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魔剣の品格  作者: 時雨煮
吸血剣と鞘の魔女
25/33

七、狐火の照らす阿迦奢の岸で

 これ以上、大鴉(ネバーモア)に傷を負わせるのは危険だろう。シズカさんと大鴉、どちらも狙われないようにしなければ。


「ヒロシ君?」

「伏せていてください」


 シズカさんに小声で告げて、ゆっくり立ち上がりながら考えを整理する。一時はシズカさんだけで解決できそうな雰囲気だったけれど、そんなに都合のいい話は無いらしい。こうなった以上、アカリ女史の儀式が成功してくれることを祈るばかりだ。

 着信音の発生源は複数ある。『イペタム』に憑いていた悪霊が一体ではなかったということだろうか。


 そこまで考えたところで、再び風が吹き荒れ始めた。真夏の熱気が揺れ動き、立ち上がった自分の方へと集中して全身を揺さぶってくる。幸いなことに、シズカさんへの追撃よりもこちらを優先してくれているらしい。

 数秒の後、再び風が止み、不協和音が響き始めた。ふらついた足に力を入れ直し、茶髪男へと顔を向けると、先程までとは打って変わったにやけ面が口を開いた。


「まだ倒れねえのか? いつまで持つか見ものだけどよ、目的も果たしたことだし、オレはここいらで失礼させて貰うぜ」

「おっと。不用意に動かない方がいいですよ」


 わざとらしく残念そうな表情を浮かべた男が、裏手の方から去っていこうとするのに対して、ズボンに差し込んでおいた拳銃を突きつける。

 また襲ってきた悪霊の風に、両足を踏ん張り、震える銃を両手で固定する。(つたな)いはったりだとは思うけれど、どうやら相手の気を引くことはできたようだ。


「倒れるまで見守ってて欲しいってか。だったら御望み通りに、だ。その様子じゃ時間の問題だろ」

「少しばかり、空腹が堪えている……だけですよ」


 どうにも、上手く身体に力が入らない。意識ははっきりしているのに、手足が思い通りに動いてくれない。いくらなんでも、腹が減っているだけでこうはならないだろう。


 幾度目かの突風に煽られて膝が崩れた。受け身を取ろうとした手も(ろく)に動かない。それでも、地面とぶつかった肩はきっちりと痛みを伝えてくる。

 横倒しになった視界の中、こちらに背を向けて離れていく男の姿は曖昧で。


「ヒロシ君、しっかりして! 多分、もう少しで──」


 懸命に声をかけてきているシズカさんの声も遠く、意識から切り離されていった。


    ○


 ふと気がつけば、小さなプレハブ倉庫の中にいた。


 窓から射し込む夕陽によって、橙色と闇色に塗り分けられた空間には、折り畳み式の長机とパイプ椅子が置かれている。

 この光景には見覚えがあった。我らが『伝奇同好会』の部室には、半年以上のあいだ入り浸っていたのだから、当然である。


 自分の指定席である奥側のパイプ椅子に腰かけて、現実感の薄い風景を観察する。音は無く、季節感も無く、視線を向けていない方は酷くぼんやりとしている。


「夢、でしょうねえ」

「半分正解だな」


 聞き覚えがある声が、左側から聞こえてくる。そちらを見れば、長い黒髪の上級生が微笑みを浮かべていた。影になっていてよく見えないその場所で、彼女の瞳だけが存在感を主張している。


「君は無理をし過ぎた。魂の損耗が限界を超えたが故に、意識を失っている状態だ」

「そういうのは感じない体質なんですけれど」


 その通り、と彼女は肯定した。影の中で、黒髪の上の尖った耳がゆらゆらと揺れている。人ではない何かが、拝島(はいじま)会長の姿に化けているのか。


「しかし君の体質は、『魂の無痛症』と呼ぶべきものだ。傷つかないのではなく、単に痛みを無視しているだけ。傷ついていることに気付かないだけ。魂と肉体の均衡が崩れてしまえば、精神は手綱を失ってしまう」


