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謎の異世界にトリップした人間達の話  作者: 曇天紫苑
エピローグのエピローグ
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エピローグのエピローグ 楽しきかなハッピーワンダーランド

 『世界』の片隅で、戦争が起きていた。

 そこは平野であり、両国の軍勢は殆どが正面から衝突する形となっている。

 地には武装した兵隊達が争っていて、空には小型のドラゴンや羽の生えた生き物を巧みに乗りこなす者達が居る。兵隊達が持っているのは、槍や剣が大半だ。

 幻想的な光景にも見えるだろうが、その戦いで流れる血や死体、負傷者の数々が圧倒的なまでに『現実』を感じさせるだろう。

 若い兵士達が恐怖に駆られて逃げ出し、敵国の兵に殺されていた。

 ありふれた光景だが、当事者達にとってはこれ以上無い地獄であろう。兵達は涙を流し、汗を落とし、恐怖と絶望の中で戦い続けている。


 何の変哲も無い、そう、何の変哲も無い戦場だ。ただ、兵隊達の中には妙に浮いた者達が居た。

 他の者は剣や槍を持ち、馬を使って移動していると言うのに、その兵達はアサルトライフルと装甲車――果ては戦車や戦闘機を華麗に乗りこなしている。

 それは明らかに時代の違う武器である。威力も攻撃範囲も、防御性能も比べ物にならない。前時代の武装をした兵隊達は一部の達人を除けば銃弾と砲弾の雨に打たれて倒れてしまう。地を行く兵達は蜂の巣になり、小型のドラゴンは戦闘機の機銃に叩き落とされていた。

 千人の中に十人程度の割合で、銃と車と戦闘機を操る兵士達が存在する戦場である。あっさりと決着が着いてもおかしくはない。

 だが、この『世界』の住人は軍事技術を遙かに越える力を持っているのだ。


 前時代の武装をした者達の中には銃弾を軽々と避け、あるいは切り裂き、戦車の装甲を簡単に斬る者が混ざっていた。

 凄まじい者であれば、戦闘機の飛ぶ位置まで一度の跳躍で跳び、搭乗者ごと一刀両断してしまう。一部には何らかの魔法的な術によって、装甲車を液体に変えてしまう者まで居た。

 そんな人間離れした別格の化け物が兵隊達の中に混ざっていて、戦場を維持している。圧倒的な技術差を覆す者達を見る事で兵隊達は志気を保っている様だ。それは、ある種の洗脳ですらある。

 とっくに崩壊してもおかしくない戦線を完璧に維持する、常人からすれば化け物の様な人間達。彼らをよく見れば、共通点が有る事に気づくだろう。

 それらの者達が掲げる旗や鎧の装飾は他の兵士達の者とは全く違い、『他国の兵士』である事を如実に表していたのだ。

 そこに気づいた者であれば、戦車や銃や戦闘機を操る者達も同じく『他国の兵士』――化け物めいた兵士達とは違う国の――である事を理解するだろう。

 その証拠に、彼らが味方をする国の中には、遠国からの技術提供で作られたと思わしき機械が幾つか設置されていた。

 片方は、この戦場であれば先進的という単語が馬鹿らしくなる様な軍事技術を持つ文明。もう片方は、圧倒的な技量と戦闘技術と身体能力で軍事技術を圧倒する文明。どちらも大勢の兵士達の中では浮いている。

 それらが味方をする二つの国の兵士達は、優れた軍事技術も戦闘技術も持たず、超越的な強者達に混じって争いを続けていた。

 そんな光景を眺めて、一人の男が小さく呟いた。


「……代理戦争、って奴なのか、ね!」


 男は微かに考え込みつつ、自分に迫って来た何人かの兵士達の首を斬り飛ばした。

 その動きは『何か』を攻撃する事に慣れた者だったが、専門の教育を受けた者特有の動きは無かった。身体能力こそ優れていたが、戦場で活躍する化け物めいた兵士達とは技術面で遙かな開きが感じられる。

