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2部1話 最強とされた弱者

 男は、強かった。誰よりも強かった。圧倒的過ぎる程に強かった。

 像や猛獣ですら彼を視界に入れただけで服従の姿を取る。その圧倒的な存在だけで同族である筈の人間ですら怯えて逃げようとするのだ。

 孤独だった。だが、それで良いと考えていた。何せ彼は強過ぎて、その力を振るう事すら出来なかったのだから。

 生まれた世界に好意も嫌悪も抱いていなかった。ただ、自分を自分らしく表す事すら叶わない世界に退屈を覚えていたのだ。

 諦めていた。自分が力を振るい、戦いを楽しみ、人との会話を面白がる事など、一生無いのだ、と。


「やあ、君、いい身体してるね! 異世界に行かないかいっ!」


 そんな声が、聞こえるまでは。















 世界のどこかの端に、小さな町があった。

 特徴的な部分は何も無いが、それなりに平和でそれなりに危険な場所だ。すぐ側にはダンジョンが有る事もあって、冒険者達が現れる事も多い。

 荒くれ者や山賊なども訪れる様だが、さほど危険には感じられない。子供達も平気な顔をして町中を歩いている程だ。

 恐らく、原因は町の雰囲気に依る物だろう。牧歌的な空気を漂わせた町で暴れる事は、何となく躊躇してしまう。それでも空気の読めない者は居るが、基本的には他の者達に叩き出されてしまうだろう。

 そんな町の端にある、小さな酒場がある。その中に、『彼』は居た。






 一人の男が、酒場のカウンターに座っていた。

 スキンヘッドに筋骨隆々の肉体、それに身につけた武器の数々を見れば、その男の職業は何となく察する事が出来るだろう。

 男の目の前には山ほどの酒が転がっている。常人であれば致死量と言っても過言ではない程だ。それを彼は戸惑わずに飲み干し、カウンターに置いている。

 それだけ飲んでいるというのに、顔は一切赤らんでいない。まるでアルコールなど自分の敵ではないと言わんばかりだ。

 しかし、その顔は敗北者の物だった。勝者の力強い気配など無く、ただ落ち込んだ空気だけがそこに漂っている。


「……あのおっさん、朝からずっと居ないか?」


 それを見ていた酒場の客、恐らくは冒険者だろう、が、小さく呟いた。

 男は店が開いた時から今に至るまで、かなりの長時間を酒を飲むだけで過ごしているのだ。酔って暴れる様子も無く、ただ淡々と酒を消費する姿はどこか不気味な程だ。 

 疑問に思った客は彼一人ではなかったらしく、周囲に居る仲間達も同じ様な顔をしている。

 すると、隣に座っていた客が耳打ちをする様な距離へと近づき、忠告をするかの様な口調で話しかけた。


「危ないから近づくなよ。奴は『勇者』だ」

「『勇者』……? 奴がか?」


 突然話しかけてきた男の言葉を聞いて、冒険者の一団は首を傾げた。

 勇者。勿論、その言葉の意味を彼らは知っている。こことは異なる場所から呼ばれた存在の事だ。

 中には貴重な知識を持っている者も居て、国の高い地位を任される者も居るという。が、視線の先の男はとてもではないがその様な傑物には見えなかった。外見からは確かに力を感じさせるが、表情は弱々しい物なのだ。


「何かに負けちまったらしい。確か……『那由他の果ての怪物』だったか」

「……実在したのか、だとすると、奴はアレに挑んだのか?」

「いや、偶然会っただけとか聞いたがな」


 男達は呆れ顔を晒した。

 『那由他の果ての怪物』とは、一部の冒険者や『勇者』の知る怪物の名称だ。実際に会った者は居ない為に半ば伝説の存在となっているが、この世界の貴重文書には名がみられる事もある。

