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謎の異世界にトリップした人間達の話  作者: 曇天紫苑
那由他の果てに無価値を求めて
34/40

エピローグ部4話 視線を受ける勇者

 一方で、イクスは城の中を調査していた。

 幾つかの部屋を移動に使っているが、彼女の存在を『動く物』が気づいた様子は無い。彼女もわざわざ戦闘を行うつもりは無く、完全に素通りを決め込んでいる。

 今の彼女が居るのは廊下だ。城の全長よりも奥行きがあり、どう考えても空間が伸ばされているとしか思えない。

 そんな廊下の上下左右には山の様な扉が設置されている。どれも入るには少々の覚悟を必要とする程度には、危険だ。


「いや……凄い城だよ、本当に」


 鬱陶しいくらいに長い廊下で、イクスが小さく感嘆を口にする。

 その間にも彼女の探索は続いている。足下の影から広がる様に『本来の彼女』が城の壁や扉の構造、設計、装飾、あらゆる部分を調べ抜いているのだ。

 更に、彼女はスーツに宿った精霊や『能力』まで駆使して全てを理解しようと努力をしていた。だが、この城は余りにも特殊で余りにも無価値だ。そこまでしても理解が殆ど及ばない。

 イクスが感心するのも無理はないだろう。だが、それでも彼女は先へ進んでいく。


「さて、どうするかな。先客はまだ遠くらしいが」


 独り言には若干の恐怖が籠もっていた。

 この城に移動した瞬間から、城に先客が居る事は分かっている。何せ、城の壁が木に激突していたのだ。それが移動した先で広がっていた光景なのだから、彼女は大いに驚いた。


「……」


 僅かに黙り込み、イクスが怯えながらふるりと震える。精霊達が彼女を気遣う様に周囲を舞ったが、対して効果は無い。

 こうしている間にも、常時爆発的な気配が城の何処かから伝わってくる。それは余りにも暴悪で強力で、『人間』だった。

 力の凄まじさよりも、『人間が居る』という事実の方がイクスにとっては遙かに恐怖の対象であった。


「くぅ……何で人間が居るのかなぁもう……」


 イクスは強い恐怖を押し殺そうと自分の身体を抱き締めて、それでも城の探索を続ける。

 逃げ出す事は無かった。周囲に見る者が居ない為に恐怖を隠してはいないが、彼女は元々人間が最も繁栄していた地の生まれだ、耐える事には慣れている。


「嫌だなあ、はぁ……」


 大きな溜息を吐いて、イクスが心から嫌そうな顔をする。影から伸びる黒色からも同じ雰囲気が窺えた。

 当然の事ながら、肉体も黒色の何かも『イクス』なのだ。ただ、黒色には顔が無いので恐怖を読み取るのは至難の技だろうが。


「しょうがない、落ち着いて、探索、探索……」


 彼女はゆっくりと息を整えて、廊下を歩んでいる。

 数個の扉の内部に黒色が入り込んでいき、情報を仕入れていく。どの部屋にも罠や巨大な力を持つ物などが設置されていたが、やはり無価値な雰囲気である。

 意味の無い情報しか得られない事にイクスが呆れた顔を晒す。


 そんな無意味な情報収集を行っていると、精霊がスーツから現れて、廊下の壁を指さした。


「ん?」


 精霊が指さした方向へイクスが近づいていく。そこには、本当に小さな記号が刻まれていた。


「……これは文字、か?」


 十数行程度の記号の列が文章であると理解して、イクスが目を細めた。

 未知の文字で、読む事が出来ない。彼女自身の知識には無い物である。だが、彼女にはそんな言葉を読む方法が有るのだ。


「……よし」


