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謎の異世界にトリップした人間達の話  作者: 曇天紫苑
那由他の果てに無価値を求めて
31/40

エピローグ部1話 勇者と勇者

「あれが、シュ=オートスノムか……」


 『この世界での』強者に戻ったナガレは、ゆっくりと町の外観を確認した。

 それだけなら単なる偵察行為に思えるかもしれない、だが、彼が居る場所は町を取り囲む森の中ではなかった。それより遙か上、つまり上空だ。

 人間が空に何の準備も装備も無しで飛ぶ姿を見れば、軍用機のパイロットでも動揺して操作を誤り、下手をすればナガレに追突して墜落してしまうかもしれない。

 だが幸いな事に、この周辺には航空機を作る文明を持つ国家は存在しない。その手の文明が入る余地の無い程に強烈な技量を持つ戦士が多数存在するからだ。

 本来、英雄がたった一人で戦局の全てを左右するなどという事はあり得ない。圧倒的な科学技術と数の暴力で押し切れる筈だ。だが、科学技術を一刀で斬り伏せる戦士達はそんな常識をあっさりと覆す。

 技術の進んだ国に対して、一騎当千の戦士の群れは互角に渡り合う。その結果、国を二つ程越えるだけで全く異なる文明に触れる事が可能なのだ。まるで、誰かがお遊びで整えたかの様に。


「確かに嫌な雰囲気だな、いや、あるいはこれが正常なのか?」


 だが、そんな事はナガレには関係無い。彼はただ、シュ=オートスノムと呼ばれる町を上空から観察しているだけだ。

 そもそも、彼がどうしてあの町を見ているのか。それは一言で言えば『依頼』だった。

 世界最強に戻った彼の元へ届いた、多額の報酬が入った封筒。その中に町の場所を示す地図と町を偵察する依頼が同封されていたのだ。

 普通ならば罠だと疑う所だろう。と言うよりは、ナガレはその罠ごと潰すつもりでこの場に来ていた。


「シュ=オートスノム、か……」


 もう一度、ナガレは確認をするかの様に町の名前を繰り返す。

 遠目に見ても真っ当とは言い難い町だった。遠距離からでも強く感じられる邪悪な気配と、思わず眉を顰めたくなる雰囲気である。巧妙かつ狡猾に隠されているが、ナガレには見抜く事が出来た。


