エピローグ部最終話 それでも勇者は生き続ける
それはまるで、一定の動作を単に遂行しているだけの人形だ。言葉や姿、その他のあらゆる要素に思考という物が感じられず、出来の良い立体映像を見せられている様な気分にさせられるだろう。
「……お前、一体何だ?」
少し離れた場所で少年と那由を見ていたイクスが、一番に疑念の声を上げる。
彼女は『八宙那由』の事を何も知らなかった。その為に出た言葉だ。そして、それに答えたのはエィストでも那由自身でも無かった。
「『那由他の果ての怪物』……だよ」
ナガレがイクスの隣に立ち、眉を顰めながら答えていた。
「お前は聞いた事が無いか? 『世界』の中で最も危険で、最も会う事が難しく、そして最も意味の無い怪物の存在を……」
一瞬も逸らす事無く那由の姿を捉えつつ、ナガレは独り言の様に話している。そうでもしなければ、八宙那由の前に立つ事は困難なのだ。
それは、恐怖や拒絶、心理的な苦痛などでは表せない、『何も感じない』という事の恐ろしさである。分かりやすく言えば、ナガレは那由に対して何をするべきかを迷っていた。
「そこのそいつは、間違いなく世界で最も無意味な怪物だぜ」
「……」
侮辱とも取れる発言だったが、八宙那由は単に黙ったままだ。動く様子も無ければ敵意も怒りも浮かんでいない。
それはひたすらに『無』で、ナガレの言葉に何の意味も価値も抱いていない事がよく分かった。
「……ふふ、とりあえず対面は済んだね?」
そんな様子を、何時の間にかエィストが眺めている。少女の形が吹き飛ばされた為か、今は虹色髪の青年に戻っていた。
エィストは不思議そうに三人と一つの様子を見て、ナガレに向かって首を傾げる。
「あれ、ナガレ君?」
「……何だよ」
不自然な角度まで首を曲げると、エィストは疑問を表情でナガレを見つめている。
普段なら軽く返す所だったが、今のナガレには元気が無い。エィストに対する反応は微々たる物であった。
そんな対応に傷ついた風な顔をしつつ、エィストはナガレの顔を覗き込んだ。
「うーん、珍しいね。攻撃を仕掛けないなんて」
「……」
「おお怖い」
ナガレは黙り込み、片目だけでエィストを睨んだ。
確かに、ナガレには珍しい事である。敵が強い物であれ弱い物であれ、戦えるならば彼は攻撃を仕掛けるだろう。『ただ暴れたいだけ』の男には、戦いをする理由など必要無い。
しかし、今回ばかりはナガレも全く動けなかった。少年と今も手を握る存在は、彼にとっての最大の敗北を思い起こさせる存在なのだ。戦いを挑むきっかけが必要だった。
「あぁぁ、良いなぁもう、心が溶けていきそう、たまらないよねぇー……」
少年は体が一体化しそうになる程に那由の手を握り続けていた。純真無垢な瞳が子供らしく、那由の『無』に目を瞑れば仲の良い母子に見えなくもない。
いや、少年と那由の『無』を見れば、どちらにせよ親子の様に思えるだろう。
「癒される光景だよね、これが見たかったんだ」
感動に身を震わせて、エィストが胸元で両手を合わせている。
そんなエィストへ、少年が僅かに顔を向けた。
「でも、この人は本体じゃないよ」
「……そこまで気づいてたんだ、凄いね」
少年の言葉を聞いて、エィストは紛れもない賞賛を口にする。そんな反応の意味が分からず、ナガレが困惑を顔に浮かべる。
「どういう意味だ……? 人間の俺には理解出来ない事か?」
「……ああ、成る程ね。そういう、ああ、確かにそうかもしれない」
しかし、イクスは分かっていた様だ。
黒色の何かと人型の両目は『八宙那由』という形を捉えていて、その内部にまで知覚を広げている。そんなイクスだからこそ、ナガレに分からない事も理解出来るのだ。