 そんな男の言葉を聞いて、近くで戦っていた男達が返事をした。


「多分、そうだろうな。嫌な話だ、代理で戦うくらいなら素直に当事者で戦争しろよ」

「そんな事をしたら、この辺の国中が滅ぶぞ」

「分かってるよ、ただ、馬鹿らしくなってきただけだ!」


 肩を竦めながらも男は飛んできた銃弾を回避し、軽機関銃を持っていた兵士を銃ごと鉄槌で潰す。

 その間にも装甲車の機銃が男を狙ったが、発砲される寸前で仲間が装甲車を『殴り』飛ばした。


「気をつけろ!」

「ああ、悪い悪い。危うく死ぬ所だったぜ、助かったよ」


 装甲者が空中を舞うという馬鹿げた光景を目にしつつ、男は慣れた様子で謝罪と礼を口にしている。

 攻撃はまた続いているが、彼らはしっかりとした連携を取る事で仲間と自分の命を守っていた。

 戦自体が終結する気配は無かったが、彼らの近くは小康状態に入っていると言って良いだろう。気は抜かずとも、男達は軽い息を吐く。


「で、本当の所はどうなんだ? この戦争、『代理』以外にも裏が有ると思うんだが」

「そうだな……邪神、って線も有るな」

「ああ、確かに。復活したって話を聞いてから、やけにおかしな戦争が増えた、しなっ!」


 彼らはこの戦争の裏に有るかもしれない物を話し合っている。必死さが欠如している所や、真面目にやる気がない部分は、彼らが正規兵ではない事を表していた。

 そう、彼らは冒険者達である。

 基本的にはダンジョンなどを探索する事の方が多い彼らだが、それだけでは生活が成り立たない者も居る。この戦場に居るのは、傭兵として雇われた者達だ。


「戦場が増えるのは良いんだけどなっ! こう変な戦地ばっかりじゃ! 困るんだよ!」

「同感だ!」


 攻撃を仕掛けてくる者達を蹴散らしつつ、彼らは愚痴の様な事を話していた。

 彼らの戦い方は武勲とは無縁の生き汚い物である。冒険者としての経験がそんな動きをさせるのだろう。周りの味方が負傷しても、彼らは傷一つ負わない。

 余裕の笑みを装いつつも彼らは話を続け、偽の隙を見せつけて見る目のない弱兵をおびき寄せていた。


「そういえば、この間の話は聞いたか?」

「ああ、この『世界』が崩壊した、って騒ぐ邪神教団が暴れ回ったんだろ? それがどうしたんだ?」

「俺達が行ってた酒場の何人かがアレに感化されて、邪神を信仰する様になったらしい」

「へぇ……馬鹿馬鹿しいなっ!」

「ああ、馬鹿らしい話だ。この『世界』が終わった、などとと。趣味の悪い、っと!」


 男達は肩を竦めつつ、敵兵を軽く吹き飛ばした。戦場の興奮で思考が低下していた為か、彼らは男達が作った隙に騙された様だ。

 そんな仲間達の目立たない程度に素晴らしい実力を見て、冒険者の一人が小さく呟く。


「いや、本当に終わったんだけどね。あはは、『私』を引っ張るのに『世界』一つじゃ足りなかったなぁ」

「何だ、何か言ったか?」

「ああ、何でもない」


 『虹色の髪をした』冒険者は仲間に向かって軽く手を振り、同時に戦闘機の機銃を避けた。

 仲間の冒険者達はまだ首を傾げていたが、狙った様なタイミングで降ってきた機銃に対応する事を優先し、すぐに疑問を忘れた。


「まあ、俺達に出来るのは仕事分の働きだけ、だがなっ!」


 冒険者の一人が腰に備え付けたホルスターから拳銃を取り出す。

 そんな銃の弾が戦闘機まで届く筈が無い、しかし、冒険者は自信満々に引き金を引く。

 すると、銃弾は何らかの力によって射程を数百倍に伸ばされたかの様に戦闘機へ向かっていき、下部からコックピットの上部を撃ち抜いた。


「命中! 流石だぜ、この銃は! 旅までして買った甲斐が有った!」


 冒険者は自分の銃を嬉しそうに見つめる。その形状は敵兵達が持つ銃とは根本の設計思想からして異なっている様に見えた。

 そんな銃を気にも留めず、仲間の冒険者達は眉を顰めて空を眺めている。


「喜んでる所、悪いんだが……逃げた方が良いな」

