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2部5話 馬頭の蝙蝠羽



「え、えっと! 母さん! 『勇者』の血、取ったよ!」


 ナガレから発せられる空気に耐えかねたのか、少女は彼から背を向け、階段の先に居る女へと声をかけた。

 その手に握られたナイフは鋭く、血が付着している。愛らしい外見と相まって、少女の姿がどこか怖い。


「良くやってくれた、我が娘よ。さあ、ナイフを持ってくるのだ」

「うんっ! 私、上手くやれたかな?」

「そうだとも、とても良い裏切りだった。子供に裏切られる人間の姿は滑稽で、面白い。さあ、こちらへ来るんだ」


 それを見た女が満足げに頷いて、手で少女を呼び寄せる。フードの奥にある顔が恐ろしい笑みで彩られているのが分かった。


「てめぇ……」

「黙っているといい、『勇者』よ。君の役目はもう終わったのだから」


 自分を睨んでくるナガレには冷ややかな嘲笑を浴びせ、女が前方へ手を伸ばす。女の前へ到着した少女が、持っていたナイフをそこへ置いた。

 血は何故かナイフに付着したままで、女の手に着く様子は無い。


「は、はいっ。母さん、これで良いの?」

「勿論だとも」


 不安そうに顔を覗き込んでくる少女に対し、女が笑いかけた。彼女が喜んでいる事を察して、少女が目に見えて明るくなる。

 そのまま、女が少女の頭を撫でた。愛しい物を扱う様に、丁寧に丁寧に優しい手つきだ。


「ふふ、良い子だ……」

「はう……うん、ありがとう」


 少女が嬉しそうに悦に浸り、艶っぽく思える笑みを浮かべた。

 褒められる事を喜ぶ少女の顔はとても幼く、外見の年齢よりも更に子供らしく思える物だ。ナガレに向けていた物とは、性質が異なる。


「良い娘だ。本当によくやってくれる。さあ、最後に……」


 愛情を向けられた女は、少女を抱き締めて数歩退く。

 その足下には、何らかの印が書き込まれていた。


「母の言葉を聞いてくれ、さあ、私の娘よ……」

「う、うん……?」


 立つべき位置に来た女が、少女の意志を確認する。よく分かっていないのか、少女は戸惑った様子で頷くだけだ。

 が、それだけでも了承の意志を確認するには十分な物だったのだろう。女は笑みを邪悪な物へと変えて、少女の腹部へと触れた。


「我が娘、その血と魂の全てを、私と我が神に捧げよ」


 その言葉を女が発した瞬間、少女の腹部に縫いつけられた紋章がその身を貪る様に光り輝いた。


「っ!? ひぐっ、あ゛ぁっ!」


 光が少女の身を抉る様に削り取り、余りの痛みにその口からは絶叫と呻きと苦悶の声が沸きでる。

 それと同時に少女の腹部からは大量の血が吹き出し、台座にまき散らされた。

 その血液は瞬く間に印へと飲み込まれていき、すぐに消えていく。が、少女は変わらない苦しみにのたうち回り、女の目の前で倒れた。


「ぇ、あ……な、んで……?」

「供物として、我が娘の血を捧げるのだ」


 縋る様な少女の声を、その女は嘲笑するかの様な意志で答えた。

 例え自分の娘であっても関係無く、女の目は愚かな子供を見つめ続けている。そこで利用された事に気づいたのか、少女が少しだけ顔を上げる。


「母さ、ん」

「そう、その苦しみ。母親に裏切られた感情……それこそが、最高の供物になる」


 興奮に頬を紅潮させながら、女は懐からナイフを取り出した。


「さあ、生贄は揃った。悪意と絶望と、その滅び行く意志、怪物達の魂も……集まった」


 祭壇には山の様な怪物の死体が転がっていた。いや、それは彼女の身の中から沸き出す様に現れて、そこへ置かれていくのだ。

