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謎の異世界にトリップした人間達の話  作者: 曇天紫苑
シュ=オートスノムを覆う影
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3部1話 『勇者』と騎士と少年と獣

 深淵なる森の中に、走る影が二つあった。

 追いかけているのは大柄な男だ。よくよく見れば遠目からでも軽装とはいえ武装をしている事が明らかであり、その姿からは誇り高き騎士という風情を感じさせている。

 そんな騎士は剣を片手に持ち、腰を落として走っていた。かなりの身体能力を持つのか、その足は強烈なまでに早く鋭い。

 追いかけられている影には、大きな物の上に小さな物が乗っていた。

 大きな方は狼の様な巨大な生き物だ。怪物と呼ばれる様なおぞましい存在とは思えないが、自分より遙かに大きな物であっても食料とする、獰猛な肉食獣の顔をしている。

 見かけを裏切らない俊足だ。その上に乗っている小さな物は、振り落とされない様にしっかりと掴まっている。

 それは小さな少年だった。金髪と穏やかそうな容姿が印象的で、どちらかと言えば垂れ目気味の目元が緩い雰囲気を表し、見る者の心を落ち着かせるだろう。


 勇猛そうな騎士と、巨大な生き物。そこに少年が居なければ、何らかの神話を思わせる光景だ。


「もっと早く、急いで! お願いだから捕まっちゃ駄目!」


 少年は巨大な生き物の上に全身で乗り、凄まじい早さに必死で耐えていた。

 その表情は恐怖に歪んでいる。目には涙を溜め込んでいて、今にも失神して倒れてしまいそうだ。


「……」


 そんな姿を哀れむ様に捉えつつ、騎士は更に足を早める。何処となく情深い性格を思わせたが、体の動きは残酷にも少年に殺意を向けていた。


「ひっ……」


 恐ろしい気配を受けて肺から漏れ出る様な声を上げつつも、少年達は逃げていた。

 狼の様な生き物の足はとても早い。が、騎士もまた相当の駿足だ。気を抜かれれば追い付かれる。


「はやく! 町中で対応しないと!」


 背中を軽く叩き、必死になって急がせようとしている。生き物もそれに応じ、足を更に素早い物とした。

 周囲の木々を紙一重で避けていき、通常の獣では出来ない様な凄まじい速度で走る。が、騎士はあろうことかその生き物に併走している。


「なん、なんでっ!? なんであんなに早いのっ……!」


 少年が驚愕と恐怖で悲鳴を上げた。武装していても駿足を維持する騎士の姿は、到底人間とは思えない。


「……」


 恐怖の籠もった声を耳にしても騎士は顔色を変えず、一定した呼吸のペースを持続させて、ただ足を急がせた。

 とはいえ、騎士もあくまで怪物ではないのだ。木々を避け、視界に生き物を捉えたまま走るのは並大抵の事ではないのか、併走は出来ても接近は未だに出来ていない。

 当然だ、騎士は人間であって、相手は大自然を生きる獣なのである。元々の基礎的な身体能力が全く異なるのだ。


「……」


 その事に対して苛立ちを覚えたのか、騎士は初めて表情を不機嫌そうな物へと変えて、腰に備え付けられた鞘から短刀を取り出す。

 手入れの行き届いた、見るからに切れ味の良さそうな刃だ。それを騎士が振れば、巨木であっても断ち切られるだろう。

 そんな刃物を握った騎士の目が、鋭く細められる。その間にも足が止まる事はない。ただ、その動きからは若干の変化を窺う事が出来る。

 騎士は接近を諦めたのか、併走を維持していた。


「よしっ……良くやったよ! このまま町まで振り切って!!」


 それを見た少年が思わず安堵の息を吐き、生き物を労いながら激励をする。

 少年の目は平均的な人間の物で、騎士が短刀を握っている事を捉えられる程の目を持っている訳ではない。それが故の安堵だった。

 狼の様な生き物も少年の安堵を受けて気が抜けたのか、ほんの少しだけ足の動きを緩めた。

 そんな隙を見逃す騎士ではない。彼は短刀を僅かに持ち上げ、若干の憐憫を感じさせる瞳で少年を捉える。


「……くっ」


 自嘲と決意が混ぜられた声だ。それでも騎士の顔には戸惑いなど無く、短刀を持つ手には微塵の躊躇も無かった。


「仕方、あるまいっ!」