「そいつは、『知性を持つ存在』が何とか理解出来る様に『八宙那由』とか言う何かの一端の一端を使った人形だ。そうだろう?」
「……何だ、君も分かるのか。まあ、そういう訳だよナガレ君」
馬鹿にするでもなく、エィストは楽しげに告げた。
ナガレも怒りは覚えない。当然だ、人間には理解出来ない物を理解出来なかった所で、悔しくはならないだろう。
「さて、君達に紹介したかったんだ。八宙那由さんを。まあ本体じゃないけれど……那由さんの反応を見る、っていう実験もしたくて。『世界』は実験場としては良いけど那由さんの存在には耐えられないし、だから君らに此処へ来て貰った、と」
少年を尻目に、エィストはイクスとナガレに向かって話を続けた。
「真実実在しない物を実在させる、なんて矛盾を起こしたんだ。結構大変だったんだよ? ま、作ったのは『私』だけれど、ねえ」
「……」
「……」
イクスとナガレは黙ってエィストの話を聞き、那由の様子に変化が無いかを監視している。
エィストが何を言っているのかは殆ど頭に入っていないだろう。無視に近い扱いをされたのが不満だったのか、エィストは肩を竦めて少年に視線を戻した。
「ねえ、ジョン君。もっと虚無で君の理解を超えた那由さんと話したいんだね?」
「うん」
少年は軽く頷いていた。声の奥には隠す気が微塵も感じられない興味と興奮が現れていて、頬は僅かに紅潮してすらいる。
良い反応を得られた為か、エィストは喜色満面になった。
「分かったよ。ちょっと退いてくれるかな?」
「ん、分かった」
惜しみつつも手を放し、少年は那由から数歩離れた距離に立った。
それを確認したエィストが軽く咳払いをして、肩を動かせる。
「じゃ、ちょっと頑張って『私』になってみよう。私では八宙那由を『八宙那由』には出来ないから」
「……何を、するつもりだ?」
「凄い事さ、ナガレ君」
悪戯っぽく舌を出して、エィストは曖昧に答えて見せた。
一体、何が起きるのか。ナガレとイクスの心に不安が灯る。エィストの姿は、今まで通りの青年で髪も虹色のままである。しかしながら、その規模は星空や大地などという次元では無い様な気がしたのだ。
そう、文字通りに計り知れない存在だ。馬鹿らしい態度や滅茶苦茶な性格は単なる性格に過ぎず、その本質は楽しさなどではなく……
「ねえ、どうして『勇者』を『勇者』って呼ぶか……知ってる?」
球体が、エィストの手の中に有った。
「……そいつは!」
「ああ……!」
それを見た瞬間、ナガレとイクスは凄まじい悪寒を覚えた。まるで、自分達が今まで居た場所が土台から消えていく様な、最悪の予感だ。
とても綺麗な光を放つ球体である。見る物に安らぎや楽しさを覚えさせる、素晴らしい物である。そんな球体にエィストが触れる度に、二人の『勇者』は途方も無い絶望感を味わった。
球体があの『世界』なのだと、二人は即座に理解したのだ。
エィストの指が、少しずつ球体を握り始める。握り潰された瞬間に何が起きるのかは当人以外の誰も知らなかったが、間違いなく良い事ではない。
本来なら、イクスとナガレは止めに入るだろう。だが、動く事は出来なかった。二人の中に有る虹色が、『邪魔をしてはいけない』と言っている為に。
「それはね……私や『八宙那由』に対する精神的な耐性を持っている、ある意味勇気の有る子達だからさ!」
そして、エィストは球体、自分が作り上げた『世界』を握り潰し、何らかの土台として利用する。
理解の及ばぬ現象が一瞬の内に幾つも起き、星空や大地が消し飛んだ。『勇者』以外のあらゆる物がそこから消えて、新たに生まれては終わっていくのだ。
