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1部6話 優しさと名乗る狂気

 同じ頃、リーリアは自宅で熟睡していた。

 安らかな寝息を立てる姿からは強烈な身体能力の持ち主という印象は見られない。疲れたのだろう、深い眠りに入っていて、そうそう起きる事は無さそうだ。

 その間も精霊達は彼女の側に居て、その身を守る様に、あるいは守られる様に佇んでいる。同胞であるエルフであっても彼らの守護を抜けて、彼女に触れる事は出来ないに違いない。

 本人が意識を手放している為か、それは絶対的な防護だ。今ここに月が落ちてきたとしても彼女だけは生き残るだろう。彼女自身は自覚していないが、精霊達は分かっている。

 精霊が充満し過ぎた空間には異物が介入する隙間も無い。この様な場所で平然と眠る事が出来るリーリアは、魂が精霊に近いのかもしれない。


「ふ、にゅ……おじーちゃーん……えへへ」


 寝言である。普段の彼女の態度からは考えられない程に子供らしく甘えた声だった。彼女のそんな姿を知るのは精霊達だけで、幼馴染みですら見る事は許されない。

 いや、精霊達が許さない。彼らは自らの意志を理解し、受け止め、そして共に在るリーリアに依存している様に見えた。彼女が居なくなれば精霊達は大人しく山々へ戻り、ただ静かに自然を見守る事へ戻るだろう。