 曰く、この世界が想像された理由ともなった存在であり、攻撃すら出来ない程の怪物。出会った者は皆発狂し、実力に関係なく無意識に自害してしまうらしい。

 そんな怪物とあの男は戦い、そして負けたのだ。落ち込むのも仕方のない事かもしれない。


「ま、関係ないさ。関わらない様にしておけばな」

「あ、ああ。そうだな。飲み直そうぜ」

「そうするか……おーい! もう一本持ってきてくれ!」


 男は楽しげに笑い、冒険者達の肩を叩く。

 すると、彼らは今までの会話が何となくどうでも良い事に思えて、自分達の買った酒を飲み干す事を優先していった。




+





「……好きで負けた訳じゃないんだがな」


 そんな話は当人である男の耳にも届いていた。

 彼の優れた聴覚は、酒場の喧噪の中から自分の事について離している声だけを聞き分けて見せたのだ。

 自分を関わろうとしない男達の声を聞いても、孤独には慣れている彼は動じず、ただ酒を作業的な勢いで口に運び続ける。その背中に挫折や落胆が見え隠れするのは気のせいではあるまい。

 そう、男は実際に負けたのだ。『那由他の果ての怪物』に。


「はぁ……」


 何故酒場の客が知っているのかなど気に留めず、男は頭を抱える勢いで酒の瓶を開けた。

 酒代だけでもかなりの料金を払わなければならないが、大型のドラゴンの死体を売り払った彼は山の様な金を持ち合わせている。特には困らないだろう。


「お客さん、こっちも飲んでみないかい?」

「……ああ、そうするか」


 酒場の店主もそれを分かっているので、男を止めずに次の酒を渡している。

 山の様に酒を飲んでも顔色を変えない客へ店主は時折恐ろしい物を見る目を向けていたが、男は気に留めていない様だ。

 酒瓶を浮け取って、男は一気に飲み干す。そして、酔いを感じさせない口調で呟いた。


「……挫折、か」


 自分とは無縁だと思っていた言葉を口にして、男が大きく溜息を吐いた。

 元居た世界では超越的な強者だった彼は、この異世界においても圧倒的な強者だった。その力を伝説級の邪悪な竜神が恐れる程だ。

 そんな彼は、生まれてから今に至るまで圧倒的な壁という物を見た事が無かった。この歳まで挫折を経験していなかったのだ。

 その分、挫折は彼から覇気の類を全て奪うには十分過ぎる攻撃となっていた。


「思ったより、俺は弱かったらしいなぁ……」


 そんな事は無い。そう言ってくれる仲間すらも今の男には存在しない。

 孤独だったが、前の世界で既に慣れた物だ。彼は思う存分に力を使えるこの世界を気に入っていたのだ。


 酒は男を酔わせる事すら出来なかったが、それでも彼は酒を飲む。まるで、自分が酔わない事を忘れてしまったかの様に。






+






 そんな男が酒を飲み干していると、店の中に新たな客、いや、客とは思えない者が入り込んできた。


「んっ……?」

「あれは……?」


 それを見た冒険者達が疑問の声を上げた。

 店に入り込んできた人物は、とてもではないが酒場に来る客ではなかった。何せ、小さな少女だったのだ。

 その場の誰よりも背が小さく、幼い顔をした少女である。可愛らしい顔付きをしていて、この様な場所には明らかに不釣り合いな存在だ。

 しかし、少女の格好は何とも奇妙な者だった。

 服は傷だらけで、肌には泥や土が付着している。小さな少女には全く似合わない怪我の類が多く見られるのだ。


「……っ」


 酒場の雰囲気が一気に重い物となる。少女の格好から何やら危険な物を見出して、一部の客達が腰や背中、あるいは壁に置いた武器に手をかけている。

 彼らは十分な腕を持つのだろう。自然な動きで武器に触れる姿からは隙が窺えない。何人かは身構えた事を他者に気づかせない程だ。

 そんな変化に気づいているのかいないのか、少女は店に入ってすぐに室内を見回した。

 何かを探している。いや、見つけようとしている。必死になって酒場の客達を見回している。


「……!」


 少女は何かを見つけたのか、カウンター席の前で視線を止めた。その先には、あの酒瓶を飲み干すかの様に酒を飲む男が居る。

 全く酔う様子も無く、ただ酒を飲む作業を繰り返している存在。それを見た少女は目を見開き、あからさまな恐怖を目に宿して男に近づいていく。

 男は気づいた様子も無い。その間に少女は男の背中に辿り着き、その体を叩いた。


「ね、ねえっ!」


 図体の大きな男に威圧感を覚えているのか、少女の目には怯えが見て取れる。ただ、それでも少女は男に声をかけている。

 何をしようと言うのか、冒険者達が少女の挙動を観察し、その心情を見抜こうとする。


「ねぇ……っ!?」


 少女が唐突に自分の背後、酒場の入り口を見た。

 そこには誰も居ない。だが、少女の目には何かが見えているのだろう。彼女の目に宿る怯えが更に強烈な物となる。

 形振り構っていられないのか、少女は男の腕に縋り付き、声を大きくした。


「ねえ! た、助けてっ!!」


 声と同時に、酒場の入り口から新たな人影が現れた。

 それを見た客達の一部が更に警戒を強め、今度は自らの武器を思い切り握り締める。


「奴等……」


 全ての視線がその人影に向けられていた。

 剣と銃で武装し、顔を仮面で隠した屈強な男達だ。それだけであればこの店の中だけでも吐いて捨てる程の数が居るが、その者達は異質なのだ。

 彼らは全身から剣呑な気配を発し、武器を構えている。明らかに客と言った雰囲気ではない。むしろ、人間だとすら思えないのだ。邪悪な気配を滲み出す姿は、まるで怪物のそれである。