 それこそが、ナガレの感じていた『怪物の集合体』らしき物の正体だった。

 最後にスケルトンの骨を取り出して祭壇へ設置すると、女は手に持っていたナイフを自分へと向けた。


「そして、我らの血も……また」


 女が自分の胸にそのナイフを突き刺した。

 同時に、虚空から現れた信者達が一斉に自分の胸へナイフを突き立てる。そく見れば、その中にはナガレの前で少女を追っていた者達も居る。

 例外は、それを遠くから見ていた『虹色の』信者の一人だけだ。

 山ほどの血が彼らの胸から溢れ出した。それらはゆっくりと印の中へと吸収されていき、段々と印が輝きを宿しているのが見える様になっていく。

 邪悪な空気がその場へと浸透していった。それだけでダンジョン内部の雰囲気は一気に重くなり、凶悪な重圧がその場の全員に降り懸かった。


「……成ぁる程、俺を連れてきたのは、番人のドラゴンを倒す為か……」


 何故か少女を助けずに事態を観察していたナガレが、目を細めて彼らの姿を見ている。

 人型だが、とてもではないが生き物だとは思えない。そんな人間達を見て、彼は大方の事情を察していた。あの印は、何らかの恐ろしい存在を封印した物だ。それが解放されれば、世界が汚されてしまいかねない。


「それも有るが、一番肝心なのはこれだ」


 心臓に刃物が刺さったまま女はナガレの思考に頷いて、その手に握られたナイフを持ち上げた。

 そのナイフはナガレの体を突き刺した物で、付着した血はまだ一滴も落ちていない。それを持つ女の顔は、どこか得意げですらあった。


「邪神様の封印は、『勇者』の血によって解かれる」


 言葉と同時に、彼女はそのナイフを印の中央へと置いた。

 すると、周囲を漂う邪悪な気配が更におぞましい物へと深まり、その奥に蠢く悪意が闇色に煌めいていく。ダンジョンの内部の壁が次々に染め上げられているのだ。

 深淵な悪意の底から覗き込まれている様な不安感がその場の全員に襲いかかる。が、誰も表情を変える事は無く、女に至ってはその苦悶に近い暗黒を喜んで受け入れていた。


「さあ! 今、封印が壊れる! この大地も、宇宙も貫く悪意の邪神が、再びこの世へと現れる!」


 腕を広げ、女があらゆる物に酔っているかの様な顔で悪意を受け入れた。

 ナガレが僅かに虹色の髪をした男の方へ目を向けると、その存在はただ面白がって頷き、ウインクを決めてみせる。

 それには気づかないまま、女は自分の血と『勇者』の血を印の内部へ埋め込んだ。


「ふ、ふふふ! この瞬間を私は数十年待った! さあ、今こそ封印を解き……ましょう!」


 印が描かれていた祭壇に亀裂が走った。

 その瞬間から、まるで世界が終わってしまったかの様な絶望感に心が浸食される。ナガレはそのまま受け流したが、女はそれを自らに受け入れた。


「がっ、ふ……ぁぁああ! 何と素晴らしい地獄の気配! これが、これこそが私の望む世界の形!」


 祭壇の亀裂から現れた羽が体に致命傷に近い傷を与えるも、女は何も怯まずに喜色満面で叫んでいる。

 それはまさしく狂気だった。流れる血が、黒い服を赤く染め上げても、太股の刺繍が血の中へ飲まれる様に消えていっても、彼女はあくまで喜んでいたのだ。


「祈りましょう祈りましょう! 望みましょう望みましょう! 世界は、願いの通りに存在するのだからっ!!」


 そんな喜びは、封印されていた存在に届いたのだろう。祭壇が崩れ落ちて、羽を持った何物かが姿を現した。

 鳥のシルエットをしていたが、余りにもおぞましい。羽は地獄を現す様に燃え盛り、胴体は爬虫類が集合したかの様だ。体中から漏れる赤い液体はあらゆる物を汚すかとすら思える程の不気味さを持っている。