「……あ?」

「落ちてきてるんだよ、機体が」


 たった一発の銃弾で打ち落とされた戦闘機は、最後の足掻きとばかりに冒険者達の真上に機銃を乱射しながら落下していた。


「危ねえ……っ!」

「避けるぞぉ!」


 身の危険を感じた冒険者達は即座に逃げ出した。

 しかし、暴走する機銃が逃げ道を塞ぐ様に銃弾を落として、敵兵の攻撃と相俟って逃走を困難な物としている。


「やばっ……!」


 冒険者達の頭上に、戦闘機が迫って来た。

 避けきれないと判断した冒険者達は、各々の武器を握って戦闘機を『吹き飛ばす』事を決める。

 だが、それが実行される事は無かった。



 それが現れたのは、一瞬だった。



 流星の様な何かが冒険者達の目の前、戦闘機の落ちていた場所を通過する。それを見た者が認識した時には、既に戦闘機は跡形も無く消え去っていた。


「なっ……!?」


 驚きを隠せず、冒険者達が息を呑んだ。

 だが、その現象は戦闘機を消すだけでは終わらない。流星に見えた『何か』は戦場の中央部に落ちて、巨大な爆発の様な物を引き起こす。

 離れた場所にも迫る爆風が、冒険者達の体を吹き飛ばしそうになった。


「ぐっ……一体、何なんだ、何が起きているんだ!!」


 冒険者の一人が悲鳴混じりに叫んだ。

 戦場の中央に居た者達は機械と人間を区別する事無く吹き飛ばされて、弱者も強者も関係無く戦闘不能に追い込まれている。

 しかし、冒険者達を驚愕させたのはその現象自体の強烈さでは無かった。


「何だと……!?」


 彼らが見ていたのは、吹き飛ばされた兵士達の姿である。機械や武器は完全に破壊されていたが、死人は一人も居なかった。

 勘の良い冒険者達は死者が一人も出ていない事を理解して、唖然としていたのだ。


 まさしく、人間が起こす事の出来る現象ではなかった。

 しかし、冒険者達は戦場の中央部に先程までは居なかった『人間』が居る事を認めて、目を見開いた。


「おい、あれ……!!」

「っ……!? 嘘だろ……」


 雇われた冒険者達は見た。男が、生身で強力な兵士達と兵器を次々に薙ぎ倒している姿を。

 そんな怪物でも出来ない様な所業を可能とする存在の姿を、冒険者達は知っている。少し前に酒場で空瓶の山を作り上げた――『勇者』として。


「あいつ、まさか……!」


 流星の様に見えた物の正体は人間で、勇者で、スキンヘッドで大男で、強者で。

 つまる所、ナガレだった。 







 そんな、まさしく怪物としか言い様の無い登場の仕方をしたナガレによって、戦場は一変していた。

 いや、それは最早戦場とは呼べないだろう。無条件に人が吹き飛んでいく様は、天災に遭遇してしまった人間達の姿としか形容出来ないのだ。

 国籍や装備を区別せずに、ナガレは次々と兵士達を倒していた。

 倒すだけだ、人は殺していない。だが、ナガレの攻撃は全てに於いて最強で絶対的だった。数人の実力を持った兵士達と戦闘機と戦車が一時的に協力してナガレに攻撃を仕掛けるが、全ての攻撃が発生する前に吹き飛ばされる。

 人間は気絶で済んだが、機械類や武装は区別無く破壊されている。その行動に迷いは一切見られず、攻撃している素振りすら見せずに戦場を崩壊させていく。

 弱兵達は崩壊した戦線に留まる事を恐怖して、一心不乱に逃げ出した。それを指揮官達が止めようとしたが、彼らが何かを言う前にナガレの攻撃が届いてしまう。

 一切の抵抗を許されず、兵隊達は中を舞った。唐突に現れた怪物の様な『勇者』に対応するには、彼らは弱すぎた。

 例外となる幾らかの強者達も、ナガレとの圧倒的な力の差に絶望して武器を落とす。まだ武器を持っている者を含めて、誰もが戦う事を諦めていた。

 しかし、ナガレという名の暴力は止まらない。逃げた兵の背中を彼は襲撃し、一瞬で意識を刈り取る。肉体に傷が着く事すら無かったが、言葉に出来ない恐怖に晒された彼らが再び武器を握る事は、まず無いだろう。