その中で、八宙那由は全く変わっていなかった。まるでその場には『実在』しない様に冷笑を続けている。その姿から感じる『無』は、もはや認識出来ない程に広がっていた。
「さて、見てよねぇ! 私のっ、『私』!!」
青年の形をしたエィストの身体が、崩壊する。すると、一気に世界が広がった。
膨張し縮小し渦を巻きながら知的生命体を包み込む。その世界には『何も無かったが何もかもが有った』。
知覚した者がこれまでの間に得たあらゆる知識と経験、知っている事が全てが一体化した状態で『世界』という形を得ていて、何らかの超越的な知識が在ってもおかしく無い。
しかし、知覚した者が知らない事は『世界』には無かった。在ったとしても、知らない物を認識する事は誰にも出来なかった。
それでも、その『世界』には『勇者』達が知っている『あらゆる全て』が広がっている。空間という概念も、それが存在しないという概念も、全て、全てだ。
ナガレとイクスと少年は、目の前に広がった光景へ驚きを隠せなかった。無関心の塊である少年ですら、思わず目を見開いたのだ。
「さあさあ、これが『私』だ。私だよ! いっやぁ久しぶり、いや時間なんて関係無いけど体感的には久しぶりに『私』に戻ったかなぁ!」
虚空から、エィストの声が響く。いや、『全て』がエィストの発声器官となっているのだ。『勇者』達を含めた、全てが。
「ってあれれ!? 何だか嬉しそうじゃないね! ショックだなぁ、きっと面白がってくれると思っていたのに、うむうむ、残念だよ」
「……お前を見ていると、目が疲れる」
ナガレが思わず目を押さえ、疲労の様な感覚に耐えていた。
彼の言う通り、『エィスト』は見るだけで疲れる存在であった。五感の情報量に頭が耐えきれないのだ、何らかの感情を抱く暇も無く、酷い倦怠感が押し寄せてくる。
ナガレの近くに居た少年も同じ感覚を受けたのか、目を擦っては首を振っていた。
この場での例外は、『八宙那由』とイクスだけである。
「おや、女性……? 陣は平気そうだけど?」
「いや、案外……平気とは言えないな」
『エィスト』の言葉にイクスは弱々しく笑みを浮かべて反応する。
イクスは人間ではない。情報量に押し潰されそうになる様な身体の構造をしていない為に、目や頭に痛みが来る事は無かった。主な問題は、視界の中で人間が広がっている所だ。
それが『エィスト』なのだと理解していても、イクスは恐怖を抑えきれない。理解している為か、何とか悲鳴を上げずに済んではいるのだが。
「……それで何をするの、エィストさん」
心の底では辛そうなイクスとは違い、その隣に居る八宙那由は一切表情を変える事も無く、ただエィストに声を向ける。
ただ、その存在は『無』を越えて『無』であった。外見は全く変わらず、雰囲気や印象も同じく『何も感じない』ままである。しかし、その規模は遙かに巨大な物へ変貌してて、深さは宇宙の深淵よりも極まっている。
もっとも、広いだの狭いだの、深いだの浅いだの、そんな概念は『八宙那由』には通じないのだが。
「さあ、那由さん。ジョン君……いや、……君の気持ちを受け取りましょう!」
『エィスト』の声が響く。すると、『エィスト』を表すこの場の全てが『八宙那由』を包み込んだ様な雰囲気が発せられた。
『無』が『有』によって押さえ込まれている様だ、その度に『無』は『有』を飲み込んでいくが、無限の『有』は全く消える様子が無い。
消える側から増えていく、永久に続くかと思われたループだったが、やがて『八宙那由』の馬鹿らしくなる様な『無』はかなり薄まっていた。
『深さ』はそのままで弱体化した訳ではないが、心なしかナガレ達は呼吸が楽になった様だ。