「ふい、にゅ……すぅ……」


 可愛らしいリーリアの寝相で布団がずれると、精霊達は慈しむ様に布団を治している。

 穏やかで、和やかな雰囲気が漂っていた。ただし、今の瞬間まで。


「…………んっ!?」


 リーリアが一瞬で覚醒し、布団を吹き飛ばす様に飛び起きた。精霊達は驚いた様に彼女から数歩程離れたが、すぐに元の場所へと戻る。

 彼女の眼はきょろきょろと周辺を見回していた。だが、部屋の中には何もない。彼女自身と精霊達の防護による物なので、当たり前とも言えるだろう。

 しかし、彼女は恐ろしくも不気味な気配を感じていた。背筋が凍るかの様な悪寒が迫り、魂にまで食らいつかんとしているのだ。

 それでも完璧に抵抗してみせた彼女は、部屋には何も無い事を確認すると同意に窓の在る方向へ飛びついた。


「これは……!?」


 窓の外の光景を見た彼女の眼が驚愕に染められる。

 邪悪な光が里の中央、丁度長老の自宅から飛び上がっていた。柱の様なおぞましい光は天空まで伸び、雲を割ってその上にまで届いている様だ。

 空気が凍り付いている。邪悪がエルフの里を浸食していき、宇宙までも壊し尽くそうと広がっていくのだ。


「……みんな! 一体何があったのか……分かる!?」


 思わず精霊達へ尋ねると、彼らは必死で首を振った。彼らはつい先程までリーリアの寝顔を楽しんでいたのだ。こんな現象が発生するなど、欠片も想像しなかった。

 そうしている間にも光は凄まじい勢いで里を照らし、輝いていく。刻一刻と、彼女の中の警報が大きくなっていく。

 しかし、その警報は光に対して向けられた物ではなかった。それ事態は驚異ではないと直感が告げていたのだ、むしろ、彼女の眼は山々の中へ向けられている。

 彼女の常識を遙かに越えた視界は、集中さえすれば山々の木々の間に居る小さな羽虫の動きすら見る事が出来た。

 その為、彼女の目は凄まじい光景を目にした。


「あれは、あれは……!」


 怪物達が、山の至る所から現れている。ある物は空間を渡って、ある物は地面の奥底から、またあるいは精霊に姿を偽装して。凄まじい勢いで里へ向かって来ている。

 怪物達は数分もあればこの里を蹂躙するだろう。その速度はまるで山から落ちるかの様だ。

 幾ら彼女が凄まじい力を持っていたとしても、これほどの数の怪物達を止める事は出来ない。所詮は人型の彼女では無理があるのだ。

 それでも、彼女の体は勝手に動いていた。


「……行くわよっ!」


 周囲の精霊達へかけ声を発し、彼女は準備を開始する。精霊の手を借りずともその背には何時の間にか弓矢が乗っていて、寝間着は一瞬で戦闘用の物へと変わった。

 精霊達は怯えている様だった。だが、リーリアは張りつめた空気のまま服と武装を整え、化け物の如き足の早さで自宅を飛び出していく。


「みんな、警戒を怠らないで!」


 遅れて付いてきた精霊達へ彼女の心配する声が響く。

 言われるまでも無いとばかりに精霊達は頷き、周囲を探る。この里の大地や住居の数々から現れ、自分の背を慌てて追いかけてくる精霊達の存在も同じ様にしていた。

 それを確認したと同時に、彼女の足が数百倍の物に変わる。視界の流れが超高速になり、代わりに物体の動きが殆ど無くなる。だが、それでも今の焦る彼女には遅く感じられた。

 実は、彼女が『奥の手』を使えば一瞬で目的地へ到達し、ついでに山中の怪物達を全滅させる事が出来る。だが、『他人も自分も大事に思う』彼女には、その選択肢を選ぶ事は出来なかったのだ。

 そんな覚悟の無い彼女の足は、自然と里の中央へ向かっていた。


「長老……!!」


 今も輝き続ける邪悪かつ巨大な光の柱は、長老の家の辺りから現れたのだから。


+


 一方。その光は男の目にも留まっていた。


「なっ……!?」


 突如現れた光の柱を見て、男の目が見開かれる。長老との話を終えた彼がそれを眼にしたのは、丁度自宅の目の前に居た所だった。少年への若干の警戒を籠めつつもドアを開こうとした瞬間に柱が現れたのだ。

 決意を秘めた彼の瞳は四散し、どこか慌てた雰囲気が現れる。しかし、それだけの反応で彼は何が起きているのかを半ば理解していた。

 だが、男の眼は揺れている。そこからは、その現象が今起きた事への強い動揺が感じられた。


「一体、いや、早すぎる!」


 彼の足は凄まじい勢いで自宅のドアを蹴り込んでいた。

 ドアは巨大な岩でもぶつかったかの様に呆気なく吹き飛び、砕けた。弓矢が得意でなくとも、精霊に嫌われようとも、彼はエルフだ。身体能力はとても高いのである。

 そんな自分に対しては何の感情も抱かず、彼は慌てた様子で家の中へ飛び込む。その姿はどこか自宅から慌てて飛び出すリーリアの物と似ている。

 自分の家のドアが吹き飛んだ事など気にも留めず、彼は一心不乱にベッドの在る部屋へ向かった。そこに少年を寝かせていたのだ。

 男の足はリーリアの様に超高速ではなかったが、鬼気迫る様子は似たような物だった。彼はすぐに部屋に辿り着き、勢い良く中に入る。

 その部屋の様子を確認して、男は盛大に顔をひきつらせた。


「畜生、あのガキっ……!」


 部屋の中には誰も居なかった。いや、先程までは居たのだろう。無駄に丁寧に畳まれた布団が少年の存在を表している。が、男にとってはどうでも良い事だった。重要なのは、少年がこの場に居ないという事実だけなのだから。

 男は一気に焦りを顔に浮かべ、風を切る音と共に壁を殴る。強い反動で腕に痛みがあったが、彼は構わなかった。

 焦燥した彼は、そのまま素早く部屋を飛び出す。冷や汗を浮かべて走る姿はとても一途で、強固で、頑固で、何より強烈だった。


「野郎、どこに行った!?」


 彼は何の躊躇も無く、山々から怪物達が降りてくる姿を見る事も無く、家を出る。爆発に聞こえてしまう程の大きな足音で、彼は必死に走っている。

 自分の命が燃え尽きてもその足は止まるまい。周囲の様子など見る事も無く、逃げていくエルフ達を認識するでもなく、彼はどこかへ向かう。

 途中で誰かが逃げる様に言った気がしたが、彼は耳を貸さずに走る。途中で誰かが侮蔑と『死にたければ死ねば良いのに、俺達を巻き込むな』という声が聞こえたが、彼にとっては他のエルフの存在など紙屑に等しい物だった。

