16.取り返しのつかない大失態(三日目、日中)
いよいよ私が報告をする番である。一筋縄では片付かない五人の面々の冷ややかな視線が、そろって私に注がれている。さあ、ここからが勝負どころだ。
小間使い葵子「わたくしは、昨晩ある人物の観測を行いました。そして、その人物が夜空に向かって飛び立つのを、しっかりと確認いたしました!」
私がそういい終えると、聴衆の中でどよめきが巻き起こった。そんな中、すまし顔の琴音がすっと身を乗り出してきた。
令嬢琴音「ふむふむ、それは聞き捨てならんわね。さあ、遠慮なくおいいなさい。その恐ろしい悪魔は、いったい誰だったん?」
私は、ちらりと琴音に目を配ると、そっけなくいい放った。
小間使い葵子「お言葉ではございますが、その人物は――、あなたでございます! 琴音お嬢さま――」
この発言で、まともに意表を突かれた梅小路琴音は、腰砕けになって尻もちをついてしまった。そして、美しく束ねた自慢の長い髪をがっと掻きむしると、般若の形相と化して、狂人のごとく大声でわめき散らしながら、怒りをあらわにした。
令嬢琴音「んもー、なんやって? あんた、頭どうかしとんちゃうの? よりによって、このうちが鬼やって? まー、よういうたわ。ほんにむかつくったらありゃしない!」
行商人猫谷「まあまあ、お嬢さま。も少しお気を確かに――」
猫谷庄一郎と飯村和弥が二人がかりで、私に飛び掛からんとする琴音をどうにか取り押さえたのだが、それでも彼女は激しくいきり立っていた。
令嬢琴音「ええい、離しや! この小娘ぇ――、いつも、いつも、いつも、猫かぶってツンと澄ましよってに。前からうちはね――、あんたのことずっと気にくわんかったんよ! もう、いい加減にしとき! この、こんこんちきのすっとこどっこいがー!」
小説家望月「お嬢さま、どうか落ちついてください。小間使いさんの発言が、真実だと認められたわけではありませんし……」と望月は、思わぬ琴音の取り乱しぶりに、ただ茫然としている。
行商人猫谷「うんうん。それに、お嬢さまが初日に感染させられた感染吸血鬼だという可能性も考えられるしな……。
痛たたっ、痛たい! ひぇー、お嬢さま、噛みつくのだけは勘弁してくださいよー!」
令嬢を取り押さえようと必死に格闘している男たちを横目に、しゃがみ込んだ子守り千恵子がじっと考え込んで、なにやらぶつぶつとつぶやいていた。
子守り千恵子「書生のお兄ちゃんが正しければ、物書きのおじさんと、小間使いのお姉ちゃんが鬼だし、小間使いのお姉ちゃんが正しければ、お嬢さまが鬼ってことになるのよね……」
暴れに暴れ尽くした梅小路琴音が、ぜえぜえと息を荒げてうずくまっている。その隣では猫谷が、琴音にたったいま噛みつかれて流れ出たばかりの右腕の血を、顔をしかめながら舐めている。ちなみに、琴音が吸血鬼に変身するのは夜間だけなので、いま受けた噛み傷で猫谷が感染する心配はないのだが……。
書生和弥「ふう。どうにか、お嬢さまも落ち着かれたようだし……、議論に戻りましょうか」と提案した飯村和弥も、琴音に蹴られてあざになった右の目元を痛々しそうに押さえていた。
令嬢琴音「はあ、はあ……。すっかり疲れちゃったし、もう、ええ――。今度は、きちっとした議論で、――頭使うて、白黒決着付けたるわ! さあ、今日は誰を吊るすんよ。――猫さん?」
行商人猫谷「いきなり、振らないでくださいよ。まだ、処刑投票の議論には早過ぎやしませんか?」
令嬢琴音「あんねえ。うち、いま、むしゃくしゃしとるんよ。これ以上、うちを怒らせるとなにが起こるか責任持てへんからね。それとも、あんたが吊るされたいっていうのかしら?」
行商人猫谷「ちょっと待ってくださいよ。そうですかい? わかりやしたよ……。