 イクスが、ゆっくりと文字の刻まれた場所を片手で覆う。

 すると、彼女の手が薄く虹色に光った気がした。

 そして彼女の目の奥で虹色が蠢き、無意識の内に彼女は楽しげな笑みを浮かべる。だが、ほんの僅かな間の事で、それらの現象はすぐに消える。

 彼女が手を放す。すると、それらの未知の文字は読む事が可能な物へと翻訳、いや変貌していた。


「うん、読める」


 文字が変貌した、という結果以外は全く理解出来ない現象である。

 それを起こしたイクスは満足げに文字を見て、それらの文章を読み始めた。


「……『この世界のあらゆ』……『勇者とは虹色のそれに利用される哀』……『世界は実験室の』……何の事だ?」


 刻まれた文字は所々欠けていた。壊されたというよりは、風化してしまったと言う方が正しいだろう。

 つい先程現れた城だというのに、不自然な程に時代の流れを感じさせる。まるで、古の石版か何かに記載されていた物を記憶通りに写したかの様だ。

 城の壁に刻まれているという点が、更に違和感を強めていた。


「ああ、ここは読めるか……『世界とは那由他の果てに対して作用する』……」


 イクスはかろうじて風化していない部分を見つけ、それを読み進めた。


「『虹色の物はこの世界を舞台として遊んでいるが、実際の用途は違う。それは実験上かる生け贄の祭壇であり、今は』ぐっ……」


 文章を追う毎に、その額には汗が浮かぶ。まるで禁断の知恵に手を出しているかの様な雰囲気が有り、彼女は震え上がる様な気分を味わっている。

 厄介な事に、その文章を読まないという選択は出来なかった。読み進めなければならないという、半ば使命感にも似た感情が目を閉じさせない。

 そこには、世界の真実が記されていたのだ。


「『心せよ、この世界は遊び道具ではない。それよりもっとおぞましく、恐ろしい目的の』……」


 ある意味では『人間』よりも恐ろしい知識を読んでしまった為か、イクスが眉を顰めていた。しかし、その目は勝手に文字を追ってしまう。逸らしたくとも、身体が勝手に動くのだ。


「『その名を聞く者よ、逃げろ。この世界から』」


 それは、警告文だった。

 この世界がどれほど儚い土台の元に成り立っているかを理解し、それでも読んだ者だけはせめて無事に逃がそうと、そう考えた書き手の意志が伝わってくる様だ。

 そんな気持ちを受け取ったが、それでもイクスの目は勝手に続きを読んでいた。


「『那由他の果ての怪物と呼ばれる物。その名は』……『八宙」



 その名がこの世界で口にされようとしたその瞬間、イクスの言葉が止まった。



「誰だ」


 一瞬で文章から目を離し、彼女は凄まじい勢いで黒色の自分と肉体から得られる全ての情報を周囲の物に限定する。

 大気中の微生物どころか空間の動きまでもが観測可能な物となり、その場に存在するありとあらゆる物が知覚可能となった。

 だが、イクスの表情は険しい物だった。


「……誰だ」


 もう一度、虚空に向かって同じ言葉を告げる。

 彼女は、強烈な視線を感じていた。

 その名前を口にしてはならない、そう言わんばかりに視線はイクスを貫いている。絶対に届かない、超越的な存在の目だ。

 だが、何より凄まじいのは、その視線の絶望的な空虚さだった。機械的な思考すら感じられず、ただ自動的に視線を送るだけの存在にすら思えるのだ。

 

「……」


 黙り込んだイクスは、視線の正体を探ろうと全力を尽くしていた。だが、何一つ理解する事は出来ない。あらゆる感覚を駆使しても、『見られている』という事実以外は分からなかった。

