エピローグ部7話 転移する勇者達
二つの虹色が激突した後には、何も残っていなかった。
玉座の間の様になっていた場所では一つの壁すら存在せず、形容出来ない『無』だけがそこに広がっている。あらゆる存在はその場での生存を許されず、死ぬ事も許されない。
そこには何も無く、それ故に何も起きないのだ。
「……くっ」
「……」
しかし、ナガレと少年は無事だった。
二つの虹色は確かに『勇者』達を守っていた。その証拠に二人の身体には傷一つ無く、あらゆる損傷が修復されている。加えて述べるなら、二つの虹色は『勇者』達の元へと戻っていた。
自分の手を見たナガレが、思い切り眉を顰める。
「畜生が」
ナガレが思わず悪態を吐く。だが、何も起きないが為に音も意志も響きはしなかった。
彼が嫌そうな顔をしている理由は簡単だ、虹色が自分の元にまだ居座っている事を理解した為である。その顔からは、暴れる事を楽しむ悪童の要素はすっかり消えている。
「畜生が」
もう一度同じ言葉を呟くナガレ。彼の苛立ちや怒りを余所に、その場には再び空間が『発生』し始めていた。
少年が再び能力を行使したのである。その力は凄まじく、何も起きない筈の場所に空間を作り上げていた。
その顔には、不快げな雰囲気は一切見られなかった。自分を勝手に操る虹色の存在など、気にもしていないのだろう。全身からそんな雰囲気を発している。
空間を完全に作り上げると、次いで玉座や調度品の数々が元々と寸分変わらない状態に戻っていく。
その間、ナガレは少年に攻撃を仕掛ける事は無く、じっと城が作り直されていく光景を目撃していた。
「……完成」
少年が呟いた時には、城はほぼ完全に元通りとなっていた。
まるで頭の中に有る設計図の通りに作ったかの様だ。ナガレは、一歩も動かずに少年の顔を見る。
「……この城、余所で見た物の集合体か」
「うん、まあ、そうだね」
特に隠さず、少年は頷く。
この城に広がる光景は、この少年の記憶にある物であった。豪華な調度品も、部屋の内装や『動く物』も。そして、城の所々に刻み込まれた文章もだ。全て、『この時間に戻る前の』少年が目撃した物である。
少年は城の事をそれ以上語る事は無く、ナガレに問いかけた。
「で、どうするの?」
「……まあ、まだ戦うか」
ナガレの狂気にも似た力強さは消えていたが、しかし、凶悪さの籠もった瞳は衰えていない。
何が起きようとも、彼の『単に暴れたいだけ』という気持ちは変わらなかった。
とはいえ、ナガレには一つ疑問があった。
「まあ、戦う前に一つ聞いておきたいんだが……あれは、何だ?」
彼の指先が示す方向は、明らかに先程までの玉座の間とは違う状態になっている。
天井の部分に、空間の穴の様な物が出来ていた。混沌とした世界の隙間らしき場であり、今にも何かが現れてしまいそうな雰囲気が漂っている。
「……さあ?」
少年はどうでも良さそうにしながらも、空間の正体は分からない様だ。
その間にも、空間の穴は色を変えている。言葉に出来ない混ざり合った混沌であり、見る者全てに危険を覚えさせている。
少年と男は、じっとその場を見つめた。
すると、その空間の間に変化が起きる。空間が明確に大きくなり、混沌が虹になったのだ。
虹色を見た瞬間からナガレが思わず身構えて、その場から現れるかもしれない者を警戒した。
数秒後、そこから二人の女が落ちてきた。
ナガレは片方の女は知らない。だが、もう片方の女は知っていた。名前は聞いていなかったが、そのエルフ特有の耳や美貌を見れば誰でも判別出来る。
何故か、その女は隣の女を覆う様な状態で落ちていた。
「おっ……っと」
ナガレの知らない方の女、イクスが声を上げる。その瞬間、黒色の何かが二人を包み込み、クッションの様な物に変わる。
妙に弾力の有る黒色は、床へ着地すると二度程跳ねてから安定した状態となった。