「はっ……こりゃすげえ」


 思わず、ナガレが賞賛の口笛を吹く。

 空から見たシュ=オートスノムは、地上から見るよりも遙かにおぞましい。町の建造物が何らかの印らしき物を形作っているのだ。

 町自体が元々、何らかの儀式場だったと考えるのが妥当だろう。そんな物を作り上げる力を持つ存在を、ナガレは知っている。


「で……居るんだろ?」


「私に何か用事?」


 ナガレが虚空へ声をかけると、その存在は簡単に応えた。

 空中には何時の間にか一人の少女が浮かんでいる。それはナガレの隣で不気味な嘲笑を浮かべていて、どこか面白がる様子で世界を見渡していた。

 誰が想像するだろうか。少し変わった類の単なる少女が、本当は古より伝わる邪神だという事を。

 あらゆる者を嘲笑するこの邪神は、少し前にナガレの手によって封印から解放されている。以来、彼女とも彼とも呼べない邪神は時折ナガレの前に現れていた。


「久しぶり、なのかな? 相変わらず恐ろしい強さを感じるよ……あ、この世界ではね」

「お前こそ、相変わらず酷い笑顔だ」

「これは私の親から受け継いだ笑顔だもん。おじさんの意見は聞いてないよ」

「どっちもどっちで馬鹿っぽいんだよ、お前もお前の親も。俺も人の事が言える程賢い訳じゃ無いがな」


 その存在だけで国々が震え上がる邪神に向かって、ナガレは軽く毒を吐いた。

 そんな対応に面白さを感じたのか、少女の顔に享楽的な笑みが浮かぶ。


「あははっ、相変わらずあなたは私に遠慮しないね。他の『勇者』達は私を敬うか、憎悪するんだけどなぁ」

「悪いが、お前が今まで何をやって来た事も、これから何をするのかも、興味は無いんでね」

「そういう所が面白いのに。私の配下に加わってみる気はない?」

「無い。お前と組むくらいなら虹色の馬鹿と会う方が楽な部類だ」


 慣れた様子で会話を交える二人には、敵意も悪意も無い。純粋に互いを馬鹿にした様子で、嘲笑し合っている。

 これも一種の仲の良い腐れ縁と呼ぶべきなのだろうか。二人とも、相手の存在をある程度は認めている様だ。


「まあ、お前の事なんざどうでも良い。俺が聞きたいのはあれの事だ」


 外見だけは愛くるしい少女のおぞましき邪神にナガレは尋ねる。指は足下の遙か先に存在する町を差し示していた。


「お前の町だろう、あれは」

「え? ああ、あの町? 確かにアレは私を信仰している町だよ」


 特に知られても構わない情報だったのか、少女はあっさりと頷いて、ナガレの質問に肯定を返す。眼下の町は邪神の存在を歓迎するかの様に輝いていて、それ自体が一種の怪物とも思えた。


「なら……あの依頼は、お前の物か?」

「そうだと言えばそうだし、違うと言えば違うかな。私は信者に依頼を出す様にお告げをしただけだよ」

「なら、お前に依頼を出せと頼んだのは?」

「それが出来るのは、少なくともこの世界では一人だけだろうね」


 応える少女の顔は親を想う者でありながら、恋焦がれる者の様でもある。この邪神がそんな表情を見せる存在は、言うまでもなく『アレ』だけだ。

 『虹色の享楽主義的な何か』を頭に浮かべつつ、ナガレは肩を竦める。


「また、あいつか……ふん、奴に踊らされている様だが、まあいい。暴れられるなら何でも構わん」


 自分が掌の上だと自覚しているというのに、ナガレには迷いなど無い。彼の顔には自分の力を振りまく事が出来る喜びだけが溢れていて、他の事はおまけ程度にしか考えていない事が強く伝わってくる。

 ひたすらに頑なな姿は、邪神すら呆れ顔を晒す程の物だった。


「そういう所、本当に怪物っぽいよね。人間らしさが感じられないって言うか……」

「馬鹿、『勇者』ってのは皆『どこか外れてる』か『完全に外れてる』からこっちに来たんだよ」

「……それもそっか、人格的には君より凄いのも見た事があるしね」


 納得した様子で、和やかに少女が頷いた。彼女の思考には今まで出会った『勇者』の数々が確かに居るのだろう。


「他の連中とも関わっていたか……封印状態でも活動出来る辺り、お前は流石だよ」

「そうかな? 最初に君と会った時の私は、本当にちょっとした事しか出来なかったんだけれど」

「そのちょっとした事だけで、幾つの国が滅んだんだ?」

「……うーん、百……は行ってないかなぁ。力を取り戻したから、ついさっきも内戦を煽って五つくらい国を滅ぼしてきた所だよ。人間の火種はちょっとした準備の上で着火するだけですぐに大火事になるから楽しいね」