 そんな暴虐を起こしつつも、ナガレは笑みを絶やさずに兵達を攻撃していた。

 彼は、分かっている。兵器を壊すという事と、兵士にトラウマを植え付ける事は、戦としての側面で見るなら人を殺すよりも恐ろしい事だと。

 生産に巨大な資金を必要とする兵器を破壊された時の損失は大きな目で見れば人間の命より遙かに重く、熟練の兵士達の心を破壊する事は軍の志気と練度を一気に低下させるだろう。

 この戦争に参加した国は力を減退し、他国から侵略を受けるかもしれない。代理戦争を仕組んだ者達にも被害が行くだろう。その結果、それらの国の民がどうなるかは想像出来る。

 しかし、それでもナガレという力は止まる事を知らない。

 その身体からは、微かに虹色の気配が発せられていた。だが、それはナガレによって完全に制御され、都合の良い時に発動する単なる力として扱われている。

 元々の強さと一体化する事で、その力は絶対的な物へと昇華していた。最早、彼を倒す方法はこの『世界』には存在しないだろう。

 だが、ナガレは己の強さを誇る訳でもなく、ただ楽しそうに兵達の意識を吹き飛ばしていく。

 もう身体を動かす必要も無いのか、彼はただ着地した地点で笑っているだけだ。それだけで人が吹き飛んでいくのだから、笑えない。


 だが、絶対的な力を持つ彼が何故、そんな事をしているのか。

 勿論、邪神が起こした馬鹿げた戦争を止める事も理由の一つでは有るのだが――


「あははっはは! 最高だよなぁ、この『世界』はよぉぉおぉおっ!」


 結局は、ただ暴れたいだけだった。


 『八宙那由』との戦いは結局の所、彼を変えなかった。本物の絶対者、『無』を目にして尚、ナガレは曲がらずに動き続けている。

 彼の目に宿るのは暴虐で最悪の意志である。大災害が意志を持ったとしても、これほどの恐ろしさは無いだろう。

 まるで、邪神か何かの様だ。逃げ惑う兵士達を見て笑う姿は邪悪な存在でしかない。後の歴史書を書く物がこの戦場に居たとすれば、悪夢の様な存在として記す事だろう。

 この戦場に限っては彼はまだ人間を一人も殺していなかった。が、それがどうしたというのだろうか。兵士達の怯え様や彼らの母国に与える影響を思えば、人殺しすら霞むだろう。

 神話ですら見られない様な光景の中で、ナガレという『勇者』は君臨している。

 『実は、邪神の企んだ戦争を食い止めようとしているのだ』。そう聞けばナガレの恐ろしい力も頼もしく思えるかもしれない。だが、直接攻撃を受ける兵隊には『邪神』も『勇者』も関係無く恐怖の対象だ。



