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夫が家出しました  作者: 籠子
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 ――― 琴世さん...


宮下の肩越しに見えたのは、薄暗がりに立つ琴世。驚いたり表情を動かすわけでもなく目があっただけで、そのまま二人の数メートル横を通り過ぎて行った。

一美の肩に顔を埋める様に抱きついていた宮下には、足音が聞こえて誰かが近づいたことに気づいてもそれが誰なのかまでは分からなかった。


 ――― この光景は絶対に勘違いされる!琴世さん、ちがいます。


一美は手に鞄を持っていて突っ立てるだけで、宮下が一方的に抱きついてるだけなんだ。私達はそんな関係じゃないと、琴世を追いかけて言いたかった。


「宮下…君」


返事の代わりなのか、一美の耳元に唇を寄せ包み込んでいる腕の力を強めた。


「宮下…。少し話そう、ねぇ?」


鞄を持ってない方の腕を何とか動かし身体を捩って、宮下の身体を離すと宮下の腕は思ったより簡単に解く事が出来た。呆気なく宮下の温もりが消え冷たい空気に包まれた一美は、一歩下がり冷静に成れる距離をとる事が出来た。

離れたことで互いの身体の温もりが消え、後ろを振り返ったが既に琴世の姿は見えなくなっていた。一美は足早に後を追って通りに出たが、タクシーに乗り込んで行ってしまったのか琴世は何処にもいなかった。


「琴世さん...私...」


 ――― 自分のやっている事が情けなくなって来た。琴世さんが順風満帆な幸せじゃないのを知っていて...それでも、あんな酷い事を言った私が同じ事をしてるなんて。


茫然と琴世が消えた方向を見ている一美の肩に宮下の手が乗せられ、名前を呼ばれ振り返ると


「何かあったのか?急に走り出すから…」


「いま...琴世さんが...。どうしよう...宮下君、私達見られちゃった」


「あ...。別に小野寺さんなら、後で話せば分かってもらえるだろ?何れ知れることだし」


 ――― 何れ知れるって...な.何が知れるのよ?!何を言い出すのよ。私は夫との関係がどうなるかで悩んでるのに、そのうえ宮下君との噂なんて耐えられないわよ!!勝手なこと言わないでよ。

「何れって...。私はまだ宮下君と付き合うなんて返事してないじゃない!!」


宮下の簡単なもの言いに、イライラし思わず強い口調で自分でも驚くほどの大きな声で言い返してした瞬間、宮下の表情が強張った。


「..ぁ..ごめん。...ちょっと...何っていうか」


「なあ..清水..。俺一人の勘違いだったのか?」


「私...もう今夜は帰らなきゃ。最近色々あって疲れてるし...遅くなる訳にはいかないの...ごめんなさい...」


他所他所しい態度で離れようとすると硬い表情のままの宮下に腕を乱暴に掴まれた。


「いい加減に俺に...全部..話したらどうなんだ!最近あった疲れる理由とか、俺にも関係してるんだろ!?」


「...ぁ…?」


「お前が今抱えている問題をだな、俺に話せよ。ここまで俺を引きずり込んでおいて、何もなしかよ!」


宮下の言葉が胸の締めつけを強くして体中に広がって行く。

 ――― 「抱えている問題」って言って貰えた...心配してくれていたんだ。


数ヶ月前に夫が出て行ってから頭の中でもやもやとしていた物や、冷えた今の生活や、一美の中にあった重く大きな石で身体がいっぱいになって行く。


宮下の真剣な眼差しに身体の動きが奪われ、涙が溢れて来た。

誰に相談することも出来ずに眠れない夜を過ごし、夜明け前の薄明るさに目覚めた日々。待ち焦がれた夫から向けられたのは、穢れた物を見るような視線と背筋が凍りつくほど恐かった盗聴。


