伍、九曜の紋と竜神の刀
上野公園の入口は、動物園や美術館が目当てであろう親子連れで賑わっていた。日射しは相変わらずで、シズカさんとふたりで建物の影に避難していても、一向に汗が止まる気配が無い。
ペットボトルの麦茶を一口飲んでから、バイクの上に器用に腰掛けているシズカさんに声をかける。
「いい加減、何か腹に入れないと厳しいんですが」
「もうちょっと我慢してくれるかなあ。私もお昼食べたいけど、『イペタム』の奪還が最優先だから」
横断歩道の向こう側にある上野駅の改札の方を眺めながら、彼女は億劫そうに応えた。こんなことなら、途中でコンビニに寄ってパンなり何なり買っておくべきだったか。
途中で寄り道をしたために、ここに辿り着いたのは待ち合わせの時間ぎりぎりだった。
シズカさんとは互いに連絡先を交換しているものの、単独行動をとるわけにもいかない。そのため、こうして大人しく待っているしかない状態だ。
「さっさと終わらせたいですよ」
「これ以上、被害者を増やしたくないしね。でさ、アイツがどこに向かったか、そろそろ教えてくれるかな」
「ああ、そうでした」
寄り道は二ヶ所。
将門の兜を埋めたという日本橋の兜神社に立ち寄ってみれば、首塚と同じように九曜紋の御札が残され、女性が倒れていた。台東区の鳥越神社では、早朝のウォーキング中だったらしい老人が被害にあっていた。どちらも命に別状は無かったものの、この先もそうとは限らない。
あの男は「半分済ませる前に」と言っていた。ということは、儀式を完遂させるための目的地がまだ残っているはずで。
「順番通りなら、次は神田明神のはずです」
「将門に縁のある場所を狙ってるのはなんとなくわかるんだけど、その順番に意味はあるの?」
「ありますよ。オカルト寄りの話ですけれど」
徳川の世において、東国の英傑『平将門』の霊力を江戸の守護に用いるため、天海僧正が北斗七星の形に神社を配したのではないか、という話がある。知名度はそれなりに高く、何年か前にはドラマの題材にもなっていたはずだ。
将門絡みの神社が他にいくつもある以上、その中から意味のある形を拾い上げるのは難しい事じゃない。真偽のほどは怪しいものだけれど、それでも意味さえあれば儀式は成立するものらしい。
「将門の紋といったら『繋ぎ馬』が一般的ですが、わざわざ『九曜紋』の方を使っているのは、意味づけを強化するのが狙いかもしれませんね」
「九曜なのに北斗七星なんだ」
「ええ。星をふたつ足して『北斗九星』と呼ぶことがあるそうですよ」
確か、輔星と弼星だったはず。
シズカさんの知識量を考慮して、道教やら陰陽道やら妙見信仰やら、細かい枝葉の部分の説明は省いておく。何にせよ、相手はこの見立てに沿った順番で人を襲い、儀式を行っていると見て間違いないだろう。
腕を組んで難しい顔をしていたシズカさんは、こちらを見上げて心配そうな声を出した。
「こうしている間に次に行っちゃうってことはないかな」
「どうでしょうか。儀式がすぐ終わるようだったら、首塚で鉢合わせることは無かったんじゃないかと」
「そうかもだけど」
実際のところは分からない。追っ手が現れた以上、これまでと同じように行動するとは限らない。
しかし少なくとも、ふたりと一匹だけ臨むには厄介な相手であり、応援は必須だろう。そう考えつつ、大鴉が居るはずの木の上を見上げれば、タイミング良く鳴き声が聞こえてきた。
「りょーかーい」と誰にともなく語りかけて、シズカさんは地面に足をつける。どうやら、待ち人来たる、ということらしい。
信号が青に変わった駅前の横断歩道へと、ふたり揃って視線を向ける。
しばらくして、往来する人々の中から抜け出してきたのは、どうやら女性であるようだった。上野までの道中はすっかり寝ていたのだろうか、どうにも眠そうではっきりしない表情で、ぼさぼさの長髪は寝ぐせで大変なことになっている。
服装にも無頓着なのか、半袖のシャツはともかく、カーキ色のズボンは履き古したような年期を感じさせた。大きなキャリーバッグを引いているせいか、数歩ごとにふらふらとよろめきながらこちらへと歩いている。
見たところシズカさんよりは年上だろうに、その女性に対する第一印象は、正直なところ不安、の一言だった。
○