「ふふ、時間とかは全部無視出来るけど、那由さんを抑えるのは厳しいね。でも流石は『私』。世界の全部を使っても全然足りないや」
「お前……!」
息を軽く吸ったナガレの隣に、何時の間にか青年の姿をしたエィストが立っていた。
普段通りに虹色の髪をしていて、享楽的な笑みを浮かべている。しかし、形容出来ない無限の『エィスト』に比べれば、その異様さも随分と霞んで見えた。
「あれが、お前の正体か?」
「うんにゃ、違うよー。あれも『私』だって事。この享楽主義的な怪物たる私も、『私』だしね。でも、本体って言い方なら……ちょっと近いかな?」
ナガレの質問に軽く答え、エィストが『八宙那由』を見つめる。愛情の様にも見える瞳をしていて、純真な子供の様だ。
ただ、エィストはすぐに肩を竦め、ニッコリと微笑んでいた。
「ま、どうでも良いよね。君だってどうでも良いと思ってるだろう? 大事なのは自分が何をするのか、だよね」
喋りながら、エィストが少年を見つめた。
「でしょう?」
期待の籠もった瞳が、少年へ向けられる。しかし、その視線が少年に届く事は無かった。彼は既にその場から離れていたのだ。
少年は、暴走する様な動きで飛び出していた。
「分かってるよ! 那由さんに、気持ちを伝えてくる!」
元気の良い言葉が流れて消えた。少年は『エィスト』を五感で捉えた為に顔色を青くしていたが、表情は元気という単語を実体化したかの様だった。
この場の『勇者』達で一番に元気で楽しそうな様子で、少年は那由の人型が居る場所へ飛び込んでいく。全身の喜びと呼応する様に虹色が沸き出して、少年の動きを更に大胆にする。
少年が一瞬で那由の元まで辿り着くと、那由の人型がまるで自動防御の様に腕を振った。
「さよなら」
何の衝撃も音も無く、ただそれだけで少年が根本から消える。
しかし、即座に『エィスト』が無から少年を生み出す事で復活させた。
「ああもう! この絶望的なくらいの『無』! 僕の大好きな、大好きな、那由さん!」
復活した少年は怯えの一つも見せずに那由へ飛び込んでいった。その度に少年の存在が消し飛ぶが、即座に『エィスト』が助けている。
狂気の沙汰としか思えない光景が、そこに有った。
「さ、始まったね。くふふふふふ、素敵じゃないか。頑張ってね。心から応援するし、手も貸すよ。存在とかね」
奇妙極まりない戦いらしき物を眺め、人型のエィストが目を輝かせている。
その間にも少年は那由に手を伸ばそうとして『無』となり、『エィスト』に復活させられては同じ事を繰り返していた。永遠に時間が有っても届く事は無さそうだ。
それをじっと見つめて、ナガレは何事かを考えていた。
「……」
ナガレの様子は少しおかしかった。今までの戸惑いと逃げ腰が消えていて、何処かに猛悪で凶暴な雰囲気が戻っているのだ。
強い力が彼の身から常時発せられ続けて、人型のイクスとエィストの間を駆け抜けている。
空気が引き締まる様な状態になっていて、イクスが強い人間の気配に肩を震わせる。それをエィストが軽く背中を撫でて、恐怖を和らげようとしていた。
「よしよし、私が着いてるからね」
「うぐ……それはそれで、気に入らないんだが……助かるよ」
「……」
そんな二人の姿を見る事も無く、ナガレは思考を続けている。
少年が止まる気配は無く、届く気配もまるで無い。無謀だったが、少年は那由の事しか見えていない様だ。
そんな姿に背を押される様に、ナガレはとても真剣な表情でエィストへ目を向けた。
「エィスト。お前に、言わなきゃならない事がある」
ナガレが強烈な意志の籠もった言葉を口にすると、エィストに慰められていたイクスもまた、何かを感じ取ったかの様に顔を上げた。
