヴァイスの表情がみるみる内に暗くなっていく。
「それでね、アルと明日会うんだ。見せたいものがあるんだって。聞いても何か教えてくれないの」
「へぇ、そうなんだ。アルってアルフレッド・マクガスだっけ?」
「うん。そうだよ」
「兄さんも久しぶりにアルフレッドに会いたいな。色々と話したいことがあるんだ。色々と」
「兄さんが?」
元々大きな目を更に大きくして瞬かせたシェリーは、兄の言葉に驚いていた。普段人と会うことや接することを自分からしない兄が、自ら求めるなんて。ただ、これは人嫌いの兄の大きな進歩かもしれないと思い呟く。シェリーの幼馴染であるアルフレッドにはヴァイスも何度か面識がある。久しぶりの再会だ。積もる話もあるのだろう。
普段は煙たく扱いながらも兄のことは大好きだし、幼馴染のアルも好きなシェリーは久しぶりに3人で遊ぶ姿を頭の中に描き明日が楽しみだと小さく笑ったのだ。肩越しに兄が歪な笑みを浮かべていたのを知らずに。






