九、東都を駆ける
行きつ戻りつを繰り返し、ようやく辿り着いた神社の前にバイクが停止する。
ヘルメットを脱いで長い石段を見上げると、橙色の空を背景に、石造りの鳥居が暗く存在を主張していた。時間的には、そろそろ日が沈む頃合いだろう。
「ウシュカ、結界はある?」
彼女の胸元から、白イタチが飛び降りた。地面の上に二足で立ち、長い体を伸ばして空を見上げる。
そのまま数秒。小さな顔をシズカさんに向け、わずかに頷いてみせた。会長の懸念は当たったということか。
「では、急ぎましょう」
「キミは前に出ちゃ駄目だからね」
踏み出そうとした足を遮るように、白い獣が纏わりついてくる。シズカさんが石段を登り始めたのを見届けてから、白イタチはこちらの肩へと飛び乗ってきた。
明らかにおかしい跳躍力なのは、式神だからだろうか。まあ、それはともかく。
「一応、頼りにしてますよ」
キィ、ともミィ、ともつかない奇妙な鳴き声を耳元で聞きながら、石段へと足を進める。急な階段を一気に駆け上がろうとしたものの、背中の荷物に邪魔されて、途中で失速してしまう。
何かの役に立つかと考えて、営業所のダンボール箱の中からいくつか持ち出してきたのだけれど、選択を誤ったかもしれない。背中で揺れる長物に、思わず愚痴がこぼれてしまう。
「長い階段は、スカイツリーだけで、十分だったんですが」
破魔矢と一緒に破魔弓もと背負ってきたものの、これでは邪魔にしかなっていない。
そうこうしているうちに、先行したシズカさんの姿が視界から消えていく。小柄な体のどこにその体力が秘められているのやら。
太腿に力を入れ、残る十数段を気合で登り切る。木々に囲まれた静かな境内は、夕闇に包まれつつあった。
「ヒロシ君、こっち!」
そう遠くない暗がりから、シズカさんの声が聞こえてきた。肩から飛び降りた白イタチの後を追い、屈み込んでいるらしい彼女の方へと近付いていく。暗さに目が慣れてきたところで、ようやく状況が見えてくる。
倒れていたのは、数人の子供たちだった。
シズカさんがそっと抱え上げた少年の手から、小さなカードらしきものが砂利の上に散らばった。少年たちは、ここで遊んでいたのだろう。
カードは酷く汚れていて、よく目を凝らしてみると、それは恐らく、少年の血なのではないかと思われた。
○
いざという時のために財布に入れてあったテレホンカードを公衆電話に差し込みながら、能登半島までの距離を考える。通話可能な時間は長くなさそうだ。
数回の呼び出し音の後、拝島会長の声が聞こえてくる。
『もしもし』
「阿倍野です。儀式はどうやら、続いているようです」
神社の境内には九曜紋の札による人払いの結界が張られていた。それらを処理した後、シズカさんは救急車を呼ぶために社務所に駆け込んだ。子供たちの外傷はそれほど深刻ではなかったが、精神的な消耗が大きいようだった。
その場で自分にできることはなく、石段を降りて公衆電話を探し、こうして会長に連絡をしているわけなのだが。
「どうもはっきりしませんが、妖刀の本体を凶器に使い始めたかもしれません」
『ふむ。六番目の水稲荷神社には、僕の方で人を向かわせているが……逐次連絡が取れないのは面倒だねえ』
この交通状況では、間に合うかどうか。水稲荷神社は会長に任せて、こちらは最後の標的であろう七番目の神社へと向かった方がいいかもしれない。
『僕からの情報はふたつある。電波障害に関しては、山手線の外側なら影響が弱いようだ。保国先生から、西新宿のホテルに到着したと連絡があった』
「それは何よりです」
気にはなっていたのだが、心配事がひとつ減った。後でこちらからも連絡しておかなければ。
『もうひとつ。妖刀を打った竜神の方だけれど、恐らくは月山鍛冶の開祖、鬼神太夫だと思われる』
「鬼神太夫、ですか?」
『またの名を、鬼王丸と言うそうだが』
鬼王丸。そちら名前には覚えがあった。
「平将門の幼名と同じ、ですか」
将門に縁のある神社を巡っているのは、そちらの繋がりだったということか。
妖刀『イペタム』であることはただのおまけ、刀身の銘の方が本命で。邪魔な悪霊は追い出して、東京の空で好きに暴れさせているのか。
『将門の力を、刀に呼び降ろそうというのかねえ』
「それは、新しく『魔剣』を作り出す、ということですか?」
そんなことが可能なんだろうか。これまで見てきた『魔剣』はどれも、古い伝承に基づいたものばかりだった気がする。