 自分に言い聞かせる様な声と共に、騎士は握っていた短刀を投げる。

 少年を狙った物だが、届く筈がない。そこは森の中であり、障害物は山ほどある。その短刀は少年に突き刺さる事も無く、木々に止められる筈だ。

 だが、騎士の短刀は木々を縫う様に動いた。比喩ではない、蛇の様な動きで障害を避けて進んでいる。


「良し、良しっ! もうすぐだから、もうちょっとだけがんばって!」


 少年がそれに気づく事は無い。空気を引き裂くナイフの音は耳に届く事も無く、逃げきれると確信していた。

 短刀はそんな少年の体に向かって無慈悲に飛んでいき、騎士の苦しげな顔が動きを阻害する事も無く、完璧な動きで到達した。


「ひゃ、あぐっ!」


 少年の口から、苦痛の余りに妙な声が上がる。

 短刀が見事に少年の背中へ突き刺さっている。驚きと痛みで少年は腕の力を抜いてしまったのか、狼の様な生き物の体からずり落ちた。


「ひうっ……あ、ぁ……」


 少し遅れて自分の体に短刀が刺さっている事を認識したのか、少年が怯える様に自分の背中に触れた。

 小さな体には十分に大きいのか、短刀はやけに大きく見える。弱々しい姿は外見よりも幼く見えた。

 狼の様な生き物は僅かに遅れて立ち止まり、即座に少年の元へと戻ってくる。その背中に刺さっている物を見て、彼、あるいは彼女は悲痛な鳴き声を上げる。


「……追い詰めたぞ」


 そんな一人と一匹の目の前に、騎士が立っていた。

 騎士としての誇りという物を持ち合わせているのだろう、その顔には弱者を痛めつけた事への自己嫌悪が含まれている様に思える。

 だが、剣を鞘から取り出す姿には一片の慈悲すらも感じられなかった。


「ひ、あ……」


 木々の間から微かに覗く陽光が、剣を輝かせる。その輝きは少年にとっては恐怖の対象だった。

 少年は酷い恐怖に駆られ、怯えながら後ずさりをする。が、背中から血を流し、かつ腰が抜けた状態では逃げる事も出来ない。


「や、ぁ……誰か、誰か助け……殺さないでぇ……」

「子供を殺すのは気が引けるが……悪いな、あの町に生まれた事を呪ってくれ」


 命乞いをされたが、騎士は自分に言い聞かせる様に少年の言葉を拒絶した。

 そんな騎士の前に、狼の様な生き物が威嚇をしながら現れる。


「……立派だな、主を守るとは」


 忠犬を思わせる姿に騎士が賞賛の声を出す。

 彼か彼女かは分からないが、その生き物は少年の盾になろうとしているのだ。それは少年にとっては嬉しい事ではないのか、その生き物の足を弱々しく掴んでいる。


「あ、や、だめ……にげてぇ……」


 少年の言葉を受けても、その生き物は動かなかった。ただ、騎士に向かって強烈な殺気と敵意、そして死に向かう覚悟を見せつけている。


「……見事だ」


 いよいよ見事なその姿に、騎士は心から尊敬に似た目をした。それでも剣の動きは鈍らない。騎士の顔にあるのは、やはり苦しみと敵意だった。


「どうして、どうして逃げてくれないの……」

「お前が言った所で、その忠犬は動くまい……なら仕方あるまい。お前から先に……斬る!」


 騎士が自分に向けた声を発すると共に、手に握る剣を凄まじい勢いで振り上げる。

 上段から振り下ろす一撃である。通常であれば横からの攻撃に弱くなる攻撃だが、この騎士は有形無形の僅かな動きを取り入れる事で完璧な防御と、攻撃を現実にさせていた。

 狼の様な生き物に迫る剣は、間違いなく即死の一撃となるだろう。




「それは、いけないね」




 それを分かっていたから、その存在は超越的な早さで騎士の懐へ飛び込んでいた。

 少年にも騎士にも、そして狼の様な生き物にも、その存在が姿を現したと認識する事は出来なかった。凄まじい早さで、五感が察知する事すら許さなかったのだから。


「う、おぉぉお!?」


 それでも、第六感を働かせた騎士は探知した。

 だが、反撃は間に合わない。騎士が生き物への攻撃を止め、防御に入ろうと動くより早く、その存在が攻撃を仕掛けてきた。


「ぐ、がはぁっ!?」


 肺の奥が潰れる様な声が上がる。

 認識不可能な次元で放たれた一撃を、騎士は真っ向から受けてしまった。

 何をされたのかも理解出来ず、また相手がどんな姿をしている事すらも捉えられず、騎士は森から叩き出される様に吹き飛んだ。


――何だ、何だ、今のは!?


