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夫が家出しました  作者: 籠子
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私達はあれから一緒に暮らし始めた。


家を出ていた間何処で暮らしていたのか話してはくれないが、仕事が終わったらこの家に帰って来るようになった。夫は家から持ち出した私物を持ち帰ることはなく、帰宅時間も相変わらず遅かったが、外泊はなくなった。


しかし、家の中に笑顔と会話はなかった。


緊張感漂う家庭。自分という人間の何かが試されてる様な気がして、行動どころか目線まで神経を使う。


あの離婚届は何時の間にか無くなっていた、おそらく夫が持っているのだろう。何時か、また、あの離婚届を置いて夫が居なくなるのではないかと考えてしまうと、気を遣い慎重に言葉を選んで会話をする生活を送っている。一美にとっては大変疲れる家庭生活だ、でも、次は無いのだ、次は本当に終わりなのだ。


再び一緒に暮らし始めてから幸いな事に夜勤がなかったので、毎晩夫の帰宅を迎えることが出来たが、夜勤は如何しても避ける事は出来ない。

再び一緒に暮らし始めて最初の夜勤の日、緊張しながら午後に家を出る。今夜、夫が帰宅した時には部屋は暗く誰も居ない。仕事で居ないだけで遊んでいるわけではない、こんなことなら夜勤のない職場が良かった...大きな溜息をついて玄関のドアのカギを掛ける。




病院に行くと日勤をしていた朋子と香に話しかけてきた。


「今度、琴世さんのお祝い会するんだけど、一美はいつでもいい?」


「...琴世さんのお祝い会..?」


「まあ..色々あったけど..って、これからが本当の正念場なんだけどさぁ。取り合えず、妊娠は御目出度い事だからお祝いしようって話しで。」


準夜勤の一美は日勤から引き継ぎを受けて、夜の仕事を開始する。交代するまでの僅かな時間に、回り聞こえない様に気を使って話す。

 ――― 琴世のお祝い会...体調が良くないのに色々と噂をされて辛い琴世を支えて行くのは、昔からの仲間の私達しかいない。琴世さんの自身のこれからや、相手の先生との事、先生の家族の事、心配は絶えない。


最近は自分のことで精一杯だったから、琴世とゆっくり話す機会もなかった。だから是非、参加したいと言いたい処だったが、今の一美には簡単に返答出来なかった。


夫の顔が頭を過る。

慶司に一言、相談しなくては返事が出来ない。


 ――― どうせ、慶司の仕事帰りは遅いのだから、それまでに帰っていれば問題ない...。

友達と食事するのに何故、夫の許可が要るのだろうか...。

夫に迷惑はかけないし、慶司が帰った時に家に居ればいいんでしょ?だったら、別に..慶司に許可を貰わなくてもいいんじゃないの?


今まで仕事帰りに友達と食事して来るから遅くなる、なんて事前に夫に一言でも言って家を出た事が無かったので現状では如何していいかペースが掴めない一美だった。


 ――― ...面倒くさ... 


「ねえ一美、何時でも言い?シフト表見て適当に皆の勤務の合う日を選ぶけど...一美?」


何時も即答で了解する一美を、何時ものように誘い、何時ものように日程を勝手に決めて行く友人の表情が止まり首を傾げる。一美...どうかした?と訊かれる。


「うん...私はちょっと..行けるか分かんないな..行けたら行くね」


一美は、そう返事をして夜勤にはいった。

本当は即答で『何時でも行けるから店も適当に決めて』と言いたかったが、言葉が出なかった。あの時、琴世さんに酷い態度をとった事をちゃんと謝っていない、仕事では毎日のように顔を合わせているがそれだけで終わっていたのだった。だから、きちんと謝ってから祝ってあげたいと考えていた。しかし、長い別居生活の末に得たのは息の詰まる様な同居だけの夫だったが、それでも何時かは許し合える日が来ると信じて今は夫との生活を優先する、それが何時になるのか全く分からないが。だから直ぐに返答が出来なかった。




