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夫が家出しました  作者: 籠子
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 ――― 私ったら、なんて事をしちゃったんだろ。


あの日、一美は極度の寝不足状態だった。


一美達が勤務する病院の場合、毎回ではないが『日勤と深夜』という組み合わせのパターンがある。朝八時半から夕方五時半まで(実際にはこの時間には終わらなく六時前後とか、もっと遅くなったり)の日勤が終わり、その6時間後の深夜0時半から翌朝8時半までの深夜勤務をする。一旦帰宅して仮眠を取ることは出来るが、その日の一美はそれをせずに出勤したため28時間以上起きていた。




落ち着かない、妙な息苦しさを感じる。次の勤務の時に、どんな顔をして宮下に会えばいいのだろうかと考えると顔が熱くなる。

思い出すたびに恥ずかしさが込み上げて来る。きっかけを作ったのは宮下だったが、求めて行ったのは一美だった。


 ――― これがお酒を飲んでたなら『酒の勢いで、つい』とか、言えるのに...


宮下と関係を持ってしまったことへ後悔もあるが、何よりも一美を悩ませていたのは自分は既婚者であり、夫に対する後ろめたさだった。


夫が家を出て数カ月で彼の居ない生活に慣れ、それが幾分当たり前のようになってしまった感がある。でも、『山崎』を名乗っている以上は絶対に夫の存在を忘れてはならなかったのだ。

だから、あんな事はあってはいけなかった。


別に、宮下へ特別な感情があった訳ではない。

何となく、そうなってしまっただけ。寂しかったから、つい。

凄ーく眠かったから、最初は夫と勘違いしてしまっていたが、途中からは相手が誰かは分かっていた。それでも止められなかった、抵抗もしなかった。


否、自分から求めて行ってた。


一美は茫然としながらシャワーを浴びていた。今までは夫が家に帰って来ない事だけを悩み、眠れない夜を過ごしていたが、今夜からは悩みの種類や方向が変わってしまった。


誰にも知られてはいけない今日の私...。


後悔している?....解らない。

満足してる?...。少し充足してるかも。


ありがちだけど、シャワーで流せるものなら流したい。彼の手の感触と、ウジウジと夫を待ってた自分を流したい。


夫の帰りを只待ってるだけの自分から、変わろうとしている自分を感じる。自分をもっと大切にして充実した何かに向かって行こうとしてる、気持ちを感じる。

宮下との関係を築きたい訳ではない、夫に対する気持ちに区切りを付けたくなって来たのだ。


 ――― 離婚....もう、こだわらない。以前の様な結婚生活に戻れない事は明らかだわ。


シャワーを止め、身も心も結婚生活の今後も決めスッキリと、生まれ変わった様に出て来た。風呂上がりに冷蔵庫へ直行しビール缶を持ってリビングで飲んでいると、携帯が鳴った。

宮下だった。


通話ボタンを押すのを少し躊躇ったが、おそらく宮下も自分と同じモヤモヤとした気持ちを抱えているのなら、話さなくちゃいけないと考えて恐る恐る通話ボタンを押した。


「今朝はご馳走様」

「え⁈…あ…」

「朝飯だ。バーカ!何だと思ってたんだよ」

「あ?…はははっ…簡単な物しか出来なくて、お粗末さまでした。」


宮下が笑っているので一美は胸に重く乗っていたものが、かなり楽になった。

自分が、こういった事を割り切って考えられる程、器用な人間では無いのをこの人は知ってて、私を助けようとしてくれてる。そう思うと一美は、友達とも幼馴染とも仕事仲間ともつかない関係の宮下を身近な存在に感じていた。

ビールを片手に持ってベランダに出ると、気持ちの良い風が熱った身体と胸の奥の塊を吹き流してくれた。


「なぁ、清水…。」

「ん?」

「…何か辛いなら…俺で良ければ…」

「え?...俺で良ければ?また相手をしますよって?」

「おっ…お前なぁー⁉違う、何だか悩んでるみたいに見えるからだ」


 ――― 悩んでる…みたい?見えた…私。


「友達として言うぞ!何かあったら話せよ...な?」


低く落ち着いた声で、その効果を狙って宮下は語りかけた。その意味は一美にも十分に伝わり、暖かい物が胸の中に広がるのを感じた。


「ありがとう。それって自分でも解ってるけど、他人に話せない事ってあるでしょ?」


 ――― あ..また、やっちゃった。素直じゃないなぁ..私。


折角手を差し出してくれてるのに、それを振り切り何処までも独りで解決しようとする自分の性格に嫌気がさしていた。


「...それって..極々..個人的な事か..?」

「!!」

 ――― 感づかれた?!


一美は、思わず後ろを振り向き部屋の方を見た。病院では普通に仕事をして今まで通に接して来たつもりだ。それ以外で考えられるのは、この部屋しかない。

宮下がこの部屋に入ったのは二~三回しか無いはずで、何れも夫が不在の時ばかりだったが、別居を臭わせるモノは無かったと一美は思い出しながら、部屋の中に戻り中を見渡した。

別居を決定付けるモノはなくても、不自然さを感じるモノがあった事には一美は考え付かなかった。


「どうして、そんなこと言うの?」

自分が思っていたよりもトーンの低い声で返答してしまい

 ――― あ..こんな怖い声出すつもりなかったのに。これじゃあ、壁を作ったみたいだわ。


「見ていて、心配に...」

「大丈夫よ。何も無いから。それに、何かあったとしても、もう小学生の頃の私じゃないんだから。それとも先生には、あの頃の私のままなのかな?」

特に、意味もなく宮下を先生と呼んだ。

しかし、それを宮下は『距離を置きたい』との一美の意思表示だと受け取ってしまった。


「そうじゃなくてだな――」

「何も無いから」


心配してると伝えたかったのに、言葉を遮るように一美に遮られた。これ以上、続けると本気で怒らせそうだと判断した宮下は、取り合えず「じゃ、また明日」と伝えて電話を切る事にしたが


「待って。心配してくれたのよね、私って、そんな風に見えるの?」

「あ..俺が一人で勝手に心配してるだけ。お前、昔から負けず嫌いだろ?ギリギリまで頑張り過ぎるのを、知ってるから」

「...有難いものね。幼馴染って。」


一美の声が穏やかに変わっていた。しんみりとした表情をしてるであろう一美の顔が伝わるようだった。


「あ..私..」

「ん?」

「今度、ゆっくり飲もう..ね?」


『今度、ゆっくり――』と言われ、一美の抱えてるモノを穿きださせる機会はまだあると、宮下は安心して電話を切った。


一方、一美は

 ――― 『今度、飲もうね』..か。酔ったら、今の私の生活の事、打ち明けそうでヤダな。でも、女友達に話すよりは、マシかも。


電話を切ると、今までとは違う空気の漂う部屋に一美は居た。ほんのりと自分以外の人匂いのする様な...暖かい人の気配が残る様な...。不思議と孤独感が薄れてる様に感じ、良く眠れそうだと思った。


もう一つ、

息を殺して様子を窺う気配もあったの

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