 歪んだ女神像の要素を持つ頭部の様な何かはその目を異様に動かして様子を窺って、女を視界に捉えた。



「おはようございます! 邪神様ぁ!」



 女が在らん限りの敬意を籠めて叫んだ。

 これこそ、彼女が知っている邪神の姿なのだ。

 数十年前、幼い頃に夢に出た邪神は彼女をこの道へと誘った。そう、人類に繁栄とその後の破滅を与え、嘲笑せんとする邪神の声を受けたのだ。共に、世を笑い飛ばそうと。


 その瞬間より数十年、あらゆる事を捨て、あらゆる物を嘲い、追い求めてきた邪神がそこに居る。


「あはっ、はは、あははは!」


 肉体と魂が余りの邪悪さと恐怖に耐えかねていた。だが、女にとっては自身の体の状況などどうでも良く、むしろ痛みが意識をすっきりとした物にさせている。

 その間にも濃密な邪悪がダンジョンを飲み込んでいった。まるで、最初からその場所は自分の腹の中だったと言わんばかりだ。

 邪神と呼ばれた存在は、羽を大きく広げた。それだけで祭壇だった物は完全に吹き飛び、その一部がナガレの元へ飛んでいく。


「……邪神、ねぇ…………」


 自らの元へ飛んできた瓦礫をあっさりと弾き、ナガレがその存在を見つめた。

 たかが人間の視線など興味の埒外なのか、その存在は何も反応せずに羽を更に広げた。絶望と災いを思わせる羽が、やがては世界を覆い尽くしてしまいかねない。

 この世界を終わらせない為にも、早急に対策が必要だ。最早一瞬の猶予も存在しない。そう感じさせる光景である。

 しかし、ナガレはじっとその存在を見つめ続け、悠長にも小さく声を上げていた。


「邪神、か……」

「そうだ、邪神様だ! 素晴らしいだろう? これほどまでに恐ろしくおぞましく、甘美な世界を与えてくれる!」


 言葉を耳にした女が機嫌良く返してきた。

 その瞬間、背後に居る存在の胴体から一本の触手が彼女と、倒れ伏す信者達へと迫った。


「げふっ! ……ふ、ふふ、食べたいのですね、私達を!」


 何の抵抗も無く女と死した信者達が触手に身を貫かれ、魂と生命を喰われている。例外は、待避していた虹色の存在と、その小脇に抱えられた少女だけだ。


「さあ、めしあがれ! この日の為にずっと自分が『美味しくなる』様に努力を重ねたのですから!」


 信者達の体が数秒で干からびた様な状態になり、それを吸収した存在の力が更に巨大な物となっていく。

 が、彼女の狂い過ぎた存在はその程度では滅びの予兆にすらならない。それすらも喜びなのか、自分の体から力が抜けていく現象を多幸感に溢れた表情で受けれていた。


「ふっ、く……美味しいですか!? 美味しいのですね!」


 だらしなく涎を垂らし、目を虚ろにしながら笑う姿は壊れている様にしか見えないが、それでも彼女は生きているのだ。

 目に見えて力を増していく存在に対して、彼女は喜びを覚えた。これで、彼女の数十年間は報われる。


「く」


 その耳に、やけに通る声が響いた。


「くはは」


 笑い声だと気づくのには、暫くの時間を要した。

 それは男、ナガレという名の『勇者』から発せられている物だ。そこまで理解した時には、笑い声は更に大きくなっていた。


「あはははははははははっ!! く、くくくくくははははっ!!」


 腹の底から出る様な大笑いをして、男が腹を押さえる。そうしなければ笑い過ぎて死んでしまう。そう言いたげだ。

 何がおかしいのか。女は完全に崩壊した思考の中で、不満を覚えていた。邪神を目にした以上、人間に出来る事は崇拝か逃亡、もしくは自害する以外には無い。

 それを、どうして笑うのか。その意志は男にも伝わったのか、彼は笑い声を何とか押さえ込んだ。


「ああ、おかしい。何て馬鹿だ。邪神? それがか? そんなちっぽけで小さな物が、邪神だと?」


 女の背後に居る存在を彼は指差し、悪い冗談だとばかりに笑い飛ばした。

 それは空元気では無く、本心からの行動だとすぐに分かる。目に宿る力の中には虚勢など欠片も見られず、強い意志の光だけがあるのだ。


「何が『狭い世界じゃ強い』だ。俺は何も分かってなかったよ」

「何、を……?」

「お前のガキとドラゴンには感謝しないとな、こんな簡単な事を、俺は今まで見逃していたんだからよ」


 男が面白そうに喋っている間にも、女の背後に居る存在はその規模を広げていた。

 そして、そこで初めて男の存在へと気が向いたのだろう。その邪悪な目らしき物体が、ナガレの姿を捉える。


「やっと気づきやがったか。ちょうどいいじゃねえの」


 男が自分を馬鹿にしている事に気づいたのか、その存在は怒りと共に巨大な咆哮を発した。

 時空すらも揺らす巨大な声を受けて、しかし男は小揺るぎもしない。その程度かと挑発的に笑っている。

 徒者ではないと気づいたのか、その存在は自身の羽を大きく振るった。巨大な羽による一撃はダンジョン内部を全て破壊し尽くす程の力があり、範囲から言っても避ける事は不可能だ。

