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夜勤が終わり一美と別れた後、琴世は着替えを済ませてロッカーの扉を閉めた。パタン...っと閉める音が人気のない更衣室に響く。
――― 疲れた。
妊娠初期で安定期にもなっていない身体で夜勤をしているのだ、一日中立ちっぱなしだったり重い物を持つことだってある、だからと言って甘えてはいられない。私に好意的な同僚はそんな時庇ってくれたりもするが、私の妊娠を冷やかな目で見ている同僚はそんな風に気を使うことはしてくれはしない。皆其々に自分の仕事だけでも忙しいのに、不倫の妊婦を何故助けなくてはいけないのか?っと言った態度だ。だから、周囲に気を使わせない様に、妊娠前と変わらないペースで仕事をこなしている。
「疲れた」とか「眠い」とか「悪阻で気持ちが悪い」など休憩時間であっても、決して口に出したりはしない。
そんな私の性格を理解している心配性の夫は、夜勤をするのを快く思ってない。妊娠が分かってから夫は、準夜勤の帰りに迎えに来ることがある位に私に甘くなった。
愛する夫が居てもうすぐ子供が生まれる、傍からみれば幸せに満ち溢れた夫婦に見えるはず。
しかし、愛しい夫は自分の物であって自分の物ではない。
優しくて愛しい夫が自分の許から居なくなることなど決して有り得ないが、今の自分の立場は弱くて不安定な石の上にあるようで、この幸せが永遠に続かないのではないかとつい考えてしまう。
そんな最悪な状況はなりたくないが、もしもの時はお腹の子を守ってあげられるのは私しかいない。だから、強くならなくては。
たとえ、私一人になったとしても、子供に恥じることのない親になって沢山の愛情を与えて、この子が生まれて来て良かったと思えるように。
私は強くならなくてはならない。
照明が落とされた廊下を進み職員玄関を出たところで、一組の男女が話しこんでいるのが見え。特に気になりもせずに横を通り過ぎようと思って歩き出したが、男が突然に女性の背中に手を回して抱いたので私の足が止まった。
少し離れた所を歩いて通り過ぎようとして、気配を出来るだけ小さくして気付かれない様に再び歩きだす。抱き合っている二人が何か話してるのが聴こえ気になった訳ではないが、視線が二人に向いてしまった。
一美と宮下だ!
何故...この二人が...。
暫くの間頭の中で整理が必要だったが、一瞬で納得出来た。
一美は既婚者ではあるが家庭が幸せかどうかなんて関係ない、女と男がそこに居ただけ。所詮、やってる事は私と変わらないんじゃない。私には一美のしている事を、とやかく言える身では無い。このまま見なかった事にしてしまおう。
それ以上然程興味も湧かないので、そのまま帰ろうとした時、一美と眼が合った。
彼女は完全に、不味い処を見られたといった表情をしたのが面白かったが、一美が思っている程私は何も考えてない。この先、一美の家庭がどうにかなったって私には興味は無い。勿論、宮下が如何いう行動にこの先でるかも、二人の関係がどうなるのかもだ。
これで、何となく分かった気がした。この前からの一美の様子と、今、私の目の前にある二人の姿が意味している事。
一美なりに色々と悩むところがあったのだろうな....、誰にも話す事も出来ずに、誰にも知られない様に...。私もそうだったから。
それにしても、二人がこんな関係にあったとは全く気が付かなかったわ。
私は無意識にお腹に手を当てていた。
幸せな事だけ考えよう。早く帰って夫の寝顔でも見よう。それとも夫の事だから疲れてて眠くても私の帰りを待ってるかも。
心配性の夫には悪いが、私は仕事を辞める気はない。
これからも同僚の冷たい視線や真実とは違う噂に悩まされる事は、今まで以上にあるだろう。でも、あなたを失ったら...と考えると、仕事を辞める決断は今は出来ないの。
私は怖いの。
今持っている物を失うのが怖い。仕事も友達も貴方も子供も幸せな生活もどれか一つでも失ったら、何もかも壊れて行きそうで怖いの...。
一美の視線を慌てて外して、足早に通り過ぎた。
早く帰ろう。手の中にある幸せが崩てない事を確かめよう。