 本当に楽しげに邪神は邪神らしい事を語っている。自分の力を使って人類を滅ぼす訳ではない所が実に恐ろしかった。

 とはいえ、幾つ国が滅ぼうが世界が滅ぼうがナガレには興味の無い事である。彼は邪神の話を聞き流しつつ、町の様子をじっと伺っていた。


「……無視しないで欲しいな。これでも君に会った時に自慢しようと頑張ったんだよ? 幾ら私でも安定してる国を力技抜きかつ、一日で滅ぼすのは大変だったんだから」

「ああ、凄いな。凄いじゃないか、凄いんだな」


 頬を膨らませて不満を漏らした邪神を適当に放置しつつ、やはり彼の目は町の奥へ向かっている。

 恐ろしい程に高性能な彼の目は、町民の姿すら捉えているのだろう。それらが人の形を取っている怪物だという事も、理解している筈だ。


「ほんと……恐ろしい人間」


 隣で見ていた少女の形をした邪神が、ナガレの事をそう評価する。

 この邪神は力押しを好まない。相手の心を腐らせ、それを周囲に伝播させて最終的に滅びへ持って行く様な、恐ろしい趣向と思考の持ち主だ。

 故に、彼女はある意味で他者を『導く』事を得意としている。そして、それが通用しないのがこの男だ。

 その心を動かす事も出来ず、曲げる事も落とす事も出来ない。彼が負け犬から最強に返り咲いたのも、結局は彼が邪神の意図を放置して自分の意志で結論を出してしまった事なのだ。

 自分の意図を力技と暴力的な感情だけで無力化する、どうやれば邪神の好む展開になるのかが一切思い浮かばない『やる気を奪ってくる』男。

 『勇者』は皆そうだ。頑なで、曲がっても曲がらない。それに対して、邪神は敵意とも取れない感情を浮かべた。

 『勇者』が、ナガレが幾ら凄まじく一貫した精神の持ち主だろうが、邪神の行動は只一つ。


「……いずれ、落としてやるんだもん」


 相手の事ばかり考えて、相手の心をどうやって動かせば良いかを四六時中考え続け、その為なら労力を厭わない。

 それはどこか、恋する乙女の様でもあった。



「そんな事はどうでも良い。お前、あの町の事には詳しいんだな?」


 熱っぽい少女の目を受けても、ナガレは無視して自分の聞きたい事だけを尋ねた。

 邪神がまた頬を膨らませる、この挙動は彼あるいは彼女が親から教わった物だ。正体を知らなければ愛らしく、正体を知っていればおぞましく見えるらしいが、やはりナガレには効果が無い。

 無駄を理解した邪神は、諦めて質問に答えた。


「……まあ、そうだけど」

「じゃあ一つ聞くが……」


 ナガレは軽く腕を上げて、空中で軽く足踏みをした。




「これは、何だ?」




 言葉が響いたその瞬間、ナガレと邪神の元へ巨大な黒色が迫って来た。

 それはまさしく正体不明の存在であった。何せ、ただ黒色なのだ。何らかの形を取っている訳でもなく、不定形の存在は悪夢の様な速度で二人を飲み込もうとしている。

 不吉な気分にさせる黒い物に飲み込まれれば、恐らくは簡単に命を奪われるだろう。


「で、どうなん、だっ!」

「何だろこれ。知らない、ねっ!」


 だが、正体不明の『何か』が迫るくらいで怯える要素をこの二人は持ち合わせていない。

 ナガレは再び邪神に問いつつも、黒色に対して何らかの攻撃を仕掛けて後退させる。邪神はその問いに否を返しつつ、ただ存在するだけで黒色を吹き飛ばした。


「どう見ても怪物絡みだぞ、邪神のお前が知らないのか」

「うーん……って言われても困っちゃう。この『世界』の存在じゃないみたい」


 軽々と黒色を撃退した二人は特に危機感を抱かず、その場で話をしていた。

 黒色の攻撃は先程では終わらなかったのか、再び町から爆発する勢いで吹き出してくる。


「すると……『勇者』絡みか、それともお前の虹色な親か?」

「さあ、お母さんの意図を私は知らないから」


 自分達を飲み込まんとする存在が再び迫って来ている事を知覚しつつも、二人は焦らず騒がず、ただ事実を確認していた。


「じゃ、私は逃げさせて貰うね」


 焦らず騒がず事実を認識した邪神は、軽く手を挙げてナガレから背を向ける。

 今の黒色に対して何らかの行動を起こすつもりは、そもそもこの邪神には無い。ナガレをこの場へ連れてきたのは『邪神の母』で、彼女には母親の邪魔をする気など僅かにも無かった。 