おぼつかない足取りを見かねたシズカさんが、駆け寄ってキャリーバッグを奪い取る。重そうにしながらも、それを片手で持ち上げて、彼女はこちらに戻ってきた。
その後からついてきた女性は、バイクの横にキャリーバッグを置いたシズカさんへと頭を下げる。
「すみません、お嬢様。もう少し荷物を減らしたかったんですけど」
「仕方ないって。その格好、工房から直接こっちに来たんでしょ。アカリにまで出張させるなんて、実家の方は大変みたいね」
「そうですね。落ち着くまでもう少しかかりそうです」
アカリと呼ばれた女性は困ったように肯定した。それから、怪訝そうにこちらへと顔を向ける。
見知らぬ男が『お嬢様』と一緒に居たら、怪しむのも無理は無いだろう。それにしても、シズカさんの実家について気になるところだ。
ここはひとまず探りを入れておこうか。一歩前に出て、左手を胸に当てて一礼する。
「お初にお目にかかります、阿倍野博と申します。訳あって、シズカお嬢様と同行させて頂いております」
「え、あー、はい。いつもお世話に、じゃなくて」
「ヒロシ君、ちょっと」
どう対応するべきか混乱している様子の女性の横から、シズカさんが苦虫をかみつぶしたような表情で割り込んできた。
「キミが喋るとややこしくなりそうだから、とりあえず黙っててくれるかな」
「かしこまりました、お嬢様」
「あと、その似非執事やめてよね」
念を押すように伸ばされた人差し指を、後ろに避けて両手を上げる。降参の姿勢。
シズカさんは溜め息をつくと、追撃を諦めて背を向けた。
「彼は修学旅行中の高校生で、今回の件に巻き込んじゃった自称、一般人。何か企んでそうな顔だし、ちょっとおかしい所があるけど悪い子じゃないから」
「ええと……なるほど」
今の説明のどこに納得したのか。いまいち釈然とせずにいると、女性は腰のポーチから取り出した名刺をすっと差し出してきた。
「初めまして、フルマ、です」
「これはこれは、ご丁寧にどうも──」
長いこと仕舞われていたためか端が折れ曲がっている名刺を両手で恭しく受け取りつつ、シズカさんに頭をはたかれる。悪ふざけが過ぎたかと思ったものの、幸い彼女はさほど怒っていないようだった。
「それはもういいから。彼女は古間灯。前に説明した通り、実家からの支援要員ね」
「佐伯警備保障、特殊障害対策部、ですか」
恐らく、超自然災害対策なんとか、みたいな対霊対魔の部署なのだろう。警備会社の一部門としては有りなのかもしれない。
名刺に書かれた所在地から判断すると、アカリ女史は山形辺りからやってきたらしい。東北地方における具体的な位置ははっきり思い出せないものの、遠路はるばる大変なことである。それは自分も同じか。
「さて。実家の方も気になるんだけどさ、こっちだって悠長にしてられないんだ」
「何か不都合でもありましたか」
「アカリの手も借りないとマズいくらいには、ね」
前置きはここまで、とばかりにシズカさんは説明を始めた。そこから少し離れて、ポケットの中で鳴り始めた携帯電話を取り出す。
発信者は『拝島霙子』。いま一番この場に居て欲しい人物だった。
○
すぐに通話ボタンを押して、お待たせしました、と応答すると。
『話すことはいろいろあるんだけれど』
拝島会長の第一声は、苛立ちだか焦りだか、わずかに棘が含まれた調子で始まった。
「はい、なんでしょう」
『無茶してないだろうね、アベノ君』
さてどうだろうか。シズカさんに言わせれば「いつ倒れてもおかしくない」らしいのだけど、暑さと空腹でいまいち頭が働かない以外は、別に不調を感じてはいない。
『前にも注意したから、これ以上は言わないけれど。前に出て魔剣と戦う、なんてオリト君の真似事はしないように』
「善処します」
『是非とも、そうしてくれたまえよ』
既に二回ほど攻撃されていることは黙っておこう。どちらも不可抗力であったわけだし。
こちらの状況を知ってか知らずか、会長は疑うような間を挟んでから、言葉を続けた。
『メールは読んだ。調査やら分析やらは本来、君の担当なんだけれどねえ』
「自分としても、前線に立つのは会長にお任せしたいところですが」
『ああ、その方が気が楽だ……と言っても詮無いことか。本題に移ろう』
