1部最終話 ちょっと待った
男の背中に、誰が抱きついてきた。
「り……!?」
男は思わず驚きで目を丸くし、リーリアの遺体を抱き締める力を失いかけた。
慌てて遺体を抱き直すが、男は背後に居る存在が気になって仕方がない。
「ふふ……」
耳元で、何時も聞いていた笑い声が囁かれる。
暖かく優しく、良い香りがする腕が男の首筋を通って胸に回されていた。その手は彼の身体を撫で回していて、耳元の悪戯っぽい笑い声が更に楽しげな物に変わる。
「私の身体を撫で回してくれたお返しよ、後で散々撫で回してあげるから覚悟しておいてね」
とても嬉しいお返しだ、是非お願いしたい。
男はそんな事を頭の端で考えたが、聞こえてきた声の正体を察した瞬間に思考が吹き飛んだ。
彼の首が捻じ切れる程の勢いで動き、背後に居る女の顔を見る。予想していた通りの、リーリアがそこに居た。
「り、リーリア!?」
「……言ったじゃない。自分の事も大事に思ってる、って。身体は捨てても、命まで捨てる訳がないわ」
驚きの余り気絶しかねない顔をする幼馴染みへ、彼女は普段通りに笑って見せる。
男を抱き締める力が心なしか更に強くなる。そんな状況を今更ながらに飲み込み、男の顔が真っ赤になった。
「お、おい。おいおいおい。なんで、こんな、やべ、やばいって。俺、そんな……」
「ふふっ、あんなに派手に告白したのに、これくらいで照れちゃうのね、可愛い可愛い」
彼女は普段よりも幾らか調子良く喋り、今度は男の頭を撫でる。小さい子供にしていた物と同じだったが、それも男の心には別な意味の致命傷を与える物だ。
心臓の鼓動が爆発する様な状態になっている。
それは抱き締めてくるリーリアにも伝わっているのか、彼女は微笑みながら腕を離し、男の前に身体の位置を移動させた。
「危ない危ない、エィストさんみたいになる所だった……ごめん、平気?」
「あ、ああ。うん。平気さ、俺は『魔王』だからな、昔はもの凄く凄いサキュバスの魔王の誘惑にすら耐えきった凄い男なんだからな」
自画自賛なのか良く分からない事を言いつつ、男はゆっくりと遺体を地面に寝かせて立ち上がる。
目の前に居るのは、確かにリーリアだった。だが、その遺体もリーリアだった。同じ笑みを浮かべていて、男にすら違いが分からない程だ。
興奮と幸せによって肩で息をしながらも、男はその疑問をリーリアに向けた。
「はぁ……はぁ……でも、どうして生きてるんだ?」
「ああ、それね? それはほら、これよ」
すると、彼女の身体が淡く輝いて、その全てが暖かな光となった。
その背中にも羽は生えていたが、先程までの様な危険性は感じない。不安定だった形も完全に安定していて、穏やかな物だ。
男が目を見開く。それは、エルフなら誰もが知っている存在だ。毎日の様に目にする存在だ。つまり――
「精、霊……?」
――精霊、なのである。
「は、はは……本当に、精霊になったのか……」
驚愕と、納得を彼は口にする。
彼の頭は即座に答えを導き出していた。彼女の『全力』は、確かに身体と魂を半ば精霊と同化させていたのだ。肉体が滅んでも、精霊と化した魂は残っている。
つまり、そういう事だ。男は堪えきれず、涙を目尻に溜めた。
「良かった……君が生きていてくれて、本当にっ……!」
「ほら、泣いちゃ駄目。笑って? 私、貴方の笑顔が大好きよ?」
彼女は自分の指で男の目尻に溜まった涙を拭いて、にっこりと微笑んだ。
その手はゆっくりと男の手を握り、離れない様に指を絡めてくる。
「ね?」
「う……あ……わ、分かった。分かってるよ」
男の顔は更に赤くなったが、抵抗するつもりなど欠片も無い。ただ、先ずはやるべき事が山ほど有るのだ。
何とか心を落ち着かせ、彼は真剣な顔をする。
「さ、さあ、君の遺体と一緒に帰ろう。長老……あいつの墓と同じ場所に埋葬してあげないと」
「そうね。でも、待って。私は返事をしないといけないわ」
同じくらい真剣な顔で、リーリアが男とは全く違う事を口にした。