「待て、一つ言っておく」


 少しずつ体が消えていく少女へ、ナガレが声をかけた。


「なあに?」

「正体を知っていると、お前の少女口調は気持ち悪いな」


 あっさりとした、だが相手を馬鹿にしている事が伝わる一言だった。

 黒色が自分に迫っている事も忘れて、邪神が少し眉を顰める。この少女の形もある種の『真の姿』である。それに見合った口調を気持ち悪いと言われたのだから、少しは傷つく物だ。


「……悪かったね、じゃあ今度会う時はもっと怖い奴になってやるから覚悟してよ」


 不貞腐れた邪神の足を黒色が浸食した。

 だが、次の瞬間には少女が穴の開いた風船の様に破裂して消える。肉体が破裂した為に『中身』も飛び散ったが、ナガレは全て避けた為に一滴も被らずに済んだ。

 別れ際の嫌がらせが失敗した事に舌打ちをする音が聞こえたが、ナガレどころか黒色さえも聞き流した。



「で、お前は何だ? 無益な戦いは大好物でも、説明くらいは欲しいんだが」


 邪神が去った事を確認して、ナガレは黒色へ声をかける。

 その音を察知したのか、黒い何かが物理法則を無視した形容出来ない動きでナガレの元へ迫った。


「交渉の余地は無しか、燃えるじゃねえか」


 ただ、ナガレが軽く手を横へ振る。軽い動きで発生した衝撃波が黒色へ向かい、それを軽々と切り分ける。

 しかし、黒色は切り裂かれてもそれぞれが個別に彼へ襲い掛かる。それは取り込んで一体化する姿を想起させ、絶対的な防御を敷いても浸食する事で突破するのが簡単に想像できた。