姿勢が整った事を確認したのか、黒色は凄まじい勢いでイクスの元へ戻った。
「ん、無事かな?」
「てて……ベッドが爆発するとは、驚いたわ」
「いや、何だかそんな気もしていたがな」
エルフの形をした女は軽く服に付着した埃を振り払いつつ、困った様子で笑みを浮かべる。
その隣に居たイクスは微妙な様子で女の姿を捉えた。どこか肩を竦めている様にも見えるが、それは冷ややかな観察眼にも思えた。
「……それで? 君は一体誰かな?」
「あ、それ誤魔化せなかったんだ……あはは」
余計に困った顔になり、女は頬を掻いた。その姿は茶目っ気と明るさに溢れていて、イクスの質問に答える気は余り無い様だ。
「……いや、誤魔化せないからな。怪し過ぎるんだ」
イクスの冷たい視線が女を貫いているが、女は一切動じずに笑い続けている。
そんな姿を端から見ていた少年が、納得した様子で柏手を打った。
「ああー……そういう」
少年は物怖じせずに女の元へ近づいていった。微かにだが、興味関心の見られる瞳と共に。
「ねえ、お姉さんお姉さん」
「何、ジョン君?」
肩を叩いてくる少年に向かって、女は綺麗な微笑みを向けた。
それは、まさしくこの顔で作る事が出来る最高の笑顔であり、横で見ていたイクスやナガレですら心を妖しく動かされる程の動揺がある。
それでも少年は変わらない。ただ、少しだけ『どうでも良くなさそう』に女へ声をかけた。
「で、どうしてそんな姿なの?」
じっと、少年がその顔を見つめている。
それは少年にとっては見覚えのある姿形だったが、だからこそ分かるのだ。『本人ではない』と。
そして、少年は女の名を呼んだ。
「ねえ、エィストさん?」
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一瞬と少しだけ、その場は沈黙に包まれた。
ただ、体感時間としては超高速に入る者でなくとも永遠に感じられる程の物が有っただろう。全員がエルフの形をした何か『の形をした別の何か』に目を向けて、息が詰まる様な空気となっている。
しかし、当人である『何か』は軽く舌を出して、そっとイクスの方へ目を向けた。
「……ごめん、イクスちゃん。バレちゃった」
「は……?
……………………ああ、そうだね、全くもう」
意味が分からない、そう言いたげなイクスの顔色が即座に変わる。足下の影が虹色の要素を持ち、責め立てる様にエルフの形をしたエィストを見つめていた。
「……バカな『私』だよ、もうね、何考えてるのかな。口を滑らせるとか、もう少しくらいは誤魔化せた筈なのに」
「うん、ごめん」
「大体、今回の件で用事が有りそうなのはナガレ君とジョン君だけだろうに……いや……まあ、『彼女』を見た時のイクスちゃんの反応は気になるし、だからイクスちゃんを誘導したんだけどさ」
イクスの身体を使って喋る虹色は、肩を竦めて溜息を吐いている。
『エルフ型のエィスト』と『イクスの中のエィスト』は笑みを浮かべつつ、豊かな声音で会話を交わしていた。
そんな二つの形を捉えたナガレは目を細め、額に汗を流す。
「お前等、まさか……」
「その、まっさっかっ! っと、イクスちゃんの外見じゃ似合わないか? 悪いね、ふふ」
『イクスの中のエィスト』は敬礼の様な何かを行って、照れる様に両頬に手をやる。澄まし顔や不敵な笑顔の似合う顔立ちのイクスがするには、少しばかりわざとらしく幼い言動だった。
一瞬の間に呆れを顔に浮かべたナガレは、馬鹿らしくなったかの様に『エルフの形をしたエィスト』に声をかける。
「本当に、何やってんだお前」
「あ、あれ? バレバレ? 分かっちゃうんだ、やっぱり。もう、リーリアちゃんの姿と正確を真似れば最後までちょっとした関わりで済むと思っていたのにぃっ、全くどうして不覚だよーねー」
こちらのエィストは踊る様に飛び上がって、頬を紅く染めながら悪ふざけにも似た言葉遣いをする。
