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夫が家出しました  作者: 籠子
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「私、知ってるのよ。」


今夜選んだ店は焼き肉屋。その肉の焼ける音で消される程度の声で琴世が話して来る。

「なっ、何をですか?」

朋子の顔が引きつる。

「町顕との事」

小さな声を更に小さくして琴世は言う

「!誰から聞きました?」


「ん....『ウチの先生』から」


 ―――『ウチの先生』?

朋子はそれが誰を指すのか直ぐに理解した。


琴世の言う『ウチの先生』とは、二年前に琴世との不倫が原因で他所の病院に異動した医師のことだ。二人はその時に別れたはずなのに、何故今さら『ウチの先生』なんて言葉が出て来るのだろう、しかも幸せそうな笑顔で..と朋子は疑問に思っていた。


「ねえ、ホントに町顕から何も聞いてないの?」


「........もしかして..町顕が非常勤で行ってる病院?..ですか?」


町田医師だけでは無いのだが、この病院の医師達は週に一回か二回、他所の病院で手術や内視鏡検査や外来など其々で違うのだが非常勤医として仕事をしている。偶然にも町田が非常勤で行っていた病院に琴世の不倫相手の医師が勤務していて、この二人の男の間でそういう話は既にされていたのだった。


「琴世さん...あの...先生と別れたんじゃ...?」

驚いた表情で琴世の顔を見たが、一美を香に気付かれない様に一層小さな声で言った。


「ん...実は....別れてはいない。先生が移動した頃から一緒に暮らしてた」

琴世は平然と答えた。


「一緒に?暮らしてたんですか?」

若干声が大きくなってしまった。二人で何時までもヒソヒソと話していれば一美を香にも感づかれてもおかしくは無い、しかし、聞こえた様子は無かった。


「..あの..今まで私達にも隠していたんですか?」

「言える訳無いじゃない。私達は別れたことになてるのに?」

悪戯っぽく笑って見せる琴世に違和感を感じ、質問を続けた。


「何だか、楽しそうですね?幸せそうって言うのかな?」

「だって、今は私達を陰で噂する人もいないから、変な気を張ってる必要もないのよ」

琴世が笑ってるので、迷ったが痛い事を訊いてみようと朋子は

「その...先生って....離婚、されたんですか?」

恐る恐る言った


「してない。あれから、何も変わって無いの...あ..変わったか、一緒に暮らしてる」

ふふふ..と笑う。

「離婚してない?別居のまま?琴世さんと一緒に?」

「ねえ、私達の事がまた噂になって、今の病院に居づらくなったら、町顕と朋子のクリニックで働こうかなぁ」

琴世が気楽な感じで話しているのを一美は聴き耳を立てて聞いていた。


 ―――― 離婚が成立していない男と一緒に暮らしてるって?!


何を考えてるのかしら?いくら別居して長いとは言っても奥さんが離婚に応じないのは、まだ夫婦で居たいからでしょ?いつか元に戻れる日が...子供がいて夫が居る『正しい家族』に戻る日が来ると、頭の隅にあるからじゃない。幸せになりたくて結婚したの!不幸になりたいわけじゃないのよ!正しい道に戻したいのよ!!


何時の間にか一美は、琴世と一緒に暮らしている医師の妻と自分の立場が同じに思えていた。自分は夫に帰ってもらって、軌道修正して、やり直したい、やり直したい。


「どうして...そんな事が出来るんですか?」


下を向いたまま低い声で言ってしまっていた。


まさか思ってなかった方向から聞こえて来た声に、琴世も朋子も香も、動きを止めて一美を振り返った。琴世は、それが自分に向けられた言葉だと瞬時に感じ取り困った顔になった。


「どうして?って...私を選んだの。私と一緒に居るために、先生は病院を移ったの。奥さんよりも私の方が気が休まるの、あの奥さんは...自分が分かって無いのよ」

次第に声が大きくなっていた。


「奥さんが離婚しないのは、帰って来て欲しいからじゃないんですか?やり直したいって..少しでも思ってたり、帰って来て欲しいって思ってるからじゃ...」

一美の眼に涙が溜まりだし、声が震えてきた。


「別居して三年以上よ。十分な生活が出来るだけの金銭的な援助をしてるだけの夫婦よ。先生の気持ちは奥さんには..ないのよ。それでも、帰って来て欲しいって思ってるかしら?」

感情的になっている一美とは対照的に、冷静に淡々と話す琴世。


『夫と別居している』それしか共通点はないが、夫が戻って来る事を願っている一美の気持ちを否定されたような琴世の言葉に

「琴世さんの存在が、先生夫婦に悪影響を与えてるんでしょ?」

ついに、一美の眼から涙があふれて来た。


  ――― 夫が帰って来ないのは、女が居る所為なのかもしれない。夫に女が居ると決まった訳じゃないけど、可能性はある。琴世さんは、その女と同じことをしている。開示が帰って来ないのは、こんな女が後ろにいるからだ!


「ウチの先生夫婦の問題であって私には関係ない。私と付き合う前から別居してたんだし――――」

そこまで聞いたところで一美は立ち上がり


「ごめん帰る」と小走りに店を出て行ってしまった。


  ――― 慶司の後ろで女が私を笑ってる。琴世さんみたいに、『私には関係ない』って笑ってるんだ!


琴世の発言に、夫を支え切れていなかった自分が責められてる様な気分になった。

  ――― 自分が到らなかったじから?慶司の気持ちの変化に気付かなかったから?だから、出て行ったの?慶司の女に私は負けたの?


夫が家を出て行った理由が浮気だと確証があるわけではないのに、まるで女が居ると決めつけてしまいそうになっていた。

  ――― 早く家に帰りたい。もしかしたら慶司が帰って来てるかも。早く帰らなくちゃ、今度こそ帰って来た現場を捕まえて、今度こそ話し合いに持ち込まなくちゃ。


不安で胸が苦しくなりそうだった。

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