 重要なのは、リーリアだ。リーリア以外の者など少なくともこの瞬間の男の両目には入らない。


「無事で居ろよ……無事で居てくれよ、頼むからな……!!」


 天を引き裂く絶叫の様な声を上げながら、彼は走っていった。隣に居た筈のエルフ達は既に逃げていて、もう彼の周りには誰も居ない。

 自分が今、どこへ行くべきなのか。それを男は知らない。だが、自然と足は動いている。星を輝かせる夜空が、自分を支える大地が道を照らしている様にすら思えた。

 何者かの誘導を疑う所だろうが、それがどうしたと彼は走る。利用するならばすれば良い、人形劇を楽しみたいならすれば良い、だがリーリアは死なせない。言葉にするならばそんな所だろうか。

 自分の感情を無駄にしない為に、彼はひたすら走っていく。やがて、その体は里の出口にまで辿り着いていた。


「……ここには、居ないか」


 男の言葉通り、そこには誰もいない。

 この様な事態に対して立ち向かおうとする程の強者は居なかったのだろう。自然を尊び精霊と共に歩む、そんなエルフ達の中には血気盛んに敵へと飛び出していく様な者などそう居ない。

 周辺にある家からは人の気配が感じられず、怪物達が迫ってくるという状況でもその場は静かなままだ。


「……」


 だが、男にとってはそんな事などどうでも良く、彼はただリーリアと『勇者』の少年が居ないという事実だけを理解する。

 背後の光の柱はゆっくりと消失しつつあった。しかしながら迫り来る怪物達の気配は相当に強い物となっている、精霊の見えない者でも木々が怯えている事は理解出来るだろう。

 男の居る場所から、すぐ近くに怪物達は居る。今も素早く走って光へと向かっているのだ。逃げなければ、エルフの一人くらいは簡単に殺してしまうだろう。


「……そうか、そうだよな。そうするのが私らしいな」


 男はそんな状況にあっても危機感を覚えた様子など無かった。むしろ何かを悟ったかの様な顔をして、怪物達が現れるのをじっと待っている。


 それに応えるかの様に、多種多様な怪物達が彼の目の前に現れた。



+





 超高速、それを自宅から長老の家までずっと使っていられる程に簡単な物ではない。その気になれば出来るだろうが、消耗する体力から考えても自分の身の安全を完全に捨てた策だ。

 『自分の身を捨て』たならば、話は別だが。どの道、彼女は今の所は単なるエルフだ。よって、リーリアは無理のない範囲で凄まじい速度を保ったまま目的地へ到着していた。

 精霊達もまた、遅れて彼女の側へ行く。普段なら自分に着いてきてくれる者達への労いの言葉でも出る所だが、彼女のにはそんな事を言う余裕は無い。


「くっ……!」


 代わりに、呻き声の様な物が口から漏れる。

 その視線の先では、邪悪な光が屋根を突き破って天へ伸びていた。それは長老の家だ、彼女の不安は的中したらしく、その家は見るも無惨な姿に変貌している。

 怪物が暴れた後なのか、外側からも分かる程に幾つもの穴が出来ていて、内部が微かに窺える程だ。


「長老!?」


 その奥に倒れ伏す老人の姿が見えて、リーリアの表情が一気に青くなり、両足は内心の動揺など無視して勝手に家の中へ向かっている。

 今も光が溢れている家の中に入る事は危険だ。それは分かっていたが、長年祖父同然に思ってきた老人の姿を見てしまった彼女は、どうしようもなく自分を止められなかった。

 家の中へ飛び込んだ彼女はすぐに老人の元へ走り、倒れる体を抱き起こす。

 部屋の状態とは違い、その体には傷一つ無い。だが、それでも老人は息をしていなかった。


「……おじいちゃん」


 昔、そう老人を呼んでいた。それを思い出しつつ、リーリアが苦しそうな顔をする。確かに老人は自分でも寿命が来ていると冗談めかして言っていたが、だからと言ってどこんな形で別れる時が来ると想像するだろうか。

