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謎の異世界にトリップした人間達の話  作者: 曇天紫苑
シュ=オートスノムを覆う影
22/40

3部3話 その女の恐怖

 彼女の顔から、不敵な笑みが消えた。


「ふぅぅ……」


 軽く溜息を吐いたイクスは、唐突に周囲を見回して監視の目が無い事を確認し始める。

 キョロキョロと様子を窺う姿は先程までの不敵な笑顔や機嫌の良さを感じさせず、どこか臆病かつ警戒心の強い子供の様に疑いの眼を部屋全体へ向けている。

 それまでの彼女からは想像出来ない態度だが、それは同時に彼女『らしい』と思える姿でもあった。


「……よしっ」


 やがて周囲に何らかの『人間の眼』は無い、と理解したイクスは、今度はだらしなくベッドに飛び込んだ。


「ん、しょっと……」


 それと同時に彼女は上着を脱いでベッドに放り出す。それだけではなく、彼女は面倒そうな顔でシャツにまで手をかけ、ついでとばかりにズボンも脱いで同じ様にベッドへ放り込んだ。


「ふぅ……ああ、落ち着くぅ……」


 下着姿になったイクスは、自分自身の体もだらしなくベッドへ転がすと、虚空を見つめてシーツを強く握り締めた。


「……バレては、いないよな……」


 怯えを感じさせる声を上げ、彼女は掴んだシーツごと体を小刻みに震えさせている。

 数秒前までの彼女しか見ていなかったならば、そんな風になる姿を想像する事すら出来なかっただろう。今のイクスはまるで別人の様だ。


「大丈夫、大丈夫さ。あんなに頑張って演じたんだからな」


 自分に言い聞かせる様に呟き、彼女はそっと深呼吸をする。素肌を適当にシーツで覆い、枕に頭を乗せる姿に力強さは欠片も無い。

 だが、これこそが何の演技も含まれていない、イクスの本来の姿なのだ。この世界でそれを知っている者は彼女自身を除けば一人も居ない。普段から不敵な笑みとスーツで自分を隠す彼女の本心を見る事は、通常の手段でも特殊な手段でも不可能だ。勿論、歪む天空はそれを知っているのだが。