 余りにも不気味で奇妙な視線だ。だが、彼女の心に在るのは恐怖ではない。ましてや喜びでもない。


 『何も感じない』


 それが、自らを貫く視線に対してイクスが抱いた感情で、それは恐怖よりも恐ろしい物だったのだ。

 ただ、視線は数秒程度の物だった。イクスが注意深く周囲を探っている間に視線は消え去り、辺りは何事も無かったかの様に静かになった。


「……何だったんだ、今のは」


 それでもイクスの記憶から視線が消えた訳ではない。彼女は嫌悪とも恐怖とも取れる表情をして、知覚情報を元の範囲に戻す。

 城は相変わらず『無価値』だった。その性質は先程の視線と実に似ていた。


「城主の目、だったのか? ……いいや、違うな」


 城の主が視線の正体だと考えたが、彼女はすぐに首を振った。

 どちらも『無価値』で『無感情』だったが、その震え上がる様な『無』は視線の方が遙かに凶悪であったのだ。

 僅かな間、イクスが黙り込む。何を考えているのかは本人にしか分からなかったが、顔からは何処か不満そうな色が見て取れた。


「……私は、この世界をそんな風に考えている訳じゃないんだけどなぁ」


 次に口を開いた時には、イクスの様子が別人の様に変わっている。

 口元に楽しげな笑みを浮かべた虹色の何かが喋っている。それは視線の正体を知っているかの様に何処かを見つめ、より一層楽しそうにしていた。


「那由様の目は怖いね……でもまあ、いっか。待っててねジョン君」


 視線を面白がりつつ、イクスの身体を借りた『何か』は知った風な様子で城を行く。その目には恐らく、行くべき道が見えているのだろう。

 だが、その足は唐突に止まり、彼女の身体から見え隠れした虹色は再び奥底へ戻っていた。


「……ん? また記憶が飛んでいたか」


 彼女は首を傾げつつも、自分に異変が起きていた事を理解する。

 これが初めてでは無かった為か、驚いた様子は無い。むしろ、『またか』と言いたげだ。勿論、自分の身体を訳の分からない物に使われていた事までは知らないだろうが。


 正気に戻ったイクスが周囲を見回していた。が、虹色は彼女の中に在る。


 そう、周囲には無いのだ。



+



「……!?」


 イクスが視線を感じたのと同じ頃、ナガレもまた強烈な視線に目を見開いていた。

 城全体が、『勇者』が、そして『世界』の何もかもが見られている。ナガレは視線の正体を理解できずとも、視線が送られた先を察する事が出来た。

 完全な無感情と無価値、無関心。

 あらゆる感情と思考と意味と価値と、その他全てが『無い』。その視線からは一切の物が感じられない、到底この世の物とは呼べないだろう。

 そして、異常極まる視線に晒されたというのにナガレは何も感じなかった。彼の精神が強靱だったからではない、ただ、『何も感じない視線』だからこそ『何も感じない』。

 極悪なまでに絶対的な視線がそこに在った。


「……チッ」


 だが、ナガレは舌打ち一つでその視線を無視する。

 視線の正体など理解出来る筈も無いが、それでも彼は気に留めない事を決めたのだ。


「どうしたの? 何か、敵でも?」


 唐突に様子がおかしくなったナガレに、女の気遣わしげで心配そうな声が送られる。

 その姿からは虚無的な視線を感じ取った様子は無く、ただナガレの顔を覗き込んでいた。


「……視線、お前は感じなかったのか?」

「え?」

「いや、感じなかったなら良い」


 小首を傾げる女に向かってナガレは軽く手を振り、気にしない様に促す。

 視線は既に消えていた。その目が『世界』を捉える事は、時間にすれば僅かな物だった様だ。


「視線……?」

「だから、良いって言ったぞ」


 全く理解していない様子の女に向かってナガレが言葉を吐き、それ以上は言わないという態度で背を向けた。

 女は釈然としない気分となった様だが、それでも気に留めない事にしたのか、すぐに彼の横へ並んだ。


「そうだ、貴方は何時からこの『世界』に?」

「……結構前だぞ。ま、外見は変わってないが」


 ナガレは切り替わりの早い女に向かって内心で僅かに戸惑っていた。余り慣れない類の相手だからか、彼は少し話し辛そうだ。