 それを見た少女の体が更に強張り、恐怖に歪む。男達は少女の姿を捉えると、すぐに殺気と共に目を細めた。


「追い詰めたぞ……もう、逃がさん!」

「ひっ……」


 男に聞こえる存在の声を受けて、少女が肺の奥から出る様な声を上げる。彼らの殺気は濃密な物だ。一人の少女に向けられる物としては凶悪過ぎた。

 少女は自分が縋っていた男の懐へ潜り込んだ。カウンターと男の間に入れる程、彼女の体は小さいのだ。


「た、たすけてぇ……」

「……」


 助けを求める少女の声に、男は応えなかった。ただ黙って新しい酒を口にするだけで、他には何もしていない。

 男達が近づいていく。彼らに背中を晒した男が邪魔だったのか、彼らは武器を構えて話しかけた。


「おい、そこの」

「……」

「邪魔だぞ、退け」


 凶悪なまでに深い殺気を発して、男達が警告する。すぐに退かなければ、即座に殺されてしまいそうだ。

 他の客達が緊張で冷や汗を流したが、この男だけは殺気を完全に弾き飛ばし、黙って酒を飲み続けている。


「退かないなら、考えがあるぞ」

「……」


 地獄の底から響く様な声を伴って、彼らが武器を振り上げる。仮面で隠れているが、そこに有るのは紛れもなく苛立ちだ。

 それでも、男は何の反応も見せなかった。


「ならば、死ね!」


 相手が何も言わない事を確認すると、男が武器を振り降ろす。

 瞬間、爆発する様な殺気が発せられ、止めに入ろうとした冒険者達の動きが止められる。誰にも止められず、刃は目の前の男へ迫った。


「おい」


 背中越しに、男の声が響いてくる。自分に迫る剣など気にも留めていない、単なる声だ。

 が、それは何よりも恐ろしい物だった。


「邪魔だ」


 その言葉と同時に、男の背中に迫っていた剣が止まった。

 背中を斬り裂く寸前で刃が止まっていて、全く動かない。武器を持った者の意志とは関係無く、それは完全に静止したのだ。


「ぬ、ん……!?」

「もう一度、いやお前の言った事を返させて貰うぞ、邪魔だ」


 驚愕の声を上げた者に対し、男が言葉を繰り返す。

 彼は今まで座っていたカウンター席から立ち上がり、ここで初めて背後の者達へ顔を向けた。

 気の小さい者であればその目だけで気絶してしまう程の凄まじい威圧感だ。彼らの剣呑な雰囲気など鼻で笑える次元の物である。


「……悪いな、そのガキを渡して貰えるなら邪魔はしないさ」


 危険を感じたのか、彼らは男から目を逸らして少女の居る方へ目を向ける。

 少女は男の足にしがみ着いて、絶対に離れない様にしていた。それを見て、男は眉を顰める。


「よく知らないが、こいつは何だ?」

「ただのガキだ。何の変哲も無い奴だ」


 答えを聞くと、男は背後の少女へ目をやった。体を震わせ、上目遣いで助けを求めている。余りにも弱々しく、哀れな物だ。

 男は、即座に判断した。


「断る」

「……何だと?」

「断ると言ったんだ。耳が悪いのか、お前は」


 背筋が凍る様な殺気が男の体から漏れる。それだけで酒場という建物自体が軋む様な気がした。

 まるで地獄だ。傍観者でしかない冒険者達ですらそう感じるのだから、真っ向から受ける男達にとっては、殆ど致死の一撃となるだろう。


「そうか……仕方有るまい」


 おぞましい程の凶悪な殺気を受けて、男達が諦める様に背を向けた。

 その体からはすっかりと力が抜け落ちていて、威圧感など全く感じられない。殆ど逃げ腰と言っても過言ではあるまい。


「撤収するぞ」

「良いんですか?」

「奴と直接やり合うのは余りにも危険だ。死ぬだけじゃ済まん」