 ナガレが『その程度』で倒される筈も無く、彼は迫る黒色を掴んだ。瞬く間に手が黒色に呑まれるが、それは彼の腕を取り込もうとした時点で呆気なく消える。


「利口だな」


 紛れもない賞賛をナガレが口にした。彼は、自分を浸食しようとする物を逆に喰い殺そうとしたのだ。だが、その寸前で察知されて逃げられてしまった。


「ふ、ははは。心が本当に燃えて来たぞ……」


 勘も鋭く、この遙か上空に居る男を攻撃範囲に出来る程の相手だ。嬉しそうに笑い声をあげて、ナガレは自分を殺そうとする黒色を軽く薙ぎ払う。

 それを狙っていたかの様に、黒色が何かを行う。するとナガレの腕が突如爆発し、その眼前に巨大な何かが現れた。


「うおっ! これは……凄いなおい!」


 僅かな隙も無く腕を修復し、感嘆に近い声をあげてナガレがその巨大な何かを一瞬で両断する。

 この世界には余り馴染みの無い物だ。棒状をした兵器で、推進機によって飛んでくるだけで凄まじい威圧感を与えている。


 それはつまり、大型のミサイルだった。


 ミサイルは二分割された瞬間、それぞれが個々の兵器としてナガレの追尾を開始した。


「おお! 望んだ現象を起こす能力、って所かぁ!」


 たったそれだけの事で町中に居る何者かの力を理解して、ナガレは一発の拳を迫るミサイルに向かって放つ。

 虚空を打つだけのそれは、何故かミサイルを粉々に砕いた。その破片がまた追尾型の超小型攻撃機になろうと動いたが、次の瞬間には存在の欠片も残さず消し飛んだ。


「はっ! この程度じゃないんだろうっ!」


 攻撃を鼻で笑いつつ、彼は次に来るであろう攻撃に備える。

 ミサイルの破片が次々と爆発したが、彼には一撃すら届く事は無かった。


「さあ来い! 来ないのならこちらから、だ!」


 挑発を仕掛けているが、相当の相手だ。乗ってくる事は無いとナガレは理解している。

 乗り気では無かったのだろう、ナガレへの追撃が仕掛けられる事無く、空には平和な空気が戻ってくる。

 予想外の事だったが、彼は失望しなかった。


「なら、こちらから行くとするぞ!」


 笑みを浮かべたナガレは、楽しげな様子で空中から『飛び降りた』。

 ここで初めて彼の体は落ちていき、少しずつ町との距離を縮めていく。不思議と黒色が攻撃を仕掛けてくる事は無く、実に平穏な降下だ。

 凄絶な迎撃が有ると考えていたナガレは微妙な表情になる。

 彼は別に邪悪な性格をしている訳ではないが、それでも自分が力一杯暴れる事が出来る場を求める男だった。そう、『攻撃』が仕掛けられなければ『反撃』も出来ないのだ。

 ならば、と不審そうな目でナガレが町の周囲の様子を伺がった。森には興味が無かった為、特に注意を払っていなかったのだ。


 彼は『それ』を見て、初めて驚愕を目に宿す。



「何……!?」



 ナガレの視界に、飛び込んできたのは……


+


 時間を僅かに戻して、ナガレがミサイルを全て迎撃して見せた頃、町中、より正確には民家の中で彼に攻撃を仕掛けていた者が、呆れる様な溜息を吐いていた。


「……成る程。騎士の連中とは比べ物にならないな、化け物か。いや、人間だろうな……」


 『人間』という単語に若干の恐怖を乗せて、人間の女の形をした存在が呟いている。

 それは透き通る様な美しい声で、物憂げな態度はどこまでも綺麗に見える。だが、その片腕は完全に黒色の『何』と化していた。

 まるで、黒色が女を喰い殺している様だ。だが、実際には女の本来取るべき形がこのおぞましき黒色なのである。


「まさか逆に喰われるとはね。何で奴だ」


 肩を竦めながらも、彼女の目には不安と恐怖が有った。

 遙か上空の男に自分を浸食されかけた事が原因ではない、その男が『人間』だという事が彼女にとっては我慢出来ない程に怖いのだ。

 その部屋には他に誰も居ない。その為か、女は肩を震わせて自分を抱き締めた。


「とんでもないのが来たな……私でどうにかなるのか……でも、約束だし……」


 自分に言い聞かせる様にしながらも、女は上空の存在に心から恐怖する。

 そもそも、彼女が上空で監視をする男に気づいたのはつい先程の事だった。ふと空を見て、偶然に目に留まったのだ。

 優れた目で相手が『人間』かつ『凶悪な力を持っている』事に気づいた彼女は、自分の一部を空へ送っていた。だが、それも相手の男によって返り討ちに遭ってしまった。

 暴虐なまでの力を受けて、彼女はすっかり怯えていたのだ。


 その男が今、空から落ちてきている事も理解しているが、彼女には何も出来そうにない。そう、誰か、第三者が彼女の様子に気づかない内は。


「イクスさーん、ご飯の時間だよー?」


