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続、小説・吸血鬼の村  作者: iris Gabe
第一部
2/20

2.世にも稀なる奇病

「こちらは露西亜ロシア国より取り寄せいたしました、世にも稀なる龍魚りゅうぎょの卵でございます」

 世界的には高級食材として珍重されているそうだが、私にとっては単に食欲が削がれるだけの、黒くて小さな魚の卵を塩漬けにした料理を、私はおごそかに村長の前に差し出した。最重要客ヴィップである村長を給仕するという最も気が重たい仕事は、全て私に一任されていた。裸足のままでここから逃げ出したいほどに、私は緊張していた。


「まあ、美味しそうね。さあ、お父さま、お口をお開けになって」と令嬢が、その気味の悪い塩漬けの固まりを、ひと口サイズの乾パンの上に並々と乗せて、老人の口に運んだ。老人は無表情のまま、口の中に押し込められた物体をもぐもぐと咀嚼していた。


 村長の様子が急変した。またたく間に息遣いが荒くなり、顔は群青ぐんじょう色と化していった。

「お父さま、どうされたの? あらまあ、きゃー!」と突然、令嬢が悲鳴をあげる。私も、恐怖のあまり口元を手で押さえていた。

 梅小路権蔵翁の小柄な身体が、椅子からどっと崩れ落ちた。そのまま、村長は床の上を二度三度と転がり、苦しそうにのた打ち回った。やがて、顔を上げた老人の口から、悪魔が抜け出していくかのように、不気味な緑色の液体がこぼれ出した。見る見るうちに、老人の細い身体は収縮して、黒ずんでいった。

「おおい、医者だ! 医者を呼んで来い!」とご主人さまが叫ばれると、使用人の一人が小走りに部屋から出ていった。それを見ていた自称小説家の望月浩然がすっと立ち上がった。

「近寄らないで! 皆さん、これは飢血病と呼ばれる恐ろしい奇病です。若い頃にわたしは陸奥むつの国を放浪しておりまして、その噂を耳にしました。この病気に感染すると、人間の生き血が欲しくなり、我慢ができなくなるそうです。そして、夜になると、他人を襲って生き血をすすり、同時にその人物を感染させてしまうのです。村長さんの場合は、ご高齢であったのが幸いして、食欲も落ちていたでしょうから、感染はそれほど広がっていないと期待できますが、若い感染者が発病すると、一気に感染は広がり、村は一溜まりもありません。そうなる前に、感染者が他にいないかどうか、我々は徹底的に調査する必要があります!」

 一喝するような小説家の厳しい声に、邸内は一気に静まり返った。


「もし感染者がこん中にいたら、どうなるんでい?」と行商人が訊ねると、小説家が両方の手のひらを前向きにかざして語りはじめた。

「皆さん、どうか落ち着いてください。冷静に対処すればこの場は収まりますからね。

 まず、発病患者と感染患者は全く症状が違いますから注意してください。感染患者は、見た目は健康な人と区別がつきません。それに対して、飢血病を発病した患者は、夜になれば必ず誰か一人を襲います。背後から獲物の頸部に噛みつき、生き血を吸い尽くすのです。通常、飢血病は感染してから発病するまでに一週間ほどの潜伏期間がありますが、特に発病した当日に限っては病原ウィルスも活動のピークを迎えており、その日に襲われた犠牲者は即座に飢血病を発病してしまいます。

 また、一説によれば、うっかり第三者がその発病当日の襲撃を目撃してしまうと、あまりの残酷さに気を失って、そのままその発病者の由々しき姿の残像だけが記憶に刻まれ、翌日からはその人のためだけに尽くそうとする狂信的な信者になってしまうそうです。さらに都合の悪いことに、この第三者は、被害者のことは全く覚えていないという奇妙な現象が起こるそうです。嘘かまことかは、よくわかりませんがね」

 望月の説明を聞いていたご主人さまは、頷くように答えた。

「さしずめ、発病者が吸血鬼の王で、その夜に吸血鬼にされてしまった被害者が吸血鬼の女王ってとこですね。それから、吸血鬼の王に魅了された村人は、裏切り者の使徒とでも呼ぶべき存在かな」