 随分あっさりと諦めた男達が、酒場から出ていこうとする。途中、彼らは足を止めて少女を見た。

 敵意は感じられず、少女に向けられた物は特に殺気の類ではなかった。ただ、何の感情も無い瞳でそれを捉えている。

 少女は更に怯えて男の足に全身を擦り付けた。が、流石に鬱陶しかったのか、男は面倒そうに少女を振り解いてしまう。


「……」


 それを一瞥して、男達は店から出ていく。

 仮面で隠れていたが、その顔は紛れもなく恐怖を見せていた。あの『勇者』の化け物が如き存在感は、それだけで彼らの魂が滅ぶ程の力を持っていたのだ。

 ただ、本人は無気力な顔をしていたのだが。








+








「あ、ありがとう……う、うぅぅ……」


 男達が去っていった事を確認すると、少女は緊張が緩んだのか膝から崩れ落ちた。

 小刻みに震える身体が今までの恐怖を物語っていて、服の汚れや傷も相まって実に庇護欲を刺激する姿になっている。


「……で、何だ。お前は何をやったんだ?」


 周りの冒険者達が心配そうに少女を見ている中、この男だけは何も表情を変える事は無く、凶悪にすら思える笑みを浮かべていた。

 少女への心配など殆ど無いのか、彼は酒をカウンターに置いて笑っている。

 獰猛な肉食獣が獲物を見る様な顔だ。幼い子供に見せる物では絶対に無いだろう。


「ひうっ……」

「おい、泣くな。俺は、質問をしているんだ。泣けと言った覚えは無いぞ」


 泣きそうな顔をした少女に、彼は無慈悲なまでに恐ろしい声を放った。その奥底には若干の自嘲が見えた気がしたが、誰も気づいてはいない。

 少女は更に震えたが、それでも勇気を振り絞る様に呼吸を整え、説明を口にする。


「あいつ等は、私を殺しに来て、それが、それで……」

「……ほう」


 男が関心を持った様子で声を上げた。

 細かい部分は全く分からない説明だ。だが、少女が命の危険に晒されている事だけは伝わってくる。男にとってはそれで十分だ。


「お前、『助けて』と言ったな? どうやって助けて欲しいのか言ってみろよ」

「……え?」

「ほら、言えよ。どうして欲しいんだ」


 男は少女の戸惑いなど無視して、自分の都合で話を聞こうとする。

 少女が数秒間だけ目を白黒とさせる。が、すぐに相手の意志を受け取って、彼女は縋る様に口を開いた。


「……お願いっ! 私、お母さんが怪物に捕まって……!!」

「どうして、俺なんだ?」

「ここで、一番強いと思ったから……! 絶対、やってくれるって思ったから……!」


 涙を共にして少女が助けを求めている。

 まだ母親に甘えても全くおかしくない年頃の少女がそんな風に言うと、誰もが思わずその手を取ってしまうだろう。横で聞いていた冒険者達の方が動きかねない。

 が、男はただ静かで何の感情も籠もっていない表情になるだけだった。


「礼は有るのか?」

「お金なら、有ります……! 駄目なら、わ、私を、好きに使ってくれても構いません……っ!」


 思った以上に強い声で、少女が覚悟を口にする。この場で殺されても揺るがないであろう覚悟だ、身体は震えていても、心は強く在るのだろう。

 男もそれを強く感じたのか、更に興味深げな様子になった。とても乗り気で、面白がっているのが良く分かる。


「助けて……お願いします」

「まあ、良……いや」


 良いぜ。そう言いかけて、男の口が止まった。

 彼は挫折している状態だ。自信を喪失している彼には、本当に自分がこの場で一番強いと考える事は出来ない。となれば、『この場で一番の強者』に向けられた少女の言葉に乗る事も躊躇してしまうのだ。