 会長はそれを察していたから、自分を前に立たせなかったのだろうか。

 危険だと、何度も忠告されてはいたのだ。この状況は自業自得だと言われても仕方ない。


「しかし、弱りましたね。早く意識を取り戻さないと、シズカさんが危なかったような」

「それは難しい」


 そう言われても、思い返せば一刻を争う事態だったはずだ。悪霊はどうなっているだろうか。


「肉体との繋がりは断たれていて、戻りようがない。この状態が続けば、君に待っているのは『精神の死』だ」

「だったら、なおさら急がないと……」


 首を振る彼女の姿に、勢いづいていた言葉が途絶えてしまう。


「限界を超えてしまっているんだ。私がここで引き止めているからこそ、君の精神はまだ存在できている。それも、長くは持たないだろう」

「それ、は」


 困る。非常に困る。


「こういう場合、自分の中に秘められた力が覚醒して助かったり」

「しないな」

「円環の真理を体得して、錬金術的ななんやかんやでとか」

「なんやかんや、か。面白い事を云う」


 彼女は口元を隠してくつくつと嗤うけど、笑いごとではない。

 こんなことならいっそ、何も知らないままの方が良かったんじゃなかろうか。いや、それも困る。


「何故、引き止めたりなんかしたんです? 意味が無いでしょう」

「それは勿論、生き延びるためだ」


 外は暗くなってきて、青みがかった夕闇が室内を侵食する。夜が訪れたとき、この部屋は終わるのだろうか。

 彼女は右手を長机の上に差し出すと、その指先に小さな炎が灯された。


「話すと長くなるから結論だけ言うが、君と私は一蓮托生なんだ。君には助かって欲しいから、こうして時間稼ぎをしている」

「助かる当てが、あるんですか」

「当然だ。そうでないなら、君とは会わずに消える心算(つもり)であった」


 薄闇の中、光を反射して輝く双眸は、どこか満足そうにこちらを見つめている。

 その雰囲気に、以前に会ったことがあるだろうかと記憶を探ってみたものの、それらしき人物はヒットしてこない。


「それで、具体的にはどういう算段で?」

「君と同道していた降魔(フルマ)の娘が、キムントの蛇神、ホヤウ・カムイを喚び降ろしたようだ。火の気配に敏い神霊ゆえ、こんな狐火でも目印にはなるだろう。他力本願などと言うでないぞ」

