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近くのコンビニで立ち読みをして待っていると、ガラスの向こうに自転車で駆けつけた宮下が見えた。
宮下の姿を確認した途端、安堵で一美を取り巻く空気が暖かくなる。
宮下の腕を掴み、大きく息を吐くと、漸く呼吸が出来るようになり安心のあまり、膝から崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「あああ..!おい、清水、何があったんだよ」
腋を抱きかかえ立ち上げた一美の身体は冷たく冷えて、まともに話が出来る状態ではない。
「清水..歩けるか?その先のコーヒーショップまで行けるか?」
一美は頷くだけで精一杯だった。
店に入り、宮下は隅の方で回りに客がいない場所を選んだ。一美は自分以外の人間が皆、盗聴の犯人に見えるのか、絶えず回りを気にしている。
暖かくほんのりと甘みのするコーヒーを宮下は直接手に持たせると、一美はそれまで泳いでいた目をしっかりとさせて宮下を見た。
何があったのか、話すんだ、と宮下は頷いて見せる。
空腹の胃に暖かいコーヒーが浸み込むのが、痛いほど分かる。胃から周囲に暖かさが行きわたった頃、一美は盗聴の件を話し始めた。
「はぁ..?盗聴!?」
宮下は、口を開けて固まる。
一美の突拍子もない告白に、理解力が追いついていかない。
「お願い、家に来てぇ。怖いから一緒に来て」
「お前...身に覚えは無いのか?その...」
「無いわよ。ストーカーも、恨みをかう程の患者とのトラブルもないの!」
確かに盗聴器を仕掛けられていたのは事実で、目的はあの家に住む人間の行動を知る事なのだが、真っ先に私を疑うなんて...と口を尖られてみせる。
「まあ...一緒にお前の家に行くのは構わないが。行ったところで、こんな遅い時間にまさか俺に、探せ..ってか?」
「あ?いえ...探さなくても...探すのは明日でも....」
ここで一美は気が付いた。宮下に何を期待して電話をしたのだろうかと..。
あの時は夢中で、誰かに助けて貰いたかったのか、怖くて側に居て欲しかったのか、自分でも覚えていない。気が付いたら宮下に電話をしていたのだ。
「あああ。今夜はもう遅いし、その家に帰るのは嫌だろから...一人が怖いなら俺のとこ来るか?」
「...宮下君とこ?」
一美は無かった事にしようと考えてた、先日の深夜勤務明けで、二人きりの出来事を思い出した。
独りで過ごせる精神状態でないことは、自分でもわかっていた。だが、宮下の部屋で一晩一緒にいることには、もっと抵抗がある。
考え込んでいる一美に
「明日も仕事だろ?だったら、ホテル泊まって出勤しろよ」
部屋に誘われて躊躇している理由に、心当たりがある宮下は、独りで泊めるのも心配だったが無理強いはしなかった。
一晩分の身の回り品を取るために、二人一緒に入ったマンションの中は、部屋の電気がつきっぱなしで、床には盗聴を知らせる紙が落ちてたままだった。
動きの鈍い一美よりも先に宮下がリビングに入り、床に落ちていた紙を拾い上げる。
どれだけ慌てて外に飛び出したのだろ…と、振り返ると一美はまだリビングの外に居て、目で促しても、首を横に振って中には入りたくない態度をする。
手にした紙に書かれた衝撃的な中身を読んだ宮下は、
――― 夜にこんな手紙を見せられたら、キツイいな…。
大きな溜息をついて、辺りを見渡すも見ただけでソレが見つかる訳でわない。
――― 普通はこんな時は旦那に連絡するんじゃないか?まさか、盗聴器の犯人に心当たりがあって、旦那に知られたくない人物とかか?
ここでは声を出せないので、長居は出来ない。怯える一美に着替えを揃えるようにと、手招きするが、一美の足は動かない。
――― そんなに怖かったか…
宮下は側まで行くと、一美の頭を二回撫でてから、両腕の中に抱きしめて耳を自分の胸に当てさせると、宮下の顎のしたに一美の頭がくる。
「大丈夫だ。もう大丈夫、今は俺が一緒だから」
一美を安心させたくて、極小さく囁き声を振動でも伝わるように耳を自分の胸につけたのだった。
その優しさと宮下の体温を感じ、一美は数回頷き、もう大丈夫だと伝え、胸から離れる。
呼吸と足音を忍ばせてリビングから寝室に入り、物音を立てないように慎重に荷造りをする。
――― 夫が出て行った部屋を、今は自分が出て行こうとしている。
玄関を出る寸前に中を振り返る。仕事でも旅行でも無く、この家を出て行く。
――― 何故?、どうして?
――― 今まで築いて来た『家庭』は....
振り返った家の中は真っ暗で、ただの闇の空間でしかなかったが、その闇の中でも盗聴器は誰かに送信を続けていた。