「……悪いが」

「何でも、何でもしますっ!」


 断ろうとすると、少女が更に強い口調で必死に頼み込んで来る。

 それでも男は断ろうと口を開いた。だが、その前に客達の中の一人、冒険者の姿をした何者かが声をかけてきた。


「受けたらどうだ? お前さんは自信が無いかもしれないけど、この世界じゃお前より強い奴なんてそうは居ないんだからな?」

「……お前」

「楽しめよ、この世界を。世界は自分が楽しむ為に存在するんだから」


 見覚えのある『虹色の髪』をして、聞き覚えのある事を言う冒険者の声を聞いて、男は思わず目を細めた。

 頭の中にあるのは、今までの事だ。この世界に来た男は、ずっと戦いを続けていた。時には素手で戦い、時には銃や剣を使う時もあった。

 滅亡に瀕した国を剣一本で救った事もあれば、数人かの『魔王』の同盟を一晩で壊滅させた事もある。多種多様な主義や種族の中で、彼は戦っていたのだ。

 が、男の中にあったのは一つの気持ちだけだ。そう、ただ自分が思う存分暴れる事を許された事への、歓喜である。

 負けて挫折を味わったとしても、男の中には巨大な歓喜が今でも存在しているのだ。

 男が軽く息を吐き、虹色の髪の物を一瞥する。が、すぐに視線を外して少女の方へ向き直ると、恐ろしい程に力強い笑みを浮かべた。


「良いだろう。もう一度、『勇者』に戻るのもな」


 その笑みは獰猛な肉食獣どころではなく、この世ならざる怪物ですら浮かべられない程の力を感じさせる。

 それを聞いた少女が明らかに嬉しそうに声をあげた。


「それじゃあ!」

「ああ、気が変わった。受けてやるよ、お前の頼み」


 本当に喜んでいるのだろう、それは素直で小さな可愛らしい子供の顔だ。

 それを受けても男の表情は変わらない。ただ、全身から凄まじい力を感じさせる事だけが彼の感情を見せつけているのだ。

 男の全身から発せられる威圧感に、酒場に居る全ての、いや、虹色の髪をした物を除いた全ての客達が震えた。


「じゃ、じゃあ……今から、行って、くれる?」

「今からか……ふん、面白いじゃないか。行ってやるよ」


 周囲の客達の反応など気にも留めず、男は少女の言葉に軽く頷いて見せ、酒場から出ていく少女を追う。

 その片手にはどこから取り出したのか、剣が握られている。何の装飾の無い、いかにも実用的な大剣だ。それなりの重さはあるであろう剣だが、彼は小石程度の物として軽々と持っている。

 止める者などその場には一人も居なかった。まさしく怪物の存在感を発する彼に対して、誰もが黙り込むしかないのだ。

 そんな反応など男にとってはどうでも良い事なのだろう。彼は酒場から出ると、先を行く少女の隣に立った。


「まだ名前を言ってなかったな」


 自分の名前を名乗っていなかった事を今更に思い出したのか、男が少女の方へ目を向ける。

 それだけで空間が軋む程の存在感があったが、抑えられている為に少女まで届く事は無い。彼女の耳には、単なる自己紹介にしか聞こえない。

 男は、ただ少女に対して自分の名前を口にした。


「俺の名は……ナガレ。異なる世界より『流れ』てきた……『勇者』だ」





 男が去った後も、酒場の雰囲気は重苦しい物のままだった。

 当然の事だろう。ナガレと名乗った『勇者』の存在感は空間を浸食する程の物で、余りにも強大で恐ろしい物だったのだから。

 つい先程までは何とか酒に酔おうと努力していた男とは同一人物とは思えない力に、客達は恐怖を覚えていたのだ。

 ただ、一人を除いて。


「……ふふ、行ってらっしゃい。頑張ってね」


 虹色の髪をした怪物は、今も歩いている二人の姿を捉えていた。


いつもより多めになっております。やっぱり私はこっちのスタイルかなと

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