今夜も穏やかな夜だった、忙しい仕事中は面倒な事は考えずにすむ。

日付が変わり次の深夜勤務と交代し帰り支度をしてロッカーへ向かう一美のカバンの中で携帯が振動した、宮下からのメールだ。

《大丈夫か?話したいが、如何だろう》

あれ以来、宮下とは仕事以外では話す機会は持てていなかった。夫との間に何があったかなんて宮下に話す必要性は感じていなかったし、こんな生活をしてるなんて知られたくなかった。

返信を躊躇っていると再び着信が鳴る。

《いつでも待ってるから》

待ってる――の文字が嬉しかった。以前、何かあったら俺の所へ来ても構わないと言われていた事を思い出すと、胸が暖かくなる。「ありがとう。大丈夫だから」と返信して更衣室へ足を向けた、その時


「清水!」


薄暗く静かな廊下で廊下で宮下に呼び止められる。


「脅かさないでよ。何やってんの、ここで。当直?」


「それよか。お前、どうなってんだよ。アレから連絡ないって事は、解決して上手くいってんだな?」


「...うん...」


一美は正直だ、上手くいってるかと訊かれ言葉が直ぐに出て来ない。これは、夫と自分の問題だから二人で解決して乗り越えなくてはならないし、宮下は友達として心配してくれてるだけで直接は関係ないのだ。


「なにもないよ。何かあったら相談するから。じゃあね、帰るわ」


軽く笑って見せて廊下を小走りで宮下から離れた。とにかく今夜は早めに帰宅しなくてはならない、こんな所で宮下と立ち話をして遅くなったら慶司に有らぬ疑いを掛けられてしまう。


立ち去る一美を見送った宮下には、余所余所しくなった一美の様子から家で何かあったのだろう事は容易に予測できた。しかし、どんなに心配しても本人が話してくれない事には、何も出来ない自分に苛立ちを感じていた。


「清水..お前に何があったのかは、何となく想像ついてんだぞ...旦那と別居してたんだな..とか、俺との仲を疑って盗聴器を仕掛けたんだろうな...とか...何時まで言わない気だよ...離婚して俺のとこに来いなんて言わないから、せめて一人で辛そうにしてないで俺に相談くらいしてこいよ」




タクシーで帰りついた家は真っ暗で、夫は既に寝ていた。

起こさない様シャワーを使い冷蔵庫から缶ビールを取りだすと、寝ている夫に気を使いベランダで飲む。

携帯をチェックすると仕事中に朋子からメールが入っていた。琴世のお祝い会をする候補の日程が幾つか選んだので都合に良い日を選んで欲しい件、美樹が今日一般病棟に移ったが仕事復帰は全くの未定である件だった。

夫が寝ている部屋のドアを振り返りながら、琴世さんの会に出られるか考えていた。


 ――― 行っても良いですか?ってお伺いを立てるものなのだろうか...専業主婦だったり子供が居る場合はそうななかもしれないけど、ウチの場合はどう?「この日、夜に私出掛けるから」「仕事帰りに友達と食事して来るから帰りは遅いから」じゃダメなのかな...?


明日も夜勤なのでゆっくりとビールを飲みながらそんな事を考えていると、ふとある事に気づく


 ――― もしかして...明日は慶司は仕事よね...明日の朝って、私起きなきゃダメ...?慶司が会社行く時間に起きて送り出さなくちゃいけないのかな?あああ...もうこんな時間だ、朝起きれる自信ないよ..


夫が帰って来て最初の夜勤である。ここは、ちゃんと朝起きて朝食を作って送り出すべきだろうと考えて、早々に寝る事にする。


静かに寝室のドアを開けて夫を起こさない様に、夫に触れない様にベッドを揺らさぬようにベッドに入る。極力身体を動かさない様に身体を緊張させながら眠りにつく。

今となっては、如何して別々のベッドではなく一緒のベッドなのだろうかと後悔する。以前は、こんな風に寝ている夫を起こしてしまう事なんて、考えもせずに一美はベッドに潜り込んでいた。


――― その度に起こしていたのかな...。それが明け方に近い時間だったら、その後眠れずに朝まで...何てあったのかな?

今まで、こんなに気を使いながら寝た事無かったかも....御免なさい...。



一美は、今までの自分を後悔し反省していたが、夫の居ない一人の生活に慣れてしまったのか、心の何処かで窮屈さも感じてた。同居が再会されて間もないのに、それを自分でも如何していいのか、早くも分からなくなっていた。


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