「言いませんよ」


 アカリ女史の儀式が成功したのなら、『イペタム』の悪霊もなんとかなっただろうか。

 右手の動きに合わせて揺れ動く青白い炎は、倉庫の壁に彼女の尻尾を映し出す。なるほど、黒髪の狐娘というのは。


「なかなか、いいんじゃないでしょうか。会長の姿はベストな選択かと」

「何を言うかと思えば、随分と余裕が出てきたではないか」


 目を細めて、嗜めるような視線を向けてくるのもまた、趣があってよろしい。親指を立てて「いいね!」を送信。視線がより厳しくなった。


「反動ですよ。もうお終いかと思っていましたからね。さすがに肝が冷えました」

「それは何よりだ。君には少しばかり、軽挙妄動を反省して貰うつもりだった」

「以後、気をつけます」


 まだ文句を言い足りない表情の彼女に向かって、頭を下げて許しを乞う。

 仕方ないな、という溜め息混じりの呟きに、恐る恐る顔を上げたところで、倉庫の扉ががたりと音を立てた。


    ○


 プレハブ倉庫の扉が開き、その先の暗闇からぼさぼさ頭の女性が入ってくる。洒落っ気の無い服装と、疲れたような表情は確かにアカリ女史のものだけれど。

 彼女は自分と隣人を交互にじっくり見比べ、「キツネが二匹……?」と首を傾げた後、こちらを指差してきた。


「あー、アンタがヒロシ? でいいわけ?」

「そうですが」


 もしかしなくても、彼女は蛇神(ホヤウ・カムイ)だろうか。アカリ女史とは明らかに異なる様子に戸惑っていると、彼女は長机越しに手を伸ばし、胸倉を掴んできた。


「よーし、よし。手間かけさせんなよなー。ほら、さっさと帰んぞ」

「いやその、まだこちらの話が」


 無遠慮に引っ張る力に抵抗しつつ隣に同意を求めると、彼女は眼を伏せて首を振った。右手の先の狐火は、少し小さくなったように見える。


「もう少し話していたかったが、私もそろそろ限界だ」

「てなわけで、もういいよな。まー、よく長い物には巻かれろ、っつーだろ。アタシの方が、ほら断然長いし? 蛇だけに?」


 おっとこいつは上手いこと言っちゃったかな、とでも言いたげな得意顔は、抗う気力を急速に萎えさせた。アカリ女史は大人しい感じだったのに、この落差は何だろう。


「……仕方ありませんね。またの機会にしましょう」

「私としては二度と会わないことを願っているのだが」

「大丈夫ですよ。今度はちゃんと準備してきます」


 迷惑そうにこちらを見上げる人影に対して一礼した上で、引っ張られるままに長机を乗り越える。

 今の自分では、彼女に何を尋ねるべきかも分からない。だから、色々と調べて、会長にも相談して、命綱をきっちり用意して、いつかまた対面してみせよう。


「ほれ、しっかり掴まってな。間違っても変なトコ触んなよ」

「いやその、触ったりなんか──」


 抗議の言葉は最後まで口にできなかった。力任せに抱き寄せられ、すわ役得かと思った瞬間。アカリ女史の姿は、翼を持つ巨大な灰色の蛇へと変化した。

 気付けば大蛇は自分の身体に巻きついていて、バランスを崩したところを軽々と持ち上げられてしまう。


 それ以上考える暇もあればこそ。勢いよく外の暗闇へと飛び出した蛇神は、虚空を羽ばたき、上へ上へと自分を運んでいった。


    ○


 戻ってきた肉体の感覚に、ああ、そういえばこうだったと納得しつつ、目を開ける。乳白色の無機質な天井の手前に、真剣な表情でこちらを覗き込んでいたシズカさんの顔があった。


「お早うございます。お嬢様」

「えっと、おはよう……大丈夫?」


 起き上がれるだろうかと、仰向けの体に力を入れてみる。どこか反応が悪い感じはするものの、上体を起こして周囲を見回すのに苦労はしなかった。

 四畳半ほどの小さな部屋。畳の上に布団が敷かれ、どうやらその上に寝かされていたようだ。おそらくは仮眠室か休憩室なのだろう、エアコンの効いた部屋を一通り観察した後、改めて彼女へと頭を下げる。


「お騒がせしました。問題ありません。シズカさんこそ無事で何よりです」

「ありがとね。おかげでネバーモアも死なずに済んだよ」


 ほっとしたような口調とその内容に、こちらも安心して顔を上げる。互いに笑顔で向き合ってから、シズカさんはよし、と勢いよく立ち上がった。


「いろいろ説明しないとだし、聞きたいこともあるだろうけどさ。とりあえず腹ごしらえしながら、ってことでいい?」

「ぜひ、その方向でお願いします」


 壁に掛かったアナログ時計を信じるなら、午後四時を過ぎたところである。かなりの間、意識を失っていたらしい。空腹もさすがに限界だ。

 ドアへと向かう彼女を追って腰を上げると、わずかな違和感が。


「シズカさん、もしかして少し縮みましたか」

「ヒロシ君が少し伸びたんでないの。寝てる間に」


 なるほど逆転の発想。ではなくて、どちらも普通に不正解だろう。

 シズカさんを見下ろす角度が鋭角になった件について、より現実的な結論を得るべく思案を巡らせる。しかし、どうも血糖値が不足している。

 ドアの手前、一段下がった空間に並べられた自分の靴と、その隣の厚底ブーツを見て、空回りしていた思考がようやく解答を導き出した。脳内でブーツあり、なしを対比させて計測。十センチくらいだろうか。