 それでも、男は笑っていた。笑ったまま、剣の一本も持たずに『本気』を出した。


「やっと分かったぜ。俺は弱いんじゃなくて……この世界の基準じゃ、強いんだ」


 その声が響き渡るかどうかという瞬間――男に迫っていた羽が落ちた。


「だから、この世界の存在は敵じゃねえ」


 言葉と同時に、その存在の羽があった場所から血の様な何かが噴き出した。

 それを見た女が飛び出さんばかりに目を見開き、体を震わせる。


「……なっ、に!?」

「俺は、強いんだよ。少なくともこの世界ではな」


 驚愕の余り声もはっきりとしない女に対して、男の声は強烈な力を感じさせる物だった。とてもではないが、敗北者の空気など見られない。

 自分の羽が落ちた事を、今になって気づいたのだろう。女の背後から痛みに対する苦悶と、悲鳴の様な声が上がる。

 男が強者である事をやっと理解したのか、その存在が顔の様な何かを歪ませる。その中には若干の恐怖すら見て取れた。


「許してくれ、って顔だな。知らねえよ馬鹿が」


 その存在が何かをする前に、胴体から出ていた触手が全て断ち切られた。

 女の身を貫いていた物も吹き飛んでしまい、彼女は自分の体に活力が戻っていく事に絶望を感じた。それは、邪神がこの男に倒されてしまう可能性が有ると思わせるには十分だったのだ。