 全く覚悟していなかった、老人の死。それを受けたリーリアは状況を一時的に忘れてしまっていた。


「やあ、お姉さん」


 その為か、彼女は自分の側に『勇者』の少年が立っている事にも気づいていなかった。

 声を聞き、彼女はやっと少年の存在を察知する。だが、今の彼女は精神的な衝撃が大きすぎて、誰かを気遣う余裕など欠片も無い。

 それを見た少年は相変わらずの空虚な視線のまま、どうでも良さそうに声をかける。


「……僕には興味の無い事だけど、お姉さんがそうしている間にまた一人、また一人死んで行くのかもね」

「……分かってる、分かってるわ。そんな事くらい……」


 忠告めいた言葉で我に返り、リーリアがゆっくりと顔を上げた。老人の死は相当に堪えたのか、今にも倒れてしまいそうな程に顔が青い。

 精霊達は邪悪な光を恐れている様だが、それでも彼女を元気付けようと周囲で輝く。

 それを受けて少しだけ力を取り戻し、彼女が改めて少年を見た。化け物が暴れたかの様な部屋の惨状にも関わらず、少年の体には傷一つ付いていなかった。

 そこで、彼女は嫌な想像をする。死んでしまった長老、無傷で佇む少年、それに、怪物の血。思わず、リーリアはらしくない程に少年へ疑惑の眼を向けた。


「ジョン君、まさか……」

「僕じゃないよ、いや、厳密には僕なんだけどさ」


 自分が疑われている事を察したのか、少年がゆっくりと首を振る。空虚すぎて感情が見て取れず、言葉の真偽が掴めないのが難点だろう。

 少年の顔はそのまま床へ向けられた。釣られて同じ様に彼女の視線が動き、床に巨大な何かが転がっている事に気づいた。


「そのお爺さんを殺したのは僕じゃない。そこに居る怪物を殺したのは僕だけどね」


 その正体は巨大なテンダスだった。酷い有様だ、首と胴体が別れ、首は正面から四分割されている。紫色の血が悪臭を漂わせながらこの家を腐らせていて、それは余りにも醜悪な死体だった。

 だが、リーリアの眼は怪物のそんな姿など気にも留めていない。彼女の優れた視覚はひたすらテンダスの片目を見つめていたのだ。


「これ、は……」

「お姉さんが逃がしちゃったテンダスだね」


 思わず声を漏らすと、それに反応して少年が頷く。

 そのテンダスは、片目に傷を負っていた。それも、今日受けたばかりと思わしき新しい傷だったのだ。そう、見覚えのある傷だった。

 それが、自分が殺さなかった怪物だという事をリーリアは気づいている。そして同時に、気づいてしまった。その怪物がこの老人を殺してしまったのだと。


「……」


 自らの甘さが招いた結果だ。だが、何故か恨む気持ちにも自分を責める気持ちにもなれなかった。ただ、悲しみだけが彼女の心の中へ広がっていくのだ。

 しかし、怪物を見逃した事は彼女の中では失敗とは思えなかった。

 むしろ、殺してしまえば自分は狂っていたと直感で分かってしまうのだ。それは、まるで……


「で、どうするの?」


 その考えが形になる前に、少年が首を傾げて声をかけてきた。彼女の衝撃も辛さも彼にとっては無価値で無意味で考慮する対象ですらないのだろう、とてもではないが、他者の死を悼む態度とは呼べない。