それを聞いた男が戸惑いと喜びを同時に覚え、目を丸くする。
「えっ……」
「告白してくれたんだから、ちゃんと真剣に返さないと、ってお爺ちゃんが前々から言ってたんだ。特に親しい人から愛の告白を受けたら、悩んでも良いから凄く真剣にならないといけないって。後、出来れば早く孫の顔を……って」
「……」
「まあ、私は精霊だから、そ、そういうのは無理だけれど……」
「……野郎」
あの野郎。あの世で自分を見てニヤニヤと笑っているであろう老人、あるいはテンダスの顔を思い浮かべ、男は小さく悪態を吐いた。
その間にもリーリアは自分の身体の一部となった服装を正し、髪を少し整える。それを終えた彼女は咳払いを一つ吐き、とびきり真剣な顔をした。
「んんっ! えっと……そうね……」
ほんのりと、彼女の顔が赤くなる。
可愛い、とても可愛い。普段の凛々しさや暖かさの漂う彼女とは違い、小さい子供の様だ。
緊張が男に走る。『魔王』であった時代から今まで、一度も感じた事の無い緊張だ。思わず背筋が伸びて、彼女の全ての挙動が目に留まってしまう。
男が返事を聞く態度になった事を理解したのか、彼女はゆっくりと話し出した。
「貴方が里のみんなまで巻き込んだ事は許せないけど、でも……私も、貴方の事が好……」
「ちょっと待った」
だが、その言葉は男によって止められた。
彼はリーリアのあらゆる挙動に集中していた。だからこそ、彼女の口から出た言葉を流す事無く聞き取っていたのだ。
「誰が、里の連中に手を出した、だって?」
「……貴方が、怪物達に里の人を殺させた、と思ってたんだけれど……」
戸惑いがちにリーリアが答える。
今の彼女は精霊そのものだが、世界の全てを知っている訳ではない。今も彼女の内部や外部で動く精霊達も、それは知らないのだ。
男は深刻そうな表情になった。勘違いされていた事ではなく、彼女を勘違いさせる『何か』があの里に有ったのだと理解して。
「……里の連中を殺すほど、俺は考えなしじゃない。君がショックで自害しかねないだろうが」
それを聞いたリーリアの目が見開かれる。里のエルフ達は、確かに怪物達に襲われた筈だ。
そう、『里に住んでいる少女』が怪物に追われていたのだから。
……でも、あんな子、この里には居な……え?
「……え?」
+
無事に避難する事に成功したエルフ達の中に、『それ』は居た。
自分を里の一員として認識させていた『異物』は、いっそ見事な程に異形としか思えない笑みを浮かべ、笑っている。
「ふふ、ふふ……気づいた? 気づいちゃったんだね、嘘を吐いてごめんね、お姉ちゃん! パパもママも、私には最初から居ないよ!」
楽しそうに楽しそうに笑い、その少女の形をした何かがくるりくるりと踊っている。
里のエルフ達は彼女の存在に気づいた様子も無く、里の復旧作業に必死になっている。少女がどれほど騒いでも、彼らの耳には届いていない。
「ハッピーエンドだね! さあ、君達二人には今から幸せな生活をプレゼントしてあげないと!」
誰にも気づかれないまま、彼女は好き勝手に笑っていく。
その通った道にある家は瞬く間に元の状態へ戻り、倒れていた老人と四分割されたテンダスは彼らの墓場へと移動させられる。
少女は人間でもエルフでもなく、生命体ですら無かった。
誰からも異質かつ誰からも同質に思える笑みは、輝かんばかりに少女の表情を彩って、見る物に不安と歓喜を同時に与える事だろう。
そんな少女は、エルフ達が慌てて働く里の中央で腕を広げ、楽しげな声で叫んだ。
「ああっ! 面白いなぁこの世は! 人生って楽しいなぁ!」
それは『エルフの少女』あるいは『この世界』から、湧き出る様な、凶悪で享楽的な笑い声だった。
(『未来を着た悪魔』終わり 『那由他の果てに無価値を求めて』に続く)
投稿重点
さて、次の間章は短いので、次回更新の時に2章の1話と一緒に突っ込みます。
3章の半分までは書いているので、そこまではストックが有る訳ですし