 思わず手を伸ばし、背後の邪神を守ろうと腕を広げる。


「やめてくれっ……!!」

「お前みたいな奴の言葉を聞く必要は、無いよなぁ!」


 女の悲痛な言葉を聞いても男は更に笑みを浮かべ、邪神より邪神らしい凶悪な顔をして見せた。

 男の腕が誰にも認識出来ない速度で動く。


 そして、邪神と呼ばれた存在は、胴体と首を失った。


「邪神って割には、雑魚だなあ」

「あ、あぁ……あ……」


 その存在が、滅んでいく。無くなった首からは印に流し込まれた分の魂が溢れ出し、消し飛んだ胴体の中からは触手から取り込んできた力が元の場所へ戻っていく。

 それが、邪神と呼ばれた存在が滅んでしまった事を何よりも表している。女は絶望を受け止めきれず、体を震わせた。


「う、え、……どうし、て?」


 退行してしまったかの様な声で、女が声を吐いている。

 脳裏に有るのは、今までの事だ。数十年前、彼女は神託を受けて両親の心を粉微塵に破壊し、住んでいた町の人間の心を操って自滅させた。

 その後は簡単だ。信者を集めて様々な場所へ行き、恐ろしい邪神の教えと嘲笑を広めていく。

 とある国の重要な位置に居る存在を誘惑し、堕落させ、国自体に粛正と革命と滅びを与えた事も記憶に残っている。

 子供を産んだ事も記憶に新しい。当然、邪神の供物として産んだだけだが、親として愛していたのも事実だ。勿論、それを裏切る所までが邪神へ捧げる物なのだが。

 数十年の間、彼女は邪神復活の為だけに行動してきた。嘲笑しながらも、心にあるのはその一念だけだった。誰が何を言おうが、一切曲がらなかった。


 だが、たった今。それらの努力は全て無駄となってしまった。


「……私の、数十年が…………」


 邪神と呼ばれた存在がその姿を完全に消失させた瞬間、彼女は自分の中の虚ろな絶望に負けて膝を崩す。

 嘲笑など浮かべる余裕も無かった。その場で魂まで邪神と共に滅び去りたいと、そんな願望すらも浮かぶ。男が殺気を向けてきても、それに目を向ける気力が無い。


「さて……俺の友人になれるかもしれなかったドラゴンを殺した分も含めて、償って貰おうか」


 何時の間にか、男は剣を握っていた。

 この程度の存在に対して『本気』を出す気など無いのか、その目は女に対して何の興味も抱いていない。が、若干の怒りと殺気だけは真実だ。


「どうやって償わせるべきだ? お前を、どこぞの善神の信徒にでも引き渡すか? お前の場合は酷い拷問程度じゃ償いにもならないだろ」

「……どうにでも、していい」


 涙を流しつつ、女が静かに答えた。

 その足は投げ出されていて、彼女自身の無気力さを表している。目は今まで邪神と呼んだ物が居た場所だけを見ていて、自分の命などどうでも良さそうだ。


「邪神様が滅んだ今、私には生きている意味が無いのだから。断頭台なり、生き人形なり、格安で体の部品を売るなり、好きな様にしていいよ」


 いや、実際にどうでも良いのだろう。声からは投げやりな意志だけが聞こえていた。

 それを、ナガレは静かに聞いていた。すっかり無価値で無意味な存在となってしまった女は、今にも死んでしまいそうだ。

 少しだけ哀れに思って、彼は自分の持つ大剣を振り上げた。


「お前には、悪い事をしたな……せめて、一撃で殺してやる」


 それは彼の本音である。

 彼には、この世界を救ったという気持ちなど欠片も無かった。単なる自分の実力を確認する為の道具として、女の人生を賭けた存在を滅ぼしたのだ。

 だから、それに対して僅かな罪悪感を男は覚えていた。

 『このまま絶望したまま生かすくらいなら、一思いに殺してやった方が助けになる』。そう考えるくらいには。


「まあ、死ね」


 言葉と同時に、大剣が女の身を引き裂こうと迫る。

 女は淡い笑みを浮かべ、自分に訪れる死を受け入れる姿勢を取った。生きる気力を失った彼女にとって、それは確かに救いの一撃だったのだ。



「やめ、て」


 だが、しかし。それを妨害する者が居た。

 二人の間に、少女が割って入っていた。女が引き裂かれるより早く彼女は盾になろうと立っていて、とても強い目でナガレを見つめている。


「おい、邪魔だぞ」

「待っ、て……ころさ、ないで」


 傷だらけで血を流し、それでも少女は諦めずにナガレの前に立つ。

 殺気と怒気と哀れみの混ざった男の視線を正面から受けて、それでも全く動じた様子は無い。

 数秒間、少女と男二人はしっかりと目を合わせる。先に逸らしたのは男の方だった。


「……まあ、いいさ」

「殺して、くれないの……」


 とても残念そうな声が響くも、彼はそれを無視して女から背を向ける。完全に殺気は消え去っていて、大剣は床へ放り投げられていた。


「どうせ、お前に対して俺に思う所は無い。そんなに笑いたいなら、どこぞの虹色でも信仰するんだな」


 背を向けたまま、彼は女へと軽い声をかける。

 それは助言の様だったが、特に女への気遣いを感じさせる物ではなかった。

 男はそのまま祭壇だった場所から離れていき、どこかへと歩いていく。行き先が気になったのか、少女が思わず呼び止めた。


「ねえ、どこに行くの?」

「外に出て、楽しい戦いに戻るのさ。ダンジョンを素直に帰るのも馬鹿馬鹿しい」


 楽しげな男の視線の先には、青空が見える巨大な空洞が出来上がっていた。

 先程滅んだあの存在の羽は、ダンジョンに巨大な穴を作っていたのだ。それは明らかに地上まで続いていて、一気に飛べば外へ出る事が出来るだろう。

 普通であれば『ダンジョンから素直に戻る』方が早い。が、彼の跳躍力であればこちらの方が早いのだ。

 理解した様子の少女に対して、ナガレは軽い調子で笑みを向ける。


「ま、頑張れよ」


 彼は一瞬にして飛び上がり、目にも留まらない凄まじい勢いで地上へと向かっていった。


 そんな姿を見ていた少女は、ナガレが視界から消えると即座に女の前に立った。

 彼女は虚ろな目をして、心臓が止まっていると言われても信じてしまいそうな顔をしている。フードは落ちていて、弱々しく美しい顔が露わになっていた。


「……ね、母さん」


 返事は無い。娘からの言葉を聞いても、彼女は僅かにそちらへ目を向けるだけだ。

 そんな事には構わず、少女は言葉を続けた。


「私ね……」

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