 自分の心が少年に対して苛立ちを覚えている事をリーリアは理解した。それでも彼女は揺るがず、彼を責める事も問いつめる事もしない。代わりに、ゆっくりと口を開く。


「あなたは……」

「いやぁぁぁぁぁっ!!」


 彼女が何かを言う前に、悲鳴が聞こえてきた。

 小さな子供の声だ。その中には恐怖と怯えが籠もっていて、一瞬でも迷っていれば間に合わなくなってしまうかもしれない。

 その為か、彼女は頭を完璧に切り替えて表情を力強い物へと変え、あらゆる身体の準備を完全に無視して超高速の世界に入り込む。

 人体では絶対に出来ない加速は、肉の身体では衝撃が大きすぎるのだ。血を吐きたくなったが、彼女は我慢して家から飛び出す。

 そこに居たのは、里に帰ってきた時に抱きついてきた少女だ。必死に走っているのか、体中が土だらけだ。


「っ……!」


 少女を見たリーリアが息を呑み、一気に眉を顰める。

 怯えを瞳に籠めた少女の背後には、一匹の怪物が居た。栗鼠の様なシルエットをしていたが、その大きさは栗鼠など比べ物にもならず、熊よりも大きかった。

 その造形も悪夢めいた物となっていて、口からはおぞましい色をした涎が垂れている。あの大きな両手に捕まえられれば、もはや逃げる事など出来ないだろう。

 それでも栗鼠を元として作られたのか、クリクリとした目がほんの少しだけ愛らしかった。が、彼女は迷わない。


「今、助けるっ!」


 自分への反動を完全に無視し。彼女は動きの止まった世界の中を走る。すぐに怪物の目の前にまで来た彼女は凄まじい勢いで相手の顔に見える部分を蹴り上げた。

 有視界上の世界が同時に動き出し、栗鼠型の怪物が勢い良く飛ぶ。浮かび上がった腹部が彼女の目の前にまで来て、無防備な姿を晒している。

 それを見逃す手は無い。彼女の拳が一瞬の間に握り締められて、怪物を殴り飛ばした。

 たまらず怪物の身体が投石の様な勢いで山の中腹へ飛んでいく。まるで大砲に打ち出されたかの様だ。あっと言う間に見えなくなって、怪物は山へ消える。


「あ……」

「怪我は、無い?」


 現実離れした光景に少女が少し呆けた様な声を上げる。彼女はその身体を優しく抱き締め、服の土を叩いて落とす。

 怪物を殺す事は無かった。老人の死で、彼女は他者の命に関して更に敏感になっていたのだ。怒りに任せて怪物を殺す事すら今の彼女には出来る事ではなかった。

 だからと言って目の前の少女を助けない訳がない。少女は震えていて、思い切りリーリアの身体へしがみついている。


「怪我は、無いけど……お姉ちゃん……パパが、ママが……」

「……! そう……」


 少女の言葉を聞いて、彼女の目が見開かれる。

 怪物達は既に里へ到着しているらしい。もうエルフ達は襲われているのだ。彼女は人を蘇らせる力など持っていない。殺された者へ届く手など、持ってはいないのだ。

 自分の無力さに彼女は再び唇を噛んだ。同時に、心の底から湧き出るような怒りを覚えた。

 噴出するマグマの様な感情に気圧されたのか、少女が少しだけ彼女を怖がる素振りを見せる。が、その目はすぐに彼女の背後へと向けられる。


「お姉ちゃん!」


 少女の悲鳴の様な声と同時に、狼の様でいながらも粘着質でおぞましい鳴き声が聞こえてくる。

 リーリアが振り向くと、数匹のテンダスと呼ばれた怪物が少年へと迫っていた。彼らは存在感を封じ、少年を襲う瞬間を見計らっていたのだ。

 リーリアが怒りを覚えた事は明確な隙だったのだろう。テンダス達は一心不乱に体液を振り乱しながら少年へと走る。反撃をする暇を与えさせない数だった。

 だが、少年は何の恐怖を覚えた様子も無く、静かに張り付いた笑みを浮かべる。


