1部4話 未来より愛をこめて
彼らの住居である自然と精霊が作り上げた家は、精霊の力によって形を変えただけの生きた木だ。それを表す様に、鳥達が家に生えた枝に留まっている。
この様な点は普通の人里とは言えまい。しかし、一見した形は大して変わらない為に、誰も疑問を抱く事は無かった。
そんな家の前に、リーリアが立っている。少年と幼馴染みは既に横には居ない。男は少年を連れ、自宅へ向かっているのだ。
少年を彼に任せたリーリアは、この家に来ていた。彼女自身の自宅ではないが、里の中では最も信頼出来る人物が住んでいる場所だ。少年の事を話す為にも、絶対に行かねばならない。
「……」
彼女の目は不安そうだった。この先に居るのは彼女にとっては幼馴染みの次に親睦のある人物だが、だからこそ安全の為に少年を里から追い出す選択を取ってもおかしくはない。
その場合はリーリアも渋々と従うしか無いだろう。少年の危険性をある程度は理解し、自分が心配されている事くらいは自覚している彼女にとっては尚更である。
「長老、入ります」
そう、この先に居る人物はこの里で最も発言力を持つ長老なのだ。
「うむ、リーリアか……」
声は老いていたが、確かな知性を感じさせる物だった。それに合わせて彼女が扉を開けると、その先には見慣れた老人が座り込んでいた。
白い髭を少し生やし、目を瞑った老人である。一見すると死体の様な青い肌をしているが、その顔は老いても尚美しかった。
声の雰囲気も顔立ちも含め、理想的な年の取り方をしている。こういう人物を『かっこ良い』と言うのだろう、リーリアは頭の隅でそんな事を考えながらも、良く知る長老を気遣う声を上げる。
「お体は?」
「そうだな、余り良くはないのだが……ふむ、そう悲しそうな顔をするでない」
老人は目を瞑ったまま答えると、リーリアの表情の変化を察して声を明るくした。
空元気の様な物を感じて、リーリアは余計に悲しそうになってしまう。この里の中では最高齢の老人だ。彼女は、自分が小さい頃に長老が病に倒れた事を知っている。
殆ど死んだも同然の状態から何とか復帰した事を知る者達の間では、『次は無いだろう』という噂が立っているのだ。
生まれた時には祖父の居なかったリーリアにとっては、実の祖父同然の存在である。心配するのも、無理は無い。
「……」
「ああ、そう苦しそうになるな。お前には幸せが似合っているのだから。私は確かに老い先短いが、それは別に構わない。死ぬには良い日が来るのなら、大人しく受け入れるとも……お前の子が見れない事だけは残念だがね」
老人は小さく、だがリーリアに聞こえる様に呟いた。彼女はその実力から半ば崇められる立場である。本人が自覚しようがしまいが、敬遠されているのは確かだ。
そんな言葉を聞いた為か、リーリアは今までの悲しそうな顔を若干崩す。
「残念ながら、長老。私には相手が居ませんよ?」
「……不憫だ、と言うべきか」
全くの無自覚な言葉を聞き、老人は呆れた顔をした。彼女の側には四六時中着いて回り、何とか助けようとしては結局守られている幼馴染みが居るのだ。
リーリアも満更でもない顔をしている時がある為に、男から『告白』すれば間違いなく成功するだろう。が、それが出来ないから今の様な状況になるのである。
「はい?」
「何でもない。それより、里の入り口に居たという子供は?」
聞き返してきたリーリアへ老人ははぐらかす様に答え、話を本題へと逸らす。
空気が張り詰めた物へと変わった。すると、彼女は今までよりもずっと真剣な表情になり、心なしか姿勢も緊張した物に変えて応えた。
「『勇者』です。山へ送られた様で」
「……その子供、きちんと監視はしているだろう?」
「…………はい、精霊達に頼んでいます」
遮る様な老人の言葉に対し、彼女は若干の不満を覚えつつも答えた。
嘘ではない。今も、幼馴染みが少年を連れて行っている姿を精霊を通して彼女の目が捉えている。今の所は少年が危険な事を行う様子は無い。むしろ大人しい良い子の部類に入れても良いだろう。
