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「...清水?..スポーツドリンク買って来たぞ。どうだ、飲めそうか」
宮下は部屋の中で何かが起こっているのではないかと、恐る恐る一美のマンションに入って行った。
部屋の中は特に変わった様子は無く、ただあの大量の郵便物が消えていた。
(先程ここから出て来たあの男が抱えて行ったのか。すると、やはりあれは清水の旦那か?
じゃ、自分の奥さんが熱出してるから直ぐに戻って来るな。早めに退散するとするか)
寝室に続くドアが開け放たれていて、薄暗い部屋の奥に置かれたベッドに抜け殻の様に茫然とした一美が腰掛けているのが目に入った。
「...清水?」
「....」
明らかに様子がおかしい、宮下は幾分慌てて
「?清水?おい」
駆け寄り肩を揺すると
「....違う...」
小刻みに震える肩で僅かに聞き取れる声
「...どうした?」
熱による倦怠感とは違う様子の一美に宮下は戸惑った。
(本当は、この部屋から出て行った男がご主人かのかと訊きたいところだが、とてもじゃないが今の清水には...。あの男が部屋に来た事に反応してるのだろうか? だとしたら、訊き出してあげた方が楽になるのか?自分から話す気になるのを待った方が良いのか?)
色々と考えてるだけで無言の時間だけが過ぎて行ってしまった。
宮下君は私がが落ち着くまで肩を抱いて隣に座ってくれた。いったい、どの位こうしていたのだろうか漸く落ち着いて来た私は
「もう、大丈夫だから。明日も仕事でしょ、どうも有難う、今夜は遅いし、帰っていいよ。」
これ以上、甘えられない。この人は、私達の問題に関係ないし、幸い夫と鉢合わせにもなってないから今夜の夫の事は知られてはいない。
もう今夜は何も考えられない。ただ、彼が元気で無事だった事が分かっただけで良いとしよう。
1人になるのは怖いが、宮下君は帰さなきゃ。
あの人は宮下君がここへカバンを取りに戻って来ると思って、外で待ってるかも。だから、あまり長い時間ここに二人きりで居ては益々怪しまれる。
「清水、何か食べろよ。ゼリーとか口当たりの良い物も買って来たし」
「有難う、心配かけちゃったね。ホントにもう大丈夫だから」
心配顔で渋る宮下を説き伏せて玄関で見送ると、カチャリとドアが閉まった途端一美は再び部屋の静けさと世界中から自分だけが取り残された様な孤独に震えた。
何も考えたくない、しかし考えずには居られなかった。
熱を出している私を労わるでなしドアの外から冷たく声を掛けただけで、それ以上近づいても来ない夫。
何故、今夜私が夜勤だったのを知っていたんだろう…?
以前は、自宅のカレンダーに日勤、深夜勤務、準夜勤のシフト以外にも、勉強会、研修、出張等一美の予定を、夫とはすれ違いが多い為に分かり易く書いていたが、夫が居なくなってからは書き込まなかなっていた。
必要性を感じないから書かないのではない。帰って来る日もあるから、互いのすれ違いを防ぐ為にも書いて置いた方が良いのだろうが、書きたくない気持ちもあった。
夫が何も教えてくれない話してくれないなら、一美も教えたくない。
細やかな抵抗のつもりだった。
『夜勤じゃなかったのか』
あれは、私のシフトを知っている台詞だ。何故?誰から聞いたの?
私のシフトを知ってるのは病棟スタッフだけの筈、でも幾ら夫だと名乗っても簡単に教えるとは思えないし。じゃ、どこで仕入れたの?
そう言えば!
今までも、この部屋に夫が来ていたのは私が居ない時間だった!
まさか!今夜だけでなく、一か月分とか長期間の私のシフトを知ってるの?
どうやって知り得たのかしら。
...誰か夫に教えた人物が居るとしか思えない、誰?
私のシフトを知ってるのは病棟スタッフしか思い付かない、では彼女たちの誰かが教えたの?
...考えたくないが...誰かと通じてるの?
....その人と....どんな関係なの....
有り得ないと思いたいが、家を出て行った事と...関係が....?