『条件さえ揃えば不可能ではないだろう。うちにも特殊なのが一振り、いるじゃあないか』
「黒い木刀さんは特殊すぎて、参考にならないですよ」
『まあ、それは置いておくとして。しかし、その幼名というのが気に食わないな』
東京を守護する神霊の力を刀に与えるのに、生前の名前を使うのは違和感がある、と会長は言いたいのだろうか。分からなくもない。
しかし、度数表示が減っていく速度からして、今ここで細かい議論を交わしている余裕は無いようだ。
「すいません、そろそろ時間切れのようです。ひとまず新宿方面に移動します」
『分かっているとは思うが、引き際はちゃんと見極めたまえよ』
「ええ。無理はしません」
受話器を戻し、出てきたテレホンカードを手に取って、電話ボックスから外へ出る。
見上げた空は紫色で、景色は青く染まっている。熱気を孕んだ風が背後からやってきて、不快さを残していった。
○
バイクの横で腕を組んで立つシズカさんの表情は、かなり厳しかった。事態が悪化している上に、今回の被害者は子供なのだから、当然の反応だろう。
彼女とその式神に、電話で聞いた内容を一通り伝達する。
「北斗七星の最後って、北新宿の鎧神社だよね。早稲田は途中だから、水稲荷にも寄れると思うけど」
「いえ。申し訳ありませんが、寄り道する時間は他に使わせてください」
早急に片付けたいという気持ちは分かるけれど、ここは事前の対策を優先させるべきだろう。これ以上、後手に回ることはできない。
シズカさんは不満げな表情を見せているものの、黙って続きを待ってくれている。多少は信用を得られているのだと思いたい。
「まずは、新宿の鬼王神社を調べに行きましょう」
「鬼王神社、ねえ」
さすがに納得しかねるのか、彼女は右手を軽く挙げて質問を口にする。
「そもそも、鳥越神社から始まって、鎧神社で終わりだと思ってたんだけど。どうして別の神社が出てくるのかな」
「理由はいくつかありますけど……最初に儀式を行ったのが、鬼王神社だった可能性がありまして」
鳥越神社で発見した被害者は、早朝のウォーキング中のようだった。しかし、盗まれた『イペタム』の封印が解かれたのは、昨日のことだったはずだ。
新たな『魔剣』を作り出すために、将門の幼名を冠した神社まで利用したのかどうか、確かめておきたい。
「名前が一緒なのには意味があるんですよ、ってきっちり宣言したかもってこと?」
「ええ。『イペタム』の悪霊を携帯電話に移したのも、そのときかもしれません」
スカイツリーでシズカさんが術を使ったとき、いくつも反応があると言っていた。悪霊は、すでに分散しつつあったのではないだろうか。
そこまで聞いて、彼女は渋々頷いた。白イタチはといえば、バイクのシートの上で丸くなったまま、ずっと無反応だった。使い魔の大鴉とは違い、口を挟んでくることはないらしい。
「そっちを調べないとマズいってことなら、行くしかないね」
手渡されたヘルメットを被り、すっかり慣れた後部シートに体を預ける。エンジンがかけられ、振動が全身に伝わってくる。
「今更だけどさ、ヒロシ君。営業所から持ってきたのはいいけど、弓は使えるの」
私は無理だよ、と言いたげなシズカさんに、首を横に振って応える。残念ながら心得は全くない。
「それじゃ意味無くない?」
「弓に関しては一応、当てがありますので」
彼にはひとつ貸しがあるのだ。今日中に返して貰うことにしよう。ついでに、伝奇同好会の新たな顧問にも御足労願うべきだろうか。
○
神楽坂の細い路地を抜け、早稲田の裏通りを登って大久保へと至る。ここからさらに南下すれば、新宿は歌舞伎町の端に建つ、鬼王神社へと辿り着く。とはシズカさんの弁であった、のだが。
「これ以上は進めそうにないか」
「事故でもあったんですかね」
細い道路の途中で車の流れは完全に止まっていて、バイクでも通り抜けるのは無理のようだった。
ゆっくり後退し、横道へと避難したところで、彼女はエンジンを止めて溜め息をついた。
「迂回するより、バイク置いて歩いて行った方が早いかな」
「放置して大丈夫なんですか」
人通りの少ない裏道とはいえ、歓楽街の近くのはずだ。駐車違反の取締りやら、心無い悪戯やらを心配するのは、田舎者の穿った見方だろうか。