「……このシーツ、ちょっと寒いな」


 自分で服を脱いでおきながら彼女はそんな事を呟き、そっとシーツに触れる。すると、シーツは一瞬にしてふわふわとした羽毛布団に変化した。


「これで良し」


 満足げに頷くと、彼女は緩んだ笑みを浮かべて布団を抱き締めた。暖かいのか、満足げな表情をしている。

 相手は布団とはいえ、甘えきった表情である。それもまた、先程までの微妙に気取った所のある女の挙動からは考えられない。

 下着一枚でそんな事をしながら、彼女は僅かに顔を持っていく事で窓の外をそっと眺めていた。


「あの連中、早く消えてくれないかな」


 ふるり、とイクスが震えた。

 そこにはまだ人間が居て、イクスは心底怯えた様な顔をする。

 そこに居る者達は彼女が最も恐れる存在だった。いや、この者達だけではない。この世界に存在する数の多いその種族が大の苦手で、怖いと感じているのだ。

 そんな種族の名前を語るのは、簡単である。



 ――人間



 そう、人間だ。

 彼女は人間に対し、明確に怯えていた。恐怖の余り逃げ出しかねない程に怖がり、今にも逃げ出しかねない顔をしていた。

 それでも現実には逃げずに済んでいる最大の理由は簡単だ。演技をする事で、自分の恐怖を殺しているのである。


「人間ほど、恐ろしい物は無いさ……」


 思わず漏れた小さな恐怖の声が、部屋の中に透き通る様に広がった。

 だが、その言葉は真実では決してなかった。自分に言い聞かせるだけの、単なる後付けの理由だ。

 その恐怖に理由が有る訳ではなく、彼女は生まれた瞬間から『そう』であり、恐らくは死んだ後まで『そう』で有り続けるのだから。


「この世界は、まだ良いけど……でも、人間は居るか」


 その言葉通り、彼女は『勇者』だった。

 この世界に来た理由は考えるまでもない、元居た人間が支配する『あの星』は彼女にとっておぞましく、魂が壊れ尽きる程の恐怖の対象だったのだ。


「……」


 エルフなどの『人間に限りなく近しい別の生き物』なら、問題は無い。彼女にとってそれは人間ではないのだ。

 が、この世界であろうが何処であろうが人間だけは駄目だ。耐え切っている様に見えるのは単なる演技で、その魂は今にも逃げ出す程の強烈な恐怖を覚えているのである。


「……良い町だなぁ」


 そんな彼女にとって、この町、『シュ=オートスノム』は殆ど理想郷に近い場所と言えた。

 この町からは、今にも怪物が沸き出してしまいかねない恐ろし過ぎる邪悪かつ嫌悪感を向けるべき破滅的で混沌とした嘲笑の気配が漂っている。

 巧妙に隠されたそれは常人には気づく事すら叶わないだろうが、『勇者』である彼女は探知出来ていた。普通なら逃げるか町に攻撃を仕掛ける所だが、イクスだけは例外だ。


「くぅぅ……良い、この、人間らしくない感じがとても良い……」


 歓喜に似た強烈な感情の発露が生じ、イクスはあらゆる内臓から引き出したかの様な喜びを口にする。

 人間を嫌う彼女は、その代わりに人間以外の物をとても好んでいた。あの少年と共にいた獣に対して敬意とも取れる態度を示したのも、それが一因だ。

 例えそれが自分を滅ぼさんとする邪悪極まる気配だったとしても、彼女には関係無い。人間でなければ問題無い。


「ふ、くく……ああ、こんな町に来る事が出来るなんて。命を捨てなくて本当に良かった。こんな能力も貰ってしまったし」


 寝転がりながら、イクスは天井に向かって手を伸ばす。

 その手を一度握り、開く。すると腕が完全に人間とは異なる、あらゆる生物に該当しない怪物の物となった。が、一瞬の事で、すぐに綺麗な元の肌へと戻る。

 だが、手の中には何時の間にか輝く偏四角多面体があった。それも次の瞬間には何の前触れも無く、子猫の形をしたぬいぐるみに変わった。


「うん、これで良し……」


 下着姿のままでぬいぐるみを抱き締め、イクスが満足げな声を上げる。

 今起きた、『何なのか分からないがとりあえず結果だけは分かる』現象こそ、彼女がエィストから渡された力だった。

 何を起こす能力なのか、彼女自身にすら完全には理解できない。ただ、訳の分からない理屈で望む通りの結果を呼び寄せる、あるいは作り上げる。


「……この能力、一体何なんだろうね」


 彼女自身、その能力に時折疑問を覚える事もあった。今現在もそうだ。能力の事を考えると、自分が自分でありながら恐ろしい『何か』に変えられてしまったかの様な気持ちの悪さを感じるのだから。

 彼女は気づいていないが、自分の能力を見つめる眼はどこか虹色に輝いている様に思えた。


「ま、良いか。『楽しい』し」


 自分の能力に対する疑念をあっさりと捨てて、イクスはぬいぐるみを片手に微笑む。

 すると、部屋の外から声が聞こえてきた。


「入っていいですか?」


 声は少年の物だ。

 イクスは機嫌良くしていた所に水を差されたからか、余り嬉しくなさそうな顔をした。が、すぐに表情を整え、返事をする。


「どうぞ、入っても良いよ。鍵なんて最初から無いしね」


 鍵を作る事も出来たが、それはしなかった。ベッドに転がる事が最優先で、それ以外の事は後回しにしていたのだ。

 イクスの返事を聞いたのか、少年が扉を開けて部屋に入ってくる。


「イクスさん、とりあえずお菓子をもっ、って……!?」

「ああ、ありがとう。……どうしたのかな?」


 部屋に入ってイクスの姿を見た少年が、眼を見開いて持っていた菓子を落とした。菓子は間一髪で獣が乗っていた皿をくわえたが、それに気づいてすらいない。

 少年は赤いという言葉では形容仕切れないほどに顔を赤くして、思い切り震え上がっている。それは怒りにも似た震えだ。

 目は何とかイクスから逸らそうと必死になっているが、どうしても離れない。それは少年には毒になる程に魅力的で、強烈で凄まじい光景だ。


 そう、イクスは下着姿だったのだ。


「……う、うわぁ!? ごめんなさい!?」


 何秒も遅れて理性が状況を受け取ったのか、少年は勢い良く顔を覆った。

 それを見たイクスが不審そうに眉を顰めたが、少年は気づかずに後ろを向いてしゃがみ込んだ。


「……いや、別に構わないんだが」

「構うの、僕が! ああもう、ああ! 我慢できなくなったらどうしてくれるのさ!」

「残念ながら君は……まあ、頑張れ」


 少年の扱いを決めかねているのだろう。イクスは微妙な顔をして、困った様子になった。

 その間にも少年はイクスを見る事はなく、ひたすら顔を青い様な赤い様な何かにして、何度も首を振っている。


「服、僕今後ろ見てる、服着て、服!」

「だから、君なんて……いや、分かってるよ。あはは、悪い」


 慌て過ぎて片言になっている少年の言葉を聞いても、イクスは全く気に留めていない様子だった。が、その足下の獣が少年を気遣う様に吠えると、彼女が様子を変えてベッドの上の服を手に取る。