 体が吹き飛ばされても、騎士の優れた武が流れる背景の中で思考を続けている。

 が、やはり自分が何をされたのかは理解できない。ただ、それを為した存在の姿がほんの微かに、微かにだが……『虹色に輝いている』事を認識出来ただけだった。


 騎士に出来る事は、吹き飛び続ける体を何とか整えて撤退し、応援を呼ぶ事以外には何も無かった。











+










 騎士が吹き飛ばされる姿を、少年は捉えていなかった。

 ただ、何かが現れたと同時に騎士がこの場から叩き出された、という結果だけは理解できる。

 一体何が現れたのかと少年は今まで騎士が居た場所を見て、思わず息を呑んだ。


「わ、ぁぁ……」


 自分の背中に短刀が刺さっている事も忘れて、少年は目を見開いた。

 そこに居たのは、一人の女だ。

 この世界の平均的な人間の身長よりも背が高く、間違いなく少年の頭一つと半分程度の長身はあるだろう。それでいて体は細く、しかし不健康そうな雰囲気は無い。むしろ、戦闘に秀でた引き締まった細身と言うべきだろう。

 黒髪が特徴的で、少年から見て左側は短髪だが、そこから右側に行くにつれて少しずつ流れる様に髪が長くなっていき、最後には腰まで届く長さになっている。

 服装も少年の知らない異国風、いや異世界風の物だ。

 少年は知らなかったが、それは『ズボンタイプのレディーススーツ』だった。

 遥かに離れた異国ならいざ知らず、この周辺でその様な服を身に着ける類の人間は、一つしかない。


「あ……『勇者』?」


 少年が小さな声で呟いた。

 だが、そんな事は本当はどうでも良い。服装も髪型も確かに変わった物で見知らぬ世界から来た存在という雰囲気があるが、それらを塗り潰す程に印象的なのが、顔だ。

 見目麗しく整った物ではあるが、少年の心を掴んだのはそこではない。彼女の最も印象的で、見れば一生忘れられない部分、それは……口元に浮かぶ、不敵な笑みの事だった。


「……大丈夫かな?」


 女が、口を開いた。その笑みに似合う、聞き取りやすく深みを感じさせる声だ。


「え……ぁ……」

「成る程、大丈夫ではないらしいね」


 飲み込まれる様な雰囲気に少年が返事を出せずに居ると、女は納得した様子で頷いた。

 彼女は何となく人間離れした空気を纏っていた。その目は少年よりも狼の様な生き物の方へ向けられていて、どこか優しげだ。


「君は平気かな? ああ、大丈夫。危害は加えないさ」


 若干の警戒と共に唸る生き物の体を、しゃがみ込んだ女が出来るだけ気遣わしげに撫でる。

 すると、彼、いや彼女かもしれないが、その生き物は一気に大人しくなった。まるで女が『何』なのかを理解したかの様だ。

 答礼でもするかの様に、獣がまた唸る。彼女はそれだけで相手の意志を感じ取ったのか、理解した様子で頷いて見せた。


「そっか、君は良い子だ」


 楽しげに笑うと、彼女は少し立ち上がって少年の元へ行った。数歩あれば行ける距離だが、何となく煩わしげに思えるのは気のせいだろうか。


「彼が、君を治してほしいと言っていてね」


 ともかく、彼女はその場にへたりこむ少年の背後に立ち、そこに刺さっていた短刀を思い切り引き抜いた。


「ひぐぅっ!」


 瞬間、少年の口から人間の発する事の出来る物としては最上に近い苦痛の悲鳴が上がる。

 今まで短刀が蓋をしていた出血が一気に広がって、少年の着ている服は瞬く間に真っ赤になっていく。刺さっている場所と出血量から言って、危険な状態と言える。


「いた、痛いよぉっぅ……」


 悲痛な声で呻き、少年は何とか血を止めようと必死で背中に手を回した。

 そんな少年に刺さっていた短刀を捨て、女は軽い笑みを浮かべて少年の背中へと触れる。


「い゛っ!? や、や……」

「黙っていて欲しいな、落ち着けない」


 激痛で逃げようとした少年の腕を掴み、女はその傷口へ手を置く。いや、短刀が刺さっていた中にまで指を入れている。


「っ……! ……っ!」

「暴れないで、我慢しなさい」


 凄まじい痛みに少年が声にならない悲鳴を上げた。助けを求めて思わず獣の方を見たが、助けが入る様子は無い。

 悶絶した少年は四肢を動かし、暴れ回る。が、女の凄まじい力で掴まれている為か、逃げる事は絶対に出来なかった。