「……ああ、私にも有るね。前々から言おうと思っていたが、今言うべきだろう」
「おや、君も何か言いたい事が?」
興味深げな様子でエィストが二人の顔を見る。ふざけた態度はこの状況に有っても欠片も揺らがなかった。
「難題? 何代? 何台? 何かなぁ? あ、怒ってる? えへへ、君達もこんな世界にトリップさせられるとは思ってなかっただろうねえ、でも良いじゃんいいじゃん。私は楽しいし君らも楽しい、それなら良いじゃん世界なんて」
相手の言葉を罵声か愚痴の類と考えたのか、エィストは言い訳の様な本気の言葉を口にする。
超常的な予測などは一切しない、エィストの人格が勝手に予想した物である。それなりに的中する事も有るが、しかし、今回に関しては完全に勘違いであった。
「ありがとう」
イクスとナガレは揃って頭を下げて、心からの感謝を口にしたのだ。
全く予想しなかった言葉にエィストは一気に目を丸くして、首を傾げた。
「へ?」
「……ありがとう、って言ったんだよ。お前にこの世界へ呼ばれてなけりゃ、俺は退屈なまま何の価値も無く死んでいっただろう」
「私も、同じ気持ちだ。私の様な者にとって、元居た世界は居心地が悪すぎた。来て、良かったと心から言えるよ」
二人共、それが確かな本心だと表す様に真剣な声音だった。
照れくささも遠慮も無く、しっかりとした気持ちを感じさせる感謝の言葉。それを受けたエィストは僅かに照れて頬を赤く染める。
『エィスト』もそれに呼応して、僅かの僅かに揺れた。
「……な、何だか遺言みたいだね? いや、君らを此処で消すつもりは無いんだけど……」
顔を赤くしつつ嬉しそうに話す姿はとても素直な物で、邪悪な人物には到底見えない。
まるで、ごく普通の青年に見える。そんな青年を笑う様に、ナガレとイクスの中の虹色が蠢いている。
自分の中で動く虹色の『エィスト』を無視して、ナガレは静かに頭を掻いた。
「さて……ああ、畜生」
ナガレは深く呼吸をして、瞳の奥に暴虐非道の悪党に見える光を宿した。それはまさしく鬼気であり、覚悟でもあった。
彼は隣に居るイクスやエィストの姿を一瞥して、今も那由に向かい続ける少年を見つめ、恐ろしい表情で叫んだ。
「そうだよなぁ、俺は、ただ、暴れたいだけなんだよなぁ!!」
超高速どころか超光速すら越えて、あらゆる法則を越える早さでナガレは少年の隣まで飛び込んだ。
それに合わせて八宙那由は自動的に腕を振り、『無』を二人の男に叩き落とす。しかし、少年とは違ってナガレのには気合いと根性が有った。
「リベンジと行こうじゃねえかぁ! うっぅぅぅろぉぁぁぁ!!」
『無』は避けられる物でも、防御できる物でもない。『無』の前ではあらゆる概念が無意味になる。
だから、ナガレは自分の中の虹色を気合いで引きずり出して、全力でぶつける。
それは一瞬だけ抵抗して『無』に飲み込まれたが、一瞬も有ればナガレには、そして少年には十分だった。
「……よう、那由他の。今度は負けない……いや、引き分けに来たぜ」
「那由さん……僕は、気持ちを伝えに来ました」
二人の男は直立し、覇気と恋心を爆発させる様にして八宙那由の前に立った。
「……」
そんな二人の姿を、イクスは微かに怖がりながら、それでも眺め続けている。
『八宙那由』という立体映像の様にすら思える『無』は、まさしく人間ではない。あらゆる概念や定義に当てはめられる存在ではないのだ。
それを認識して、イクスは更に目を細める。そして、隣に居るエィストへと声をかけた。
「……さっきまでのお前の元になった人が居るなら、後で紹介して貰えるかな?」
「……う、うん。良いよ、あれ、君も……?」