「ん、すぐに着るから安心すると良い」


 イクスは内面の感情を完璧に隠蔽し、不敵な笑みを浮かべて服を身に纏い始めた。

 布が擦れる音ですら少年には辛い物だったのか、彼は目を思い切り瞑って耳を押さえている。青い顔を通り越して、気絶しかねない。

 ただ、そんな心配は杞憂に終わる。それよりも早くイクスが着替え終わったのだ。


「終わったぞ、もう振り向いても構わない」

「う……本当?」

「嘘を言ってどうする」


 イクスの言葉を受けて、少年が恐る恐る振り向いた。


「ああ……良かったぁ」


 思わず安堵の息を漏らし、少年が体の力を抜く。イクスはしっかりと元の服装へ戻っていて、素肌の露出は殆ど無くなっていた。

 思わずヘたり込む程に脱力した少年は、彼女の姿を視界に捉えて眉を顰める。


「あのね、鍵も無い部屋であんな格好をしちゃ駄目なんだよ?」

「そう言われても、この服はちょっと暑くてね。部屋の中で着る服じゃない」

「じゃあ他のを着れば良いじゃん……」

「好きなんだよ、これが」


 自分の服の裾を摘み上げ、彼女はそれを軽く持ち上げる。白いシャツが肌を隠しているが、少年が思わず目を逸らすのが見えた。


「ふふ、全く。君は大変そうだ」


 内心の動きは無視し、イクスが軽く笑っている。

 そんな目や声を向けられた少年の顔に余り良くない感情が浮かんだが、それはすぐに消え、代わりに緩い笑顔が現れる。


「大変も何も……まあ、いいか。それよりお菓子は食べる?」

「良いさ、食べさせて貰おう……おや、ありがとう」


 少年が持っていくよりも早く、隣に居た獣が頭に乗せた皿をイクスに近づけ、彼女に菓子を渡していた。

 彼女は機嫌良く獣が持ってきた皿を受け取り、その体を何度も撫で回す。とても優しい手つきであり、彼女の内心を何よりも如実に表している。

 撫でられる獣も彼女が振りまく愛情を理解していて、警戒の欠片も感じられない甘えた鳴き声を発していた。


「あんなに懐いちゃって……ちょっと寂しいかも」


 それを見ていた少年が微妙な顔をした。獣がイクスに向けるのは、間違いなく心身を預けきった態度だったのだ。


「おっと、悪いね。君の友達なんだったか」


 頭の端でそれを聞いた女は、至極残念そうに獣から手を放す。

 すると獣は残念そうに一鳴きしたが、すぐに自分の役目を果たすべく少年の足下へ戻った。


「えへへ、そうそう。僕の友達」

「……美味いな、これ。チョコレート的な、クリーム的な……」


 嬉しそうに獣の頭に触れる少年を瞳で捉えつつ、彼女は渡された菓子を咀嚼していた。

 本来はスプーンを使って食べるべき物だったのだが、彼女は気にせずに素手で食している。それでもはしたなく見える事は無く、優雅で実に映える姿だ。


「そんなに美味しい?」

「ああ、好きだね。誰が作ったのかな?」

「お母さん」

「だろうね、そうだと思った。君のお父さんは尻に敷かれる類かな」


 軽く会話を交わしつつも、イクスは食べる事を止める気配は全く無い。

 見る見る内に菓子は無くなっていき、数秒もあれば完全に消えた。


「ふふ……美味しかった」


 食べ終えて、彼女は名残惜しそうに指を軽く舐める。色気と魅惑的な挙動で、しかし彼女は無意識にそれを行っている。

 それを行う度に少年の背筋には魂を貫く様な何とも言えないゾクゾクとした感覚が走るのだが、彼は自分のそんな感情を無視した。


「……うん、えっと。嬉しいよ」

「ん? ああ、そうだね。君の母親に御礼を言っておいて欲しいな」

「う、うん」


 機嫌良く笑いかけてきたイクスを見て、少年は誘惑に駆られる様な顔になりつつ、生返事で答える。

 そうしながらも、彼は窓際に近づいてゆっくりとカーテンを閉めた。窓の外からは少年を射殺す様な嫌悪が感じられたが、端からそれを察知したイクスはむしろ嬉しそうにしていた。


