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魔剣の品格  作者: 時雨煮
魔剣転生
2/33

壱、ひと目会ったその日から

 一目惚れ、という奴を信じるだろうか。

 例えば、栄えある高校生活の第一日目、ふと隣の席の女の子をチラ見した瞬間。春雷に打たれたような驚きとか感動とかに全身を貫かれたりとか、そんな感じの。良く分からないけど。


 かくいう俺の高校初日はというと、どうにもイマイチなスタートだった。右隣の席ではガキの頃からの腐れ縁、幼馴染のアキが居眠りしていて(ホームルームが始まってから五分も経っておらず、ある意味驚いた)、左を見ればそこは二階の窓だった。

 さすがに初日から窓の外に浮かんだり落ちたりする幽霊を“見て”しまうような事態は起こらなかった。あのときは、曇り空に舞い上がる桜の花びらを眺めながら、隣の馬鹿を穏便に起こす方法について考えていたのを覚えている。

 放置しようとも思ったが、そうすると恥ずかしい寝言(主に俺にとって)を大声で呟き始める奴なので、そうもいかなかった。加えて、起きぬけにも変な声を出すことが多いので、注目を浴びずに済んだのは、小学校時代から数えて両手の指で足りる程度しかないと思う。さすがに困って、そんなんじゃ彼氏できねえぞとか、嫁の貰い手がいなくなるぞとか注意しても、アキは曖昧に笑うだけだった。知らん。俺は知らんからな。


 おっと、話がそれた。誰かへのお土産なのか、それとも自分用なのか、視界の片隅で中腰になって大仏のキーホルダーを物色している馬鹿のことは、今はどうでもいい。

 ……いや、良くはないな。


「アキ、鹿にしっぽ狙われてるぞ」

「うひょえぇっ」


 後頭部を押さえてしゃがみ込むアキ。頭上から追撃を加えようとする野生の鹿から逃れようと、転がるようにこちらへと這いずり寄ってくる。メガネの奥は超涙目である。さすがに慌て過ぎだろう。

 ちょっかいを出してきた鹿の方はというと、ポニーテールに対する興味は早々に失ってしまったらしく、悠然と歩き去っていくところだった。


「鹿にモテても嬉しくねぇがぁー」


 俺を盾にするように中腰になって隠れていたアキは、安堵と不満の入り混じった声を出しながら立ち上がった。アキの背は高く、猫背気味なのに俺の方が少し見上げる形になる。俺の背が低いんだろうって突っ込みは却下だ。

 ズレたメガネと崩れた髪型を直しながら、アキはため息をつく。えんじ色のジャージのあちこちに砂がついていて、まるで乱闘に巻き込まれたように見えるけれども、全部アキの自前である。


「どっか擦りむいたりしてないか」

「んー、たぶん大丈夫」

「痛かったら後で保国ほくに先生に見てもらえよ」

「大丈夫だってば。オリコは過保護でいかんがな」


 鹿一匹で大げさなんだから、もー、と自分を棚に上げた発言をするアキ。お前が言うな。

 というか脱線し過ぎだ。いい加減、話を戻さないと時間がなくなってしまう。


 この土産物屋の前を通った瞬間から、俺の興味は目の前に屹立し、妖しく黒光りする一品に注がれている。いわゆる一目惚れという奴だ。店先の端の方、『一本 九百八十円』の値札と共に無造作に陳列されている木刀たちの中で、ソレは他の連中とは一線を画するような輝きを放っているように見えたのである。

 黒漆を丁寧に塗り重ねたようなその木刀は、とても他の粗悪品と同じ値段というのが信じられない代物だった。


「しかし、何て書いてあるんだ? 東大寺とか?」


 握りの部分に刻まれている文字を確かめようと考えたものの、なんとなく気後れして触る気になれなかった。仕方なく他の木刀を除けて顔を近づけると、上からアキの声が聞こえてきた。


「なになに、それ買うのかい」

「悩んでんだよ。ってか近いんだよ。いいから自分の土産決めとけ」

「可愛い系のオリコに木刀は似合わないんじゃないかな」

「うっせ」


 姿勢はそのままで、左手を振って追い払う。文句を言いながらも、アキは店の中へと入って行った。

 さて。刻まれている文字はかすれて判りにくいものの、直線の組み合わせで出来ていて、どうやら日本語でもアルファベットでもないようだ。


「海外向け……でもないか」


 外国人相手なら、漢字の方が受けがいいに違いないし、何ヶ国語も用意するのは大変だろうし。他の木刀はというと、何の文字も入っていなかった。となると悪戯で刻まれたものか。けれど何故だかその文字は、黒い木刀に相応しいように感じられる。

 買うべきか、買わざるべきか。えー? 修学旅行で木刀を買っていいのは中学生までだよねー? とか言われないだろうか。買わずに後悔するより、買って後悔したほうがいい、とは誰の台詞だったか。迷わず買えよ、買えば分かるさ、だったもしれない。