 ずっと黙りを押し通してきた美青年が、ついに口を開いた。

「村長が飢血病患者だったということは、感染している可能性が最も高いのは、お身内のどなたか、ということになりはしませんか?」そういって飯村和弥は、令嬢に意地悪そうな視線を差し向けた。

「さあ、どうでしょうな。なにしろ発病した患者は、もはや人間をはるかに凌駕りょうがした体力を得るようでして、にわかには信じられないことでありますが、夜になると自由に大空を飛ぶことができるそうです。だから、身内の方以外でも簡単に襲うことができますね。

 万が一、発病者が出てしまった場合、村人の命を護るために、その人を殺さなければなりません。それも、凶暴化する夜になる前にです。さもなければ、村は全滅してしまうことでしょう!」

 望月の説明を聞いていた猫谷は、あいかわらず目は笑っているものの表情はこわばらせていた。

「おお、怖え。聞いたかいみんな。吸血鬼が潜んでいるようなら、全員が協力して、そいつを抹殺しなければならねえそうだぞ!」


 医者を呼びに飛び出して行った使用人が戻ってきた。

「ご主人さま。誠に申し上げ辛いのでございますが、現在、嵐のために外への連絡が途絶えております。また、先ほど調べましたところ、ここから村を結ぶただ一本の小道の途中にあった吊り橋が強風のために落ちてしまいまして、どなたもここから外に出ることができなくなっております。当然、お医者さまをお呼びすることも不可能です」

「なに? それじゃあ、ここにいる全員がこの屋敷に閉じ込められてしまったということか?」

 さすがのご主人さまもやや狼狽うろたえた表情を見せた。

「なんとかして、感染患者だけでも特定できないの?」と七竈亭の女将が心配そうに訊ねた。すると、したり顔をした行商人猫谷がしゃしゃり出てきた。

「ふふふ、皆さん。このさすらいの行商人猫谷さまが商う薬は日本一です!

 実は、俺さまもかつては陸奥の国を旅したことがあって、その飢血病とやらに感染した人物だけに反応するという秘密の試薬も知っておりやす。そして、その試薬を、実をいえば少々、ここに持参しておるのでございます」

「本当ですか? ならば、さっそく検査をしてください。代金はいくらでも払いましょう」とご主人さまが懇願した。

「がってん承知の助だぜ。ただその試薬は数に限りがあって……、そうだな――、十人分しかねえな」

「ということは、屋敷内の全員の検査は無理ということですね……。いいでしょう。それなら、ここにいるお客さまだけに検査をお願いします。使用人たちは、万が一、発病するようなことがあっても、皆さまには絶対にご迷惑をおかけしないよう、地下牢に閉じ込めることにしましょう」


 なにやら、とんでもないことになってしまった、と私は思ったが、ご主人さまの判断も納得できる。

「わかった。じゃあ、検査する人物を決めてくれ」

 猫谷の問いに、ご主人さまは少し考え込んで答えた。

「では、客人である琴音さま、土方中尉、菊川氏、志乃さん、猫谷さん、和弥くんに望月さん、それにこのわたし、が検査を受けるべき人物ですね。ああ、千恵子ちゃんも今晩はこの宴の立派なお客さまだ。どうか、検査をしてやってください。これで九人か……。

 そうだ、これから嵐が静まり吊り橋が架けられるまでには、数日はかかるだろう。そのあいだの世話係として、使用人の葵子に活躍してもらうことにしよう。猫谷さん、彼女にも検査を行ってやってください。

 じゃあ、それ以外の使用人はいまから十分以内に地下牢に入るように! 葵子、鍵は責任を持って、お前がかけなさい」

「かしこまりました」と私はほっと胸をなで下ろした。さすがに、何日間も地下牢に閉じ込められるなんて、とても我慢できそうもない。

 使用人たちを地下に誘導する私の耳に、女将と令嬢のひそひそ話が聞こえてきた。

「それにしても、なんで屋敷に地下牢があるんね? 気味悪い」

「きっと子爵さまのご趣味でしょう。ほら、あの一見清純そうな小間使いも、蓋を開けてみれば、わたしたちの想像を絶する調教を――、いえ、お仕置きを、子爵さまから受けているかもしれないわよ」

