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宮下を入れる前に、念のため部屋の中を点検してみたが、相変わらず昨夜一美が出かけた時のままだったので、特に隠さなくてはならない物も無かった。同時に、夫の存在感を示す物も…全くと言っていい程なかった。
「お邪魔しまぁす」
遠慮がちに宮下が入って来た。
「簡単な物しか作れないけど…適当にその辺で休んでて」
家の主人が居ないところに上がりこんで落ち着かない宮下に対して、面倒だと思いながらも久々に誰かの為に料理をするのが嬉しい一美は、自然と笑みがこぼれる。
それにしても、冷蔵庫を隅々までどんなに見ても、目ぼしい食材は無かった。独り暮らしになってから、まともに料理なんてしてないから当然だ。
ソファに座っていても落ち着かない宮下が、冷蔵庫の前で動かなくなった一美に
「そうだ!俺、何か飲み物でも買って来るか?」
「あら、ありがとう。直ぐそこにスーパーがあるから私も一緒に行こうかな?」
「いいよ。俺一人で行って来る。欲しい物あったら買って来るぞ」
「じゃ..果物お願いします」
乏しい食材で出来あがったのはカルボナーラ。
宮下が帰ってきたら仕上げをして出来あがり、と考えてるところへ宮下が帰って来た。
階下のチャイムが鳴り
『お―い清水 買って来たぞ。開けてくれ』
「は―い、どうぞ」
たった、これだけのやり取りにウキウキ気分になり、一美の顔が綻ぶ。
――― なんだろ。この幸せな感じ...
部屋の玄関から入りながら宮下は
「ただいまぁ。炭酸とオレンジ買って来た」
「お.。おっ、おかえりなさい」
――― 声が上ずっちゃう。『おかえり』だなんて、久々に言ったなぁ...チョッとドキドキだわ
天気がいいのでベランダで食べることにした。
「おーい清水。グラスはこれでいいか?」
「それでいい。ホークとお皿は私が...」
「落とすなよ、一人でそんなに持って」
楽しい、何だか分からないが、楽しい。子供の頃の話とか、他愛ない会話が楽しい。
暖かな日差しと気持ちのいい風が当たるベランダで、食べる。美味しい、気持ちが良い。
笑いながら軽く瞳を閉じて心地よい風を感じていると、今一緒に居る男が誰なのか分からなくなる。ここが自宅で、二人で居心地が良く作り変えて来た場所で、側に誰かが居るとなると....それが誰なのか益々分からなくなる...否、ここで一緒に幸せ気分で過ごすのは、ただ一人だけ。
それは、夜勤明けの寝不足で感覚が鈍っている所為なのか、それとも、一緒にいる人に対する気持ちの緩みなのか。
どう話を切り出せばよいか分からず、お喋りと手料理を楽しんでしまった宮下だったが、楽しそうにしていた一美が椅子に座ったまま転寝をしてるのを見て
――― 寝顔が笑ってる。
きっと、自分同様に楽しい時間であっただろう一美に、「話は今日じゃなくても構わないか」、と考え今日は昔馴染みの友達として側に居たいと思っていた。
一美が眠ってるので、自分で飲み物を出す為に冷蔵庫を開けると中は、以前見たときと変わらず、お茶とビールしか入って無かった。
――― この前にも思ったけど、この夫婦はここで生活してるのか?俺の部屋の冷蔵庫の方がまだ生活感あるぞ。
お茶のボトルを手にベランダに戻ってみると、一美は寝ていた。夜勤明けなのだから眠くて当然な所を、押しかけたのだから仕方ないと、暫く寝顔を眺めながら飲んでいた。
時折、緩やかな風に吹かれて一美の髪が揺れる。椅子に座って寝てるために頭が、安定した位置を求めて揺れる。
――― 知らない人が見たら、こうしてる俺達は何に見えるんだろ...
暖かな午前の陽の当たるベランダで、ゆったりとした時間を二人で過ごしてると、宮下に妙な錯覚が頭を過る。青い空を見上げていると、ここで二人で居る事が自分の居場所の様な気がして来た。
暖かいとは言え、転寝をするには少し肌寒いだとうと、
「おい。清水、寝るならベッド行け。」
「....うん..?」
「おい、起きるんだ。」
「.....」
「寝起き悪い奴だな」
余程疲れてるのか、また眠ってしまった。溜息をついて、もう少しだけ寝かせることにしたが、先程、動いた所為で髪が一美の顔にかかってしまった。その髪を宮下は指で梳きながら、気持ち良さそうに眠る頬に指を滑らせた。弾力のある滑らかな感触。子供の時の面影は残してはいるが、大人の女性の顔になっている嘗ての友達の頬を掌で包んで、感触を楽しんでしまった。まるで、これが自分の物であるかの様に思えて来て、愛しく大切な物に触れるように触れていた。
そして、耳元に顔を寄せて
「起きないなら、このまま抱いてベッドに連れてくぞ」
「....」
効果は無く無防備な寝顔を晒していた。
このベランダは6階で下はこのマンションの駐車場、誰も見ては居ないだろうと踏んだ宮下は、耳元に顔を寄せた状態で一美を抱き寄せた。そして、露になった首筋に顔を埋めた。
首筋..耳..に唇を這わせていると、一美から声が漏れ薄らと開けられた目と視線が合った。
「ここで寝たら風邪ひくぞ」
「..あ...」
虚ろな目で宮下を見上げた一美は、それを宮下とは認識していたかは判然としないが、再び眠るように目を閉じて、両手を宮下の首に回した。宮下は抱き寄せられるように一美に顔を落とし唇を合わせた。
明るい日差しの中、二人は互いの唇を求めあっていた。角度を変え何度も何度も、それを...。
静かな時間が凪がれていた。でも、それは二人だけにしか感じない時の和がれでしかなかった。
二人に向けられた、暗い感情の存在がそこにはあった事に気付くことなく、今の瞬間だけを感じていた。
一美ちゃんのおバカ昔話「赤点の天使」投稿してます