 瞬間、そこに居た全てのテンダスが倒れた。


 テンダスの首と胴体の間に鉄製の板が唐突に現れ、怪物達は簡単に首を飛ばされ、倒れていた。

 そして、吹き出す紫の血は誰かに付着する前に取り囲む様に姿を見せたガラス製の球体の内部へ閉じこめられる。

 それらの首はしばらくの間、何とか少年に噛みつこうと動いていた。が、彼らにはそれをする力は無くなってしまったらしく、ゆっくりと崩れていく。

 数匹居たテンダスは一瞬にして全滅していた。その事に対してリーリアが若干の驚きを抱いていると、少年は薄い微笑みを彼女へ向ける。


「驚くよりも、怒るよりも、アレを見ては如何かな?」


 忠告するかの様な声だ。思わず、彼女の目が少年の見ている場所と同じ方向へ向かう。

 そこは彼女が大樹を作り上げた山頂だ。だが、そこに見えるのは大樹などではなく、恐ろしい数の怪物の大群だった。


「あんなにも……!」

「凄い数だね」


 息を呑むリーリアに対して、少年の声は静かで無関心な物だった。

 夥しい怪物達の軍勢が山々から睨んでくる様にも感じられ、背筋に稲妻が走る気分にさせられる。というのに、少年はそんな態度のままだ。

 その印象は間違っていなかったらしく、少年は何の感情も見て取れない声を発する。


「この里は、終わりだね。山々は壊れ、木々は腐り、動物は朽ち、エルフは死に絶え、お姉さんだけが生き残る。だって貴女は強いから。強い貴女は、独りだと最後まで残ってしまう。誰かが居れば、別だけど」


 よく見ると、その目は怪物達を見ていなかった。その先に有るのかもしれない、何がしかの概念的な物を見つめているのだ。

 それがどの様な物なのかは理解できない。が、少年は夢中になって『世界』を眺めていた。そこで、彼は小さな声で呟く。


「でも、きっとこれもエィストさんの……ふふ」


 少年が、初めて心から笑った。だが、リーリアはそれを喜ぶ事など出来ない。

 『エィスト』。それは一体、誰なのか。分かるのは、その名前を聞いた途端に精霊達が震えた事と、自分に抱きつく少女が腕の力を強めた事だけだ。


「どうやら、狙いは僕にあるみたいだね」


 少年の目が何時の間にか元に戻り、山の中の怪物を見る。

 それに応えるかの様に怪物は遠距離から少年を睨んでいる。怪物の視力が尋常ならざる物なのは当然の事だが、少年は最低でも同じ程度の目を持っているらしい。

 殺意の籠もった視線を受けても彼は眉一つ動かさず、そのままリーリアの方へ顔を向けた。


「さて、どうするのお姉さん?」


 静かに、探りを入れる様な声が響く。

 それはリーリアの行動を単に尋ねる声だ。少年にとっては何の興味の無い事だろう。だが、彼女にとっては背を押される気分にさせる物でもあったのだ。

 その言葉に応えるべきだ。彼女はそう理解して、そっと側に居る少女を見る。少女のそれは自分を信頼している目だ。命を預けている目だ。

 そんな気持ちに、応えたい。そう思って、彼女は深く息を吸った。覚悟を決めて意志を強く持ち、瞳に強く輝く感情を持たせ、口を開いた。


「……覚悟を、決めましょう。最初からそうしていれば、里の皆が傷つかずに済んだのだから」


 それを聞いた精霊達が慌てる様に彼女の周囲へ近寄り、説得と思われる手振りを行う。

 しかし、彼女の目は揺るがなかった。強い決心の前には言葉など届かない。精霊達が知る以上に彼女は頑固で意固地で、自分に対して怒り狂っていたのだ。


「みんな、全力で行くわ……良いの、その辺のリスクは全部承知の上よ」


 精霊達の心配を知って尚、彼女はそんな言葉を口にする。同時に、今も自分の足にしがみついていた少女の両頬へ手を置いた。

 

