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魔剣の品格  作者: 時雨煮
吸血剣と鞘の魔女
28/33

拾、その瞳に葛藤はなく

 動かない乗用車の中で、疲れ切った様子のドライバーたちを横目に元の横道へと戻る。大型バイクと白イタチの様子に変化は見受けられず、どうやら何事も起こらなかったらしいと少しほっとする。

 そちらへと向かう途中、前を歩いていたシズカさんが、自分の方を振り返った。


「修学旅行の宿泊先って、この近くなんだっけ」

「そうですね。確か、警察署の近くのホテルらしいですが」

「じゃあさ、その辺りまで送っていくよ」


 街灯の弱い光の下で、彼女は少し困ったような表情でそう告げてきた。

 その言葉の意味するところを数秒かけて理解して、思わず右手を挙げてしまう。


「はい、センセー」

「どうぞ、ヒロシ君」

「まさかとは思いますが、ひとりで行くつもりですか」

「んー、どうすべかねえ」


 シズカさんは言葉を濁しながら、人差し指で頬を掻いている。視線をふらふらとさまよわせてから、再びこちらを見上げてきた。


「神田明神では助かったよ。ありがとね」

「それはお互い様、でしょう」

「だってホントに危なかったし」


 首を横に振って、目を伏せる。その仕草を見て、言わんとすることは大方理解できた。


「さすがにこれ以上、ヒロシ君を危険な目に会わせちゃうのはさ」

「自分は気にしてませんよ。ひとりであの男を止めるのは厳しいでしょう」


 もし鎧神社で茶髪男と遭遇できたなら、あの男の能力と『魔剣』に加えて、もしかしたら風の魔神まで出てくる可能性もあるのだ。


「こっちにも武器はあるし、『鞘』の術で弱らせられると思うし。ウシュカのサポートもあるでしょ。あと、ヒロシ君が持ってる身代りの人形(ヒトガタ)を半分くらい貰えればさ」

「思い切り、力押しですよね」


 それしか知らないんだよねえ、と彼女は苦笑する。勝ち目が薄いのは分かっているらしい。それならば。


「いっそのこと、会社の方に経緯を知らせて、後は本職に任せてはどうですか」

「それってつまり、この場はアイツを見逃せってことでしょ。まだ被害が大きくなるかもしれないのに、放ってはおけないよ」


 シズカさんの言葉と瞳からは、確固たる意志が感じられた。それが正義感から来るものなのか、あるいは義務感からなのか。それとも他の何かが根差しているからなのか、分からないけれど。少なくとも、迷ってはいなかった。