「まあ、怖い……。どんなお仕置きなのかしら?」

 令嬢は嬉しそうに両方の袖をすぼめて口元をおおっている。

 どうも致しまして、幸いなことにこの小間使い東野とうの葵子あおいこは、一年あまりこのお屋敷に仕えておりますが、そのような特別なご寵愛ちょうあいをご主人さまからは、いまだかつていただいたことはございません、といいかえしてやりたい誘惑をぐっと抑えて、私は任務に専念した。

 使用人を牢屋に閉じ込めると、しっかりと鍵を下ろす。もちろん、彼らの食事は私が準備することになる。それ以外のお客さまの世話も含めて、これから数日間は、私が一人で全部の切り盛りしなければならない。だんだん気が重くなってきた。


 広間に戻ると、猫谷が用意した怪しげな試薬による検査が進行中だった。試薬は被験者から採取した尿に反応するもので、女性にとっては屈辱的な検査でもあった。私たち四人の女性は、一致団結して部屋の隅にバリケードを組み上げると、その向こうで順番に検査を行った。猫谷は、不正がないよう全員が見ている前で採尿しろ、と訴えたが、私たちは断固として無視をした。

 かくして、検査は滞りなく進行して、一時間後には試薬が反応して結果が出た。そして幸運なことに、ここにいる十人の検査結果は、全員がそろって陰性であった。

「どうやら、みんな病気には感染していないようね」と志乃がほっとした表情になった。

「ということは、少なくともこの屋敷にいれば、悲劇は起こらないということですね」と書生も胸をなで下ろしている。しかし、その束の間の安堵感も猫谷の奇声によってあっさりと砕かれた。

「しまったにゃ! この試薬、感染者には反応するけど、たしか発病者には反応しなかったにゃー」


 いったいなんのための検査であったのか? この瞬間、猫谷を張り倒してやりたいと思ったのは、おそらく私だけではなかっただろう。

「お嬢さま。お父上のご容体がおかしくなったのはいつからでしたか?」と、おもむろに望月が令嬢に訊ねた。

「そうねえ、一週間くらい前だったかしら?」

「ほう、すると一週間前に感染させられた人物がここにいる十人の中にいて、本日発病をしたという可能性は、否定できませんな」

「そんな野郎がたくさんいたらどうなるんだ? 収集が付かねえぞ」と猫谷が心配そうに訊ねた。

「わたしが推測するに、おそらく発病者は、いても一人でしょう。この一週間のあいだに村長が襲い掛かった人物がいれば、その人物は間違いなく感染しているはずです。そうなれば、先ほどの検査に引っかかっているはずですよね」

「なあるほど。一週間前に襲われた人物だけは発病している可能性があるものの、それ以降に襲われた人物は感染状態のままのはずだ。いまの検査で感染者はいねえことが判明したから、この中に発病者がいてもせいぜい一人ということか! まあ、権蔵翁はご老体だったから、毎日は血を吸わなくても我慢できたかもしれねえな。若い俺たちが発病すれば、そうもいくまいが……」と猫谷は一人で納得していた。

 こうして、一抹の恐怖を胸に抱えながら、招待客たちは、それぞれの個別の寝室に入って眠りについた。高椿邸には二十あまりの部屋があり、ここにいる十人の寝室を用意するのに困りはしない。


 にわかには信じられないことであるが、この晩に怖れていた出来事が現実に起こってしまう。私たち十人の中に、たったの一人だけ飢血病の発病患者が紛れ込んでおり、その人物が深夜に行動をはじめたのである!

 発病患者は、まずある人物に襲い掛かり、その人物――彼ないし彼女を、発病させてしまう。さらに、その由々しき姿を運悪く目撃してしまった別の一人が、発病患者に魅せられてしまい、生涯を発病患者のために尽くそうと心に誓う使徒と呼ばれる忌むべき存在と化してしまったのであった。

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