 しかし実際、残り少ない自由時間で悩んでいる余裕はあまり無いのだった。


 ──よし、買おう。そう心に決めて、右手をソレに差し向ける。

 傘立てのような陳列ケースから目当ての一品を引っ張り出そうとしたそのとき、雷に打たれたような感覚が体を貫いて、視界が暗転した。


    ○


 幽霊だとか妖怪だとか、他人には見えない存在を“見る”能力を、俺は昔から持っている。

 それらは大抵、うっすらと見える程度の存在なのだけれど、ときには“濃い”奴に出会ってしまうことがある。目に見えるだけではなく、その声が聞こえたり、様々な匂いを漂わせたり、さらには実際に触れることができるような奴。そして、意志を持ってその“想い”をこちらに見せてくるような奴に。


 まだ能登島のとじまに住んでいた小学生の頃。島の友達とかくれんぼをしている最中に、蔵の中で見つけた古い銅鍋に触れたときのことだ。銅鍋に宿っていた“付喪神つくもがみ”が見せた心象風景こころのなかは、未来永劫消えることのない炎の上でじりじりと焼かれ続けるという、子供にはいささか刺激の強いものだった。

 幸いなことに、現実世界ではぼんやりと立っていただけの俺を、かくれんぼの鬼だったアキがすぐに見つけて引っ張り出してくれたおかげで、大事には至らなかった。

 祖父の話によると、その銅鍋は祭りで使われていた祭器だったらしい。あれは銅鍋の願いだったのかもしれないけれど、今でも火は苦手になってしまった。


    ○


 暗転した視界はいつの間にか、厚い雲に覆われた荒野へと変化していた。

 草一本生えていない岩と土の世界に俺の姿は無く、俯瞰気味の光景を見ているうちに、自分が置かれている状況に思い至る。


 どうやらまた(・・)、心象風景に取り込まれてしまったらしい。これで何度目だっただろうか。


 俺自身の存在が少しずつ薄れ、世界に溶け込んでいくような感覚が、初めて心象風景に取り込まれたときのことを否応なしに思い出させる。

 あれ以来、古い物を触るときには何かが憑いていないかよく“見る”ようにしていたのだが、今回は油断した。初日の京都では変なのに出くわすこともなかったし、修学旅行の自由時間ですっかり気が抜けていた。

 まさか土産物屋の木刀にこんな力が宿っているとは思わなかった。最初に触れる気になれなかったのは、無意識の警告だったのだろう。


『──解せぬ』


 何処からともなく響く、重く低い声。言葉になる前の意志それは、純粋に自らの現状を理解できない、という一点だけを強く主張してくる。放っておけば、俺自身もこの意志に取り込まれてしまう。

 何の準備も無い状態でこっち側に引き込まれたのは何年か振りだ。けれども、対処法は身についている。


 自我がこの世界と混ざってしまわないように、自身の存在を確立させようと集中する。荒野に立つ自分の姿を想像し、意識をそちらへと降ろしていく。

 荒野にぽつんと立つジャージ姿の少年。高校一年生にしては少しだけ(・・・・)背が低めで、まるで女みたいな顔をしている。髪は短くしているのに、アキと並んでると未だに「妹さん?」とか聞かれることがある。というかさっき聞かれた。認めたくない現実だけれど、成長の余地はまだまだあるはずなんだよこんちくしょう。


『──解せぬ』


 次第にはっきりしていく自身の姿を、響く声が揺らがせる。何故なのか、どうしてこうなったのか、速やかに明らかにすべしという意志に塗り潰されないように抵抗しながら、自身の感覚を作り出していく。

 荒れた大地を踏みしめる足の感触。冷たい風を受ける手の感覚。仄暗い世界を見据える、俺自身の視界。自在に動く仮初めの体を手に入れ、試しに両手の指を動かしてみて、俺はほっと一息つく。

 アキの奴が気付いてくれねーかなー、とは思うものの、経験上、現実世界ではまだ一瞬も経っていないだろうから、期待はできない。それを待っていたら、体感で何時間もここで過ごすことになってしまう。


『──解せぬ』


 もう、その声が俺を脅かすことは無い。他者の声として聞く限り、その声は不安に彩られていて、害意は無さそうだ。とはいえ、引き込まれた俺にとってみたら、既に実害を被っているようなものだけれど。

 自分の世界に引っ張り込んでくるような奴は、言いたいことを言わせてやれば穏便に解放してくれることが多い。大抵は、手に入れた意志と言葉でもって、誰かに愚痴を言いたいだけなのだ。