 彼は、どこまでも圧倒的で暴力的な存在だった。











+











 遙か遠く離れた地でナガレが暴れている時、エルフの村の片隅では一人の女が鼻歌混じりで家事に勤しんでいた。

 超越的なまでの美貌が機嫌の良い笑顔に彩られていて、それは見る者の心を簡単に貫くだろう。

 既に心を貫かれていた男は、椅子に座り込みながらも悦に浸った表情で女の背中を眺めていた。


「あぁぁ……良いなぁ、こういうの……」


 『前世が魔王の転生逆行した』男が、幼馴染みである女……リーリアに感極まった声を上げている。瞳に浮かぶのは涙であり、喜びだ。

 エプロンを身に着けたリーリアは言葉に反応して振り向き、小首を傾げている。


「……どうしたの?」

「ああ、いやいや。何でもないから続けてくれ、俺も続けるから」


 軽く首を振って、男は何でもない事をアピールする。

 すると、リーリアは首を傾げながらも気遣わしげに男の顔を覗き込み、ゆっくりとした微笑みを浮かべた。


「そう? 何か言いたい事があるなら遠慮せずに言ってね? だって、私は……あなたの、お嫁さん、だし……」


 思い切り照れながらも、リーリアは迷わず愛情を口にした。

 そんな素直な気持ちを受けて、男は巨大な力に魂を滅ぼされる様な衝撃を受ける。それを言われたのは今が最初ではなかったが、慣れる物ではないのだ。


「う……あ、ああ、分かった。分かったから、うん」

「う、うん、分かったなら良いわ」


 両者が顔を赤くしつつも、お互いにするべき作業へと戻っていく。

 感動の気持ちが伝わらなかった事に安堵するべきか迷いつつ、男はじっとリーリアを見つめ続けている。

 彼女が手にしているのは包丁で、向き合っているのはまな板である。男が持っているのは、皮を剥いた野菜だ。

 そう、二人は一緒に料理をしていたのだ。


「リーリアの料理って、あんまり食べてないんだ。楽しみにしてるよ」

「そう言ってくれると、本当に嬉しいわ。でも……不味かったら素直に言ってね? 誤魔化される方が悲しいから」

「大丈夫さ、君の料理だぞ。不味い筈が無い、仮に不味くても美味しく感じるだろう」

「それは……嬉しいけれど、ほら、私は味見が出来ないから」


 男の言葉を心から喜びつつ、背中越しのリーリアが微かに『自分』を見せる。体の微かな発光は、女が人間ではない事を何よりも分かりやすく表していた。

 完全に肉体を捨てたリーリアは完全に精霊と化していた。当然ながら食事も出来ない為、今作っているのは男が食べる分だけである。

 完全に生命体を止めたリーリアに対して、男は幸せそのものを体現したかの様な笑顔を浮かべていた。

 彼女が死なず、自分の気持ちが成就する。それは男にとって世界が終わっても良いと思えるくらいに喜ばしい事だったのだ。

 そんな幸せの絶頂期に居る男に向かって、リーリアは雑談をする様に話しかけている。


「そうだ、邪神復活の噂は聞いた?」

「……いや、初耳だな。何処から来た話なんだ?」

「それが、精霊の皆が掴んだ話らしいわ。説得力が有るし、誤情報とは言えないわね……」

「俺が居た『未来』じゃ邪神が現れる事は無かったな、これもまた、何かの動きか?」


 料理中に話す内容としては重過ぎたが、そんな重い空気を意識した様子は両者共に無かった。

 二人は幸せの中に居る。それを壊すかもしれない可能性を警戒するのは当然なのだ。

 リーリアは自分の幸せを守ろうと、『精霊』としての自分から知識を引きずり出した。


「時間の概念なんて関係無い所からの策略かもしれないわ……例えば、八宙……いえ、止めておきましょう。これ以上は危険だわ」


 思考の中に響き渡った警告音に従って、リーリアは口にしかけた名前から意識を逸らす。

 名字だけだというのに、自動反応した『無』がリーリアに恐怖を抱かせた。この世界のシステムである『精霊』は、人間よりもずっと『無』に近いのだ。

 そんな事は知らず、彼女の様子が変わった事だけを男は即座に察知し、話題を変える事を決めた。


「ああ、そうそう。この間さ、言われたんだよなぁ。『リーリアさんを妻にするなんて、羨ましい! 私もリーリアさんと結婚したい!』って」

「……ええっと、それは……誰に?」

「村の奴に」

「そんな……その人が居る場所を教えてくれる? 後でちゃんとお話するから」

「いや、駄目だな」


 悲しそうな顔で提案したリーリアに向かって、男はきっぱりと却下を口にした。

 その中に何処か歯切れの悪い物を見て取ると、リーリアは疑問を男に向ける。


「……どうして? 大丈夫、心を傷つけたりはしないし……その男の人だって」

「いや、そいつは女だ。しかも、きっとお前と話すだけで舞い上がって爆発する類だよ」


 微妙な沈黙が訪れた。

 リーリアは口を少し開けたまま固まり、男は気まずそうに虚空を見つめている。が、流石に黙ったままは不味いと考えて、男は独り言の様な物を口にする。


「……あー……あいつ、言ってたなぁ。『リーリアさんとは何処までしたの!? 教えなさい吐きなさいいざ今すぐにこの瞬間から真実を語りなさい!!』って。いやぁ、怖かった」