まあ、俺さまとしても、今宵に吊るされちまうのは本望じゃねえからな。仕方ねえ。いよいよ告白すっとするか。
いいか、よく聞けよ。下郎ども! あっ、お嬢さまは除いてですよ……。
なにを隠そう、この俺さま、さすらいの行商人猫谷庄一郎さまの正体はな――、じゃじゃーん、猟師なのだー!」
得意げにふんぞり返った猫谷とは対照的に、まわりは冷ややかだった。
書生和弥「ええと、それでなにがいいたいんですか?」
行商人猫谷「あれれ、驚かねえのか? 俺さまが猟師だということは、ほれ、そこの物書きの旦那は、大嘘つきだって、こういうことよ!」
これにはさすがの望月も黙ってはいなかった。
小説家望月「これはしたり! もっとも、いまさら申し出たところで、どうせ誰も信じる人などいないでしょうがね」
行商人猫谷「ふふん、おもしれえや。その言葉、そっくり返してやんべ」
令嬢琴音「ちょっと待ってや、猫さん。あんた、昨日望月さんが猟師宣言した時に、なんで対抗せんかったん?」
行商人猫谷「時期尚早だったからさ。猟師が表舞台に出ちまえば、その後の護衛に困るじゃねえか? 天文家宣言した二人の他に、自分も護衛しなければならなくなる。三人をいっぺんに守るなんて、事実上不可能だからな」
令嬢琴音「でも、あんたは処刑候補の筆頭だったんよ。うっかり処刑されたら、どう責任取るつもりだったんよ?」
行商人猫谷「お嬢さん。お優しいお言葉、骨身にしみやすよ。
ただね、昨日はどう考えても、蝋燭おやじが吊るされる流れだったからな。俺さまが名乗り出るのはまだ大丈夫だと、こう判断したのさ」
令嬢琴音「わかったわ。ほな、とりあえず、昨日までのお仕事の報告をしてもらおやないの、新しい猟師の候補さん?」
行商人猫谷「いいだろう。初日、二日とも、俺さまは小間使いの護衛をしていた。いずれもGJはなしだ」
小説家望月「たったのそれだけですか? なら、わたしの行動となんら変わりないですね?」
行商人猫谷「ふふん、そうでもないぜ。物書きさんよ――。
書生の報告によれば、あんたは昨晩夜空に飛び立っていったことになっている。が、一方で、あんたは昨晩誰かを護衛していた、といい張っている。わかるよな。こいつがなにを意味するのかは――、あんたと書生のどちらかが確実に嘘つきだ、ということだ!」
書生和弥「面白い! そして、僕と葵子さんのいずれかが嘘つきであることも、明白たる事実ですよね!」と、書生が目を輝かせながら猫谷に同意した。
令嬢琴音「どっちにしろ、埒が明かんくなっとるのに違いはないわ。うちらは、間もなく大きな決断をせなならんのよね。誰かを処刑するという……」
行商人猫谷「オリジナル鬼は二人とも健在! こいつは疑いのねえ事実だ。そして、いいかげんに鬼を処刑しねえと、いよいよとんでもねえことになるべ!」
小説家望月「そうは申されても、誰を選べばよろしいのですか? どなたも、鬼であると断言する決め手には欠けますし……」
猫谷も望月も、打開策を見つけられずに困っていた。そんな中で、意外な人物がさっと手をあげた。
子守り千恵子「あたいにいい考えがあるよ。確実に鬼さんを追い込む方法――」
行商人猫谷「なにい? 頭脳明晰、利口発明な俺さまたちを差し置いて、餓鬼の分際で、いい考えがあるだとお?
なんでえ? そいつが本当なら、早くいってみろ」
子守りは軽やかに踊るような足取りで聴衆の真ん中にしゃしゃり出てきた。そして、その時こそが、彼女がこれまでずっとひた隠してきた危険な刃を、ついに皆に向けて振りかざした瞬間でもあったのだ。
子守り千恵子「ローラーするのよ! 天文学者さんのお兄ちゃんとお姉ちゃんを――」
千恵子のあどけない口もとにはいま、悪魔を思わせるうすら笑みがはっきりと浮かびあがっていた。