「あなたはここに居て、ね?」

「……うん、でも、死んじゃ嫌だよ。私、私……」

「分かってる、死ぬつもりは無いから」


 不安そうな顔をする少女を安心させようと、リーリアはしゃがみ込んで目線を合わせ、頬を撫でる。暖かく微笑む姿からは、先程までの凄絶な覚悟が見えない。

 それでも彼女の強固な意志を感じ取ったのだろう。諦めたかの様な大人びた顔をして、少女は静かに頷き、リーリアへ顔を近づけた。


「約束、だよ……おまじない、するね」


 言葉と同時に、少女はリーリアの頬へキスをした。どこか無理をする様に笑って、少女は彼女を送り出そうとしているのだ。

 柔らかい唇と少女の微笑みを見て、リーリアは思わず彼女を抱き締める。生きて戻ろう、そんな気持ちを覚えさせる物だ。


「おまじない、ありがとう」


 少女の頬へとキスを返す。

 すると、少女の笑顔が本心からの物へと変わった。


「……へーえ」


 少年がそこに居た少女の顔を一瞥した。だが、すぐに興味を失ったかの様に無関心な物へと戻る。その目は虚空を見ていて、この世の何物をも見つめていなかった。

 だが、リーリアは全く気づかずに少女から離れる。微笑みながらも自らを案じる少女の姿に内心では癒されながらも、そこには迷いなど無い。

 もう一度、深く息を吸う。すると、その場に宿る全ての精霊達が現れて、彼女の元へ集まっていく。


「あそこまで、行くわ」


 言葉と同時に、精霊達が彼女の身体へ飛び込んだ。すると、彼女の全身が精霊の力で薄く光る。肉の身体に干渉しているのだ。

 自分の魂が数百回も壊されて、数百回は作り替えられていく。おぞましき血を浴びた時など比べ物にならないくらいの激痛が襲いかかってきた。


「あ、ああ……っ、あぁぁぁっぁ!!!」


 苦悶の様な歓喜の様な絶叫を上げながら、彼女は背に巨大な羽を作り上げる。その羽から漏れる光の粒子は空間を捕まえ、固定し、法則性を彼女が必要とする程度に変換する。

 体が半ば精霊に近い物となっているのだろう、彼女の姿は時折幻覚の様に薄くなっている。地獄の釜よりも酷い苦痛は彼女の心を蝕み、心を折らんとする。

 が、折れない。凄まじい強度を持った彼女の心は痛み程度では変わらないのだ。ただ、狂っていくだけである。


「ぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああぁっっ!!!」


 自分が壊れては再生する感覚に心を狂わせて、彼女の口からは自然と雄叫びが上がる。

 同時に、彼女は空中へ飛び上がった。羽はその機能も法則性も無視し、彼女を包む様に羽ばたいている。

 その羽は、彼女の意志と願いを実現するかの様に動いた。里に居た全ての怪物達は羽が発する粒子に巻き込まれ、その身体の動きを固定されたのだ。

 少年は相変わらず無関心で、少女は美しい粒子の動きに目を輝かせている。

 そんな現象が起きていても、周りがどんな反応をしても、今の彼女には思考する余裕すら無かった。ただ、彼女は山頂と自分の間に存在する距離が邪魔だと感じ、羽を動かすだけだ。

 彼女の前方にある何もない空中を羽が通り過ぎると、その場の空間が引き裂かれ、一種の穴となる。


 リーリアは自分の身体が崩れては元の人型に戻ろうとする事を無視して、その穴の中へ飛び込んでいった。

短いと思ったので、次回更新するつもりだった分も混ぜました。

やっぱり私が書くと一気に読むほうがおススメな感じになっちゃうなぁ

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