 自分が何を喋っているのかも分かっていない様子だったが、言葉は確かにリーリアにも届いた様だ。彼女は顔を赤くして、困った様に顔を掻いた。


「……う、うーん。そうね、今度、ちゃんと話してみるわ。大丈夫、爆発させる気は無いから」

「そ、そうか。よし。分かった、後で教えるよ」


 微妙に気まずい空気が更に強まったが、二人はそれを極力意識しない様に話を強制的に終わらせた。

 


 リーリアの顔は再びまな板の前へと戻り、包丁が規則正しいリズムで何かを切っている。男は野菜を擦り潰していて、何とか気まずさを払拭させようと努力を続ける。

 しかし、二人の間を駆け抜けているのは、気まずさ以上の奇妙な沈黙であった。まるで、二人が共に居るのが当然であるかの様に、不自然さの無い物が存在するのだ。

 それまでの会話の内容は関係無く、まるで長年仲睦まじく連れ添った夫婦の様な距離感と空気。それらの要素は男にとって心地の良すぎる物である。

 いっそ永遠にこの気持ちを味わっていたいと、男はそんな風に思った。


 その瞬間、包丁の動きが唐突に止まり、リーリアの背中が普段よりも綺麗な印象となった。


「ねえ……私が今、考えている事、分かる?」


 顔を見せては居なかったが、男にはリーリアが気恥ずかしさと愛情で一杯になった表情をしている事がよく分かる。

 長年の付き合いは男にリーリアの気持ちを読む技能を与えていた――それも長年連れ添った夫婦の様で、男は余計に幸せな気持ちになった。

 しかし、リーリアの言葉の前にはそんな幸せですらささやかだった。


「『何処まで行ったのか』、って聞かれたのよね?」


 リーリアは何処か照れと気恥ずかしさを感じさせる様子で、静かに呟いている。

 それを聞いた瞬間、男はリーリアの意図を察して気絶する様な衝撃を受けた。


「それ、それは……」


 目を丸くして肩を震わせる伴侶の様子を理解しながらも、リーリアは更に続けた。


「私達には『そういう事』は出来ないし、孫の顔を見せてあげる事も出来ないわ。だから……その……」


 包丁を持ったまま、リーリアは顔を真っ赤にして男へ近づいていく。

 恥ずかしさは有っても、躊躇は欠片すら見て取れない。そんな足取りで彼女は素早く男の目の前に立ち、顔から火が出る様な熱っぽさを帯びた表情となった。


「ね、それ以外なら……出来るわよね……」


 とろけた様な表情で、リーリアが男の顔に近づいていく。片手に握られた包丁が若干恐ろしいが、それ以外の部分が愛おしすぎて男は身動きが取れない。

 男が固まっている内に、彼が座っている椅子へリーリアの膝が乗せられた。二人の顔の高さが、殆ど同じ物へと変わった。

 リーリアの顔には照れやら愛情やら好意などの感情が溢れ帰っていて、とても積極的だった。


「新婚なんだもの……一日中だって……」


 静かに、自分へ言い聞かせる様に彼女は顔の朱色を更に強烈な物へ変える。

 男の肩を片手で掴み、リーリアは顔をゆっくりと接近させ――唐突に、二人は顔を扉へ向けた。



 扉の向こうには、明らかに誰かが立っている気配が有った。二人は困った様に顔を見合わせて、同時に溜息を吐く。


「……リーリア、お客さんだ」

「……ええ、そうみたい」


 二人とも、心から残念そうな顔をしている。姿勢は変わっていないが、とても『そういう』雰囲気ではなかった。

 リーリアは肩を落としつつ、片手の包丁を僅かに強く握って扉の向こうへ声をかける。


「開いているから、入って良いわよ」


 彼女が扉に鍵が掛かっていない事を告げると、すぐに扉は開く。

 開いた扉の前に居たのは一人の女である。山高帽とスーツが印象的な彼女は、軽やかな笑みを浮かべて部屋の中を見ていた。


「お言葉に甘えさせて貰った、が……?」