だが、その目は間違いなく里の同胞達を恐れさせていた。普段なら男へ向かう侮蔑の視線は、少年への恐怖に変わっているのだ。
彼女が内心で複雑な気分になっている事を見て取ったのか、老人は少し表情を緩めて見せた。
「監視を続けているならそれで良い。だがアレには近寄らない方が良いぞ。魂が冷え込む様な気分になるからな」
「……里に置いておく事には否定しないのですか?」
間違いなく反対されると思っていた彼女は、老人がその辺りには言及しない事に対して首を傾げる。
すると、老人は眉を顰め、どう見ても不本意と言いたげな顔になった。
「ああ、下手に外で活動させれば余計に災いを招くだろう。アレはその様な類の人間だ。我らが守る山に現れたという時点で、諦めざるを得ないだろうさ」
肩を竦める姿は外見よりも若々しく感じられる。
どうやって見ていたのかは分からないが、彼は少年の姿や人格を理解している様だ。一切の好意的な意見を感じられない、むしろ憎悪の類を発した声だが、それでも渋々と里に受け入れる事を決めたらしい。
余り機嫌が良いとは言えない姿だ。それを見て、リーリアは相手が落ち着くのを待つ為に退出しようとした。
「……そう、ですね。では、私は彼に話をしておきます」
「いや、待て。リーリア、まだ話がある」
背を向けたリーリアへ老人の声が響く。だが、それは長老としての威厳や冷徹さを感じさせる物ではなかった。
むしろ、自分が幼い頃から知っている物に近い。そう感じた彼女は老人へと振り向く。彼の目が、心配そうに自分を捉えている事が分かる。
彼女が振り向いた事を確認すると、彼は静かに話を始めた。
「君も誰かに聞いたと思うが……『魔王』は確かに此処へ近づいてきている。気をつけるのだ。今回の『魔王』は一切姿を見せず、配下の獣達を寄越しているらしい。もしかすると、あの少年は……」
「……分かりました。覚えておきます」
何を言わんとしているかを察したリーリアが、静かに頷いてみせる。
この辺りには人里は無い筈だが、老人は聞いたかの様に話していた。が、リーリアは全く疑わなかった。この長老がどれほどの知恵を持つかを知っている為だ。
彼女の直感は少年を『そういう物ではない』と捉えていたのだが、この老人の忠告は聞いておいて損は無いだろう。
そんな気持ちを見た長老は、若干溜息を吐きたそうになった。だが、すぐに表情を整え、彼は射抜く様な目をする。
「余りあの『勇者』にこだわるなよ、リーリア。私はお前に傷ついて欲しくは無いのだ。何せ、お前は『自分の命を大切に思っていても捨てられる』のだから」
「分かっています。けれど、あんな目をした子供を放ってはおけないので」
「……それを、その子供が望んでいなかったとしてもか?」
「私は、他人に幸せを押しつけたいと思っている……身勝手な、女ですから」
長老が自分を心から案じている事は理解していたが、それでも彼女は強い意志を口にした。その意志は余りにも強固だった。最早、何を言っても曲がらないだろう。
そんな顔をしたまま、リーリアは今度こそ長老に背を向けた。今度は止める言葉も無い、彼女はそのまま外へ出ていく。
それを見ていた老人は、彼女の背中に向けて静かに声をかけた。
「……だが、気をつけよ。あの小僧、あるいは想像を絶する化け物かもしれん」
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「お兄さんは、あのお姉さんが好きなんだね」
里の端へ向かう男に、少年の無気力な声が響いてきた。
機械的にただ尋ねてくるだけの物だ。答えなくとも、彼は何も気にしないだろう。聞いたとしても、どうでも良い事なのだから。
ただ、言われた男にとっては絶対に答えなければならない質問だ。自分達へ侮蔑と畏怖の視線を送る者達を無視しつつ、彼は自分の魂を見せつける様に頷いた。
「その通りだ、確かに好きだよ」
「告白しないの? 恋愛とかには凄く鈍感な人みたいだし、早く言わないと誰かに先を越されるかもよ?」