心の奥の箱に仕舞いこもうとして無理やり閉めていた蓋を宮下が開け、一気に溢れだして来た。


「...ぁ..そん..な..そんな事を...言わないで...」


抱えきれない程、抱えていた物が手から零れ落ち始めるように涙が頬を伝い落ちる顔を両手で覆い、一美は膝から崩れ座り込んでいた。


「....そんな事を..優しい事を言わないで、私..如何したらいいのか、もう...分からない」


泣き崩れる一美の肩を抱き宮下は、他人同士が家族になる為にはここまで耐えなくてはならないのだろうか..と考えていた。細かく震える冷たくなった一美の指を安心させるようにしっかりと包み込む。結婚経験のない自分には分からないが、それでも一美がこんなに姿になるのは尋常じゃないだろうと宮下は肩に回した腕と冷たい指を包む手の力を強くした。


「清水..我慢することないんじゃないか?」


一美は、涙が流れる程に胸の痞えが取れて行く。声を出して泣く程に心が軽くなるのが分かった。


「...宮下君..私..ぁぁ。私、もういいかな?終わりにしてもいいのかな?」


「ああ..お前が楽になる方を選んで良いんだ」


長い時間、宮下は一美の涙が止まるまで肩を抱いていた。




何時もの夜勤帰りの時間より遅くなって二人でタクシーにのり、宮下は一美のマンションまで送った。

落ち着きを取り戻した一美は、隣に座る宮下に繋がれた手の暖かさに一時の安らぎを感じなからも、夫の待つ家へ宮下に送ってもらいながら帰る事に複雑な思いを感じていた。


 ――― 私は... この暖かい手を選ぶ気なんだろうか。


あの後、一美は全てを話した。何時もなら相談できていた友達は不倫妊娠や秘密の職場恋愛で、一番の親友はバイク事故で職場復帰もままならない状態だった。

宮下に全てを話し泣きはらしたら気持ちはスッキリしたけど、それが宮下君の想いへの応えに繋がるかは自信が無い。今まで安易に頼ってしまってたけど、私にそんな想いを寄せていたなんて気がつかなかった...。


私...どうしたらいい...の...


宮下に気づかれないように溜息をつく。

夜中、もうすぐ夜明けになろうかというこの時間は車の流れが良く、既に自宅近くまで来てしまっていた。繋がれている手から腕へと視線を上げて、辿り着いた先の宮下の顔は真直ぐに前を見据えていた。強く握られた手としっかりと視線を前に向けた姿は頼もしく思える。

そして、一美は自分の感情の動きが見えなくなって来ていた。


 ――― 着いたら、私はこの手を離す...


そして私のこの手は、夫の待つドアを開けて、夫との生活の為に動く手になる...


 ――― このまま、この手を離さない...


...離さなかったら...この意志の強い腕に包まれて、二人で同じ方向を向いて進めるのだろうか...


見つかる訳もない答えを必死に探している。車が自宅マンションに停まる前に、何かを摑まえなくてはと焦っていた。考えれば考えるほど分からなくなり、自分は如何したいのか如何なりたいのかがますます混乱して来るのだった。

しかし、車は時間切れを示し停まった。運転手の料金を告げる声が車内の静寂を破り、一美に決断の時が迫った。


はっとして顔を上げた一美の目に見えたのは、何時もの慣れ親しんだ自宅マンションと日常の風景だった。

 ――― どうかしてる。迷うなんてどうかしてる私。宮下君の優しさや側に居る安心感に頼ってたけど、このままじゃ駄目なんだ。


「...」

何かを言おうとして口が僅かに動くが、言葉がみつからない。言葉を探して泳がせた目線の先に見えたのは、駐車場に停まっている夫の車だった。


 ――― この場は、繋がれた手を解いて車を出よう。宮下君決めて貰う事じゃなくて、自分で決めて前に進まなくちゃいけないんだ。


「...清水?」


「宮下君..ありがとう。私、独りで出来そうだから。」


 ――― 今は宮下君を考える時じゃない。ここは夫と私の家なのだから、もう一度、夫との事を整理しなくては前にも何処へも進めない。


一美は繋がれた手を強く握り返して大きく頷くとタクシーを降りた。



すみません、年内完結出来ませんでした。今回、何故か書けなかった..時間がないのと言葉が出なかった..


そして、拍手お礼のお話も完結出来ませんでした、でも此方はもしかしたら年内に完結するかも・・です。


念のため「皆様良いお年を..」



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