 リーリア達の状態を確認して、女がドアノブを握ったまま息の詰まる様な表情をする。リーリアは男の口元に顔を寄せていて、今も頬は朱色であった。

 明らかに、口付けを交わす寸前だった。


「あ……お邪魔だったか。その……悪かった」


 状況を理解すると、女は途端に気まずそうな表情で頭を下げた。

 心なしか、彼女の足下で動く影は慌てて逃げ出しそうな動きをしている。馬型の怪物にでも蹴られると思ったのだろう。

 ほんの少し眉根を寄せたリーリアだったが、心から反省している女に対して追求する気は無く、ただ再び息を吐いた。


「いや、良いけれど……あなたは、誰?」


 じっと、リーリアは女の姿を見つめていた。不思議な事に女からは精霊の気配が殆ど無く、精霊が宿っているのは上着だけだ。

 何処か雰囲気がこの『世界』から逸脱している様に感じられるだろう。リーリアは頭の中で一人の少年を思い浮かべ、男は警戒と殺気で目を細めていた。


「ああ、こんにちは。私はイクスだよ」


 二人の様子の変化に気づいていても、女、いやイクスは脱帽すると同時に綺麗な動きで一礼した。

 敬意と愛情の籠もった動きである。その中に『無関心』や『無感動』の色は含まれていない。

 彼女の目に写っているのは、主にリーリアだった。イクスはリーリアが確かに『人間や生命体』ではない事を見て取ると、心からの喜びで顔を埋め尽くしたのだ。

 気まずい雰囲気は何処へ行ったのか、そう思いたくなる程にイクスは嬉しそうだった。


「よろしく、リーリアさん。会いたかった、もしかすると、人生で一番会いたかったかもしれない」


 挨拶の言葉を口にしつつも、イクスは柔らかな笑顔の中に幸せを宿す。

 妄言とも思える内容を耳にして、リーリアは少しだけ迷いながら答えた。


「……よく分からないけれど、会いたかったのなら、歓迎するわ」

「それは良かった。拒絶されたら悲しみで倒れてしまう所だったよ」


 イクスが素直に微笑むと、彼女の斜めに流れる髪は黒く輝いていた。

 生き物とは違う空気を纏った存在。そんな雰囲気がリーリアにとっても好ましい物だったのか、彼女が顔に浮かべていた微かな不機嫌さは既に消えている。


「あら、そういえば……どうして私の名前を知っているの?」

「それなら……アレに聞きまして。あなたなら分かるでしょう?」

「ああ、彼ね。もう、しょうがない人。嫌いじゃ無いんだけれど……」

「気持ちは分かるさ、私は奴が嫌いだけどね」


 一瞬で打ち解けた様子になると、二人は当たり前の様に会話を始めた。とても機嫌良く話をしている事は明らかで、邪魔をするのは無粋に思える。

 しかし、男は分かっていても微妙な表情でイクスを見つめていた。



「……」



 イクスは長年会いたかった恋人に再会した様な、とても幸せそうな笑みを浮かべている。それを見て、元魔王の筈の男が警戒心の溢れる目となっている。


 勿論、警戒とは『そういう意味』での事だった。














+














 さて、ナガレが戦場を崩壊させて、イクスがリーリアと出会っていた頃、少年は何をしていたのか。

 とても簡単な事だ。少年は『世界』には居なかった。だからと言って、少年の存在が消えた訳ではない。単に『世界』へ戻る事は無かった。それだけの話だ。

 ならば、少年は何処へ消えたのか。それも見ればすぐに分かる話だ。


「気持ち良いですか?」

「……」


 少年は、『八宙那由』の背後に立っていた。

 それも、白い椅子に座る那由の背後に立って癖の強い真っ白な髪を櫛で解かしているのだ。

 共に無関心、無感動を表した様な存在ではあったが、今の少年は那由の髪に触れては気絶する程の歓喜を抱いている様だった。

 当然の事かもしれない。少年が那由の髪を解かすのも、再度作られた『世界』へ戻らなかったのも、何より少年が『既に人間ではない』という事も。何もかもが当然の事だと思える。

