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真赤なビックスクーターに夜の街の明かりを反射させて、力強いエンジン音が遠ざかる。それは、長く苦しいトンネルから抜け出る手段だったのか、抜け出ることは叶わなくても逃げ場所にはなったのか。
何れにしても、まるで『これからの私は頑張れる』と、キラキラの笑顔で言っているかのようである。
一美は如何しても、それを自分の姿に置き換えて考えたくなってしまう。
美樹のように自分から何らかの行動を起こさなくては、何も変わらないのではないだろうか?
たとえ、その結果が自分の望む形になっても、ならなくても。何時戻って来てくれるか分からない夫の行方を心配しているよりも余程良いのだろうか?
でも、最悪の結果だけは避けたい。
あの人が...居なくなるなんて。
今だって居ないも同然みたいなものだけど、それとは違う『私の人生から消えてしまう』なんて、今はまだ嫌だ、嫌 いや。
だから、何もしたくない。
でも
もし、勇気を出して、私が一歩踏み出したなら
彼との関係を...彼を待ってるだけの関係が...変わるかも...
でも
壊れるかもしれない、取り返しが着かない結果になるかもしれない。
それは、嫌だ
それだけは避けたい。
何らかの強硬な行動に出たいが、そのタイミングが分からない。
彼を自分の人生から消してしまうなんて、出来ない。
一美は思案の海の中に沈んでいた。
ポンと突然一美の頭の上に、暖かくて柔らかくて適度な重みのあるもにが乗せられ、驚き現実に引き戻された。頭に乗った物を確かめようと目を上に向けると、そこには優しそうな表情の宮下の顔があった。
一美は店を出てから無言で歩いていた。正確には色々と考えながら歩いていたら無言になってしまって、並んで歩いている宮下の存在なんて全く忘れていた。しかし宮下は、横を重そうな足取りでゆっくりと無言で歩かれると、気にならない訳がない。
信号が青に変わっても歩き出さないと流石に心配になって、暫くそのまま立止まって一美の表情を覗き込んだ。今にも泣き出しそうな顔に、思わず手で一美の頭を自分の胸に引き寄せてしまった。
「辛そうな顔してるぞ」
耳元で聞く声は、胸に押しつけられた額から響く声の振動と共に、低く暖かく安心をくれる感じがした。
その安心感に思わず甘えていると、頭に乗せられていた宮下の手が髪を滑り肩を抱き寄せられ、見られたくない涙が流れ落ちて来てしまった。
「...何か...あったのか?」
ここで胸のもやもやを全て吐き出せたら楽になるのは、分かってる。でも、外に漏らすと夫が戻りにくくなるのは明らかで、やっぱり二人で解決して行かなくちゃいけない。だから、お願い私の涙に気付かないで。
「なんでもない。」
上手い言い訳もでてこない。
指で涙の跡を擦り、宮下の胸から離れ、大丈夫と笑ってみせる。
「ホント?」
「心配性だったっけ?大丈夫だから。じゃあね」と宮下と別れてマンションへ帰った。
その夜、一美が眠っていると携帯がなった、夜中の電話は心臓に悪い。
勢いよく目が覚めると、携帯の画面には夫の名前があった。
電話だ!
一方的に用件だけを送りつけて来るメールではなく、電話だ。
私と話し合いたい、会話したい、声が聞きたい、その目的での電話だ。
嬉しい、嬉しい以外なかった。熱を出した夜に見た、優しさの欠片も感じなかったことなど、すっかり忘れて素直に嬉しかったから、直ぐに
「もしもし!....慶司?!」
「.......」
「..慶司でしょ?いま..どこ?」
「....」
「慶司...」
「今夜一緒に居た奴がお前の男か」
恐ろしく冷たく低い声で訊かれた。
「今夜・・?一緒・・って、見てたの?」
「どうだった?あの男に抱かれるのは」
「・・・・何処で見ていたの・・・違うわ!貴方が考えてるような関係じゃない!」
見られてた?宮下に肩を抱かれてた処を?どこから見られてたの?
まさか、あの日から私の動きを見張ってたの?それとも、家に帰って来て偶然に私達を見つけてしまったの?
「庇うのか。言い訳か。昔から留守がちで怪しいと思ってたが、あの男なんだな」
「だから、違うってば。」
「他の男と抱き合ってる処を見せられて、『違う』だと?」
「・・・・あぁ・・・そうじゃない・・・信じて・・・あれは違うのよ」
プツン!っと一方的に電話は切られた。
結局、宮下との関係については聴いては貰えなかった。
どうしよう、どうしよう、宮下君を巻き込まない様にしなくてはならないし、夫の誤解も解かなくちゃならないし。
何で私が浮気なのするのよ!怪しいのは慶司でしょうが!
自分が勝手に出て行ったことは、どうなのよ?!あれじゃあ、棚に上げるどころか、自分のやってることは無かった事になってるみたいじゃないのよ!!