まだ顔を赤くしたままのエィストだったが、返答はしっかりしていた。
そんなエィストの視線はイクスが何をしようと考えているのかを理解した物で、それを察したイクスは軽い苦笑を顔に浮かべる。
「ああ、私も行くよ。人間二人と共闘なんて怖くて死にそうだが、まあ、『八宙那由』は気になるから」
本当に強い恐怖を覚えている事は確かな様だが、彼女はそれ以上に『八宙那由』を見つめていた。
二人の男達は何とか那由の『無』から逃れているが、限界は来るだろう。そんな二人を援護する形で、虹色の含まれた黒色が『無』にぶつかった。
「ふ……私が消し飛んでも、君が助けてくれるんだろう?」
イクスは黒色が『無』に飲み込まれた瞬間に『エィスト』の手によって再生させられる姿を眺めつつ、僅かに腰を落とす。
そのまま『勇者』達の戦いに飛び込もうとして、彼女は思い出した様に人型のエィストを見る。
「そうそう、もう一つ」
「ん……?」
「あのエルフの女になっていたお前は、凄く好きだぞ」
「えっ?」
エィストが戸惑いの声を上げるが、その瞬間にはイクスは『八宙那由』の前に飛び出していた。
その瞳には敵意も悪意も害意も無く、全身からはひたすら純粋な人外の香りを漂わせている。彼女は自分の正体を隠す気も無く、体の所々が黒色になっていた。
『勇者』達の側に立ったイクスは、静かに不敵な笑みを浮かべる。
「私も戦わせて貰うぞ。助ける気は無いが、手は貸してくれ」
「都合の良い奴だな、おい。だが、まあいい。どうせ俺一人じゃ接近も難しいんだからな」
「どうでも良いけど、僕は那由さんに告白したいだけなんだ」
呆れながらも頼もしく頷くナガレと、どうでも良さそうな少年。『人間』から受ける言葉に内心では震え上がる様な気分になりつつも、イクスは表情を崩さない。
ただ、視界に入れているのは『八宙那由』だけである。他の二人には用事は無いと言わんばかりだった。
「さて……やってみるか、『那由他の果ての怪物』。聞いた事は有ったが、認識するのは初めてでね」
「……僕の邪魔はしないでね」
「お前の恋心なんか知るかよ、俺は戦うぜ」
全く噛み合っていない会話を交わしながらも、三人の『勇者』が見ているのは同じ物だった。
そんな彼らの姿を眺めつつ、エィストは嬉しそうに笑っている。普段よりもずっと愉快そうに、同じくらい照れくさそうに。
「えへ、あはは。うれしいなぁうれしいなぁ楽しいなぁ愉しすぎてぶっ飛んじゃうよ、トんじゃうよぉ……!! ありがとうね、みんなありがとうっ!」
エィストは、まさしく化け物としか言い様の無い存在だった。しかし、好意を向けられた時の嬉しそうな姿は、何処にでも居る人間の様だった。
それでもエィストを人間の様に思える物は居ないだろう。絶対的な『無』を、享楽的な雰囲気の『有』が制御しているのだから。
彼の目は素晴らしい時間を絶対に見逃すまいと『勇者』達を見つめ続けていた。それはショーを楽しむ観客の様でありながら、可愛い子供達の晴れ舞台を見守る親の様ですらあった。
「行くか、何とか引き分けに持ち込めると良いがな」
「だから僕は戦いたい訳じゃ……まあ、どうでもいいか」
「八宙那由……あの文章は、お前の事か……いや、それは関係無いな。今は、戦うだけだ!」
そしてエィストという名の『有』に見守られながら、三人の『勇者』達は絶対的に敗北が確定した戦いに立ち向かっていった。
打ち切りエンドっぽいですが、こういう感じで終わらせる予定でした。エィストの一応の『人間じゃない姿』とかを出せた時点で大満足っていうのも本当なんですけどね……あ、まだ話は終わりませんよ。『エピローグのエピローグ』が残っています。