スカイツリーを出る前に、会長には今回の件に関するメールを送ってある。改めてシズカさんに見せてもらった『魔劍大鑑』の該当ページを撮影した画像に、大鴉による内容の解説付きだ。
かの書物によれば、どうやら『イペタム』は出羽の竜神が打った刀身に、アイヌの装飾を施したものであるという。
『伝承でも、人食い刀を封じるのに竜神が一役買っているようだ。そういう来歴だったとしても不思議ではないね』
「将門との繋がりの方はどうですか」
『そっちは微妙だ。鉄の民を通じた関連性は考えられるけど、儀式に利用するにはちと薄い。もうひと声、欲しい所かな』
「そうですか」
会長が知らないのであれば、ひとまず保留にしておくしかないか。相手の居場所は推測できているわけだし、後でゆっくり考えることにしよう。
『同行者については、何かわかったかい』
「佐伯警備保障の、えー、特殊障害対策部とか」
手元の紙片を見ながら会社名と部署名を伝えると、電話の向こうから「ああ」と得心した雰囲気が伝わってきた。
『昔、一緒に仕事をしたことがあるよ。よほど手強い相手でなければ、問題なく解決できるだろう』
「それがどうも、主戦力の方々ではないような雰囲気なんですが」
『そうなのかい? となると、僕もちょっと動いた方がいいかもしれないな』
そっちに誰か手の空いている奴は居たかなあ、と会長は独りごちた。
○
いくつかの細かいやり取りの後、拝島会長の「安全第一で行動したまえよ」という言葉で通話は締めくくられた。
携帯電話をポケットに戻して向き直ると、シズカさんとアカリ女史の会話はまだ続いていた。こうして並んでいるのを見ると、シズカさんの背の低さがより際立つというか。
身振りの大きいシズカさんに対して、アカリ女史は大人しい雰囲気であるためか、傍目には親子のように見えなくもない。
「携帯電話が依り代になっているのも気になりますけど、それよりも『コトワリ使い』というのが厄介そうですね。お嬢様だけで止められるでしょうか」
「状況次第かな。こっちとしては『イペタム』さえ取り戻せればいいわけだし、アカリを前に出すわけにはいかないしね」
「確かにそうですが……」
心配そうな表情で渋るアカリ女史だったものの、それ以上異議を唱えることはないようだ。一通りの説明は済んでいるということだろう。
そろそろ移動しようかと声をかけると、シズカさんは話を打ち切り、ヘルメットを手に取った。
「じゃあ、私は後から追いかけるよ。アカリの荷物は運んであげてね」
「了解しました」
キャリーバッグに手を伸ばして持ち上げた。つもりが、予想以上の重さだったので断念する。
いったい何が入っているのか、ごとりと音を立てて着地したそれを支えて、アカリ女史は不安げに口を開いた。
「ええと、運べますか?」
「大丈夫ですよ」
なんとか、頑張れば。持ち上げて運ぶのは無理そうなので、素直に引っ張っていくことにする。
目指すは駅前のタクシー乗り場。バイクに三人は乗れないし、荷物もあるので仕方ない。
日陰から出て、真昼の太陽に背中を焼かれながら歩いていく。ときどき敷石に引っかかって、左右に揺れるキャリーバッグの後ろから、アカリ女史がついてくる。
「しかし、大荷物ですね」
「状況が読めなかったので、鞘と箱以外にも必要そうなものを一通り入れてきたんですよ。それでも、もう少し余裕はあったんですが……」
困り顔が標準なのか、眉根を寄せつつ彼女は首を振った。
「ついでだからお嬢様にお土産を持って行きなさいと、あれこれ詰め込まれてしまって」
「シズカさんって、佐伯のウチのご令嬢、とかだったりとか、します?」
「ええ、そうですけれど」
聞かれてませんかと首を傾げるアカリ女史に、聞かれてませんねと頷きを返す。
大体、出会ってからまだ半日しか経っていないのだ。その辺りを詳しく訊ねる機会はなかったし、必要も特にはなかった。
ただ。ひとつ思い出したのは、スカイツリーでのシズカさんの言葉だった。
「後を継ぐとか継がないとか、言っていたような」
「……そうですか。お嬢様の素質は、素晴らしいものがあるんですけれど」
残念そうに呟いたアカリ女史に、何の素質なのかと問い返そうとして、考え直して口を閉ざす。
どうせなら、その素質の欠片だけでも分けて貰えないだろうか。