 その第三者は、少年だった。彼は事態に全く気づいていない暢気な口調で扉を開けて、部屋に入ってきた。

 声を聞いた女、イクスは体を一瞬震わせたが、そこに居るのが見知った少年だと理解して弱々しく片手を挙げる。


「あ、ああ。やあ」

「あれ、どうしたの? 何だか顔色が……」


 少年が不安そうにイクスの様子を伺っている。

 普段の不敵な笑みが全く無い事も加えて、イクスの様子は明らかにおかしいのだ。何かの異常事態が起きた証拠だった。


「……襲撃だ」


 側に居る『人間』の少年に若干の恐怖を感じつつも、彼女はしっかりと事実だけを口にする。


「え?」

「……襲撃だ、と言ったんだが」


 呆然とした少年に、もう一度彼女の声が向けられる。

 少年がその意味を呑み込んだのは、数秒後の事だった。


「……ええっ!?」


 少年は思い切り目を見開き、驚いた様子で身を硬直させる。だが、それも僅かな間だけの事だ。即座に正気に戻って、彼は素早く身を翻す。


「す、すぐにお父さんを呼んでくるね!!」


 知っている中では一番に頼れる父親へ向かって、少年は走り出した。入ってきた時の暢気さを捨てた顔は真剣で、危機感に溢れる物だった。

 そんな少年が部屋から去っていく姿を見て、イクスは安堵を漏らす。例え味方の子供でも、『人間』は怖いのだ。


「……ああ、頑張って呼んでくるんだよ。私の手に負えるかも分からないしね」


 恐怖を覚えつつも、イクスの目は落ちてくる『人間』へ向けられていた。

 空中からの自由落下なのか、それほど早くは無い。町中へ着地するまでにはもう暫しの時間を必要とするだろう。その高さから『人間』が落ちれば無事では済まない筈だが、尋常ならざる存在は例外である。

 イクスの心はまだ強烈な恐怖を感じている。いや、その感情は更に強くなっていくのだ。相手は止まらずに町へ近づいてくる。

 しかし、迎撃の一つくらいはしようとイクスは恐怖をねじ伏せながら目を細めた。

 すると、彼女の身の奥深くから黒色の何かが沸き出してきた。それらは同時に刃物の様な鋭さを帯びて、幾つもの剣と防具の様に彼女の周囲を漂っている。

 それは斬った者に確実な致命傷を与えるだろう。彼女の『勇者』としての能力が付加されている為か、鋭さ以上に凶悪な力を感じさせた。

 そんな武器で周囲を固めると、彼女は僅かに深呼吸をして空を見つめる。

 落ちてくる『人間』へ狙いを定める為だ。だが、イクスが見たのは意外な光景だった。


「ん……?」


 『人間』は確かに今も落ちている。それは全く変わっていないのだが、何故か落下する先は町中から大きくズレていた。

 落下する際の姿勢制御を誤ったのかもしれないが、それにしては狙っていたかの様な動きだ。それまでは町の真ん中へ着地すると確信が持てたが、今は明らかに森の方向へ向かっている。


「進行方向を変えた? 一体どうして……」


 相手の狙いが理解できず、イクスが思わず首を傾げる。同時に、安堵の息も漏らしていた。

 彼女が疑問を抱いていても、落ちていく人間の進行方向は変わらなかった。むしろどこか急いだ様子で速度を上げて目標へ飛び込んでいく。

 森の中に何が有るのかを探る為、彼女は自分の目を森へ向ける。しかし、何かを視認する前に再び背後の扉が開いた。


「い、イクスさん!!」


 部屋から飛び出していった少年が戻ってきた。先程よりも更に真剣で危機感に溢れた表情をして、彼はイクスの姿を見るなり彼女へ掴み掛かる勢いで接近する。


「大変だ!!」

「それは分かってる」

「そうじゃなくて、大変なんだよ!」


 殆どパニックを起こした少年は、イクスが嫌そうな顔をするのも気づかず彼女の手を掴んだ。


「おと、お父さんが、おとうさんが、言って、非常、何が……イクスさん!」

「落ち着け」


 目に余る程酷く混乱した少年の頭をイクスが軽く叩く。軽くと言っても、少年にとっては相応の痛みが来る一撃だ。

 

「うっ! ……うん、ごめん、でも!」


 イクスの一撃で僅かに落ち着いたが、それでも少年は声の調子を落とす事は無かった。

 過呼吸を起こす寸前の息遣いが彼の凄まじい動揺を表している。


「町の外、外に……外の森に!」


 その言葉に触発されて、イクスが素早く自分の目を使って森を見る。

 凄まじい速度で外に存在する物を見た彼女の目が見開かれる。事前に心の準備をしていても予想出来ない光景がそこに広がっていたのだ。


「外の森に、大きな城が!!」


 シュ=オートスノムを覆う森の中に、巨大な城が出来上がっていた。

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