 だが、女はそうでも無いのか、積極的にナガレへ話しかけている。


「へぇ、『勇者』の外見は変わらないのね……そういえば、そういうのを研究している国も有ると聞いた事が有るわ」

「まあ、不老不死は人類の夢であり憧れだ。それは世界が変われど同じだな」

「でも、『先』が分かっていれば死はそんなに怖い物じゃないわよ? 特に、肉体の方はね」

「……それはお前が変わってるだけだ」


 呆れ顔を晒しつつ、ナガレはじっと女の姿を見ている。

 服装は良い物ではない。田舎の村娘くらいの物で、断じて高級品とは言えないだろう。彼女ほどの美人が纏うには役不足な服である。

 しかし、彼女の全身から溢れる雰囲気や力強さは服装の貧相な印象を覆す物だ。側に居れば誰にでも分かるが、柔らかな中にも威圧感の様な物が含まれている。

 そして何より、彼女の立ち振る舞いには隙が無い。隣を歩くナガレが急に攻撃を仕掛けたとしても、討ち取る事は出来ないだろう。

 ナガレは自分が負けるとは思えなかったが、女が強力極まる存在だという事はしっかりと理解していた。


「そうだ、お前さんは何者なんだ? 見た所、エルフじゃないらしいが」

「そうね……一番近い所で言うと……精霊? ほら、こんな感じで」


 ナガレが尋ねると、彼女は少し迷って答えを返す。

 それと同時に腕を捲って二の腕を露出し、それがナガレの視界にしっかり入っている事を確認すると、その腕が透けながら薄く光った。


「ほう……」

「ほらね? 私は肉体じゃなくて、概念的な物を体にしているの」


 関心した様子のナガレに向かって女は少し自慢げな顔を見せている。

 だが、ナガレはそこに言及する事は無く、何故か鼻を彼女の腕に近づけていた。


「ふんふん……」

「……え、あ、もしかして臭うのかしら?」

「良い匂いだな、お前。自然の匂いと言うか」


 不安そうな顔をした女へナガレの返事が飛んだ。すると彼女は顔を仄かに赤くして口を噤み、不満げな様子でナガレを見つめる。


「……」

「はっはっは! 悪い悪い、気を悪くするなよ」


 軽く肩を叩き、ナガレが謝罪を口にした。自分でも余り良い行動ではないと思っていたのか、謝罪は心からの物だった。

 それを聞いた女は僅かに目を細め、だが怒らずに肩を竦めた。


「もう、貴方って人は何だか……」

「何だろうな?」

「何でもないわ。悪戯的な人なんだなぁ、って思ったのよ」


 軽く息を吐く姿からは呆れた様子が強く伝わってくる。それでも嫌悪した訳ではないのか、ナガレに向けられたのは微笑みだ。


「褒めてるのか? ま、それは良い。俺は暴れたいだけだが……別に、人と喋りたくない訳じゃないさ」 


 笑みを返すナガレからは、『ただ自分の力を振るいたいだけ』という男の雰囲気は殆ど感じられなかった。

 しかし、その中にも強烈な力が発せられていて、普通の人間であれば単に話すだけでも気後れしてしまうだろう。ただ、この女は普通ではないので明るい表情をしている。


「まあ、人と喋るのが億劫でも人と喋らないと寂しい、っていうのはよく有るわよね」

「ああ、だが俺はそういうのとは違うぞ」

「分かってるわ。でも、そういう感じでしょう?」

「そういう感じ、か……さあな」


 二人は軽く、時折重く会話を交わしている。

 その間にも、足は休まず先へ進んでいた。警戒を鈍らせた様子は無く、二人は決して油断はしていない。ここで扉から山の様な罠や物が溢れ出したとしても、簡単に対応出来る。


「で、俺達はどこに向かってるんだ?」


 ふと、ナガレが足を止めて女へ尋ねた。実の所、彼は適当に歩いていただけだ。城主を知るらしい女に任せていたので、何も考えてはいなかったのだ。

 それは女の返事を理解した上での質問である。だが、彼女が返してきた言葉は予想だにしない物だった。


「んー……どこだろう」

「分かってなかったのかよ」


 首を傾げた女に対して思わずナガレが苦笑いを向けた。どうやら、二人は城主の元へ向かっている訳ではない様だ。

 ナガレに白い目で見られている事を理解したのか、女は軽く咳払いをした。


「んんっ! まあ、そうね。多分きっと、面白い事でも有るんじゃないかしら」

「面白い事か? そいつは具体的にどういう……」