忠告の様な何かを発して、少年は虚空を見つめた。その表情は何となく誰かに恋い焦がれている様だと思える物だったが、それすらも無価値に感じられる。
感情が無い訳ではない、感覚が無い訳ではない。だが、それらは全て少年の中で無価値な物へと変換されているのだろう。少年の心に言葉が届いたとしても、その意志は届かないに違いない。
全てを無価値にするその顔を嫌そうに見つめながらも、男は質問にだけ答えた。
「そりゃ、結婚したいのは山々だが……好きでいられればそれで良いさ。生きて、笑っていてくれれば、それで」
それは男の心からの言葉だった。相手からの見返りよりも、自分の好意で満足してしまう類の声だ。場所や関係が違えば『押しつけの好意』と言われるかもしれないが、そんな事はどうでも良いと言いたげである。
話を聞いた少年は男の感情を受け取り、そういう物として理解する。だが、少年は熱意に溢れる男の目を冷ややかに見つめた。
「……ふーん、そういう事を言ってる間に、あの人は殺されてしまうかもね」
どこまでも無感動な冷たい声だった。だが、男にとっては洒落にならない程に恐ろしい言葉でもあった。
男が一瞬だけ固まった事を認識しているのか否か、少年が勝手に話を続ける。
「僕みたいなのを簡単に信じてしまう人だ。誰かに騙されて殺されるか、あるいは誰かを庇って勝手に死んでしまうに違いないよ」
「……」
確かに、その通りだ。男は少年が思った以上にリーリアを見ていた事を理解する。
彼女は化け物と呼ばれても仕方がないくらいに凄まじい実力者だ。よほどの相手でなければ単純な戦闘で殺される事は無いだろう。だが、誰かが絡めば話は別だ。男自身、彼女が死ぬとすれば他者が庇う場合のみだと考えている。
黙り込んだ男に対して、少年は追い打ちの如き張り付いた様な笑みを向けた。
「あの人はそういう選択をする事を迷わない。ううん、『他人を助けられる自分が好き』なんだ。しかも、それを自覚してる。何かがあれば泣く人の横で勝手に満足して死んでしま……」
「黙れ」
少年が最後まで言おうとした瞬間、拳が少年の目の前に迫っていた。
凄まじい勢いの拳が少年の寸前で止まる。すると、溜め込まれていた恐ろしい憎悪や怒りの類が漏れ出た様に男の体から現れて、野次馬になっていたエルフ達の元にまで到達した。
地獄の釜の底よりも深い部分から溢れるが如き感情が少年の周囲に纏わり、それを感じる者に地響きの様な揺れを誤認させる。
エルフ達は恐ろしい物を見る目を男へ向けていた。例え精霊に嫌われ、身体能力も高くなくとも、男にはリーリアへの想いがあった。それだけで、この場の少年以外の全員を怯えさせるくらいには。
「お前みたいなのが居るから、あの人は……いや」
何を言わんとして、何を飲み込んだのか。分かりやすい物だった。
男は軽く息を吐いて感情を抑えると、少年に対して普段通りの気楽な笑みを浮かべる。
「……俺が命を賭けてでも、守るさ。自分の為に他人を幸せにするのがあいつの気持ちなら、それも含めて守るだけだ」
「そう」
恐ろしい感情の爆発を前にしても、少年は全く動揺した様子は無かった。むしろ、『昔同じ物を受けた』かの様に慣れた雰囲気で受け流したのだ。
一切も表情を変えなかった少年へ、周囲の者達は畏怖を向けた。奇しくも、彼らが浮かべた物は少年が『生きていない』と感じたリーリアの物と同じだった。
しかし、男はもう気楽そうな顔色を変える事は無い。周囲の変化など気にも留めず、彼の足は勝手に自宅へと向かっていく。
「さて、そろそろ着くぞ。今日はもう疲れた、さっさと寝る」
遠くに自分の家が見えた事を確認し、彼は少し足を早くする。少年を放っていかんばかりだが、少年の方は機械的な足で付いていく。
その姿を時折横目で見ながらも、男は頭の中でリーリアを思い浮かべていた。少年の言う通り、誰かを庇って死ぬかもしれない彼女の姿を。
思わず、男は呟いていた。
「絶対に、そんな事にはさせない……」
「ええっと……何がどうしたの?」
それをすぐ後ろで聞いていたリーリアが、戸惑いながら首を傾げる所を見ながら。
次から話が一気に動きます