 深呼吸して、彼女の視線を受け止める。


「シズカさん。ここでひとつ、残念なお知らせがあります」

「ええと、何かな?」

「自分も、困っている女性を放ってはおけない性質(たち)なので」


 一歩前に出て、ぐいと顔を近付ける。驚きのためか、身を強張らせて目を見開いたシズカさんに、にこやかに告げてみせる。


「何と言われようと、最後までお手伝いしますよ」


 一瞬、彼女の視線が揺らいだかと思えば、彼女は顔を下に向けてしまった。片手は口元を抑えるように上げられる。

 かすかに肩が震え、堪え切れない声がその口から漏れ聞こえて。


「ぷ、く」

「……その反応は、傷つきますねえ」

「いや、ごめん。ホントごめん。だってもう、いきなりだし。ヒロシ君てば凄く、悪そうな顔だし」


 台詞とのギャップが、さあ、と涙目で弁解するシズカさんだったけれど、まったく、笑うところではなかった、はずだ。


    ○


 中央線の線路の近く、閑静な住宅街の中に、鎧神社はひっそりと存在している。北西に神田川を望む高台の端にあって、昔はさぞ景観が良かったのだろうと想像を巡らせる。

 つい先程まで、静かな境内に人の姿はなかった。現在はといえば、拝殿の前にじっと立つ髭面の大男と、正面の鳥居の方からやってくる茶髪男のふたりを見て取ることができる。


 どこかで着替えたのか、茶髪男はミュージシャン風の軽い服装にギターケースを背負っていた。警備員の格好よりも、余程その軽薄そうな面構えには似合っている。

 正面を向いた狛犬の間を抜けてようやく、木刀を片手に仁王立ちしている保国(ほくに)先生の存在に気付いたらしい。男は立ち止まり、荷物を肩から降ろした。

 ふたりの睨み合いはしばらく続き、やがてしびれを切らしたのか、茶髪男が口を開く。


「そうして待ってたってことは、佐伯(サエキ)の関係者ってことでイイんだよなあ、おっさん?」


 大声での問いかけには応えず、保国先生は空いた手で顎鬚を撫でながら、納得したように小さく頷いた。


「そうやって聞いてくるなら、お前さんが一連の騒ぎの元凶で間違いないようだな」

「……やっぱり代わりが出てきたじゃねえか。マジ当てにならねえ占いだぜ」

「ふむ?」


 相手の発言をどう判断したものか首を傾げながらも、髭面の大男は右手の木刀を一振りして、一歩を踏み出した。


「俺としては穏便に事を済ませたいんだが、大人しくこちらに従う気はあるか?」

「あるわけねえだろ。おっさんこそ、オレの『邪魔をするな』っての」


 膝を曲げ、ギターケースの留め具に手をかけた茶髪男に向かって、それ以上の行動を阻止するべく保国先生が突進していく。


「そこから『近付くな』! ……てめえもかよッ」


 保国先生の足が止まったのは、ほんの一瞬だけだった。発した『コトワリ』が効いていないことを悟って、真横へと回避する。

 遅れて突き出された木刀がギターケースのベルトに叩きつけられ、茶髪男の手が引き剥がされた。


 距離を置き、ふたりは再び向かい合う。足元に倒れたギターケースを軽く踏みつけて、保国先生が意外そうに視線を落とした。


「随分とあっさり手放したな」

「ああ、くそ、面倒くせえ。てめえも『身代り』とか使ってんのか?」


 茶髪男の推測は一応、当たっている。保国先生のシャツの背には、身代りの術が施された人形(ヒトガタ)の符が何枚も貼り付けられているのだ。

 先程のやりとりだけで二枚が破れて消えてはいるものの、相手に「効かない」と思わせられれば十分だろう。


「これ以上、抵抗せんで貰えると助かるんだが」


 保国先生の言葉を無視して、茶髪男は周囲を見回している。その右手はゆっくりと腰の後ろに回されていく。


    ○


 どうやら、静観できるのはここまでらしい。賽銭箱の裏側に隠れるのを止めて立ち上がり、信号拳銃を両手で構える。


「武器を持ってます! 気をつけてください!」


 舌打ちと共に、茶髪男が先生に向かって走り始めた。腰のベルトに括りつけられていた無骨な鞘から、銀光が滑り出す。

 星明りの下、刃がくるりと(ひるがえ)り、斜めに構えられた木刀へと振り下ろされた。


 ぶつかり合ったそれぞれの得物が、ぎり、と音を立てる。見れば、茶髪男の手には小太刀ほどの長さの刀が握られていた。

 暗くてはっきりとは見えないけれど、あれこそが『魔劍大鑑』に載っていた妖刀『イペタム』なのだろう。


 いったん引かれた刀が、再び勢いよく叩きつけられた。保国先生の目の前で、木刀に食い込んだ刃が震えている。


「先生、下がってください!」

「いいや、まだ大丈夫だ」


 体格も膂力(りょりょく)も保国先生の方が勝っているようだけれど、さすがに余裕があるようには見えない。力任せに刀を振り抜こうとする相手の動きを抑えつつ、少しずつ横へと回り込んでいく。