 女の言葉を深く尋ねようとしたナガレが、唐突に口を閉ざす。その目は自然と周囲へ向けられて、彼の口元には凶悪な笑みが浮かんだ。


「ああ、こういう」

「そうね、こういう」


 ナガレが納得した様子で頷くと、女も頼もしげに相槌を打つ。

 すると、周囲を囲む扉が一斉に開き、山の様な数の『動く物』達が現れた。



 ナガレは全く体を動かさないまま、凶悪な殺気を放出する。廊下の全てが蹂躙されるかの如き気配は何とも恐ろしい物だ。

 だが、隣の女も負けてはいない。一瞬で背中から輝き過ぎる程に光る翼を放出し、笑みを浮かべている。



 この城に存在する物は『城主を除いて』生命も意志も持たない。だが、もしも持っていたならば、この二人の姿を見た時点で逃げていただろう。





 イクスは考え続けていた。

 一体、自分を見ていた存在は何だったというのか。この城は一体何の為に作られたのか。そんな疑問が頭の中で回り続け、その答えを得る為に神経を集中させている。

 それでいて、無防備ではなかった。黒色が常時周囲を漂っていて警戒を怠る様子は無く、肉体の思考とは別に行動している。

 例え今から『世界』を破壊する攻撃を受けても、彼女だけは生き残るだろう。大半の事には抵抗出来る筈だ。

 そんな風に思考を続けるイクスだったが、同時に自分が答えを知る手段が有る事も理解していた。


「……答えを手繰り寄せる事も、出来ない事は無い筈だが……」


 自分の人型の手を見つめ、小さく呟いている。

 イクスの『勇者』としての力は、『意味不明な課程と理屈で結果を作る』事だ。強烈極まる力であり、即座に疑問の答えを『作る』事も可能だと彼女は理解している。

 だが。


「……駄目だな、この方法は取ってはならない気がする」


 軽く首を振ると、彼女は眉を顰めて自分の手を引っ込めた。

 『それ』の事を知ってはいけない、理解してはならない。

 そんな予感がイクスの心へ突き刺さっているのだ。

 だからこそ、余計に気になるのだ。力を使っての理解は出来ないにせよ、何とか答えを掴もうと彼女は思考を続けている。


「……っ」


 思考の海に沈んでいたイクスの顔が、少し持ち上がった。

 目は城の何処かへ向けられて、この場を見ていない。彼女は察知していたのだ、城の少し離れた場所で大規模な戦闘が起きている事を。


「あの、人間か……」


 暴悪な気配を隠さずに爆発させ、次々と城に設置された物を破壊している存在が居る。それに気づいたイクスが思わず嫌そうな声を漏らした。

 主に、気配の主が人間だという事実がイクスを嫌な気分にさせるのだ。


「……面倒な事だ」


 顔を軽く押さえながら、彼女の体から黒色が湧き出る。それはゆっくりと周囲を覆い尽くし、廊下の壁中を染め上げた。

 他人が居ない場所だからか、彼女は自分の『正体』を隠していない。いや、もしかするとこの城の空気が彼女にそうさせているのかもしれない。

 彼女の知覚出来る範囲で戦いは繰り広げられている。相手に察知される危険を避ける為か、黒色は何処か慎重な動きで城を浸食していた。

 それでも、探知能力は微塵も衰えない。彼女は少し離れた場所で起きている事を認識する。


「……うわ、おっかない」


 思わず声が漏れる。

 そこで広がっていたのは、イクスを以てしても化け物的だと感じざるを得ない光景だった。

 何百もの城の仕掛けが同時に動いて攻撃を仕掛けているというのに、そこに居る男はそれらを避けながら破壊しているのだ。技術や経験に依る物ではない、完全に力付くで全てを突破しているのである。

 まるで人間とは思えないが、イクスの感覚は正しく男を人間だと認識していた。


「関わらないでおこう……」


 寒気を堪える様な息を吐いて、イクスは騒ぎが起きている場所から背を向けた。歩いていく方向は反対側で、絶対に遭遇しない様に探知も怠たっていない。

 だが、彼女は忘れていた。あるいは意識を逸らされていた。


 その城は、空間を歪めている可能性が有るのだ。距離や方向などという常識が通用するとは、思ってはいけなかった。

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