 その場は背景も無い空間で、少年が存在するのに必要な要素だけが散らばっていた。

 少しでもバランスを崩せば少年の存在は崩壊するだろう。しかし、少年は平気な顔で那由の髪を洗い始めている。

 少年は、那由に対して献身的なまでに尽くしていた。


「……」

「那由さんの髪、とっても綺麗で触りやすいですね」

「エィストが作った物だから、外見の話はエィストにしてあげなさい」

「あ……はいっ!」


 機械的な返事だったが、少年は返答が得られた事で喜びの絶頂に達していた。

 意識も知性も消し飛ぶ程のパニックに包まれている為か目は異常なまでに泳いでいて、今にも目を回しそうだ。


「え、ええっと。じゃあ、今度は服を綺麗にしますね」


 少年は那由のワンピースに触れると、少しずつ布地を手入れしていく。

 その度に少年の顔は異常なまでの愛情に包まれて、時折気絶しそうになっては復帰する事を繰り返していた。


「ああ、本当に……説明なんて要らないくらい、好き……」


 少年は何時の間にか那由の体に顔を埋めていた。

 八宙那由のその本質に対して少年は何ら反応を返さず、ただ『八宙那由』という存在へ無償の愛情を注ぎ続けていた。


「……」


 しかし、異常なまでの愛情を受けても八宙那由のあらゆる部分に異変が訪れる事は無かった。だが、それでも少年は夢中になって彼女を大切に大切に扱っている。

 見返りを求める様子は一切無い、そんな少年は八宙那由の側に居るという事実だけで狂喜に精神を包まれかけていた。


「まあ……」


 少年は那由が自動的に声を発する事を理解しながらも、その存在しない体の感触を楽しんだ。

 それが嘘でしか無い事も、『八宙那由』には形も意志も何もかもが存在しない事も、少年は理解している。

 しかし、そんな事は『どうでも良い』と関心を向けず、少年は八宙那由と同じ場所に立つ事を望んだ。それ以外のあらゆる物を気に留めず、少年は平気で自分という存在も人生も捨てたのだ。

 遊び心など一切含まれておらず、代償行為の要素は微塵も存在しない。ある意味では究極的で押し付けがましい、迷いの無い好意だと呼べるだろう。

 そして、当然ながら少年は自分の気持ちが相手に届くなどとは思っていない。一方通行に過ぎない感情だと分かっている。


 盲目にして白痴である存在は、何らかの返答をする訳ではないのだ。


 しかし、それは少年にとって何よりも幸せな事だった。彼女のあらゆる『無』を感じる事が、生まれついて『無』を宿していた少年のあらゆる感情を刺激するのだ。

 少年が全存在を賭けて愛情を注ぎ込んでいる間に、八宙那由は独り言を自動的に呟いた。


「どうでも、良いのだけれどね」


 それは彼女と、彼女以外に対する少年の全てを表す言葉だった。













+












 虹色の何かが、『世界』に居る。


 ある物は、怪物として。

 ある物は、精霊として。

 ある物は、人間として。

 ある物は、猫として。

 ある物は、民家として。

 ある物は、守護霊として。

 ある物は、概念として。

 ある物は、恋のキューピットとして。

 ある物は、対空ロケットランチャーとして。

 ある物は、非ユークリッド幾何学的な建造物として。

 ある物は、ある物は、ある物は……


 凄まじい数の、虹色が居る。それを理解していたとしても、『世界』のあらゆる存在は気づかない。


 『自分もまた、虹色の一端なのだ』


 そして


 『この世界は、虹色なのだ』


 そんな事には、気づかない。


 気づけない物を哀れむべきか、嘲笑するべきか。

 どちらにせよ『世界』は回り続けるだろう。虹色の思惑通りには行かない、その『世界』に住む全ての存在の意志が歴史を紡ぐのだ。

 それを知っている虹色は『世界』の後も先も今も全てを知覚して柔らかく微笑み、声を上げて笑い、心からの愛情と享楽を注ぎ続ける。

 まるで、子の成長を喜ぶ親の様だった。


 そして、最も邪悪かつ純粋で享楽的な存在でもあった。


 虹色はそっと、声にならない言葉を呟く。祝福の様に、滅びの様に、何よりも楽しさを見せつける様にして。





「楽しい」






 隠しきれない楽しさが、あらゆる虹色から溢れ出ていた。

本作はこれで終わり、完結です。切り良く40話で終える事が出来ました。いやぁ、本作は好き勝手にやらせていただきましたよ。チート、トリップ、化け物、色々です。書いていて楽しかった。

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