 少年は狂乱し、気絶しそうになっている。そんな姿をどう見たのか、女は変わらない笑顔のまま、背中から指を引き抜いた。


「……ほら、もう終わった」

「ひぐ、ぎぃ……え、わっ……!?」


 言葉と同時に、女は突き放す様に少年を解放した。

 急な事だった為に少年は僅かにたたらを踏んだが、すぐに正気に戻って自分の背中に意識を向ける。

 傷は、そこから生じる痛みも含めてどこにも残ってはいなかった。


「は、はれ……?」

「傷は全部治しておいたよ。外も中もね。痛かったかもしれないが、内部まで完全に修復しておいた」


 彼女の言う通り、少年は自分が今まで感じていた筈の苦痛が何時の間にか消えている事を理解する。

 方法はともかく、どうやら助けられた様だ。少年はそれを認識し、礼の言葉を口にした。


「あ、ありがとう……」

「良い。そこに居る子の頼みだ」


 今も少年の顔は青かったが、それでも感謝の意志は伝わったのか、彼女は照れ隠しの様に視線を外して獣の方を見ている。

 獣もまた、御礼と親愛を告げる様に女へ吠えていた。


「あはは、そう褒めるなよ」


 今度は照れていると分かる表情になって、それでも女は不敵な笑みを崩していない。

 何となく、少年と獣で扱いが違う様な気がした。


「さて、もう大丈夫だ。思わず手を出してしまったが、私はこの辺で……ん?」


 女はやるべき事を終えたと認識したのか、二人から離れようとする。が、その寸前で獣が服の裾を噛んでいた。


「あ、こらっ! 服なんか食べちゃ……」

「良い。それより……どうしたんだ?」


 少年は獣を注意しようとしたが、女がそれを制止して獣の目を見つめる。

 獣もまた、裾を噛むのを止めて女の目を見つめ返した。意志疎通が完全に出来ている、そう感じるには十分な程に息の合う姿だ。


「……」

「ああ……それは、ああ。分かったよ」

「…………」

「そうかな? いやいや、心配は要らないし遠慮も要らないよ。私の趣味みたいな物でね」


 実際、女は獣の思考を理解しているのだろう。少年には理解できない何かを使って、一人と一匹は意志疎通を可能としている。

 女と獣は楽しげで、とても奇妙とは思えない光景だった。


「まあ、任せておいてくれ……よし!」


 話を終えたのか、女は言葉を止めて少年の方へ目を向けた。少年が僅かに表情を変えたが、彼女は無視して平気な顔で笑ってみせた。


「少年、君を町まで連れていこう。この子がそう願っているのでね」

「……え?」

「聞こえなかったのかな? 町まで安全に連れていってあげようという話だよ」


 そう言って、女はゆっくりと手を差し出してきた。やや強引な挙動だが、少年の手を無理矢理取るつもりは無い様だ。

 信頼しても良い物か、そんな気持ちが沸いてくる。僅かに獣の方へ目を向けると、まるでその手を取れと言っているかの様に頷くのが見える。

 少年は、己の友である獣の気持ちを信じる事を決めた。


「……えっと、その、お願いします」


 少年はおっかなびっくりに、だがしっかりと女の手を取る。

 すると、驚くべき事が起こった。視界が一瞬だけ消えたかと思うと、女の後頭部が広がったのだ。遅れて、少年は自分の体が女に背負われている事を理解した。


「へ、へ?」

「行くぞ、ほら君も」


 一体、何がどうなっているのか。少年が戸惑っている間に、女は歩み始めた。

 獣は少年を託して隣を歩いている。何が起きたのかはよく分からないが、それでも進んでいくのだ。


「……」


 少しばかり背中が痒くなって、少年が僅かに体を動かした。

 背中を治すにしても、他に方法は無かったのか。

 少年は問い詰めたくなったが、痛みは記憶に残っている。何も言う事が出来なかった。

 ただ、とりあえずは言っておかねばならないと思った事を、少年は口にした。


「……ええっと……ようこそ、『シュ=オートスノム』へ」

さて、3部開始です。

言うまでも無いかもしれませんが、この章のタイトルの元ネタは『インスマスを覆う影』です。だからってインスマス面が出てきたりはしません。

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