「ん……夜は外に出ちゃ駄目だよ」


 イクスの態度に疑問を覚えつつ、少年は忠告をする強め口調で彼女へ声をかけた。


「どうしてまた」


 少年のやけに強い言葉にイクスが首を傾げる。

 そんな反応を予想していた少年は、カーテンで隠された窓の外から感じる視線を受け流しつつ、静かに答えた。


「危ないからさ、この町の人達は怖いよ」

「……へえ、危ないのか」


 関心を持った様子でイクスがベッドから身を乗り出す。瞳には隠しきれない『虹色に輝く』好奇心が見え隠れしている。


「どうして危ないのかな」

「ええと、あの……」


 彼女が突如発した謎の雰囲気に気圧されたのか、少年が一歩後ずさりながら目を逸らす。

 だが、答えない訳にもいかない。少年は逃げ腰になりつつも、しっかりとした言葉で応えた。


「あの、それは。ここの人はイクスさんみたいな人が大好きだから、酷い事になるって……」

「……へぇ」


 少年が話し終わる前にイクスの興味を示す声が響き、言葉を止める。

 じっと少年がイクスの目を見つめると、彼女は不敵かつ凶悪そうな享楽を感じさせる笑みを浮かべた。


「ふふ、分かったよ、まあ、出来るだけ夜は大人しくしていよう」

「……」


 本当に分かっているのか、とても怪しい。

 問い詰めたくなる程に怪しさ極まる表情だったが、少年はそれを信じて納得するしか道が無い事を理解した。


「まあ、それなら良いんだ。それと……」


 渋々と彼女の言葉に頷き、続いて少年は迷いを表すかの様に目を泳がせた。

 それはもう、内心で言うべき事を言わないでおくべき事を必死で選択しているのだろう。何か致命的な事を隠そうと、全力を尽くしている。


「……その、また騎士が僕達を殺しに来た時は、助けてくれる、かな?」

「何で私が……いや、別に構わないよ」


 数秒迷った少年が最終的に言った事を聞き、イクスは少し難色を示した。

 だが、その足下に居る獣が自分の事をじっと見つめている事を理解すると、諦める様に頷いていた。彼女は凄まじい程に人間以外には弱いのである。好意的な存在には、特に。


「そっか。よ、良かった! そうだ、まだ他にも……」


 その感情の動きに気づいているのかいないのか、少年は安堵の息を漏らして話を続けようとした。


「……なあ、少年」

「まず……ん、何?」


 それを遮って、イクスが少年へと声をかける。静かな声の中には絶対に無視できない響きが有り、相手の言葉を遮るには十分な力が存在する。

 少年がイクスへ意識を向けて、訝しげな様子になっている。それを分かっていて、彼女はその顔に悪戯っぽい物を作り上げた。



「……私の体はそんなに素晴らしかったのかな?」



 少年の心に突き刺さる様な言葉が響いた。

 それを受けた少年は胸を押さえる様に顔を赤くして、訳の分からない動きで体を震わせる。


「はうっ……! あ、あ……じゃ、じゃあ! でも、夜は本当に外へでないでよっ!」


 少年は逃げる様にイクスから背を向け、隣の獣を連れて部屋から飛び出していく。来た時の数倍の速度で逃げていく様は何かに堪えているかの様であり、何かを期待する様にも見えた。


「……行ってくれたか」


 少年が去っていった事を確認すると、イクスは狙い通りの展開に対して作り上げていた笑みを片づけ、何やら怯えが混ざった顔になる。

 話を中断させる事が出来たと安堵して、彼女はまたベッドに体を預けて目を瞑った。

サービスシーンとも取れない微妙なサービスシーンが私は大好きです。

それとですね、イクスがこんな性格になったのはですね、クール系と怯える子が可愛いという作者の好みを一人で表現できる様にしたいと思った結果です。スーツとかも。


『輝く偏四角多面体』そのまま、『輝くトラペゾヘドロン』。クトゥルー神話に登場するアイテムで、限定条件下でなら『闇をさまようもの』……というかニャル様を召喚できる。召喚しても碌な事にはならないだろう。アーカム計画でも重要な位置に有るアイテムだった。

ちなみに本作の世界観にはニャル様は居ないので、奇妙な魅力の類すら無い単なるオブジェである。

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