 やがて、こちらに背を向けた茶髪男の向こう側で、強張った表情の保国先生が口を開いた。


「今だ、撃て!」

「──ッ」


 保国先生が抑えているため、狛犬の影に隠れるのは難しいだろう。

 茶髪男は慌てて刀を引き、再び横へと跳躍した。砂地に片手をついて体勢を整えると、ギターケースの方へと刀を向けた。


「パズズよ、熱風の王よ! オレを『傷つけさせるな』!」


 直後、ケースの留め具が弾け飛び、蓋が勢いよく開かれる。煙のように噴き出した何かに煽られ、近くに立っていた保国先生が姿勢を崩した。

 それは石畳の上を滑るように流れて、茶髪男の周囲に集まっていく。渦巻く煙が、その姿を霞ませる。


 駄目で元々、狙いを定めて引き金を引く。炸裂音と共に銃口が明るく輝いて、放たれた弾丸はまっすぐに飛んでいき、しかし途中で上空へと吹き飛ばされた。

 その数秒後。燃焼発光によって明るく照らされた空を見上げて、茶髪男は苛立たしげに構えを解いた。わずかに薄れた煙の正体は、どうやら大量の砂塵であるらしかった。


「照明弾、かよ……てめえ、もしかして、キツネ野郎か?」

「おや、気付かれてしまいましたか」


 もう少しこちらの正体を隠しておけるかと思ったのだけれど、この明るさでは仕方ないか。

 ゆっくり歩きながら、信号拳銃に予備の弾を込める。賽銭箱を回り込んで正面に立ち、階段の上から見下ろしてみる。


「あんだけ食らってまだピンピンしてるってのは、どんなイカサマだ」

「生憎、そういう体質なものでして。それにしても、遅かったですねえ」


 実際に余裕は無くとも、あるように見せかける。

 背後で身を起こす保国先生を警戒しつつ、茶髪男はこちらを睨んできた。


「てめえも分かってんじゃねえのか。悪霊共が必要以上に馬鹿騒ぎしやがって、地下鉄もタクシーも動きやしねえ」

「ああ、なるほど」


 自分の打った手に、逆に足を引っ張られていたわけか。おかげで先にこの場所を抑えられたのなら、不幸中の幸いだった。

 辺りを照らしていた光が消えていく中で、茶髪男の首から下げられた小さな護符を視認する。


「アッカドの神霊に加護を求めたようですけれど。その防御、この神域の中でどれだけ持つでしょうかね」

「こいつにも気付いてやがるのか。けどな、ご心配には及ばねえよ。どうせここでラストだ。わざわざてめえらを相手にする必要はねえっての」


 茶髪男は馬鹿にしたように答えながら、こちらに向かって左手を突き出した。息つく間もなく、その腕に向かって妖刀が振るわれる。

 肉が裂け、血が滴り始めた腕を振り抜けば、砂塵と入り混じった血煙が周囲に舞い上がっていく。


「さあ、さァ、(くら)を開けよ! ()れに()るは汝が荒魂(あらみたま)なり! この地この社を治めるを『妨げるなかれ』ッ!」


 石畳に血と砂の紋様が描かれていく。それは恐らく、歌舞伎町の神社で見たものと同じであり、発せられた不遜な叫びもまた、以前の繰り返しなのだろう。

 茶髪男は右手の刀を掲げ、さらに言葉を紡いでいく。それを止めようと背後から飛びかかった保国先生が、風に弾かれて狛犬の台座にぶつかった。


「──英霊の魂よ、北天の九曜(くよう)は此れに在り! 出羽竜神刀『鬼王丸(きおうまる)』より『離れるなかれ』!」


 ひときわ強い風が吹き荒れ、次の瞬間、一転して辺りが静寂に包まれた。右手を降ろした茶髪男は、血に汚れた左腕や衣服には構わずに、刀の状態を確かめている。


 茶髪男が何をしたのか、細かい所はわからないが、大体の予測はつく。


「祭神から平将門(たいらのまさかど)を引っ張り出すために、パズズを客神に見立てて、土地の守護としてでっちあげた、といったところでしょうか」

「まァ、訂正するトコロはねえな。これで魔剣『鬼王丸』の一丁上がりってとこか」


 それに加えて、おそらく東京の都心部は魔神の影響下に置かれてしまっている。

 この不自然な状況が永続するとは思えないが、すぐに解消するものでもなさそうだ。


「あとはここに結界を張ってずらかるだけだがよ……まだ、邪魔をする気か?」


 木刀を支えに、首を振りながら立ち上がった保国先生の方を見て、茶髪男は威嚇するように魔剣を振った。


    ○


 無造作に振られた妖刀を、保国先生の木刀が受け止める。しかし、木刀はさしたる抵抗も出来ずに、ざくりと断ち切られた。

 これで何度目だろうか、切れ味は確実に増しているらしい。その上、使い手である茶髪男の動きも格段に良くなっているように思える。

 上体を引いた保国先生の頬を刃がかすめていく。追い打ちのように横殴りの突風が叩きつけられ、先生は地面を転がって茶髪男から距離を取った。

 背中に貼り付けられていた身代りの符は、もう数えるほどしか残されていない。やはり、魔剣を相手にただの木刀では分が悪すぎる。


「なかなかしぶといじゃねえか、おっさん」

「生徒を守るのも仕事のうち、なんでな」


 あの万年筆が修理中でなければ、互角以上に戦える可能性はあったのだけれど、それを言ったところでどうしようもない。


「先生、さすがにこれ以上は無理です。下がってください」

「……ああ、わかった」


 すっかり使い物にならなくなってしまった木刀を放り投げて、保国先生はこちらへと近付いてくる。

 茶髪男はその後を追ってくるようなことはせず、周囲を警戒しているように見える。他に誰か隠れていないか、探っているのだろうか。


「ひとつ聞いてもいいですか」

「言ってみろよ。答えてやるかどうかは知らねえがな」


 積極的にこちらを排除する意志が、まだ無いことに安堵する。裏側の参道から撤退するのは簡単だろうけれど、それではここまで足止めしていた意味が無くなってしまう。


「儀式に九曜紋を使ったのは、北斗七星との関連ですよね」

「よく知ってるじゃねえか。それがどうした」


 ズボンのポケットの中で、ようやく携帯電話が震え始めた。発信者の名前を確かめて、通話状態にしてからポケットに戻す。


「儀式を行ったのが八か所だと、星がひとつ足りないようですが」

「何言ってやがる? 鬼王(きおう)神社はオマケだろうがよ」


 ひとつ気にかかっていた事柄も、どうやら問題ないらしい。

 茶髪男は訝しげな様子でこちらを睨んできたけれど、自分たちの行動を読めてはいないだろう。


「では、もうひとつオマケということで」


 信号拳銃を空に向けて、引き金を引く。数秒後には、また空が明るく輝くはずだ。

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