 何も無い荒野を眺めながら、俺は世界に問いかける。


「何がだよ、この木刀風情が」


 お前は千円出してお釣りが出る、イロモノ土産の代表格に過ぎないのだ、という事実を突き付けてやる。それを買おうとしていた自分のことは棚に上げておく。

 俺の意志が込められた言葉を受けて、世界が震える。しばらくしてようやく、理性を伴った言葉が返ってきた。


『──いな。我は十五個入りの御当地饅頭と同じ値で売られるほど、落ちぶれてはおらぬ』


 否と言いつつ随分と正確に現状を把握しているじゃないか。


「いや、実際そうなんだから、そこは受け入れろよ」

『否。我は惑わされぬ』

「あーもう。もう一度言ってやろうか。お前、奈良公園の土産物屋の前で雨ざらしになってるぞ」

『──ッ!』


 言葉を失い、ただ怒りに震える世界。もしかして、デリケートな部分に触れてしまったのかもしれない。


「まあ、そんなに否定することでもないだろ。こんな“想い”が憑くくらい長い間、店先に放置されてたのは大変だったかもしれないけどさ」

『まだ言うか!』


 どうしても認めたくないらしい。頑固な奴だ。

 言葉が通じないヤツよりはマシだけれど、こっちは残り少ない自由時間を潰されそうなんだぞ。


「ったく、わっかんねえ奴だな。違うってんなら、自分が何なのか言ってみろってば」


 俺の問いかけに対して、世界は沈黙した。灰色の世界に無音の時間が訪れる。質問の意味は伝わっているだろうに、答えが返ってくる様子が無い。

 静寂が数分に感じられるほど続いた頃、ただ待っていることに飽きてきた俺は、組んでいた腕を下ろして荒野を歩き始めた。


『お、おい。しばし待て』

「待っててやるから、じっくり考えてろ」


 どうせ、現実世界で接触が断たれるか、この世界の主が許さない限り、俺はこの世界から抜け出すことができないのだ。けれど、それを馬鹿正直に伝える必要はないよな。

 しっかしまあ、何とも殺風景である。地の果てまで続く荒野は、これまでに見てきた中でもトップクラスの無味乾燥さだ。


「……なーんにも、ねえのな」


 俺の呟きに反論しようとするかのように、世界が揺れた。それでも、返す言葉が見つからないのか、沈黙は続いている。

 さらに十分ほどが過ぎ、ただ歩くのにも飽きてきた。大体何だって、修学旅行先でまでよくわからんモノの愚痴聞きをせにゃならんのか。


「百、九十九、九十八、九十七、きゅ」

『待て。何の真似だそれは』


 歩きながら数を数え始めると、慌てた声が俺を制止する。立ち止まって空を見上げ、にやりと笑って見せたあと、俺は歩みを再開した。


「ごー、よーん、さーん」

『飛ばしたであろう! 今! それも豪快に!』

「うっさいなァ。心の中でカウントしたんだよ。ちゃんと聞いとけ」

『無茶を言うな!』


 響いてくる声は、不安よりも困惑に満ちている。俺がただカウントダウンしていただけだ、ということには気付いたんだろう。


「ってか、なんだお前、突っ込みはいける方か。木刀だけに」

『断じて否! 我は《魔剣》だ!』


    ○


 ──《魔剣》。それは確かに、特別な言葉だった。


 その言葉と共に、荒野は小さな丘となり、目の前に古びた石碑が現れる。周囲は炎に包まれ、音の無い世界に轟音が響き渡り、冷たかった風は熱風へと置き換わった。

 灰色だった世界は一瞬で紅く染まり、過去の記憶に思わず動きが止まる。


 炎は駄目だ、勘弁してくれ。


 逃げ場を失った俺の前に、青白く揺らめく亡霊が現れる。亡霊は大柄な男で、苦悶に満ちた表情で意味の分からない呻き声を上げながら、両手をこちらの首筋に伸ばしてきた。

 これはマズい。現実世界ならともかく、こっち側では死んだらどうなるかとか、今ここで実験したくはない。

 亡霊を止めようと差し出した右手に合わせて、俺の口が勝手に言葉を紡ぎ出す。


「────、────!」


 聞き覚えのない異国の言葉。ジャージではなく、毛皮の防具と銀色の装飾品を身に付けた白い右手。


 これは、俺じゃない。


 そう気付いた時には炎と亡霊は消えていた。ジャージ姿に戻った俺の右手は、地面に突き立った大剣の柄を握っている。その剣の姿はひどくぼやけていて、目を凝らすほどに薄れていき、次第に黒い木刀へと変じていく。

 辺りを見回せば、丘と石碑も姿を消し、また何も無い荒野が広がっていた。


 軽くなった右手を上げ、握っていた木刀を目の前に掲げて、語りかけてみる。


「その姿で納得したのか? それと、今のは何だよ」


 問いかけに対して、右手の木刀は逡巡するように震え、やがて言葉を発した。


『──思い出せぬ』

「へ?」

『我は《魔剣》。だが、他に何も思い出せぬ。我は何故、このような姿になっているのだ?』


 それっきり、辺りは静寂に包まれた。

 灰色に戻った冷たい世界の中でひとり、空を見上げて息を吐く。


 どうやらこいつ、記憶喪失のようである。

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