余りにも馬鹿過ぎて、相手をするには面倒な部類の存在だった。外見や声だけは見目麗しい絶対的な美女だけに、余計な鬱陶しさが存在した。
「まあまあしょうがないかも、なんて思ったりもするけどさ、へへへ、だってしょうがないじゃん。リーリアちゃんに『なる』のは簡単だけど、『真似る』のは難しいんだもの、一杯ボロも出しちゃったし」
「もうね、『私』って馬鹿なんだなぁって再認識だよ」
あくまでふざけた態度のエィストを見て、『イクスの中のエィスト』が情けないとばかりに肩を竦めた。どう考えても五十歩百歩だが、本人は気づいていない様だ。
二つのエィストは全く同じ笑みを浮かべている。外見が違うだけで、中身は同じ物だという事がよく分かった。
頭を抱えたくなったナガレだったが、彼にはエィストに聞いておくべき事があった。
「で、俺を此処へ連れてきたのはお前等だろう? 一体、何の目的が有って俺を呼んだんだ?」
当然の疑問である。エィストの事を母として慕う邪神の働きで、ナガレは此処に来たのだから。
「ん……そうだあねぇ」
ほんの少しだけ、エルフの形のエィストが考え込んだ。だが、彼女が何事かを言う前にジョンと呼ばれた少年がエィストの服の裾を掴む。
「ねえねえ、僕の目的はもう知ってるよね?」
じっと女に上目遣いをして、少年はせがむ様な顔をした。無気力さや無感動さは薄れ、興味津々で虚空を見つめている。
それを見たエィストが見るからに動揺したかと思えば感動に目を濡らし、背後から少年を抱き締めた。
「……っ! う、うん。そうだねジョン君。良い笑顔だよっ」
「おい、俺の質問に答えろ」
質問に答えず一心不乱に少年の頭を撫で回すエィストをナガレは苛立ちを込めて睨んだ。それだけで吐く程の享楽的かつ甘い空気が脳内に広がったが、ナガレは吐き気を抑えて視線を強める。
そんなナガレの肩を叩き、『イクスの中のエィスト』が同情的な声をかえた。
「ああ、悪いなナガレさん。エルフ型の私は少年に夢中の様だ、変態だよ。ああ、質問の答えは今から見せてあげようじゃないか」
その言葉はエィストの物だったが、雰囲気や口調は若干の違いが有った。それが肉体の本来使う話し方であるという事がすぐに伝わってくるだろう。
そんな彼女は不敵なのか享楽的なのか、両方が混じり合った笑みを浮かべつつ、エルフの自分の頭を横から叩いた。
「いたっ! もう、楽しい所だったんだよ?」
「ジョン君の子供らしい顔に感動する気持ちは分かるが、さっさと話を続けるんだ」
気持ちは分かる、とばかりに頷きながらも『イクスの中のエィスト』は話を続ける様に催促する。
不満そうな顔をしていた『エルフの形をしたエィスト』だったが、それを聞いたと同時に強烈かつ悪魔的な悪戯っぽい微笑みと共に、腕を広げた。
「もっちろん! よーし! イクスちゃんは予定外だったけれどナガレさんとジョン君はばっちり予定通り! 連れていってあげるね!」
何処へ行くつもりだ、とはナガレすらも聞く事が出来なかった。
エィストの言葉はふざけているとしか思えない程の物だったが、それでいて真剣さが滲み出していた。何か、とんでもない、『何か』の根本を揺るがす事が起きようとしているのだ。
「さあ、さあ行こうか! 生きましょうか! 君達は素晴らしい、『勇者』にした意義が有ったという物だ。まあ、有っても無くてもどちらでも……ああ、楽しいのだが!」
釣られる様にイクスの口からエィストの声が沸き出している。まさしく楽しげな存在であった。
そして、イクスとエルフの口元に浮かぶ笑みが少しずつ強くなって行き、それに同調するかの様に『世界』が揺らいでいく。
「さあ、行こう! あの、『八宙那由』の居場所へ!!」
全てがエィストになっていく。
世界は崩壊し、崩壊という概念こそ何かに飲み込まれた。
そして、『勇者』達の前に『エィストという名の何か』が現れた。世界の、真実を告げるかの様に。