そんな懸念を抱いていると、空いたシートの上に白イタチがふわりと飛び移り、こちらに顔を向けた。自信あり気には見えるけれど。
「任せておけ、ってことですか」
「いいんじゃない? 盗難防止のアラームもあるし、ウシュカに手を出したらタダじゃ済まないし」
白い式神から、その主人の方へと視線を向けてみる。表情からして冗談というわけではないらしい。
只では済まないとは一体、どういうことか気になるのだが。
「それに、この状況でバイクをどうにかしようって酔狂は居ないでしょ」
「まあ、そうですかね」
そういうことなら、可及的速やかに用事を済ませて戻ってくることにしよう。
バイクに白イタチを残して大通りへと出て、速足で先に進む。幸いなことに、目的地はもう目と鼻の先だったらしい。
雑踏を潜り抜け、機能していない信号の下へ。背中の荷物に気をつけつつ、動かない乗用車の隙間を縫って交差点を横断する。地図を確認していたシズカさんが、右手で前方を指し示した。
「この先、左側のはずだけど」
「了解です」
ビル街の中で、谷間のように暗い場所へと差し掛かる。街灯の光を頼りに柵の隙間から奥を窺うと、木々の向こうに拝殿らしき建物が見えた。
神社の正面に立つ鳥居の方に歩みを進めていくと、先を歩いていたシズカさんが立ち止まった。
何かあったかと横に立ってみて、すぐにその理由が把握できた。
鳥居の前に据え付けられた入り口のゲートが、半分ほど閉められている。そして、残りの半分を塞ぐように、黄色いテープが数本、張られていたのだ。
○
どうやら何か事件があって、現状保存のために立ち入り禁止となっているのだろう。しかし、街の混乱への対処を優先しているのか、周囲に警備の人影はなかった。
ここで起きたことが『イペタム』の件とは無関係とは思えない。シズカさんと視線を交わし、どちらからともなく頷きあうと、人目を盗んで境内へと進入した。
ひとまず手分けして捜索を始めてから、数分の後。
「九曜紋のお札、あっちで見つけたけど」
「こちらはどうやら、事件の現場のようです」
近付いてきて小声で話しかけてくるシズカさんに、同じく潜めた声で報告する。
神社の片隅、小さな富士塚らしき場所の近くを、携帯電話のライトで照らして見せる。
「これは、魔法陣かな」
「ですかね。例の、魔神の名前も入っているように見えます」
地面の上に、赤黒い染料か何かで図形が描かれている。各所に見える記号や文字は、ほとんど理解できないものばかりだった。
さすがに、ここで何があったか具体的に知りたいとは思えない。携帯電話で撮影した画像は後で会長に見てもらうとして。
「時間に余裕が無いですし、戻りながら話しますか」
「そうね。ウシュカも心配だし」
ライトを消して、暗闇から抜け出すべく参道を歩きながら、シズカさんとの会話は続く。
「魔神の力で『イペタム』の封印を解いたのはほぼ確定でしょうね」
「でも何で、ここでも九曜紋なのかな。北斗七星とは関係無いんじゃないの」
「いえ。関係はありますよ」
明るい歩道に出る前に、警察官がいないかどうか顔だけ出して左右を確かめる。進路クリア。
テープの張られていない隙間を通り抜けて一息つくと、背後から袖を引っ張られた。何事かと振り返れば、もの問いいたげな表情で見上げるシズカさんの顔があった。
「以前話した『北斗九星』の話は覚えてますか」
「上野で言ってた奴? 確か、実は星が九つあるんですよって話で……つまり、ここがそうなの?」
「ええ。少なくとも、あの男はそういう見立てで儀式を行ったんでしょう」
輔星と弼星の位置に関しては諸説ある。その存在を知っていれば、儀式に鬼王神社を組み込んだとしても不思議は無い。
しかし、事態がこうも大事になってくると、昔読んだ小説を思い出してしまうのだが。
「まるで、将門の怨霊を復活させようという流れですね」
「わざわざ依代を用意しているわけだし、あながち間違ってないんじゃないの。刀としての品は上等だから、悪霊なんかじゃなくて、その名に合った格のある英霊に入ってもらおう、って」
再び交差点を横断しながら、シズカさんの言葉を吟味する。
神霊の力を『魔剣』に与えるのではなく、東国の英雄としての存在を『魔剣』に降ろそうとしている、としたら。
果たして、自分たちが対処できる相手なのか。
大通りの喧騒から離れつつ、思案を続けてはいたものの、結論を出すことはできなかった。