「それ履いていて、よくあれだけ動けましたねえ」

「慣れかなぁ。バイク乗るには必須だしさ」


 シズカさんはそう答えながら、立ったまま器用にブーツを履き終え、ドアを開けた。


    ○


 神田駅の近くにある雑居ビルの中に、佐伯(さえき)警備保障が東京営業所として借りている物件がある。常勤の社員はおらず、普段の鍵の管理や清掃はシズカさんが行っているらしい。

 自分が寝ていた仮眠室はその営業所の一室で、そこから出た先は小さな事務室になっていた。


 申し訳程度に配されたデスクと、周囲に積まれた段ボール箱を避けて、部屋の片隅の応接スペースへと移動する。

 テーブルの上には、事前に注文しておいたらしい宅配ピザとサイドメニューが広げられていて、手前のソファに座ったアカリ女史がこちらをじっと睨んでいた。


「よーやく起きたかよ。待ちくたびれたぜ」

「あれ、まだ居るんですか」

「悪いかよ。とにかくメシにすんぞ」


 蛇神が居残っていることは気になるものの、本日一回目となる食事の方が重要である。テーブルを囲んで座り、手を合わせる。

 遅い昼食を囲んで食べながら、シズカさんの説明を聞く。他の被害者たちの命に別状はないこと、例の茶髪男には逃げられたこと、騒動を避けて自分をここまで運んだこと。


「全然目ェ覚まさないモンだから、苦労したっての。タクシーの運ちゃんとか、変な目で見てくるしさー」

「はあ」


 飲みかけのビールの缶を片手に、アカリ女史に取り憑いたままの蛇神が愚痴を聞かせてくる。何て名前だったか。


「それで、ええと、ホヤウ・カムイ様」

「なーんか、堅ッ苦しいなー。それじゃ呼び難いだろうし、んー、アレだ、『ホヤ子』って呼べば?」


 本当にいいんだろうかと思ったものの、あまり口答えしていると切れられかねない雰囲気なので、大人しく従っておく。


「悪霊の方はどうなったんですか」

「あー、それがさァ。でっかいのは粗方とっ捕まえて、がっつりとっちめて箱に突っ込んだんだけど」


 小さい霊がいくつか、神域から逃げ出して行方知れずになっているらしい。その後始末のためにわざわざ残ってやっているのだ、とホヤ子さんは言うのだが。


「ほら、アタシってばアフターケアも大事にする方だし? こっち暖かいから、二、三日くらい居てもいいし?」


 アキバ近いんだよな? とシズカさんに訊ねる姿からは、どうもやる気を感じられない。というか、これは観光目的なのではなかろうか。

 神妙な表情で会話しているシズカさんに、小声で問いかけてみる。


「本当に大丈夫なんですか」

「多分ね。毎回、頼んだことはちゃんとやって貰えてるし。アカリとは波長が合うみたいだから」


 神降ろしの代償に、アカリ女史の身体を好きに使うのも毎度のことらしい。

 それについては心配していないのだけれど、と彼女は困り顔を見せた。その視線は、ソファの片隅で眠る大鴉に向けられている。


「残りの悪霊を探すのに探知の術を使えればいいんだけど、ネバーモアのサポートがないと厳しいんだよね」

「あの化け鴉は安静にさせとけよ。心配しなくても、後は大した悪さも出来ねえ雑魚だけだから、アタシが追っかけてしばき倒しとく」


 まったく面倒かけさせやがって、と愚痴を付け足した上で、ホヤ子さんはこちらに人差し指を向けた。


「だからアレだ、メシ食ったらこいつ帰してやれ。もう呪いは消えてるはずだろ?」

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